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■ ■ ■



───『連れていって』───

そう、一言で良かったの。
でもほら、言えるわけないじゃない。

貴方はいつだって前ばかり見て、振り返ってくれなくて。
貴方の隣を歩けないなら足手まといになるだけだって分かっていて。

見渡す限りの青空は、どう見たって彼の門出を祝福している。


──泳ぐ機能を忘れた私は、溺れ続ける……──













*****************




「京に行ってくる」

『………………』



何時だって何でもお見通しの貴方は、私が何も言えないのを知ってそんな意地悪な無表情をするんでしょう?

一つ一つが端麗な部品は、まるで絵画のように輪郭に収められている。
紫雲英に似た紫色の瞳は、私ではなく何もない窓を捉えていた。


京に行ってくるから、何?
それだけ?その先は?何もないの?
「今まで世話になったな」とか、「どれくらいで戻る」とか、あわよくば「お前も一緒に来るか?」とか。
想像の中では、私が欲しいことをいくらでも言うくせに、現実に戻れば一つだって言葉にはならない。
そしてそれは今日だって変わることはないのだ。


茜色の冬晴れ空が、私の気持ちと一緒に傾いでいく。

春の陽気はまだまだ遠いらしく、私を温めてくれるものなんてどこにもない。


『……帰って、来ない?』

「分からない」


貴方がいなくなったらどうすればいいの?
お花見の約束は?夏祭りの約束はどうなるの?
貴方のいない世界で、私はどう生きていくの?

───海の上で、待つことなんて叶わないんだよ?───


分からないよ、トシ。分からないの。

どうして目を合わせてくれないの?
今までの一緒にいた時なんてまるで嘘のように感じられてしまう。

ねぇ、好きで好きで堪らないのに、何でこうなるのかな。


「出発は、……明後日だ」


目を伏せた彼。
それはサインだった。

それでも、呆然と立ち尽くす私は顔なんてあげられなくて、彼の草履が踵を返して外に出ていくのを見ていることしか出来ない。

夕闇が空と一緒に貴方まで覆ってしまった。






───────────────…………



翌日。
私は何かに導かれるようにして数十歩先にある家へ赴く。

明け六つは過ぎ、半に差し掛かっていた。
けれど、近藤さんの道場に行くのはいつも朝五ツの鐘がなってからだったし、この時間帯には絶対いるはず。

あくまでトシの言葉が全てだった私はそう考えていた。


でも、どうしてなの?

“明後日”って言ったのに、どうして翌日の今日にはもう荷物も貴方もいないの?


開けた障子を掴んだ指に力が入る。

"喜六"にぃも"なか"ねぇも、トシが私に嘘をついて出て行ったことは知らなくて、ただ私の小さく震える背中を遠くから見ている。


こんな悲しみに暮れるのは、あのサインに気づかなかった私のせいですか?
それとも、お互いに顔を逸らしてたから、貴方も同罪になりますか?



『……嘘つき…』

すっからかんの部屋で、吐き捨てる言葉。

荷物を持って行くなら、思い出も一緒に持って行って欲しかった。
私の中にあるトシの面影も何もかもを、一緒に連れて行ってもらいたい。


そうじゃないと、




『…………行かないで……っ』




残された思い出と溜め込んだ気持ちに、ほらまた。


───……一人溺れてしまうの───