右手の人差し指と左手の人差し指にジャグを乗っけられたドヤ顔が見えて、またアホな自慢し出したなと目を細める。とはいえ先輩たちや同級生と楽しそうに会話する様子は何よりなもんで、マネージャー4年目を選んでくれる気がした。
笛の音がして、凪沙と少し離れた位置のマネージャーが声を張り上げる。どうやら休憩らしい。体験入部のはずが普通の練習に参加させられた俺たちは肩を上下させたまま壁の方へ寄ったりその場に座り込む。入れ違いに忙しくなった凪沙たちマネージャーはタオルやドリンクを配り始めた。
「な、なぁ!! 帝光中金髪の虹村だよな!?」
「……金髪じゃねーし人違いだろ」
「嘘つけ!」
「本物だ……」
「帝光中キャプテン……実在したんだな」
わらわらと集まり始めるやつらが手の甲で汗を拭う頃、「あの!」と声が聞こえた。顔をあげれば、凪沙と似た髪型の女子の腕が俺に向かって伸ばされている。タオルが乗っただけのソレに目を瞠ったのは、その人数が多かったからじゃない。先入観が崩れた───てっきり凪沙が持ってきてくれるもんだと思ってたからだ。
「……サンキュ」
「あ、う、うん! お疲れさまでした!」
「あのっ、これも!」
「あぁ、どーも」
「「いーえ!!」」
きゃあきゃあと熱を漏らしながら、女子たちは他の奴らにも愛想よくドリンクを配り、シューズを鳴らして離れていく。
周りの奴らはそいつらの背中を見て満足そうに頬を弛ませた。 “女子はいい。あの短髪の子可愛かった。あんな子達いたら頑張れるわー。” そんな感想を、俺はドリンクと共に喉へ流し込む。───どうだかな、ってのが正直なところだ。ああいう反応をしてる奴らは大抵下心持ってるのが大多数だ。赤司たち目当てに増えた季節外れのマネージャー希望者とかで相当俺らの目は磨がれたと思う。
そりゃあちゃんと働けるマネージャーは多い方がいいし、一人もいねぇのは地獄だけど……。
チラリと向ける視線の方向に、迷いはない。先輩たちにドリンクを配っている姿を認めて、言い表せない満足感が胸の辺りを埋めた。
───少なくとも、俺が入ればアイツも同じだろうし、そうなれば十分だ。とんでもない人数のプレーヤーを支えてきた帝光中マネージャーの手腕たるや、他校と比べるまでもない。ウチは選手だけが優秀なわけじゃねーしな。
「「「帝光中!?!?!?」」」
そんな俺たちの母校は中高バスケ民にお馴染みの名前だが、今言われたのは俺じゃない。未だ視界に映る凪沙はへらへらと笑って驚愕する先輩たちを宥める。
『あー、いや、しがないマネージャーですからね』
「いや、帝光中だろ!? マネージャーだって半端ないんじゃねぇのかよ! スカウティング女スパイとかいるんだろ!?」
『スパイじゃないですけどそれは後輩のことだと思います』
「あとあれだ! 練習しないやつに制裁加える鬼嫁だかゴリラだかがいるって『ハイ???』うっわっさっ!!!」
吹き出しそうになるのを必死に堪えた。確実に凪沙のことだし、聞き返す辺り自覚してるらしい。
ヤベェ、視線を感じる。笑ってるのがバレるとまずいので俯きながら首にかけたタオルで顔の汗を拭っていると、隣のヤツが話しかけてきた。
「帝光中ってことは虹村と一緒だよな? 虹村もあいつも都立って、珍しくね?」
「さーな」
まぁ、確かに多くはなかったと思うけど。高校大学が付属してるわけでもないからみんな外部に再受験はするもんだし、そこまで稀有な存在には見られなかったな。
視界から外しても、耳で凪沙の音声を拾って追い続ける。もはや無意識の範疇で笑えるし、これで一喜一憂しちまうんだから大概単純だ。
凪沙にしてみれば理不尽な怒りに見えることもあるだろーが……。ま、それはソレ。
そこから発展した出身中学紹介にちょいちょい参加する。聞けば、やはり私立から都立へ進学したのは俺ぐらいのようだ。私立は金持ちって印象があるのもその実も嘘じゃねーと思うし……。
「そこの出身俺のクラスにもいたわ。そこら辺の中学はこっから近いもんな。あ、帝光もか」
「おう、家から30分くらいだな」
「家近いのもココにした理由?」
「……まぁ」
都立にした理由はソイツじゃねーが、都立の中でココを選んだ理由は半分そこにある。……決めたのは殆ど凪沙だけどな。
納得し始めた面々だったが、中学でもバスケ部だったヤツが首を傾げる。ビブスの番号は13……黒子、練習付いていけってっかな。
「でもよー、虹村のレベルなら色んなとこからバスケ推薦来てたろ。秀徳とか正邦とか、あと丞成? 他県でも近場なら海常とか来てたんじゃねーの?」
「……なくは、無かったけど。秀徳はまず頭足んねぇわ」
「ぶっは!! ココに来てるなら確かに! 秀徳は偏差値5以上違うもんな!」
「頭良くてバスケ出来んの? アイツらバケモンじゃね?」
「「「それな。」」」
背番号13の台詞に全員で同意して、ケラケラ笑う。うん、入っても仲良くやってけそーだ。
この高校もそんなにバカじゃない自負はあるが、私立と都立じゃ同じ偏差値でも3くらい違うし、そもそも偏差値なんて3違えば世界、5違えば次元が異なるってのが塾の先生たちの言だ。秀徳に入れるのなんて赤司と緑間くれぇだろ。
「よー、仲良くなってそうだな」
「あっ、お疲れ様ですキャプテン!」
「「「お疲れーーっす」」」
話しかけてきたキャプテンは、立とうとした俺らを座らせて目の前に胡座をかく。さっきまで凪沙と話してた人だ。内容は帝光の練習ってとこだったか。
「何の話してたんだ?」
「秀徳がヤベェって話です」
「頭良くてバスケ強いんですよ? 意味わかんなくないっすか?」
「あーわかんないわかんない! 俺の友達の後輩なんか、成績トップクラスでテストの部活休み免除させて貰ってるってよ」
「アッそれもう人間じゃないっすわ」
「つーか、そーゆー人たちは努力も並々なんねーんだろ。テストで勉強が面倒とか言ってる俺たちじゃそりゃ無理だわ」
「へー。良いこと言うな虹村」
「後輩に、同じようなヤツらがいたんで」
キャプテンのニヤリ顔に苦笑する。良いことでもなんでもない。赤司や緑間を想像したんだ。アイツらずっとテスト順位ツートップ死守してたかんな。人間ではあるけど、たぶん本当に色んな面の出来が違う。
「他には何の話を?」
「あー、あとは虹村がココにいる理由ですかね」
「そういや桐皇は!? あそこ、最近スゲーバンバン引き抜いてるって噂だよな」
「桐皇? いや、あそこは無かった」
「ってことは他の挙げたとこは全部あってソレ蹴ったのかよ」
「半端ねーなオイ」
余計な一言だったらしい。僻みは感じないからまだ良いけどな。……確かに、進学先を赤司と緑間に言えばスゲー驚き様だった。親父の話を知っていたとしてもなお、都立ってとこは意外だったらしい。学費免除とかしてくれる学校だってあるだろうと赤司は言ったが、別にそこまでして強豪に行きたいわけじゃない。元々バスケしたくて帝光に入ったんじゃねーしな。
「確かにそこは気になるよな。ナンバーワンプレーヤー名高い虹村修造がいて、俺たち3年も2年もビックリしてんだ」
視線痛かったろ、ごめんな。そう謝るキャプテンに首を振る。試合に出るときのプレッシャーとかに比べれば全然問題ない。
「特別に都立を選んだ理由があったりすんの?」
「あー……親父が治療しててっつー金銭的なとことか、家から近かったりとか、そこら辺です」
「えっ!?」
「マジか、なんかゴメン!」
「嫌な話だったよな!」
横から飛んでくる謝罪にも笑って返す。あんまり気にしてないのは本当だ。……ココを選んだ最大の理由は、ソレだけじゃねーし、な。
凪沙たちが進めていた次ゲームの準備が終わりを見せる。そろそろ休憩も終わりそうだな。ドリンクの残りを全て口に注ぎ込む───直後。
「マネージャー」
ゴクリと音を立てて液体が気管へ流れていく。それと混ざって胸の辺りに行き着いた6文字は、心臓にベタリと貼り付けられた。既に立ち上がっていたキャプテンがヒトの良い笑みを浮かべて俺を見下ろす。
「帝光中のマネージャーって子もいたけど、知り合い?」
「はい、もちろん」
「あぁ、さっきキャプテンと話してたヤツ」
「てかここのマネージャー可愛い先輩多いっすよね!」
「希望者も然り!」
わらわらと沸き上がる声には一切賛同しない、……つもりだったが。うんうん頷くキャプテンは少し視線をさ迷わせ、やがて目標物を発見したのかじっと一点を見つめた。その先に在るものは、わざわざ追わなくても分かる。ソコにいる者を、俺はもう数分前から知ってる。
「白幡凪沙ちゃんとかね。俺割りと好みだなぁ」
床に左手をつける。
「え、どの子っすか!?」
足首に力をいれる。
「ほらあの、今タオル入ったカゴ持ってる子」
姿勢を前に傾け、体重と重心を足首へかける。
「あー、なんつーか爽やか系?」
左手の推進力と共に膝を伸ばす。
「おっ、でも笑った顔は結構───「アレはダメ」───は?」
先輩の前を通り抜け、全員の視線の糸を辿りながらもソレを背中で断ち切るように歩く。ボトルを持ったまま、首にかけたタオルを左手で取って距離を詰める。
「凪沙」
呼べば、声に反応して顔をあげる凪沙が俺を見上げて笑う。隣に並んでからタオルをカゴの上に乗せた。借りもんで学校の備品だし、一緒に洗っても問題はねーだろ。
『おーおーモテモテ期待の新人さん。久しぶりの後輩気分はどうですか?』
「んなんじゃねーよ。……マネージャー、やれそーか?」
『うん。目の保養には困らないだろうしね!』
「そーかよ」
『あとは修に合わせるよ』
「…………いいのか?」
『いやーそれがね。修のいないバスケ部って、なんかこう、身内感なさそうでさぁ……。やってみたら案外イケるのかもしれないけど、……ちょっと、なんか、うん、』
“マネージャーやりたいって思うには、足りないかな”
ドクンと大きく唸った心臓。その反動で、貼り付いた文字たちが次々と剥がれ落ちる。
「ッ、はぁぁあああーーーーー」
あーークソ。もーやだコイツ。なんでこんなとこでそーゆーこと言うんだよ。なんで、……俺のもんじゃないんだ。
『なにそのため息!? やっぱ最悪!? マネージャー失格!?』「ちょっと黙ってろ」 とりあえず今許されるのは頭を撫でるだけだから、仕方なくそれで我慢する。最悪? なわけあるか。これ以上ねーヤツだよ勘弁してくれ。
『……バスケ、やりたくないの?』
「なわけねーだろ。何のために父さんたちに頼んだと思ってんだ」
『じゃあ決まりじゃん。入部届け貰って帰ろ』
「……おう」
ココですら、 “それだけじゃない” なんて言ったら。俺の言葉に満足そうに笑うお前は、照れたりせずに怒るんだろうな。……でも、一過性のもので済むなら、それでも良いと思っちまう。それくらい、イマの場所を手放したくねぇ。
休憩が終わる笛の音を合図にお互い持ち場に戻る。キャプテンが俺ともう3人を呼んで、次のミニゲームへの参加権を与えた。どうやら俺はキャプテンと一緒らしい。
「虹村、ポイントフォワードできたよな?」
「えっ、」
「今回はソイツで。あと一つ言っとくけど、」
俺より少しだけ高い位置にある口が弧を描く。
「都立のなかでこの高校を選んだ理由、近さと白幡の他にバスケ部加えさせるから、入部しとけよ」
「! ───ッス」
『大活躍でしたね』
「あー、まぁな」
『周り、ちょっと付いていけてなかったよ』
「ん、ソコは調整してく」
手を握って開いて、受け取ったボールの強さと、投げた感覚を思い出す。もう少しだけ軽くする必要性はありそうだが、IH目指すならもっと俺に合わせて貰いたくもある。
貰った入部届けは、その場で凪沙と一緒に出してきた。これでまた3年間バスケ漬けの生活が決まった。今までも約束された勝利なんて無かったけど、これからはもっとその条件が減ってくる。
直々に誘ってくれた部長の期待は、俺個人の技術だけじゃない。帝光で培った戦略、トレーニング、経験の全てを求められてる。一員になったからには、惜しみ無く使わせてもらうつもりだ。
『高校バスケはあんま観に行ったことなかったし、とりあえず新人戦で戦況を知るってとこかな』
「あぁ。ただ、アイツらの様子も……」
『うん、分かってる。帝光にも暫くは月1くらいで顔出そうね。ちょっと、不安だし』
帝光バスケ部から選手個人へと縮小した僻みは増えている。そこに耐えうるだけの精神を、中学生が完璧に備えているはずもない。俺だってその立場になればしんどいだろう。だからせめて、心を折らないようにする支えくらいにはなりたい。
まだ片手も埋まらないほどしか歩いていない帰り道。駅まで徒歩7分。あと5分くらい歩けば電車だ。ちらほら同じ制服を纏う人影も見えるが、バスケ部はいない。新入生は掃除せずに帰らせて貰ったし、俺と凪沙は入部の件でちょっと遅れた。
体育館は1つしかないし、他の部活との兼ね合いで毎日ずっと使えるわけじゃない。……居残り練とかも出来なくなんのか。そうすると2人で帰るのは割りと出来なくなっちまう可能性も……。
『あっでも、高校生だからね、ちょっと遠出とかで遊びたいよね!』
「…………オメーさァ、……誘ってンの?」
気持ち、意識して。凪沙の左肩に右手を置き、左耳に口を寄せて少し小さく細くした声で尋ねる───が。
『え、今ので誘われてないと思ってんの? いいよ別に女の子の友達作ってその子と行くから!!』
この野郎……。俺の不満なんて露知らず。肩を怒らせて歩幅を広める凪沙の手首を掴んでおく。あぁ、ダメだ。早くしないと、色々持たなくなりそうだ。
電車に乗ってからは、家まで約20分くらい。この時間だけは、たぶん確立された邪魔のない時間だ。朝と同様、通勤ラッシュの波に浚われないようにしつつ、心を決める。
「……来年」
『ん?』
「……旅行、来年はふたりで行く」
『え、今年は?』
「こ、今年はちょっとまだ早いだろ……!」
『何が?』
「……イヤ、ナンデモナイ。」
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