目が覚めて真っ先に見えたのは知らない天井だった。慌てて飛び上がって回りを見渡せば汚れ一つない真っ白な部屋に見える。唯一確認できた脚の長いローテーブルさえ全身白くて、ここにいる自分が汚れに思えてしまう。
ふと、視界の隅で何かがもぞりと動いた。反射的に振り向けば、この部屋で初めて色みのあるものが見える。一人じゃなかったことに今更ながら気づいて、咄嗟に彼の身体を揺らした。
『修! 起きて!』
「んー……」
『どこココ!! お前が連れてきたの!?』
「はあ? 何言って、───オイどこだよココ」
『修も知らないの!?』
「あたりめーだろ!! 俺たち普通に家に居たよな!?」
寝ぼけていた様子を一瞬にして塵にした修も私と同じように身体を起こし、辺りを見回す。私たちはこの部屋の中央に位置するであろう家のサイズとそう変わらないベッドに寝ていたようで、白いシーツのかかった布団をかけられている状態だった。
最後の記憶を修と確認すれば今日は休日のはずで、だからこそ昨夜は遅くまでTSURUYAで借りてきた映画をリビングで見ていたのは確かだ。寝る前に時計を見たのが午前二時くらいで、二人で布団に入り込んだのも間違いない。
着ているものまでは流石に変わっていなくて、私も修もいつもの部屋着兼寝間着だ。
とりあえず出入り口が一つ見えているので二人揃ってそこへ向かう。
しかしその途中で、あることに気づいた。……オイオイあれ、ドアノブついてなくね……?
目の前に立ってそれを確認した私たちは顔を見合わせる。
『どっ、どうやって出るの!?』
「待て落ち着け。夢かも知れねーからとりあえず……」
『痛たたたた!?!?』
「現実か?」
『何すんだゴルァ!!!』
「ぅぐっ!!! げ、現実か……」
私の頬をぐにぐにとかなりの力で引っ張ったお返しに腹パンをかます。何で私で試したの痛いんだけど。
痛みで現実だと判断を下した私たちは、それが正しいのかは分からずともとにかく意識があるうちにこの部屋から出てみようと算段をつけた。
もう一度二人で部屋をぐるりと見渡し、そこでテーブルにある四角い物を見つける。修が手に取ったそれを横から覗き込んだ。……あろうことか、英語である。
「Hello, Here in a dream. When you look in the bottom of the head if you want to get up? ……おいおい、頭沸いてンな……」
『…………』
「……何だよ」
『い、いやなんも』
すらすら英語をネイティブに発音するから我ながらときめいてしまった。くそ、インターナショナルはズルい。
今はそんなことを考えている場合じゃないと叱咤して、学生レベルの簡単な英文を訳す。
『ここは夢の中です。えーっと、あなたは頭の、……もし起きたければ、頭の下を見ろ? ───何もないよ?』
「たりめーだろアホ」
素直に修の頭の下……つまり首筋の辺りを見てみたけど何もついていない。軽く小突かれたけど、でもそういうことでしょ?頭の裏にも何もなかったしなぁ。
「頭の下。頭の下。つーか起きてるのに“起きたければ”ってのもおかしいよな」
『確かに……。もう一回寝ろと?』
そうとなれば向かうはベッドで、枕もシーツもヘッド部分も白いそこに寝転がる。目を閉じてみたものの、近づいてきた修が「あ」と声を出すから反射的に開いた。
「おい凪沙、枕の下何かねーか?」
そう聞いた修はもう片方の枕を持ち上げる。───頭の下って、そういうことか!
ぐるりと寝返って枕の下に両手を差し込めば、……あった。一枚の紙。厚手だからどちらかと言えばカードの方が正しい。左手に持ち枕の下から引っ張り出して修に翳した。
『発見!!』
「やっぱりな。で、何て書いてあんだ? 」
こちら側に記載された英文に目を通す。
《Made the distance 0cm, and the door is open and you will come out of the dream.》
『その距離をゼロセンチにしろ、そうすればドアは開いて夢から出れるだろう』
「ゼロセンチぃ?」
『ま、間違ってないよほら!!』
訝しむ修にカードをひっくり返して見せる。ヒアリングは無理でもリーディングは出来るんだからな!!
自分の目で確かめた修はガシガシと頭を掻いて、私に背を向ける形でベッドに座った。
何をゼロセンチにするんだろう。言葉には主語が必要だと何度も幼い頃に習っただろうに。これだから英語は嫌いなんだよ。
「文法で言うなら、そこの主語は扉だけど」
『何をせずともギッチリガッチリ壁とゼロセンチしてるもんなぁ……』
「ってことは、その次の俺たち……」
そう呟いた修が、チラリと私を見る。
「……物は試しだよなァ?」
『はい?』
その瞳が、ギラリと光ったような気がして悪寒がした。伸ばされる手を思わず払って布団の上を移動する。無論、修から離れるために。
だってその表情は、まるで休日前の、夜の、ソレを迫るときに似たもので。昨日は映画を観てたから無かったもののある意味たまたまに近い奇跡だ。捕まったら最後逃げられないのはもう何度も経験済みである。
私を掴み損ねた修は眉を寄せていて、口をひん曲げて不服を露にした。
「オイ。なに逃げてンだよ」
『嫌な予感がした!!! とっ、とりあえず何ひらめいたか説明して!!』
「あぁ? ……言っていいのかよ」
『なにその確認!!』
フラグ建設すんのやめろよ本当に!!
そんな私の叫び虚しく、修は半ば諦めた、というか苦い顔で説明を始める。
「ゼロセンチにするってことはアレだろ。つまり、だから、シろってことだろ」
『滅べよお前マジで!!! 絶対嫌だからな!? それを確認するものがあるはずってことはつまりどっかにカメラとかあるんでしょ!? 絶対ムリ!!!! 』
「俺だって誰かに見せたくねーっつーの!! 」
『絶対他に道があるっ近づくな!!!』
「挙げた候補は試して潰さねーと」
『最後!! 最後の切り札にしよう!!!』
言い合い途中に迫る修から距離をとろうとすれば、必然的にベッドから降りることになる私。そのまま調べていないベッド下とか覗いてみようと思ったのに如何せんヤツの瞬発力と腕の長さの方が上回るわけで。
グイ、と腰に回された腕に無理矢理ベッドの方向へ戻されればさっきとは打って変わり、私が修みたいに背を向けてサイドへ座った状態だ。
しまった。ヤバイ。顔面の血の気が高まるのと同時に、ガッチリ私の背中に身を寄せてホールドしている修の手もするすると脇腹を撫で上げる。
『ふざけんな!!』
「ふざけてねーし、昨日ヤり損ねたから丁度いいだろ?」
『ど こ が!!! うわっ!?』
横に身体をずらした修が勢い良く上半身の肩を後ろに引き、道理にしたがった私は真っ白なシーツの上、ベッド本来の向きに対して直角に仰向けとなる。
そんな私にもまた直角に位置する修はその場所から首の後ろと膝に手を回し、持ち上げて真ん中へ落とす。
逃がして堪るかと直ぐに覆い被さってきて、熱を持った両の手で輪郭を撫でたり髪を撫でたり。私を懐柔しようと忙しない。
「安心しろよ。カメラがどこにあったってオメーの顔なんて撮さねぇように死角に入れるし、全部脱がしたりしねーから」
『そういう問題じゃ「凪沙」 っ、』
耳元で低く名前を呼ぶのは反則だ。どうしたって無意識に息が止まって緊張感が筋肉を蝕んで、何も言えなくなる。
確信犯の修はそれをフッと面白そうに笑って、弧を描いたソレを押し付けた。
────その瞬間。
ガチャンッと部屋全体に響き渡る音がしたかと思えば、ウィーンと酷く機械的なものまで聞こえる。
二人して目を合わせ、沈黙。
私たちの体の間に逆上せてしまうほど籠っていた熱も甘ったるい雰囲気も全て空気に溶ける中、左の方向に視線をやる。
壁に入った三つの直線はやっぱり扉で、スライド式だったらしい。上に緑の“EXIT”が電工文字で光り、その下に四角く出来た空間の先に道がある。
『開いた……、開いた!!!』
「チッ、ンだよタイミング悪ぃなクソ」
『オイコラなに舌打ちしてんだよ』
しぶしぶ離れる修を詰りつつ、その手を引いてベッドから降りた。
“その距離ゼロセンチ”───確かに主語は私たちだったみたいだけど、そんなにディープな話じゃなかったようだ。考えてみればキスだけでも十分条件はクリアできている。
良かった。マジで良かった。
喜び、というかむしろ安堵にほくほくとしながら、どうにも嬉しくないらしい変態と共に出口を潜った瞬間。意識はブラックアウトした。
─────目を開ければそこには、見慣れた天井が広がっていた。
もぞもぞと起き上がって、目を擦る。それから辺りを見回して此処が自分の家だと認識してホッとする。
こんな非日常的な行為の訳は明確だった。なんだか変な夢を見ていたらしい。妙にはっきりとした、鮮明な記憶。
隣に寝ている修をふと見遣れば彼も眉を動かし、次いで瞼を上げた。私を視認しながら起き上がり、同じく非日常的に部屋を見回す。
「……夢か」
『えっ、』
「は?」
呟かれた言葉に思わず目を見開いた。あまりに私とそっくりな反応にびっくりする。確かに夢には修もいたけど、……まさか。
「何だよ」
『い、いや。私も夢を見てたから』
「オメーも? 俺のはめっちゃ変な夢だったんだよな。何か、気づいたら知らない部屋にいて、」
ドクリと、心臓が動く。
「テーブルと枕の下にカードがあってよ、『……その距離をゼロセンチにすれば、ドアは開いて夢から出れるだろう……』──は?」
双眸を円くする修と目を合わせる。
今は朝の八時半。起きてから数分なのに、この感覚は今日二回目とかそんなレベルの話じゃない。
「オイオイ。まさか、同じ夢か?」
『……そうみたい』
「ンなことって、……………………いや、むしろラッキーか」
『は? 何で?』
ラッキーなわけあるか。事実は小説よりも奇なり、なんてそんな諺を示されたところで、今回ばかりは気味が悪い。
なんなら朝から少し肌寒いなぁ、なんて思ってると、突然後頭部に手が回って口に熱が点った。そのまま押し倒された先の真上で修がニヒルに笑う。
「説明とか説得する手間が省けたかんな」
『!? 』
これぞ正真正銘のデシャヴュ!!!
なんて。そんな叫びも怒りも、全て修の口に飲み込まれてしまうのであった。
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