普段あまり本を読まない修がソファーで何か開いていた。珍しいから洗濯物を取り込もうとベランダに出るついでに後ろから中身を確認する。と、覗いてるのが分かったのか、修が振り向いた。
「そこに置いてあったヤツだけど、桃井の忘れ物か?」
『あぁ、いや、なんかあげるって言われた。載ってたレシピ系の写真は撮ったんだけど』
「ふーん…」
そこ、と修が指したのはソファーの前にあるローテーブル。今日は夕方まで一日休講だったさつきが来ていて、彼女が持ってきた女性雑誌の占いを肴にお土産であるケーキをつついた。
帰り際、持って帰るのかと思いきや「まだ全部読んでないですよね? あげますから、虹村先輩と読んでください!」と半ば押し付けられたのだけど。夕飯の支度に取りかかるべくテーブルに置きっぱなしにしてたことを今思い出す。
因みに、今日はお昼から生姜焼きのつもりで豚肉を解凍しちゃってたので、写真に収めたレシピは明日辺りに実践しようと思ってます。
洗濯物を取り込んだところで炊飯器が鳴った。修を呼んで配膳を手伝ってもらい、いつもより少し遅めの夕食が始まる。今日はちょっと炊飯器のスイッチを入れ損ねてしまったのだ。
『大変お待たせしました』
「いや、全然」
苦笑いした修は「あー腹減った」と早々に生姜焼きを頬張る。
普段は帰ってくる時間に合わせて直ぐ食べれるようにしているんだけど、気にしてないみたいだ。まあこんなことで責めるようなヤツではないと知っているけれど。
「そーいや、あの桃井の雑誌、読んだんか?」
『全部は読んでないよ。さつきが言ってた占いのとこと、レシピコラムと収納術のページは見たけど』
「ふーん?」
『…………え、何?』
「いや、何も」
嘘つけ。絶対何かあるだろお前。ふくみ笑いを見せながらしらを切る修は味噌汁を啜る。
追及したってはぐらかされるからじとりと詰るだけで留めておくけど……、あの雑誌にこいつが興味を持つようなところあったっけ?
さつきと話した渋谷の美味しいご飯処と甘味処のこととか、修の同僚さんが家に来たいと言ってる話とか、それからの話と言えばそんなもので。修のあの謎の笑いの意味に気づいたのは、お風呂を上がって髪も乾かし終わり、暇になってもう一度雑誌を手に取ったときだった。
占いとかのページを見ていた頃にはなかった、不思議な折り目。印としてよく使うページの端を三角に折ったそれが指すのは、恋愛特集の一部だった。
『……き、…………。……星座タイプ?』
十二星座ごとに縦横軸を使った傾向が一面に書かれている。口に出すのも少し恥ずかしい話だけどいかにもさつきが好きそうなページの癖に、なんで此所を紹介しなかったんだろうか。
横軸は長さ、縦軸は情熱的かさっぱりかで分類されていて、無意識に自分の星座を確認するも何となく見なかったことにした。そうして次に探してしまうのは、立場というか関係上というか、気になるのは仕方のないアイツのもので。
蟹座を見つけて位置を確かめる。長め情熱的。ご丁寧に一言で下にタイプが書かれていた。──“愛情しっとり系”。
あいじょう、しっとり?
まあアレをさっぱりと言ってしまったら世の中恐ろしいことになるのは分かるけど……。
該当するかどうかこれまでのを思い返す。とはいえ、いかんせん相場が分からないからな、と首を傾げたところで我に返った。
ッ私は!! 何を!!考えて!!いるんだ!!!
頭を左右に振って邪念を蹴ちらかす。大体毎度同じものをされるわけじゃないしこんなの意味ないってかどうでもいいし興味ないしな!!!!
今の一瞬の乙女的思考に吐き気がして、勢いよく雑誌を閉じた───つもりだったのに。するりと手から冊子が上へと抜けた。
『なっ、』
振り向けば、ニヤリとソファーの後ろ側に立ってほくそ笑む修。いつの間に上がっていたのか、もう片方の手で首にかけたフェイスタオルを動かして髪を拭いながら耳元に口を寄せてくる。そうして低い声で囁くのだ。
「俺のタイプ、あってた?」
『ッ、し、知らない!!』
「お前からってのはそもそも経験ねぇからわかんねーんだよなァ」
『うるさい黙れ!!』
さつきめ、虹村先輩と読めってこういうことかよアイツ本当マジで女じゃなかったら殴ってる!!
嫌な予感しかしないのでソファーから立ち上がろうと足に力を入れる。が、
「オイ逃げんなって」
『逃げてないよ何から逃げるんでしょう冷蔵庫の中身が気になるだけだし!!!』
ガシッと雑誌を持たない手が肩に降り、そこから滑って右の手の平に移る。その間に閉じられた雑誌は私の左上を通って目の前のローテーブルに投げられていた。
急いで立ち上がると同時に、憎たらしい脚を持ってしてソファーの背凭れを乗り越えられる。おいおい呼んでないですよ!?
こっちに来るなら尚更離れなければと横に距離を広めようと移動しつつぶんぶんと右腕を動かして魔の手を振り解こうとするも、人間における力の采配が障害で。一度噛みついたら離れないらしいすっぽんとはこういうものなのではないかと考える。
『離せバカ!!!』
「落ち着けよ、魚座並みにはしねーから」
ぐぬぬぬぬと抵抗を続けるそんな私を見下ろしてくつくつ笑うヤツと言えばさぞ愉しそうで。とうとうグイッとそっちに引かれて身柄を拘束される。
奴が言う魚座は蟹座の上を行く場所に置かれていたわけだけど、何の説得にもならない。
『オメーが落ち着けよスッポン野郎!!!』
「亀じゃなくて蟹だっつーの」
『そういう話じゃねーよアホんだら!!』
切実なツッコミを適当にあしらいながらくるりと互いを半回転させる修は、私の正面にあるテレビと机に背を向ける形でぐいぐいと体重をかけてくる。それだけでなく上から顔も身体も近づけるから、避ければそりゃまたソファーにこんにちはするわけで。
『何で立ったばっかなのにまた座らせんのかな!?』
「……へぇ? ベッドの方がいいんか?」
ニヤリと笑って右手をソファーの背凭れに乗せられてしまえば壁ドンならぬソファドンの完成である。背を丸めて至近距離を作る修の額にこっちは左張り手をお見舞いする。
『ンでそうなんだよ退けバカ近づくなアホ!! 大体何しようとしてんの!?』
「その占いが合ってるか確かめんだろ?」
『アイドントアグリーウィズユー!!!』
「The one where you agreed to is for the body. Close the mouth.」
『っ、えいごでい、っ!? ふ、ぅ、ッ〜〜〜〜!!』
ネイティブのリスニングなんて出来るわけがないと吠えれば、最後の二音は空気にすら触れずに向こうに飲み込まれた。私の左手は実に無力である。
ぬるりと入ってきたモノに肩が揺れて、ギュッと修の手を握る。相変わらず上手く呼吸が出来ないと知っているからか、限界の一歩手前くらいで自動的に離れていく。
『は…っ、───こっ、こんなん何座でも魚座レベルに決まってんじゃん!!』
「だから口閉じてろって言ったろーが」
『なっ、聞き取れるわけないでしょ!!!』
確信犯ですと言わんばかりの嘲笑に腹パンを決めれば背中が更に丸まった。
ただしざまあみろと思う余地など無く、直ぐ様悪魔が顔を出す。
「テメー、本番はこれからなのに随分と余裕じゃねーか」
『っ!?』
拘束していた左手が今度は顎を掬うから全く忙しない。
「ほら、口閉じろよ。……それとも蟹座より魚座がお好みか?」
『ッ、……………………。』
「フッ、ちゃんと感想言えるように味わっとけよ」
質悪いったらありゃしねーなコイツ!! そんな言い方をされてしまえば無言でお口チャックなわけで。顔を逸らせない代わりにせめてもの抵抗で横を見る。
どうせ勝ち誇った三日月型を描いてるんだろうからこっちは正反対のへの字で待ち構えてやる。
感想も何も比較対象がないから分かんないって言いそびれるし、……くそ最悪だ。
強めに結んだそこに熱が重なった瞬間、反射的に瞼を早急に閉じた。ぐっと力を込めて出来上がる真っ暗な視界の一方で、風呂上がりのシャンプーの匂いと、洗濯したての柔軟剤の匂いを感じる。どっちも同じものを私だって纏ってるくせにこんなに情報を仕入れてしまうのは、視覚を遮断してるからか、それとも私が残念だからか。
とはいえ嗅覚だけじゃない。時計の秒針が動く音も、バクバクと壊れそうなくらい鳴ってる心臓も、手持ち無沙汰になってしまった手のひらを握る感覚も。何一つヤツの要求に関係ないのに煩く働いては、このふざけた検証を一回で終わせようと目論むのを邪魔する。
飽きたのか途中何度も角度を変えたり、少し開いた口から現れる舌が時折唇を舐めたり。絶対普段はしないというか、明らかに雑誌の文言を意識しまくってるようなソレが漸く離れると、顎の拘束も解けた。その代わりに今度は私の髪を一房掬い、くるくると自分の人差し指に巻き付けて遊ぶ。
「───どうだった?」
『っ、そう言われても……』
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて見下ろすのに何とか舌打ちを堪えて、言い淀む。
───愛情しっとり。まずそもそもしっとりってなんだって話だ。今日食べたあのパウンドケーキ的な? そんな柔らかさの話じゃないだろう。じゃあ湿ってたかどうか、なんてそんなんいきなり生々しすぎるわだアホ。
少し悩んだが、結局素直に伝えた方が良いんだと思う。というわけで、
『…………修以外の知らないから、分かんない』
比較対象の無しを口にしたけれども、結構ブーメランだった。
くっ……! なんて屈辱的な台詞なんだ!!! 悪かったな経験豊富じゃなくて!!!
もういいよしっとりでももっちりでも何でも!! どうせさっきの魚座並になるんだからどうでもいいじゃんかアホ!!!
顎を掴む物がなくなった今、羞恥心で赤くなっているであろう顔を隠すべく俯いて一人やけくそになる。
どうせ白々しく“なんかワリィな”と謝ったり“じゃあ全タイプ試そうぜ”とか調子乗ったりするんだろうと思っていた。
けれど私に触れたのは言葉でなく右手で、今日一の強さで腕を引かれて立たされる。
唐突だったのと予想外の反応に驚いて見上げた先には、なぜか至極真面目な顔つき。
それから漸く開かれた口で一つ浅い呼吸をした修は、まるで試合前の責任と決意と勝利への貪欲さを思わせる表情で告げた。
───「ベッド行くぞ」
『は、…………な、え!? 何で!?!? 嫌だよ!? ちょっと!! ふざけッ、おい引っ張んな!!! やっ、やだってばぁああ!!!』
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