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 息苦しさを感じて、奈々瀬はまた勢い良く身体を起こした。荒く繰り返される呼吸。額に当てた手はしっとりとした触感を得る。首筋や背中では、空気が触れる度に冷やりと気化熱を生じた。
 奈々瀬は一度大きく深呼吸をして、寝床から出る。嗚呼、一体これで何度目だろうか。
 最近の夢見が悪く、そのせいで毎晩1回から3回ほど目を醒ますのは理解している。しかし、どんなに脳を働かせたとてその夢の内容を思い出すことが出来ないでいた。
 寝不足で疲れの取れない身体を引き摺ってキッチンに入る。時計を確認すれば午前4時半。さっきは2時過ぎだったから、3時間も寝れていない。

 明日も何時も通りの出勤。あと2日頑張れば休日が来る。さつきに無理を言ってその日は1日ゆっくり休ませてもらおう。
 ふあ、と一つあくびをした奈々瀬は携帯を片手に弄った。検索サイトにかけるのは【安眠 飲み物】、出てきたのはホットミルク、ココア、ホットトイ等々。この選択肢なら迷わずホットココアだと、奈々瀬はコップ8分目までの牛乳を鍋に入れ火をかけた。


****


……眠い。

 片手で目を擦って、デスクトップのブルーライトを浴びる。ココアを飲んで寝直したのは良いものの、6時には目覚ましが鳴って結局また2時間後には起床した奈々瀬は重くなる瞼をどうにか持ち上げて踏ん張った。
 それでも仕事に影響は出すまいと、何度も何度も打ち掛けのレジュメを確認しながら作業を進める。とは言え、本調子よりも1.5倍は遅い。あくびを堪えて、齧りつくように画面に神経を注ぐ。

 例え誘惑に負けて寝たところで、この疲れが取れる前にまた起きてしまうだろう。しかし、5分だけと時間を決めたってそれはそれで起きれる自信がない。
 仕方なく、小窓で朝方と同じ検索サイトを開き、【 眠気覚まし 仕事中 】と打ち込む。目薬なんかじゃ効かないのは経験済みだし、ただでさえ作業がいつもより鈍いのにトイレや水飲みには行きたくない。
 そんな中から奈々瀬が選んだのはツボだった。書いてある内の、片手間に出来ることを試してみる。
……ダメだ、全く解消しない。痛いのは嫌だけど、仕方ないか。
 ため息をついた奈々瀬は、デスクのペン立てから芯を出さなくても先が尖ったシャーペンを右手に持ち、そのまま左手の甲に少し勢いをつけて刺そうとした、────が。

「オイ!」

 周りには迷惑にならない程度の、けれど力強い声と手が彼女を制した。

「何やってんだバカ……!」

『す、済みません! えっと、眠気覚ましに……』

 掴まれた右肘を無理矢理引き込んで、さらにシャーペンを取り去った右隣のデスクの虹村は、眉間に皺を寄せる。

「女がこういうことすんじゃねぇよ。傷になったらどうすんだ」

『は、はい……』

 ペチペチと軽く右手を叩かれながら奈々瀬は教育係に怒られる。実際、これでこの時間の奈々瀬の眠気は吹っ飛んだ。

「あと1時間もすれば昼休みだから頑張れよ。どうしても眠くなったら俺に言え。いいな?」

『えっ、その、先輩に言ったらどうなるんでしょう?』

「あ? そんなのはお楽しみだよ」

 ニヤリと、口角を上げて奈々瀬から手を離した虹村はさっさと自分のパソコンに向き合ってしまう。
 掴まれていた手が持つ熱を隠すべく、奈々瀬は慌てて放っておいたマウスの上にそれを合わせた。お楽しみが気になってしまうのは言うまでもない。



 それから、昼休憩を報せるチャイムが社内に響く。なんとか昼まで乗り切った奈々瀬は、ご飯より睡眠を選ぶことにした。持ってきていたおにぎりを1個食べたら寝て、食べなかったものは家に持ち帰り夕飯にしよう。
 つらつらとそんな計画を立てたとき、パソコンの電源を落とした虹村が奈々瀬の肩を叩く。

「オイ、飯今日も持ってきてんだろ」

『え、あ、はい』

「じゃあそれ早く持て。いいから、……よし。行くぞ」

『えっ?? ちょ、虹村先輩!?』

 いつも通りデスクで食べようとしていた奈々瀬をそう急かした虹村は、彼女が手に水筒とランチバッグを持ったのを確認するや否や手首を引いて部署を抜けてしまう。
 途中ですれ違った別部署にいる虹村の同僚がふたりを見て「おいおい逃避行かー」と冷やかす。だがそれをいつもと違い冗談ではない様子で「うるせェな黙れよ」と一喝する虹村に、そこまで本気で返ってくるとは思わず彼らは硬直した。

 同時にそれを後ろから見ていた奈々瀬もびくりと肩を震わす。チクチク刺さる女性社員の目も痛い。……虹村に世話を焼かれるのは片想いの身として願ってもないことだし、こういう強引さも惚れた一因ではあるが。こうも人気者の彼に堂々とされてしまえば奈々瀬の立場はじりじりと狭くなるのも事実だ。
 複雑な思いを抱えながらもその手を振りほどくことなんて出来やしない奈々瀬は、大人しくされるがままであった。

 そうして連れていかれたのは屋上だ。奈々瀬はこんなところに人が入れるのを知らなかったが、無理もない。そもそも此所は本当は立ち入り禁止の場所で、四六時中施錠されている。入れたのは虹村がそれを鍵で開けたからこそだ。

『なぜ鍵を……』

 チャリ、とスーツのポケットに仕舞われたそれを、まるで万引きを目撃してしまったような目で追った奈々瀬は思わず疑問を声に出してしまった。
 それを聞いた虹村は悪どい笑みで奈々瀬を見下ろす。

「ちょーっと機会があってな。此処はいーぜ、誰も来ねーし。ゆっくりしたいときには一番だ」

 機会ってなんだ、とは言えず。奈々瀬は納得しないながらも頷いた。
 これ以上は触れないでおくべきだろう。虹村は、何人かの人気者を総称したイケメン銃士とかいう如何程な肩書きを背負う謂わばアイドル的な存在だ。休憩時間だってずっと誰かしらの視線を浴びているのだから、おちおち気も休まらないに違いない。こういう環境が必要なのだ、そしてこれを奈々瀬は死守しなければならないと心に誓う。

 屋上は誰も上がらないというのにご丁寧にベンチが置いてあって、虹村はそこに奈々瀬を誘導する。
 当然隣り合う形になった奈々瀬がどぎまぎするのをくつくつ笑う虹村だが、自分はさっさとコンビニの袋に入ったパンの封を切って食べ始めてしまった。

「食わねーの?」

『いえ! い、いただきます……』

 風に靡く髪の毛を押さえながら、おにぎりを口に運ぶ。中身は塩昆布だがしかし、味なんてまったくしない。

これを食べ終えたら眠るつもりだったのに……。

 午後の業務を乗り越えられるか不安になる奈々瀬がそのおにぎりを食べ終えた頃には、昼休憩は残り30分強になっていた。昼寝には最適だ。デスクで寝る分には休憩終わりのチャイムで起きれるが、屋上は果たしてその音が聞こえるのだろうか。
 だが寝ないと辛い。これまで痛いくらいの沈黙だったし、特に何か話があるわけではなさそうだった。……申し訳ないし勿体ないけれど、お暇させてもらおう。
 覚悟を決めた奈々瀬は立ち上がって振り返る。と、勿論、虹村は首を傾げた。若干眉に溝がある。

「……俺まだ食い途中なんだけど?」

『っ! そ、そうなんですが、あの、私、えっと…恥ずかしながらちょっと寝不足でして……。残りの時間はその、英気を養おうと……』

「なら此処で寝ろ」

『………。えっ!? いえいえ! そんな! 先輩の大事な一時をこれ以上妨害するわけには!!』

「別に寝てるだけなら妨害になんねーだろ。オラ、いいから座れ。早く。命令。」

『……ハイ。』

 なんと横暴たることか。ベシンベシンとさっきまで座っていた場所を叩かれた奈々瀬は、上司の命令に逆らえずに座る。
 そうして同じ場所に戻った奈々瀬を虹村は覗き込んだ。

「てかオメー、握り飯1個しか食ってなくね?」

『それよりも睡眠を選んだのです……』

「どんだけだよ」

『……最近、本当に寝れてなくて……』

「…………何でだよ。オメーが連日飲みに行くとは思えねーんだけど」

 その質問に、奈々瀬は朝方の飛び起きを思い出す。

『その、……………毎日、……嫌な夢を、見るんです。内容は覚えてないんですけど、……酷く恐ろしくなって、何度も起きてしまって』

「………ふーん。夢、な」

 首を反らして空を仰いだ虹村は唇を尖らせて考える。
 虹村とて、最近彼女の様子がおかしいのは何となく気づいていた。仕事にミスはないし、気丈に振る舞うからこれまで口には出さなかったものの、シャーペンで握りだした瞬間にこれ以上は看過できないと思ったゆえ此処まで連れてきたのだ。
 作戦通り疲労の理由は聞けたし、一応望みは果たされたのだが……。

 ちら、と目線だけで奈々瀬を見下ろした虹村。彼女が俯いているのを数秒見てから、ベンチの後ろに垂らしていた左腕を浮かせる。そこから伸びる手のひらが彼女の細い肩を捉えると同時に、自分は右を向いた。
 トンッと軽い衝撃を左側に受けたあと、『えっ?』と驚いて此方を見上げようとする奈々瀬の頭を、身体を引き寄せたのと同じ手で倒して自分の左肩に乗せる。

 見えないようにはしているものの、右手で口元を覆う虹村は少し低めの声で命じた。

「時間になったら起こしてやるから、寝ろ」

『ぁ、あの……っ、』

「……ンだよ。その代わり食わねーならその飯くれ」

『えっ。それは別に構いませんけれど、その、この状態はっ……!』

「誰かが近くにいれば、悪夢見なくて済むかもしんねーだろ」

 相変わらず首は逸らしたまま、それでも目は奈々瀬としっかり合わせてみせた虹村。言いながら彼女の膝の上にあるランチバッグを奪う。
 目を丸くして見つめてくる奈々瀬に居たたまれなくなった虹村はついに吼えた。

「ッ良いから!! 早くさっさと寝ろ!」

『はっ、はい! おやすみなさい!』

 ビク、と肩を震わせた奈々瀬は、言われるがまま勢いよく目を閉じる。

ますます寝れないかもしれない……!

と思いもしたが、流石に連日で溜まりに溜まった睡魔は強く、1分も経たない内に彼女を深い海へと沈めた。
 片手で器用に奈々瀬のランチバッグを開いて、もう一方のおにぎりと正方形の小さな弁当箱を開いた虹村も、その速さには驚く。

「しかもガチ寝……」

 すーすーと聞こえる寝息と、風が運んでくる甘い匂いに虹村はグッと奥歯を噛み締めてからおにぎりを口に運んだ。


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