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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
 

 日曜の午後。早起きした奈々瀬は朝から粘りに粘って並んだ渋谷のパンケーキに舌鼓を打っていた。ずっと前から目をつけていた最近流行りの有名店で、この1週間は今日を御褒美にやりきったと言っても過言ではない。
 そして、この幸せに頬を綻べる人がもうひとり。目の前に座る親友、さつきだ。桃色の髪を右肩にまとめて垂らし、すっきりしている左頬に手を当てる。

「おいひ〜」

『並んだ甲斐があったね!』

「うんうん。ムッくんの誘い断って正解だったかも。努力の末だから余計美味しいんだね!」

 実はこの店はさつきの友人パティシエが経営しているもので、最初は並ばずに優遇客としてさつきに招かれた。しかし、奈々瀬としては店の前の行列を素通りして店に入るのは忍びなく思えたので無理を言って朝から並んでもらったのだ。
 噂のパティシエはあくまで経営者である為に自身はこの店ではなく本店にいるのだが、今食べているパンケーキやその他のスイーツは全て彼考案のレシピだという。説明するさつきが嬉しそうにするから奈々瀬も終始笑顔でケーキを口に運んだ。

 半分ほど食し終えたところで、さつきがうずうずと奈々瀬へ身を乗り出す。それは世の中の女子が特定の話題において使う興味津々の表情で、奈々瀬は話を聞く前から何を言われるか察してしまった。

「ところで? 奈々瀬、あの先輩とはどんな感じなの?」

『ど、どんな感じと言われてもっ』

 言うまでもなく話題は虹村のことだ。名前までは知らないが、教育係として良くしてくれる上司に尊敬と憧れ以上のものを抱いてしまっていることは既にさつきの手中にある。

「何も進展ないの〜? まあ、教育係だし年上だからアプローチしにくいかぁ」

『だ、だから私は別にっ、……こ、恋人になりたいとか、そういうのじゃなくて……』

「勿体無いよ奈々瀬! 初恋なのに!」

『さつきちゃん声大きいよ!』

 頬を染めて嘆く奈々瀬の胸中にある顔が、自分の中学時代の偉大な主将先輩様だとは思いもしないさつきは楽しそうに茶化す。
 恋ばなにキャッキャと花を咲かせるふたりのテーブルに店員がやって来た。無料サービスのコーヒーを勧められ、さつきは頷くが奈々瀬は首を横に振る。曰く、ミルクを入れても苦くて飲めないらしい。
 ひとり分のカップを置いて丁寧に下がる店員を見送る奈々瀬。そんな奈々瀬を盗み見るさつき。コーヒーの匂いに、後者の中で一つの渦が巻く。最近めっきり会わなくなってしまった “もうひとりの親友” はどうしているのだろうか。あの子は奈々瀬と違いコーヒーを好んでいたなと思い出したところで、さつきの視線に奈々瀬が気づいた。

『どうしたの?』

「あっ、ごめん見つめちゃって! なんか、奈々瀬、……可愛くなったなって」

 不思議そうにさつきを見つめ返す奈々瀬に慌てて手を振った。このときのさつきが “綺麗” という言葉を咄嗟に違う語句に変換したことを、あの子は気づいてしまっただろうか。
 誤魔化そうとしたことが裏目に出た気がして申し訳なさが募る反面、本心であることは確かなのだと照れる奈々瀬を見て思う。

『そんなことないよ……!』

「……ううん、可愛いよ。やっぱり、恋してるからかな」

『もうさつきちゃんっ……!』


その幸せも、可愛さも、共有できていますか。


 そんな問いを重ねて、さつきは奈々瀬に声をかける。返事は聞こえなかった。


 奈々瀬が次の仕事が成功したら虹村と食事をする約束をしたと告白すると、さつきは自分のことのように喜んだ。その仕事が終わる時期を訊かれて、うまく運べば来月には片付くだろうと計算すると「丁度クリスマスじゃん!」とはしゃぐ。そう言われて確かにそんな頃合いだと気づいた奈々瀬。今年はいい思い出が出来そうと胸が踊った。





 その後、パンケーキ店を出てウィンドウショッピングをしたふたりは地元に帰ってきた。高校で知り合った為に実家は距離があるのだが、今はルームシェアをしている。仕事が忙しく、ゆっくり話せるのはこうして日曜ぐらいなの現実だが。
 料理がてんで出来ないさつきの為に家事は分担制だ。勿論料理担当である奈々瀬が明日の夕飯のリクエストを訊きかけたところで、キィと自転車のブレーキ音が聞こえた。振り向くと褐色の肌に青い制服の警官がいる。

「ここら辺暗ェんだから端歩かねェと危ねェぞ」

「大ちゃん!」 『青峰くん』

 さつきの幼馴染みであり今は交番のお巡りさんをしている青峰が自転車から降りながら言った。大方パトロール中なのだろう。引っ越し先を決めるときも彼が担当する地区だからと頼りにした相手だ。いつかは異動してしまうかもしれないが、少なくとも今のところは安心して夜道を歩ける。
 さつき同様、奈々瀬の高校時代の同級生である彼はダルそうに警帽を取りながら奈々瀬たちを家まで送ってくれた。お礼に奈々瀬が家にあった蜜柑をひとつ取ってきて手渡せば、青峰は苦笑いして受けとる。

「んじゃ、またな」

 颯爽、というか疾走というか。長身体型に少し合わない自転車で夜道に消えていく青峰の後ろ姿は少し面白い。あり余る長い足でがに股にならざるを得ないのだろうが、それがなくても警察官には見えないとさつきが可笑しそうに笑った。


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