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Readiness

恋は盲目。それが良い意味なのか悪い意味なのか。その言葉が月夜を現すのに相応しいのか。よく分からない。

周りが見えなくなる、そういう訳では無いけれど、でも周りの意見を自身に投影したくはない。高校時代に聞いた、セーフティー教室と銘打った講義の実例者のお話やテレビの特番に出てきた項目に、なにかが当て填まっても。私の場合は違うと瞼を下ろしては、彼女は瘡蓋を必死に守った。

どんなに傷ついても、泣いても。いざごめんと謝られて抱き締められてしまったら手放せなくなるのは、惚れた弱みと言うやつなのだろうか。
だって腕のなかは温かいし、落とされる優しい口付けにはまだ愛を感じてしまうのだ。月夜は、どうしても彼が好きなんだと思う他なかった。

例え、その体に傷が耐えなくても。
その傷を偶然見られてしまったこの人に、「そんなのは間違ってる」と眉を寄せられてしまう未来が視えても。












火神に掴まれた手首が、熱を持ってヒリヒリした。興奮する心臓の脈拍が、冷や汗と耳鳴りを生じさせる。アレと似たような状況の中、よく自分を保っていられたと後に褒めたくなったほど、月夜はよく踏ん張ったと思う。

バイト終わり。運悪く袖を捲って痕をなぞっていた一人きりのロッカー室に、先に帰ったはずの火神が忘れ物をして戻ってきたことが始まりだった。



全ての原因を嫌だと振りほどけないのは、自分とは比べ物にならないほど逞しく、太く、強いその腕が頭上高く上げられることに怯えているからという認識が、月夜にない。無意識下の守備は “強くあろうとする自分” の具現だと錯覚して、彼女は火神を睨んだ。

『離して』

「でもよ……!」

『タイガには関係ないでしょ……っ』

袖から覗く、赤い痕。それは愛の証なんて甘いものではない。その上にある、大きめの蒼い痕などもっと痛々しく月夜の肌を侵している。

「関係ないってなんだよっ! こんなの見て、放っておけるわけないだろ!」

『だから、私は大丈夫だってばっ、』

「じゃあ振りほどけよ」

『ッ────、』


火神の視線に射貫かれて、月夜は初めて気づいた。その瞬間に腕が固まってしまった理由に。脳の裏を横切っていく昨日の光景が故の、無意識に覚えていた恐怖の存在に。
振りほどかなきゃならないのは、充分に解っていた。じゃなきゃ、この本能を偽りだと証明出来ないから。だが月夜は、やはり出来なかった。痙攣のように震える身体が言うことを訊かない。
このとき、息を飲んで止めてしまったことを後悔した。腕が動かないのは、脳が伝令を出す程の酸素が足りてないからだと、そういう所為にした。


「─────……タツヤか?」


ゴトンと嫌な音を立てて、心臓が足元に落ちた気がした。落下軌道を追った月夜は本気で死を覚悟する。死に方までは予測できない。そんな怖いことはしたくなかった。
拾いたいのに、拾えない心臓。リアリティには少々欠ける真っ赤なハートが、月夜の視線の先でドクドクと脈打っている。

『(ああどうしよう。あれがなきゃ、喋れない)』

今にも零れそうな涙で滲む視界に、大きな背を曲げた火神が首をあげて無理矢理入ってくる。眼下にはハートよりも燻んだ赤色が画面いっぱいに広がって、月夜は瞠目を隠せない。


「……ンなわけ、……ないよ、な?」

続く言葉に、小さな小さな奥底の灯火は吹き消されてしまった。その衝撃に、愛しい彼の自分を呼ぶ甘い声を再生して “これでいいんだ” と言い聞かせる月夜の瞳が、大きく揺れていたのに火神は見て見ぬフリをする。
月夜と兄貴分である氷室の仲が、目も当てられないほど睦まじいのは一番知っているつもりだった。このあとも、氷室は何時も通り彼女を迎えに来て一緒に帰る手筈だ。そんな二人の間に、他人事として聞き流していたアルファベット二文字が位置してしまうなんて、何の悪夢だろう。

ぎこちなく、ゆっくり頷いた月夜。その動作を厭きるほど目に焼き付けて、火神は背中を伸ばした。
そして浮上する新たな可能性の方がバ火神にとっては一大事であり、噛みつくように空いていた左手で彼女の肩を揺さぶる。彼は月夜の怯えた表情に目もくれず、沸き起こる幾つもの焦りに従順だった。

「って、じゃあ、誰にやられたんだ!? タツヤはこのこと知ってンのか!?」

『っ、し、らない……』

「何で直ぐに話さねぇんだ! 辛いなら俺も一緒に居てやるから、早くタツヤに、」

『やめて!!!』

咄嗟に叫んだ月夜は、今度は自分から火神に焦点をあてて激しく懇願する。

『言わないで! タツヤには、言わないで……っ!』

「はあ? ンなこと、」

『何でもするから! お願いタイガっ、タツヤにはなにも、何も言わないで……っ』

「お、おいツクヨ!?」

開いていたパーカーの袷をグイッと引き寄せられ、いやいやと頭を振る月夜。火神はおたおたと月夜の身体側面の空中を右往左往に撫でる。此処で背中に手でも回して受け止めれば、募らせつつ抑え込んでいる欲を水の泡にするのは明白だった。

『ぉ願い、お願いします……、』

こんなにも必死になれば、否定の意なんて全く通じないだろう。それでも、このまま火神によって氷室に傷が伝われば……、今度こそ、命は無いかもしれない。
もはや強がりなんてしていられないのだ。死は怖い。痛いのは嫌だ。鼓膜を突き刺すような耳鳴りは危険のサイレンである。



「なァ、おかしいぜ、そんなの……」

火神の言葉が水のように耳に入ってはボワボワと周りの音を遮断した。だが水抜をする間も無く、月夜の開けっぱなしのロッカーの中でたった一人にしか設定していないパターンバイブが鳴る。何時でも絶対に気づけるよう拍が長めに用意されたソレは、今回ばかりは意味を成さなず。
月夜の思考は火神の言う “おかしい” に絡めとられて抜け出せない。彼のそれは、恐らく月夜が氷室に怪我を相談しないことを言っているのだろう。しかし、月夜は別の切り口でしか受け取れなかった。

『(確かに、こんなの、おかしいのかもしれない。……それでも、)』



それでも、逃げてはならないのだ。

一番苦しいのはきっと、ああなってしまう彼なのだから。それを受け止められる私が、私だけが、彼を幸せに出来るんじゃないかって、思うから。

いつか。いつか終わるはずだと信じている。この想いを全て注ぎ続けて、裏切ったりしなければ、彼の中にいる悪魔も尻尾を巻いて逃げていくはずだ。
彼の中に残る慈悲が……、絶対に包帯や絆創膏をつけられないで顕著に露る傷に嘆いてくれるその日まで。月夜は待つと決めていた。

あの温もりも、愛しさも、愛情も手離すなんて、考えられない。

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