合宿を終えた翌日は一週間ぶりの休日だった。荷解きを終えたのが午前中で、午後は特に何も予定なんてなかったけど。家にいたら、リストバンドのことを思い出してしまって、逃げるようにふらふらと家を出た。
突然の休日って何をしていいか分からなくなるんだよね。サークル入ってなかったとき、何してたんだっけ。
バイトは四時からだったけど、暇すぎてシフトの一時間前にバイト先に入った。なのにマスターは驚いた顔ひとつせず、着替え終えた私に時間になるまでココアをくれるんだから酷い。なんだか余裕のある大人を見せつけられた気がして、一人で勝手に自身の幼稚さに呆れた。
勤務が始まって二時間後の話をしよう。今日は珍しくまこっちがまだ来ていなかった。
マシュマロのこと、もう顔を見たくないくらいに怒ってるのかもしれないな……。 やり過ぎたかな、謝らなきゃダメかな……。
うんうんと考えていると、定時上がりのコーヒーを啜る高木さんが首を傾げてこんなことを聞いてきた。「花宮くんと何かあったの?」もはや、彼が来ないイコール私との諍いという謎の方程式が出来ているらしい。『ちょっとイタズラしたら怒らせちゃいました』って答えると、高木さんは苦笑して「そっか」といい、あとはいつも通り他愛ない話を聞かせてくれるだけだった。
けれどやっぱりこの日、まこっちは来なくて。その代わりと言ってはなんだけど初めて知り合いが訪ねてきた。
『いらっしゃ───中村!? 日向と劉も!?』
「昨日ぶりだな白幡」
「隣の駅に用事があったから、ついでに寄ってみたんだよ」
「似合わないとこで働いてるアルな」
まこっちの特等席から二つ離れたカウンターに腰かけた三人を、マスターと高木さんと、さっき来たばかりの児島さんに紹介する。イケメンだなーと持て囃されるトリオに私が得意気になってしまった。友人がイケメンなのは時として自慢にもなる。何も心に刺さる顔面凶器なだけではないんだからな!
みんなは夜ご飯も食べていくらしく、ガッツリ系が載ったメニューをあーだこーだ言いながら三人で覗く。互いに効率よく食べたいものを交換できるよう絞っているらしい。女子かよ。
メニューを待つ間も食べているときもその後も、児島さんたちが私の学生生活を訊いて三人も律儀に答えちゃうもんだから、私がシフトを上がる九時になるまでお店にいて結局一緒に帰ることになった。
マスターが彼らのお会計をしている間にさっさと帰り支度を終わらせる。ずっとまこっちに送ってもらってたから今日は久しぶりの一人帰宅になるかと思ったのだけど、そうはならなかったな。
四人で店内に挨拶をしながらドアを出て目の前の小さな段差を上がった私たちは、目を瞠ることとなる。桃色と黄色と水色も、目が合うなりその色の瞳を丸くした。
「えっ、先輩たち何でここに!?」
『何このエンカウント率!!』
「黄瀬、お前もこんなとこに来るんだな……」
「どういう意味っスか中村先輩!!」
「何してるアルかこんなとこで」
「偶然か?」
「日向先輩たちと会えたのはそうなので、ビックリしました」
そんな黒子の台詞に、私は首を傾げる。ということは、
『え、もしかして私を待ってた感じ?』
「…はい、先輩のシフトは私が知っていたので……」
「待ち伏せなんてしてごめんなさいっス」
頭を下げる三人。それから全員が頭をあげない間に、黒子が言う。
「どうしても、白幡先輩に大事なお話があるんです。家まで送りますから、聴いて頂けませんか」
正直頷きたくはなかったけど、……頷くしかないだろう。日向たちが顔を見合わせる中、私は三人のつむじを見下ろして、……それから一つずつ撫でた。
『分かった。聴くよ』
「ありがとうございます」
了承に漸く顔をあげた三人に、次は日向が問いかける。
「……それ、俺たちも一緒に聴いていいか?」
後輩たちは先輩の台詞に少し迷う。しかし、黒子とさつきが不安げな黄瀬を目で諭すような具合で意思は纏まり、頷いた。
というわけで、いつもはまこっちと二人の夜道を七人で歩く。いつメンと殆ど同じ人数のはずなのに少しだけ窮屈に感じたのは、きっと物理的な問題ではないだろう。
気まずいらしくどうにも俯きがちなさつきを隣に見下ろし、少し後ろを見ながら話しにくい内容なのか中々上手く切り出せない三人に問う。
『えっと、……大事な話ならどっかで止まる? 公園とか寄る?』
「あー……、そうしてもらえると助かるっス」
苦笑した黄瀬に笑って返し、以前さつきと青峰と入った公園に導いた。同じように飲み物を買ってあげようと思ったのだが全力で阻止されたあげくベンチに座らされ、むしろレモンティーを奢られる。先輩を無理矢理押さえつけるなんてと思うが、オレンジジュースじゃなかっただけ良しとしよう。良く分かってるよなぁ、君たち。
同じく座るよう促された劉と中村も何故か私を挟む体形ではあるがベンチに腰かける。因みにスペースの問題で日向は立ってます。
カラフルな三人はそんな私たちを見てから深呼吸をしたあとで、地面に跪いた。というか正座した────正座した!?!?!?
『ちょ、皆さんンンン!? 何してんの!?』
「まず!! まず一つ確認させてくださいっス!!」
『いやこっちの台詞!!』
「その、……そのっ……!」
私の突っ込みはガンスルーで、膝の上で拳を握りながら何かを確認したいらしい黄瀬。いやお前ら全員落ち着けよ! 御召し物が!! 御召し物が汚れちゃうよ!!
三人の真剣な表情よりもそんなことを気にして腰をあげる私と中村。劉は座ってますけどね。そんな中、冷静に口を開いたのは黒子だった。
「あの日、貴女にリストバンドを渡したとき……。虹村先輩の伝言を、僕たちから聞きましたか?」
黄瀬が躊躇った質問を代わりに投げてきた彼は、すごく申し訳なさそうな顔をしている。その理由は私が事故ったからだけじゃないだろう。
…………だって、
『伝言? 伝言なんて聞いてないよ?』
黒子の言うものに心当たりなんてなかったから。
アイツの名前に性懲りもなく心臓が縮んだけど、しっかりと答える。すれば三人は一様に眉を歪めて、それから再び深く頭を下げた。
「ごっ、ごめんなさいッスーーー!!!」
「本当に申し訳ありません……!!」
「ごめんなさい凪紗先輩!! 恨むなら虹村先輩じゃなくて私たちを恨んでくださいっ!!」
次々と飛んでくる謝罪に、あたふたと三人の頭を撫でる。な、何これ! 一番気になるのはさつきの恨むって言葉なんだけど、何でそんな話になるの!?
『意味が分からないからとりあえず顔あげてよ、そんで立とう?』
「お、俺っ、もう一生こうしてなきゃダメなんスよ!!」
『何をしたんだよお前は!! そんなことされた覚えないから!!』
「いえ、してしまったんです。本当に、本当に面目ないことをしたんです、僕たち」
『事故のこと言ってんの? それなら本当に気にしないでってば』
「事故もそうですけど、私たち三人はそれだけじゃないんです……っ」
誰も顔を上げずにずっと地面を見たまま訴える三人。ただ事じゃなさそうってのは伝わったけど……、この三人だけに背負わせてしまった罪悪感なんてあるのだろうか。
そもそも、事故のことは本当に気にしないでほしいのだ。あれは誰も悪くない。最悪なタイミングが絡まってしまっただけだった。なにか一つでも違ったら起こらなかったことなのだから、誰が悪いとかじゃない。
本当に元凶を辿るならば、アイツのことばかりでムラサキやさつきとの約束を破ってしまった私が悪かった。
合わせる顔がないなんて言って彼らをお見舞いから遠ざけて、私のせいで傷付いた顔をするみんなを見る恐怖から逃げて罪悪感なんてものを摘み取らなかった私が、悪かったんだ。
だけどそれを説明する間もなく、黄瀬が咽ぶように言う。
「俺たち! あのとき一番凪紗先輩に伝えなきゃいけないこと言い忘れてたんス!!」
ボトボトと年甲斐もなく涙を流す黄瀬。おいおい、男の慰め方なんて知らねーべ! 完全にベンチから離れた私がおたおたとしゃがんで黄瀬の肩に手を置くと、今度は逆に両肩を掴まれた。そしてぐらぐらと揺すぶられる。
「あのリストバンドっ、虹村キャプテンが受験用のお守りって理由だけで渡したんじゃないんスよぉおーっ!」
『いやマジで落ち着け。てかそれすらも初耳だわ』
あれお守りだったのかよ。
私は事故った為に遅れ馳せながら三月に試験を受けて入学式に臨んだ。(それがあったから四年もさつきのリサーチから逃れられていたのだと思う)時期外れの受験期の間、あのお守りはカラフルズから託された母の元にあったはずだ。ちゃんと渡され直したのは入学後。
無駄に娘の恋沙汰に興味があった母には修という仲の良い友人がいることは言ってあったが、一緒に登校してたのも隠したし顔写真を見せたことはない。だからそれがアイツのものだとは知らなくて、カラフルズの色だし卒業祝いの品だと思ってた体で渡された。言われたのは「庇うほどの物なんだから大切にしなよ」くらいのものだ。何だかんだで一番棄てたと言えない相手は母である。
ただでさえお守りってことにすら驚いているのに、まだ何かの役割としていたのか。私は一体、……どれ程大切だったものを────。
ギュッと黄瀬の腕を掴む。続きを聞くのが怖い、でも知らなくちゃならないことの気がしてならない。
『他の、理由は……、』
「ホントの、本当の理由は……っ、虹村キャプテンは凪紗先輩に、待ってて欲しかったんス!」
『は?』
「待っててくれるなら次会うときに返せって、そう言ってたんスよ!!」
『……ッ!』
ドクンと心臓が、引いた血の気を戻すために大きく唸る。
ああ、……あぁなるほど。だからあのとき、あんな質問をしたんだ。まだ持ってるか聞いて、私の気持ちは分かったなんて言ったのか。どうも話が噛み合わないと思った。身勝手で自己解釈が過ぎると思った。でもそういうことなら、辻褄が合う。
……ほらやっぱり。……修は本当は、そんなに悪くない。私があんな風に責める資格なんて、無かったんだ。
「虹村先輩は、白幡先輩をちゃんと想っていたんです。それを白幡先輩が知らなかったのは、僕たちのせいです……!」
「ごめんなさい! 渡すときに一番最初に告げるべきだったんです!」
黄瀬の隣で同じく俯いたままのさつきと黒子を見下ろす。……違うでしょ、君たち。
『……さつきたちは、悪くないよ。みんなあんな風になって気が動転しちゃったんだから、言うタイミングなんてなかったじゃん』
「動転してても、あれを先輩のお母さんに渡すときにだって言えました!! 凪紗先輩と再会したときにだって言えました! でも私たち、今まで、忘れてたんです……っ」
ごめんなさいごめんなさいと、何度も謝られる。だけどやっぱり私には、彼らを悪者には出来ないのだ。
『忘れることは、……仕方ないことなんだよ』
忘却は防ぎきれるものじゃない。それは私がよく知ってる。自分の意思でどうにかなるもんじゃないのだ。姿や映像を、言葉を忘れたいと思ってるのに忘れられない。かと思えば声とか表情とか、忘れたくないのに、忘れてしまうものもあって。私たちはそれを上手くコントロールなんて出来ないのだ。
特に彼らの場合、私が事故った瞬間を見たトラウマで無意識に脳が消しゴムをかけたのかもしれない。
『どうにもできないから君たちは悪くない。私は悪いと思わない。本当だよ? だからさ、顔を上げてよ』
恐る恐るといった感じに首が伸ばされて、三組の綺麗な眼が私を捉えた。
「でも……っ、」
それでも納得いかないと表情で訴えられて、私は苦笑した。
『……分かった。じゃあ君たちの非をわたしも認めて進ぜよう。でもそれは、ハイ! 今許されました! ……だからこれでもう、正座をする必要も頭を下げる必要も謝る必要もないよ』
ギュッと、さつきが私に抱き着いた。その様子見た黄瀬と黒子は未だ複雑そうな顔を浮かべるものの、たぶんこれ以上謝ってはならないと私の気を推し量ってくれているんだろう。
そんな黄瀬が、私を呼ぶ。
「虹村先輩には明日謝りに行くっス! だから、リストバンド返しに行ってくださいっス!!」
意を決して進められた話題に、今度俯くのは私の番だった。
『あー…っと、……ごめんね。それできないや』
「えっ? な、何でっスか?」
ショックで顔を青ざめさせる黄瀬に、へらりと笑ってみせた。……大丈夫、何でもないことのように、振る舞え。否、あれは何でもないことだと言い聞かせろ。それを知ったところで私はもう、何もできない、したくない。
『もうアレ、捨てちゃったんだよね』
「捨てちゃったって……、凪紗先輩本当ですか?」
『だって持ってても使わないし。断捨離って大事じゃん?』
この事は既に修も知っていて、特にアイツの中で終わってるハズだ。それを掘り出して、……何て言うの。 “待たない” という意思表示以外で捨ててしまったことを、どう告げれば良いのか分からない。 “忘れようとしました” なんて、待たないことよりもっと最悪な決断だ。……修は、私を四年間忘れないでいてくれたのに。こっちは思い出にも残さないでいようとしたなんて、臆病者小心者の私には言えない。
『この事、修にも伝えてあるんだ』
「「「「「……!」」」」」
完全空気だったベンチの三人も背後で驚いたのが分かって、苦笑の笑みが深まる。
『……もうね、終わりにしたから。だから修には伝えなくていいよ』
相変わらず身勝手さに嫌気がさす。ごめんね。これが君達の罪悪感を軽くさせるどころか増させることになっても、……私はそうしてほしいと思ってしまうんだ。
それを伝えたら、散々振り回されたと思っていたけど私が振り回してることになる。とても疲れることだと知ったから、そうさせたくない。
なんて、二つ目の理由を自分の中で無理矢理生んで確立させて。自分だけの為の最悪な選択を自分の中だけででも正当化する。
『捨てちゃったことも勿論さつきたちのせいなんかじゃないからね! 自分で渡しに来なかった時点で捨ててたと思うし、……今と、何も変わらないから』
「凪紗先輩……」
『ていうか、そういう大事なこと自分で伝えに来なかったのが悪いじゃんか』
「リストバンドを渡すことを決めたのは、僕たちが虹村先輩にあったあの場で、瞬間的な出来事だったんです! でも翌日には出発が決まっていたし……っ、」
『でも私と修の家、言うほど離れてないから』
「そ、れは、……ほ、ほら! 凪紗先輩が会ってくれないと思ったんじゃないですか!?」
さつき……、咄嗟に考えた理由の癖に痛いとこつくのやめろよ……。確かに会わなかったかもしれない……。放課後避けるように帰られていたのと試験まであと一月くらいしかない時期でむしゃくしゃしていたからな……。
どうにもアイツを悪者にしたくないらしい後輩に何と言い返そうか考えている最中に、後ろから声がかかった。
「あのよ、今話を聞いただけの俺が言うのもなんだけど、全員の気持ちが楽になる方法があるだろ」
ガシガシと髪を掻く呆れた様子の日向を見上げて、次の言葉を待つ。ただ次に喋ったのは劉で、確認をするように私たちを見回した。
「白幡は黒子たちのせいにしたくないし、黒子たちは虹村のせいにも白幡のせいにもしたくないアルな?」
頷く私たちを、今度は日向が「だアホ」と貶す。
「このままじゃ責任の擦り付け合いで埒が明かないし、犯人探しなんてしたって意味がないのは薄々分かってるよな。お前らがそうせずにいられないだけだろ。……じゃあこうしちまえよ。全てはタイミングと行き違ってしまった親切が起こしたことで、誰も悪くない」
どうだ? と日向が自信あり気にどや顔をかます。中村も一つ頷いて私たちを見た。次に口を開いたのはまさかの劉で、偉そうに腕を組ながら私たちを見下ろす。
「そうアル。虹村が直接白幡に渡さなかったのも、桃井の考えにしておけば万事解決アルよ」
「白幡を理解した上での虹村なりの行動だったんだろ。もしそうじゃなかったとしても今本人がいないとこで決めつけるのは良くないし、そう思っていた方がみんな、なんつーかハッピーだろ?」
「中村先輩……」
黄瀬が涙目で見上げた先で、中村は苦笑した。
結局この日。私たちは彼らに諭されて、建前としてはそういうことにしておこうと認め合い再び帰路についた。
実際の本音で納得はしていなくとも、確かにこれ以上の責任転嫁は意味がない。誰が悪くたって、……私はもう、会うつもりなんてないんだから。