ミーティングが始まる瞬間を窺って地下から飛び出して、合宿中の非礼非行について叫んだのは朝の話なのに記憶に新しい。凄い緊張したからな、うん。
“虹村とは話をしました。私事で迷惑をお掛けした上に大変お騒がせして申し訳ありませんでした。”という内容を、土下座まではせずとも九十度に背中を曲げて大声で謝らせて頂きました。
和解したのかどうかは訊かれず、宮地先輩たちなんかは「本当に人騒がせなんだよそろそろ埋めるぞ」とかそんな風に茶化して私の頭を撫で去った。本当にこれだからイケメンは困るんだよ。
ただ謎なのは氷室を除くいつものメンツが皆欠席していることだ。……一体何を企んでいるのだろうか。氷室はあまり不思議そうに思っていないから事情は知っているのかもしれない。ということはつまり私だけ知らないんだ。……解せぬ。
まぁ氷室に訊いたところで上手くはぐらかされるのは目に視えているので訊いてやんない。明日直接聞こうと思う。
サークルは四時に終わって、五時半から十一時半までバイトだった。だけど今日も……。
「花宮くん来ないねぇ」
『来ませんね……』
誰もいない特等席を見遣って高木さんと溜め息を吐く。カウンターの壁際、一番奥。一人を好むまこっちらしい席だが、私はあそこにまこっち以外のお客様が座っているのを見たことがない。それだけあの人はシフトに被って来店してたということだ。
「ということは、今日こそ凪紗は一人で帰宅か?昨日のイケメンたちは来てないもんな」
『……そうですね』
児島さんの問いに答えると、「なら俺が送ろうか」と進言してくださる。
「まだあの殺人犯捕まってないらしいからな」
『いやいや、大丈夫ですよ。それだけ遠くに逃げてるってことで、たぶん今頃九州とかにいるんじゃないですか?』
「でもなぁ、」
『本当に平気ですって!運動がてら走って帰りますし!それじゃあお先に失礼致します、皆さんごゆっくり!』
身支度を整えて児島さんたちの親切を何とか流すように店を出て走る。
とはいえ、それも五分経たずにやめてしまった。いかん、息切れが……。やっぱり体力落ちたよな。
本当に久しぶりの夜道を一人でとぼとぼ歩く。……うん、暇だ。まこっちの存在は偉大だったらしい。
そんな彼にはやはり私から電話を掛けるべきか。でもこっちから謝るのは違う気がする……。人の料理にタバスコを入れて無理矢理食べさせたりするのはまこっちだもん。私が謝ったらまこっちもそうしてくれるなら良いんだけど、あいつ絶対“ごめんね”なんてこの先言わなさそうだもんな。
つらつらと考えながら自宅まであと五分ほどのところまで差し掛かった時だった。
ふと、後ろの足音に気づく。……いやいや、まさか。言うてまだ子の刻越えてないし?こんな時間でも人くらい普通に歩いてるって。
そういい聞かせながら少しだけ歩調を速める。…だけれどついてくる足音。いやいやいやいや、だからそんなわけないって。帰り道がたまたま同じなんだよきっと。
後ろを振り向く勇気はない。だって自意識過剰だったらやだし、もし目が合えばその瞬間に飛び付かれるかもしれない。
ヒヤリと、背中を冷たいものが滑る。…大丈夫、何かあっても、体に叩き込まれた体術に身を任せよう。ていうか何もないから!!なにかあるわけないから!!
そう願いつつ、携帯を握る。こんなときに宛にしようとしてるのはまこっちで、せっかくだから通話しながら帰ろうとしたその時だった。
影がかかり、携帯を持っていた左手首がグイッと握られる。しまった、油断した。何時の間にこんなに距離を詰められたんだと思うのも束の間、どうしようとパニックになりかけたとき、鼻で笑われた。
「何怯えてんだよ。俺だっつーの」
『……え、』
その声には、聞き覚えがある。ゆっくりと守りの構えを解きながら視界を広くすると、そこにいたのはかつての後輩、
─────『は、灰崎っ!?』─────
人のモノは俺のもの。俺のものも俺のもの。ミスタースリーディー・ジャイアニズム、灰崎祥吾であった。どうも一昨日ぶりです。
ホッと息を吐きながら、体ごと後ろを向く。
『お前なあ、ここらは今婦女暴行殺人事件の現場付近で未だ犯人は逃走中なわけだから…そりゃあ私だって怯えるよ』
「ンだよ、夜道の一人歩きは危ねえぜって伝えようとしてやったのによ」
『今みたいなアプローチを下手くそと言うんだよ。プレイボーイやり直してこい』
「誰がプレイボーイだ」
左頬を片手で軽く摘ままれる。普通に痛いからやめてくれたまえ。
「そーだ。虹村と仲直りしたのかよ」
『……呼び捨てしていいのかお前』
「それはナギサがチクらなければな。で?そういう関係に戻れたのか?」
何も言えないでいると、明らさまな溜め息を吐かれた。
「はぁー……ったく、何やってんだよあの人。実はドM?マジかよ引くわー」
『しゅ、……虹村がマゾってことはないだろ。私からしてみれば中学時代あれだけボコボコにされても尚サボろうとするお前の方がそっちだったと思ってるけど』
「あァ?なわけねェだろ。……っつーことは、お前らまたケンカ別れすんだな」
『……マタケンカ別レスンダナ?』
意味が分からずそのまま復唱すれば、灰崎はニヤリと口角をあげて横目に私を見下ろした。
「あぁ、この前とはちょっと違うか。だって今回はキスされてねぇんだろ?」
『!?!?!?!?』
「まぁあれは虹村も咄嗟にって感じだ『うわぁああああああああ!!!!!!』っ、ぶねーな!何すんだよ!!」
ぶんっと思わず右足を振り回せば、ひょいっと避けられてしまった。何それ!?え!?何それェエエ!!!
『まさ、み、おま、はい、あれ、おまっ、み!?』
「落ち着け。キスくらいでギャーギャー騒ぐなよなぁ、女子じゃねーんだから」
『女子だわ!!!』
「言っとくけどアレ、アツシも見てたぜ?」
『!?!?!?!?!?』
ま、マジかよ─────!!!!嘘だろあいつってかこいつも含めアレ見られてたの!もうダメだムラサキの顔も見れないしそもそも街すら歩けないんだけど!!!!
絶望を隠さずにコンクリートのブロック塀に額を打ち付けて沈黙していると、灰崎が呆れた様子で言った。
「あーってか、本題はコレじゃねェんだわ。……どーせ聞いてねェだろうし、優しい優しいジェントルマン ショーゴくんが教えてやるよ」
『英国紳士に謝るついでにお前はアメリカじゃなくてイギリスに行け』
「失礼なヤローだな。ほら、ちゃんと聞いとけよ?」
『ちょっ、』
コンクリート塀に向かい合って項垂れていた私の背後から、灰崎が覆い被さって耳に口を寄せる。流石にドキッとして肘突きを見舞おうとする前に、灰崎は思考を止める呪文を流し込んだ。
「───虹村、明日アメリカに帰るぜ?」
思わず目を見開くけど、見えているのは灰崎でもブロック塀でも無い。……真っ暗だ。
「あの人だけじゃなくて俺もアレックスもだけどな。グランパって呼んでる、向こうで俺たちの飯とか作ってくれてたジジイがキトク?状態なんだと」
『っ……、』
「じゃ、俺はちゃんと伝えたぜ、ナギサ」
そう言って私から離れる灰崎を追うように私も身体ごと振り返る。
『……灰崎』
「あ?」
『……合宿、手伝ってくれてありがとう。アレックスと虹村に宜しくね』
「………………俺に託していーのか?」
『灰崎だから託すんだよ。また会えたら今度はジェントルマンらしく奢ってね』
「ケッ、お前がそうさせたくなる程のレディーだったらな」
ぶらぶらとキレの無い後ろ手を高い位置で振って、来た道を戻っていく灰崎。……自分の利益を第一に考えて動く灰崎にしては、今の一連の行動はとても奇妙なものだった。
────『ゴメンね灰崎。意味ないんだよ、全部』
なのに。なんで、
『ただい「やっと帰ってきた!ちょっとあのイケメン誰!?」
『どのイケメンだよ……。あぁ、テレビの?』
「違う!! ───虹村くんって子!!」
『……は、(なんでアイツ知って……)』
「あ、中学のときに仲良いって言ってた“修くん”!? 今日五時くらいに家に来てねっ、凪紗に会いに来たみたいなんだけど……。お母さんバイトの時間分かんなくて……、やっぱ会えなかったかぁ……」
────なんで今更、突撃自宅訪問!?
****
合宿終了から三日目の今日。待ち伏せが怖かったので眠い目を擦りながら起床し、五時に家を出た。会わなかった、頑張った。
今は赤司とリコと笠松先輩が喋るミーティングに耳を傾ける。終盤、私が聞いておくべきことはもうないなと思い準備するものを脳内で総浚い。
それが終わったあとで、今日の昼休みにいつメンに昨日なんで休んだか追及しようと心に決めた。
「───それと、突然の報告になりますが、」
飛び入ってきた突然の報告という前置きに、赤司を見る。その髪と同じ色をした瞳と一瞬目があったのは、恐らく偶然なんかじゃない。
たぶん、あの話だ。
「アレックスさんと虹村さんと灰崎は今日の十四時過ぎの便でロスにお帰りになるそうです」
私を除く、その場にいた全員が驚いた。いや、氷室と火神くんも事前に聞いていたらしく、余裕ある感覚の中で私を見て顔を歪めてる。……あれ?中村も驚いている様子はないな。何でだろう。
「向こうにいる知人の方の容態が宜しくないようで、急遽決定したのだと今朝連絡がありました。アレックスさんより最後までコーチをしてやれず申し訳ないと言伝てを預かっています」
「そんな……、また……、」
そうして全員がチラチラと私を見る。驚きはないからどんな表情をすればいいか非常に悩んだ。
さつきが呟いた言葉に続く感想は、きっと私と同じだ。───またそういう理由なのかと、思わず苦笑してしまいそうになるのを必死に堪える。人の生死で振り回すのは良くないだろう神様。
静かに、深呼吸になんてならないように、浅く呼吸をする。
「俺は合宿の礼も兼ねてお見送りに行きますが、他に行きたい方はいらっしゃいますか?」
その言葉にまず手を挙げたのは、氷室と火神くんだった。師匠のお帰りだ、当たり前だろう。
それから、少し悩んだあとでさつきも手を挙げた。黄瀬と黒子もそれに倣う。……おいおい、まさか一昨日の話をしにいくんじゃないだろーな。話が違うだろ!……まあ、約束なんてしてないのは事実なんだけど……。
「テツとさつきも行くのかよ……。……じゃあ俺も」
「……空港のお菓子が見たいから俺も行く……」
緑間だけは何も言わずに手を挙げた。理由は良くわからないけど、たぶん帝光中が揃ってしまったからだと思う。結局お前ら全員参加かよ。そうなると、
「……白幡さんは、行かれませんか」
だよね!そうなるよね!!『あー…』と視線を斜め上に持ち上げながら、それ相応の理由を考える。答えなんて分かってるくせにわざわざ訊く辺り赤司も人が悪いなぁ。
『見送り行ったら戻ってこないんだよね?さつきいないんなら私は残った方がいいでしょ。片付けリコに任せちゃうことになる』
「なら私はやっぱり残りますから凪紗先輩が……!」
『いいよ、だって話があるんでしょ?』
「っ…、」
おっと。今のはとても意地悪だったな。……でもまぁ、もう会わないわけだし、話したいなら話して貰っても構わない、……と思うようにしようそうしよう。よく考えたら彼らの誠意ある行動を私の自己中な意見で留めることはおかしい。よく考えなくても解れよ自分……。
何も言えなくなってしまったさつきに苦笑していると、赤司が私の意思を受け取ってくれた。
「そうですか」
『……うん』
「分かりました。それでは十人ですね。空港までは電車で約一時間。多目に見て昼の休憩と共に出発しますので、俺らは一時間早く休憩に入って昼御飯を食べてから向かいましょう。朝のミーティングはこれで終わりです。練習に入ります」
「はーい、じゃあみんなとりあえずいつものストレッチからー!」
リコの声で何となく疎らに二三人ずつ散らばってストレッチが始まる。目線や意識が逸らされることに、肩の力が自然に抜けた。……緊張、してたのか。───行かないって、匂わせる言い方だっただけではっきりと言葉にすらしてないのに。
行かないよ。……行かない。言うことなんて、ないんだから。言えることなんてないんだから。
なのに。そう決めているのに。
おにぎりを結びながら、ビブスを用意しながら、洗濯物を畳みながら。隙を見て脳が早足で去っていく後ろ姿を想像させる。
ぶんぶんと頭を振った。……あの日みたいに遠ざかる背中を見てしまったら今までの日々が無駄になってしまう、そんな気がする。そんな気になっておかなければ。
何のために“大嫌い”って言ったのか考えろ。暗示だ。あれは暗示。嫌いだよ、嫌いにならなくちゃ……。忘れるんじゃない、嫌いに……なるんだ。
────「……──い、おい白幡!」
『はいぃいい!?!?』
ガシッと後ろから肩を掴まれて、背筋が跳ね上がる。あっぶねー、ドリンクボトル閉め終わったところで良かった。
振り向いた先で眉間に皺を寄せる中村に、慌てて謝る。
『ごめ、考え事してて!どうした……ってあれ、今何時!?昼休憩始まった!?』
「まだだよ、あと二十分ある。───……なぁ、いいのか?」
『え?』
「本当に見送りに行かなくていいのかって聞いてるんだよ」
『……その話かぁ』
へらりと苦笑する私に反して、中村は口調に似合わずとても不安そうな顔で私を見上げる。全く、中村然りカラフルズ然り氷室然り……、何で君たちがそういう顔をするんだろう。私が薄情者みたいじゃないか。しかもジャスティス中村にやられては、尚更その気が増す。本当に事実なのかもしれないけどさ。
「……お前ら、仲直りはしてないんだよな?」
『……そんなことより、中村たちこそ昨日どこに行ってたのさ!!』
「話を逸らすな。」
『スミマセン』
ちっ。やっぱりダメだったか。内心舌打ちをして、中村からせめてもと視線を逸らす。我ながら往生際が悪いよなぁ。
『……あー、……仲直りとは言えない、かな……。でもお互い謝ったし、もういいんだ!』
感情抜きの部分で嘘は言っていない。お互い謝った。……それが、相手に本当に求めている内容だったのかは置いといて貰えれば、だけど。
「ほんとうか」という訝しむような声に『うん』と明るく返す。
電話が来なかったのには、たぶん事情があったはずだ。尽くアイツの無実が証明されるなかで、なんとなくそう思う。……そもそも、理不尽なことはしない人だってのを私は知っている。
だから、リストバンドや修の台詞の裏を取れた今となっては私の怒りなんてファースト口吸いを掻っ攫わられたことぐらいだ。あとは期待させるようなこと言われたのも怒っていい内容かもしれないけど。たぶん合宿の時も、この前も、そこら辺に関して謝られてしまったのだ。
「それなら、仲直りするつもりはないってことか?」
『……そうだよ。たぶんもう、……会ってくれないだろうし、会えないようにした、はずだもん』
“もう絶対会いたくない”───ねぇ、私、そう言ったよね?なのにどうして家に来たの?なんで会おうとしてるんだよ。やめてよ、来ないでよ。