……でも今、私が赤司を退かすことは出来ない。自分が蒔いた種を収穫出来なかった結果、こうして大きな木になって立ち塞がる。
無言でいる私に、赤司が1歩近づいた。
「俺に、口答えできませんか」
『っ、』
嗚呼、赤司は本当にお見通しだ。分かってて聞いてるんだから、良い性格してるよ。その理由すらも確信しているくせにさ。
今さら、私が彼らに出来る先輩面なんてない。後悔と懺悔しか映せないこの顔で、前を向いてあんたたちと顔を合わせろだなんて拷問だよ。
「此処にいるのが俺でなくて例え緑間や青峰だったとしても、退かせませんか」
『……そーだよ』
ぶわっと、水が涌き出るように一つの感情が飛び出る。「白幡先輩……」黒子の優しさすら傷口に塩だった。4年間溜め込んできた謝罪がポタポタと落ちる。
『……私は、……だって私は赤司たちをっ、』
睨んだ先にあるのは地面。あの時もそうだった。
言葉はあげられなかった。届かないって、聞こえないって分かってたから。
手すら差し伸べられなかった。振り払われるのが怖かったんだ。
寄り添うことも出来なかった。あのときの彼らはあまりにも遠すぎた。
それに、私にとってこの子たちは二の次だった。苦しみを天秤にかけることなんてしたくないけど、でもきっと、彼よりこの子たちの方が助けは必要だった。なのに私は……、
『アイツのことばっかりで、君た「────違います!! 先輩は何も、何も悪くありません!!」
透き通るような声が、大嫌いな湿った空気を割いて響いた。あれ、君ってそんなに大きな声張れたんだっけ。
心地のよい風が一瞬吹いた気がして時が止まる。何時のまにやら大きな影が私を囲っていて、上から順に降ってくるものをただただ必死に受け止めた。
「テツの言う通りだろ。何謝ってんだバカ凪紗」
「あれは俺たちだけで解決するべき事だったのだよ」
「てか、てか俺!! ずっと、ずっとセンパイが心配で心配でっ!!」
「……凪紗ちん、」
「謝らなければならないのは俺たちです。受験勉強で忙しい先輩方に多くの御迷惑と御心配をおかけして、申し訳ありませんでした。それに……、あんな、『ああもう!!』
大きな手が、グリグリと頭を撫でる。低くなった声に、涙腺が緩んだ。変わらないクセのある喋り方も懐かしいもので相変わらず先輩への敬意がなっていないし、一際元気なワンコは今日も今日とて感情表現が顕著。呟くように私を呼ぶ彼には一番に謝らなければならなくて、礼儀を極めた穏やかな言葉と共に影が動いた。
顔をあげた先に並ぶ、水色、青、紫、赤、緑、黄色。そして、
「せんぱ、凪紗せんぱぁああいいい!!!!」
『ぐふっ、さつき……』
「いき、生きてて良かったぁあぁあ……っうぇっ、」
『勝手に殺すなって』
桃色が堪らなく叫んだ私の視界いっぱいに飛び込んできて、1ヶ月前に去った春の匂いがした。
こうして並んでみると本当にカラフルだね。目が痛いよ。平凡万歳。───黒髪とは決して言うまい。
みんなの顔は心なしか晴れやかだ。記憶の最後にある彼らは、全員焦ったような顔だったから嬉しくなる。
『何だよ、全員集合かよ』
苦笑いが表情を支配する。結局こうなるのか。渇いた熱いものが込み上げて、音もなく笑う。
『2ヶ月頑張って避けてたのになぁ』
どうしてこんなにも縁が切れないのだろうか。忘れなければならない思い出と、忘れなくて良い思い出を綺麗に切り離すなんてそんな器用なことはできないのに。
彼らといるということは、つまりそうせざるを得ないのだ、今の私には。
「なんでっ、なんで会わせてくれなかったんですかっ……!!」
ボロボロと大きな瞳から流れる雫が私の服を濡らす。よしよしと背中を叩いてあやしながら、私は『そりゃ当たり前だよ』と答えた。
『先輩として、苦しんでいるさつきたちを見捨てたんだもん。中途半端に干渉して誰も助けられずに、挙げ句あんなことまで起こしちゃったから見せる面もないって』
「でも、私はすごい心配で、大ちゃんだって毎回1週間に1回は “あいつどーしてんのかな” って気にしてたんですよっ」
「オイコラさつき!!」
え。それ本当? ピュア峰なら未だしも、あのグレ峰がか。それは驚きだな。ちょっと嬉しいレベル。
「てか凪紗、オメー怪我は、大丈夫なのかよ」
褐色の頬に射した僅かな赤みに気づかないフリをして頷く。
『あぁ、この通り。後遺症すら無く元気にやってますよ』
力瘤を見せるも、握りつぶされた。「全然ねーじゃん」だとよ。アスリートのお前らと比べないでくれますか。
『そっちこそ、みんな仲良さそうだね。……ホント、バスケ続けててくれて良かったよ』
今の笑顔、ぎこちなくないだろうか。顔をお互いに見合わせた後輩たちは、気恥ずかしそうにそっぽを向いたり素直に照れたり同意したり。
そんな中、ムラサキと赤司だけが眉を寄せていた。そんな深刻そうな顔、今はいらないんだけどなぁ。
「……やはり、ちゃんと謝らせて下さい。あの時あなたを傷付けてあのような事態にしたのはこの俺です」
『それは違うよ、赤司。もちろん青峰もムラサキも。君たちは何も悪くない。確かにあのときの台詞と態度はマジ土下座してもらいたいけど、私がああなったのはあんたたちの責任なんかじゃないから』
「ですが、『そんなこと言ったら、君たちが楽しい中学生活を送れなかったことに対して私にもやっぱり責任があるよ。大好きなはずのバスケに真意に打ち込め無かったことにも、ね』……分かりました」
これ以上は押し問答になると視たらしい赤司は溜め息と共に下がった。よしよし。いいんだよこれで。お互い様ってやつにしとこう。ホラ平和。
第三者である友人たちに赤司が償おうとしたことや青峰の心配の言葉は聞こえてしまっただろうか。まぁもし問われてもしらばっくれるけど、関係なくはない。その人の心に蟠りがあるかどうかで接し方って違ってくるから面倒。憂鬱だわ。
おっと、一番に謝らなくちゃなんなかったのに、さつきに思考を奪われていたわ。さつきの頭を2度優しく叩く。『ごめん、ちょっといい?』の言葉に、理解ある彼女は名残惜しそうな顔をしながらも離れてくれたくそ可愛いなオイ。
さて、2歩だけ進んで、下唇を噛んで眉間に皺を寄せてる一際大きな男に手を伸ばす。
『ムラサキ、』
「っ、俺……、」
『ムラサキ、ごめんね』
「何であんたが謝るんだし、」
『嘘ついたから謝るんだよ。ムラサキは寂しがり屋さんだったもんな。約束破ってごめんね』
「別に寂しがり屋なんかじゃねーし!!」
『じゃあ、あれだ。……ずっと背負わせてごめん』
「っ、」
嗚呼、傷ついた顔をさせてしまった。瘡蓋を剥いて掻き毟ったようで、ムラサキはまた口を紡ぐ。
その傷も私が負わせたのだと思うと、ムラサキの大きな、だけど空っぽの手を握らずにはいられなかった。いきなりの刺激にびくつくムラサキをしっかり見上げて、ゆっくり確実に彼の心に言葉を染み込ませる。
『これだけは早く言うべきだった。なのにまた私逃げちゃったわ。辛い思いさせててごめんね。さっきも言ったけどさ、あれは全くもってムラサキのせいじゃない。君は何も思わなくていい。強いて言うなら “あ、敬語使ってなかったー、やばー” くらいでいいから』
「……似てないしそんな喋り方じゃないんだけど」
『はいタメ口ー。言ったそばからタメ口ー』
「ウゼー……」
『お前なぁ……。
───まあいいよ。ストレートな物言いがムラサキの良いところだもんね。あの日もあんたは自分の個性を貫いただけ。私はムラサキのそういうところが好きだから、怒ってないよ。あれは紛れもなくあんたの本心だし、事実だったから』
そう、彼は優しい。優しいからこそ、ああやって私を責めることが出来た。空気を読んで、実は頭が良くて。広い背中には色んなものを背負ってるのに、そこに無駄な重りをつけてしまっただなんて罪悪感しか感じない。
罪を比べれば明らか私の方が重罪なのに、やっぱ優しいムラサキは私が握る手に力を込めた。いつも怠そうに開けられた目を、今回は下を見るために必要な幅をちゃんと考えて開いて、私を映す。
「……ごめん、凪紗ちん」
『わお、ムラサキが謝った! これは赤飯だな』
「……ホントに、怪我とか、……痛かったっしょ」
スルーかよ。ムラサキは何だかんだでツッコミポジだった気がするけど。まあいいや。
怪我ねぇ〜。と思い出す振りをしてから、私は呆れる。
『痛いわそりゃあ。つかむしろ痛すぎて覚えてない。でも今は平気だから結果オーライ!! ハイこの話終わり!! 全くアイス買うのにどんだけ長い道のりを越えたんだよ私。どんなRPGだっつーの』
ムラサキの手を離して、わざとらしく肩を揉む。いや、実際肩凝ったけどな。何か急にラスボスのステージに落とされてHP回復も儘ならないまま戦わされたんだけど。
でもウィナーは私。さすが私。今日のご褒美は奮発してしまおうかな!!