それを見たのは偶然だ。サボりに使っていた2階の空き教室で目を醒ました俺は、時間を確認するために携帯より早くとりあえず外をみた。世間はクリスマスなんてのに浮かれる時期で、空を見りゃあ大体の時間は把握できるからな。
白と水色を混ぜた明るい部分にうっすらと紫が滲み出ている色で、少なくとも六時間目は終わっている時間帯だった。
昼飯も食わずに寝ちまったから腹が減っていて、美味いメシを食わせてくれる他校の高校生の女を何人か頭に思い浮かべる。とりあえず片っ端から連絡して、捕まえた奴に食わしてもらお。
そう考えて携帯を入れているズボンに視線を流したとき、窓の外によく知る人影が2つ歩いてきた。丁度人気の無い校舎裏に当たるそこで立ち止まった女は、怒っているというよりかは不安げな様子で。それが酷く似合わねェ面だと思った。
何となく会話が気になって、音を立てないようゆっくりカーテンを閉めてから窓を僅かに開ける。その隙間からカーテンをずらせば、ココが2階だからか声は十分に聞き取れた。
『……ごめん、こんな風に引っ張って』
「いや。……何かあったか?」
『…………』
虹村の問いかけに、ナギサは数秒瞳を揺らがせながらそいつを見かけたあとで、へらりと笑って首を振った。
『……あったことはあったけど、私の問題だから』
「……アイツらの苦悩は、こんな言い方したくねーけど、天才って言われる奴等にしか分からないもんだと思う。他人事のアドバイスは孤立させちまうし、後にも先にも、引退しちまう俺らが出来ることは遠くから見守るだけだ。…あぁなったのはオメーのせいじゃねぇよ」
『……そっか』
「おう。だから、…暇がある限りちゃんと見といてやれ」
『……うん。やっぱり修の顔が見れて良かった』
「っ、あっそ……」
……何だコレ。俺ァ一体なに見てんだろ。コレでこいつら何の関係もねぇとか意味わかんねぇ。アレか? 男女の友情ってやつは結局こういう甘いもんなのか?
ナギサの思わせぶりな台詞に虹村はたじたじで、思わず鳥肌が立つ。やめやめ、こんなの見たって───『進路決まった?』
目を逸らそうとしたときに、虹村の可笑しな反応が見えてもう一度視線を戻す。……あの虹村がナギサに隠し事?へぇ、そんなのあんだ。しかも訳ありっぽい。
『あれ、バスケ枠で幾つか推薦来てるんだよね?』
「……あー、……言いそびれてたんだけど、よ…………、」
『あ、もしかして選び終わってんの?』
「……俺、推薦では入んねーんだわ」
一瞬きょとんとしたナギサは、そのあとムッと眉を寄せて虹村を睨んだ。
『はあ?何それ。何の理由があってそんな勿体ないことすんの』
“お前と一緒の学校に行きたいからだよ” 、なんつー砂糖菓子みてーな理由じゃなさそうだな。窓枠に肘をついて手のひらに顔を乗せる。
いつもならズバズバ言いたいこと言ってるくせに、何をビビってんのか唇を尖らせてナギサから目を逸らしたままの虹村。
あまりにも黙り込むから、ナギサはサッと顔色を変えて虹村の手を掴んだ。
『ね、ねぇ…っ、修、お父さん、何かあったの?』
「…………かなり危ねェらしい」
『っえ、』
「助ける治療が、アメリカにしかないんだと。だから家族でそっちに移ることになった」
『……あめ、りか?』
「……おう」
『……いつ行っちゃうの?』
「卒業だけはしろって言うからよ、母さんたちは年明けたら出るけど、俺は式が終わったら向かう」
『……そう、なんだ……。……あと、あのさ、いつから寝てないの?』
「っ、」
眉を寄せる虹村。図星か。俺からは別に隈とか見えねぇけど、まあナギサの虹村観察眼ハンパねェしな……。あいつがそう言うならそうなんだろう。
反応を確認したナギサは怒り、というより不満を露にする。
『わたし、約束した。頼ってって、約束したのに……っ、全部独りで背負おうとする修が無理しないように約束したのに!どうしてっ、』
「っ……言ったところでお前に病気は治せねェだろーが…ッ!! 結局何も変わら、」
虹村は途中で音をぶち切るが、手遅れなのは当たり前ェだ。ナギサは眉を八の字に寄せてから、俯く。お陰で表情は見えねーけど、……アイツって泣いたりすんのか?
『……そう、だよね。修がそんな風になるのは、忙しさとかよりも気持ちの問題だもんね』
「いや、そうじゃ、」
『……家族の問題に立ち入ってごめん。……もう話はないから、帰ってもいいよ』
「ちげーよ……! 今のは、『咄嗟に出たならそれは修自身も知らなかった修の本音でしょ。……っもういいから、早く帰れよ…!』
あーあー。お熱いこって。
虹村のを奪うってのはそんじょそこらのこと以上にそそるが、あのバカは一回キスしようとしただけで容赦なく股間蹴りあげやがったし。男にそういう目的で近寄られるのは免疫が無ェんだろーけど、堂々と『私はお前のオモチャにならないよ?』って言われた瞬間に何をしてもナギサの心に入り込めねぇと思った。だから半ば興味は薄れていた。
それでこの状況よ。これでもうナギサは虹村のモンってわけじゃなくなる。受験が終わった頃に試しに奪うのも考えてたけど完全に価値が無くなった。傷心中に流されるようなタマでもねーしな、ナギサ。
帰れと言いながら先に踵を返したのはナギサで、そいつを見送りつつ虹村の次の動きをついでのつもりで見ていた時だった。
「っ凪紗……!」
目が痛くなるようなカラーのリストバンドをつけた左手が、背中を向けているナギサの手首を掴む。もう片方の手が、後頭部を支えてソイツを引き寄せるのを手伝った。
無理矢理振り向かされたナギサが声をあげるよりも先に、影が重なる。
………へェーー、案外大胆だなァ虹村サンも。
押し付けたモンを離した虹村は、数秒固まったあとでナギサから後退り口を手の甲で覆う。
「っ、悪ィ……、その……、」
『…………』
「…俺は、………帰って、くっから……」
『……は、』
それだけ告げて、足早に元来た道を戻っていく虹村。残されたナギサは呆然と突っ立っていて、空はいつの間にかオレンジ色に染まっている。
……は? そんだけ? マジかよ虹村……。
これで本当に虹村のモノになったならアメリカ行きの最中に寝取ったのに、結局足枷だけつけて終わりかよ、信じらんねェ。まァそれ自体も目的だったのかもしんねェけど……。
残されたナギサがその場に踞って肩を震わす。か細く聞こえてくる嗚咽に俺は息を吐く。泣かせようとしたわけではないだろーから虹村の誤算となっただろうこの状況に沸くのは幻滅だ。
確かにこれでナギサは虹村のこと忘れらんねェだろうし、逆は言うまでもねぇけど。でもこんな中途半端な具合でナギサを俺が手に入れたところで、虹村は “俺のじゃねーし、仕方無ェーな” で終わっちまう。それじゃつまんねェんだよ、俺は “奪われた” って顔が見たいんだ。
「……やっぱりナギサは無しだな」
ぼそりと呟いて、窓を閉める。……ま、オモシれーもんは見れたわけだし良しとするか。
△▼△▼△▼
………あのときの俺は俺なりに必死だった。
引退式のときに、さっちんに抱き付く凪紗ちんを見て、この人が居なくなる明日からの部活が想像できないと考えていただけなのに、都合の良い勘違いをして今度は俺に腕を回してきた凪紗ちん。
そうされて確認するのは虹村キャプテンの位置しかなく、向こうで黄瀬ちんたちと話しているその笑顔が笑顔に見えなかった気がする。
メンドくなる前に凪紗ちんを引き剥がそうとしたけど、磁石みたいにくっついて全然離れてくんなくて。
『ムラサキも私に会いに来てほしい?』
「来なくていーし!」
『おっけーおっけー。じゃあさつきとムラサキに会いに来るよ。引退しても君たちを支えてやるさ』
「何でそーなんだし! いらねぇってば!」
『え? 約束したいの? しょーがないなあ、抱ーきつーきげんまん嘘ついたらまいう棒100本口に突っ込ーむぞ! うーで切った!』
「勝手にやるなし意味わかんねー!!」
一人でどんどん話進めて、変な指切りならぬ腕切りを交わして。
でもそーやって、“引退しても支えに来る” って、……そう約束したのは凪紗ちんだったじゃん。って、本当は今でもそう思う。
……ただ、赤ちんがもう俺たちの知ってる赤ちんじゃなくなって。あんなに虹村キャプテンと凪紗ちんに怒鳴られた “サボり” を肯定されて。
たまたま見かけた、凪紗ちんと虹村キャプテンのケンカ別れみたいなものを皮切りに顔を見せなくなってしまったこととか。知らなかった凪紗ちんの小さな背中とか。
なんかそういう、見ててイライラしたものが全部こんがらがって一つになって。
『……嘘つき…っ』
「それさぁ、アンタにも言いたいんだけどー」
『え、』
気に食わなかった。全部。結局凪紗ちんの世界が虹村キャプテンを中心に廻ってたこともそれに巻き込まれてしまった意味わかんねー俺の感情も。全部ムカついて。
目の色を一つ変えてしまった赤ちんが何を言うかは分からないけど、凪紗ちんをどうするのかは何となく予知できたはずのあの状況で。
「引退しても支えに来るって言ったのに、結局虹村キャプテンがいたからマネージャーやってたんでしょ」
『むら、さ、き?』
「自分のこと棚に上げてなんなの」
「むっくん!?」
「嘘つきはあんたじゃん」
来なくなった本当の理由なんて分かってた。凪紗ちんの志望校は夏に聞いていた通り都立だったし、本試験を一ヶ月後に控えた今部活に顔をだすほうが間違ってる。
だけど俺は、あのケンカの日から冬休みに入る前までの間に来なかった別の理由も知ってた。……仲直りしたくて、…凪紗ちんが虹村キャプテンを放課後に探していたこと、知ってた。
約束を破られたことは事実だし、そこに関して怒るのは理不尽だとは思わない。
でも、
「どーでもいいんでしょ、俺たちなんか」
『待ってムラサキ、見に行けなかったことは謝る! でもどーでも良くなんか……!』
「うるさいな!」
今までの話を、赤ちんの前でしなければ。ここで、突き飛ばしたりしなければ。赤ちんがあんなこと言わなかったかもしれねーし、このとき凪紗ちんが虹村キャプテンのリストバンドを地面に落とすこともなかった。
『待っ、ダメ────!!!』
「「凪紗先輩!」」「白幡先輩!」「凪紗!」「白幡さん!!」
“あの日” の、全ての元凶はたぶん、いや絶対に、俺だった。誰が何と言おうと、俺だった。
「いや……っ、」
「白幡先輩……っ!、」
「っあ、ど、どうしよ、あの、救急車、」
「いやぁああああ!!!!!」
俺たちが立っていた十字路の左方向に消えた凪紗ちんに駆け寄る黒ちんと、黄瀬ちんの慌てた声。劈くようなさっちんの叫び声が、時おり夢に出てきた。
それは黒ちんとバ火神に初めて負けて。凪紗ちんのところにみんなで謝りに行きたいって話を聞いたって、終わらなかった。
やっと夢に見なくなったのは、大学で赤ちんと話している凪紗ちんを見た日から。
ああ良かったって、柄にもなく、心底ホッとした。
“あの日” リストバンドを掴んだ手が、俺の手を掴む。温もりや瞬きがやけにリアルに思えて、そこかしこに生きてるってことを刻み付けられた。
『嘘ついたから謝るんだよ。ムラサキは寂しがり屋さんだったもんな。約束破ってごめんね」
「別に寂しがり屋なんかじゃねーし!!」
『じゃあ、あれだ。……ずっと背負わせてごめん』
「っ、」
凪紗ちんは、何も変わってなかった。一歳しか違わねぇのに子供扱いして、俺のことを見透かしたような台詞を口にする。
『これだけは早く言うべきだった。なのにまた私逃げちゃった』
───違う、逃げてたのは俺の方だってば。
『辛い思いさせててごめんね。さっきも言ったけどさ、あれは全くもってムラサキのせいじゃない。君は何も思わなくていい』
───何言ってんのこの人。一番辛くて痛い思いしたのはアンタでしょ。全くもって俺のせいだよ、何も思わなくていいなんて無茶言うなし。
『強いて言うなら “あ、敬語使ってなかったー、やばー” くらいでいいから』
「……似てないしそんな喋り方じゃないんだけど」
『はいタメ口ー。言ったそばからタメ口ー』
「ウゼー……」
文句しか言えない自分が、初めて嫌に思えた。
『ストレートな物言いがムラサキの良いところだもんね。あの日もあんたは自分の個性を貫いただけ。私はムラサキのそういうところが好きだから、怒ってないよ。あれは紛れもなくあんたの本心だし、事実だったから』
そういう凪紗ちんだってストレートな物言いだ。俺より全然隠してないと思う。
あんなことされて怒らないなんて、どこまで御人好しなんだし。……俺がアンタを傷つけたことだって同じく事実じゃんか。
「……ごめん、凪紗ちん」
『わお、ムラサキが謝った! これは赤飯だな』
「…………ホントに、怪我とか、……痛かったっしょ」
───ごめん、ごめん凪紗ちん。
許してくれたって、赦されない。
なにかを失うってのは凄く気持ち悪い感覚になるって知った。
そういうふざけた返しも、鬱陶しいと思ってたダル絡みも、全部が凪紗ちんの一部で、凪紗ちんしかやってくれないから、……アンタがやらないと、俺の世界からは消えちゃうんだよ。
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