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Still…

Episode.68 我が同胞よ

「───……無理矢理笑って見せたりだって、しなかったのに…………」

黄瀬くんの呟きを拾ってしまった僕は、そのまま彼の言霊に誘われて深い深い場所へ沈んでいく心地がしました。
目を閉じれば、初めて2人を見たときの緊張感と高揚が蘇ってきます。赤司くんにヒントをもらった僕が入学以来入ったことのなかった第1体育館に2度目の訪問をしたその日。
試合形式でいいか赤司くんが聞きに言った相手が、主将を務める虹村先輩で。僕を訝しげに見はしたものの、

「約束通り見るだけ見てやらァ。──凪紗!」

『今倉庫ー! そのまま叫んでー!』

「無理な内容だから一旦出てこい!」

『ふざけんなお前が来い!』


文句を言って言われて。倉庫に近づく虹村先輩。その倉庫から恐らく空気を入れたばかりのボールを力任せに投げつつ彼の元へ向かったのが、白幡先輩でした。このやり取りはそのあとも何度かありましたが、結局2人はこうしてお互いに近寄るんです。
投げられたボールは僕が投げるよりも全然威力が強くて、バチィンと虹村先輩の手のひらを打ち付けます。

「痛ェなオイ! その馬鹿力コントロールしろっつっただろー、がっ!」

二人の手を行き来する音はゲームでパスをするには強すぎるもので、今思い出せば、あのとき視界の端にいた青峰くんや紫原くんも含め全員が “また始まったよ” と呆れていて。その例に違わず文字通り呆気に取られる僕に、赤司くんが苦笑したのを覚えています。

「すまないね。いつもあの2人はあぁなんだ。気にしないでくれ。
────虹村さん! 白幡さん! 準備お願いします!」

「あ、そーだった。凪紗、今から第2体育館でちょっと試合すっから用意してくんね?」

『は? 今日2軍と3軍合同で使ってるけど。てか修がスケット?』

「違ェーよ。前に言ったろ、赤司が見つけてきた掘り出しもんだよ」


グイ、と親指で虹村先輩が僕を指したその瞬間が、初めて白幡先輩と目があったときでした。『細っ! ……あ、でも、そうかそうか、君だったか!』一言余計なものは聞こえましたが、彼女は僕を知っていたようです。……いえ、勿論僕も有名な彼女の存在は知っていましたけれど。
第2体育館での準備内容を虹村先輩と赤司くんと確認した彼女は、僕の方へ歩きニヤリとほくそ笑みました。

『こんにちは、第4体育館の幽霊くん』

「っ! 知ってらしたんですか?」

『私もあのバカに付き合って最後に施錠する方だからさ。べ、別に幽霊が気になって確認しに行った訳じゃないからね!?』

「……はい」

『頷くんなら生温かい目やめろ。じゃ、第2体育館へ行こうぜ我が同胞よ痛っ!?』

「軽々しく肩組むな! 迷惑だろ!」

『ボール頭に投げつける方が迷惑だわ!』


そんな風に彼女は、何時だって明るくフレンドリーで。温かくて、優し、……一部を除いて優しくて。誰より虹村先輩に近くて、誰より僕ら後輩を見ていました。
1軍入りが決まった後に手渡してくれたオレンジジュースの味を今でも覚えていると言えば、きっと照れ隠しを含めて笑われるでしょう。



中学生だった僕らに訪れた、“あの最悪の日”。
初めて僕は、白幡先輩が哀しげな顔をするのを見ました。不機嫌な様子は何度か経験がありましたが、泣きそうな顔を見たのは、アレが最初でした。
そんな顔をさせるキーとなった台詞を言ったのは僕で、「……卒業式までは、いるって言ってた…!」と頭を横に振る姿がただでさえ僕を苦しくさせたのに。
そのあとに続いた紫原くんの不器用な思いと、もう今はない色の瞳を持つ赤司くんの不躾な言葉がますます彼女の眉間を濃くしていきました。僕がもう少し早く、止めていれば。どんな結果になったって、イグナイトを赤司くんにかましていれば。

あのクラクションも、ブレーキ音も。みんなの叫び声だって聞かなくて、済んだのに。


決して赦されないことをしたと、思いました。それでも、とにかく謝りたかったんです。その為なら、彼女の嫌がる顔を見たくないと思う心を引きちぎってでも、白幡先輩をこのサークルに入れようとしました。
……虹村先輩を思い出させないと言ったのに、開始早々の青峰くんのダブルクラッチにまた哀しい顔をさせてしまいましたね。そのあとも4番の後ろ姿を追っかけたりしていたのにも関わらず、最後まで試合を観戦してくれたことが僕らをどれほど安心させたか、貴女はきっと知らないでしょう。

僕たちが音だけしか知らなかったあの光景に、虹村先輩しか知らなかった貴女の僅かな手の温度と、手のひらに走る小さな痺れが追加されて。少しだけ虹村先輩を裏切ったような気がしました。
本当は、試合が終わった後にもあなたたち2人は同じように手を合わせていたけれど、流石にそこまで求められませんでした。

パチンッと響く心地よいその音は、僕たちの試合開始の合図で、勝利の証で。何となくそれが、あのときにも聞こえた気がしたんです。だから僕は、きっと白幡先輩はこの部活に入ってくれると確信してました。


虹村先輩のいないサークルで貴女の笑顔が見れるとは思ってもいませんでしたけれど。日向先輩たちや花宮さんとの間にある “イマ” もちゃんと貴女にとっての幸せなんですね。

───けれど、白幡先輩。
不幸にランクをつけるのは不毛だと思いますが、幸せにランクをつけることは少し欲張りなだけで、構わないんですよ。


△▼△▼△▼


少しずつ。少しずつみんなの様子が変わってきてしまった中で、先輩たちの引退はとても痛手だった。全中が終わってから今まではなんとかやって来れていたけれど、…………でも。

「凪紗先輩…っ! 引退しないでください……っ」

『なんだとー? お前は私を留年させたいのか!』

みっちゃんあっちゃんに抱きついていた凪紗先輩は、わがままを聞くと今度は私をギューッと抱き締めてくれる。その温もりが堪らなく温かくて、離れたくないと思った。欲のままに先輩の背中に手を回して力を込めれば、彼女はふ、と優しく笑って頭を撫でる。

『んー? どうしたさつき。今日は甘えたさんだなぁ』

「わたし、先輩がいなくなったら、……みんなが、壊れちゃうんじゃないかって、」

大ちゃ…青峰くんたちには絶対に聞こえないような声で不安を漏らせば、先輩も思うところはあるのか、『そりゃ甘えたくなるねー』とあやしてくれる。

『私も修たちもちょっと心配してる』

先輩たちは、私たちのような後輩を本当はどう見ていたのだろうか。実力主義を刻むには少々残酷すぎるこの小さな世界で、……本当は、先輩たちが手にするはずの全中優勝の瞬間や、3年間の努力の結晶を奪ってしまったと考えるのは良くないかもしれないけど、何も思わずにはいられない。

去年の私たちが全中の終わりに見た、まだ主将ではない九番の背番号と白いジャージの右手が合わさったあの時は、帝光のバスケ部で良かったと感じていたはずなのに。…勝利だけを欲するのを目の当たりにしてしまった今は、…………素直にそう言えなくて。
それなのに先輩は、また私たちにとても優しくしてくれる。

『……分かった。勉強の息抜きに、時々さつきを見に来てあげよう』

「えっ、本当ですか?」

『本当本当。ねぇさつき。出来ないことを無理矢理やろうとして傷つかなくていいんだよ。そりゃあいつかはそうしなきゃいけない場面もあるだろうけど、とりあえず今はまだやらなくていい。今のさつきは出来ることを精一杯やる辛さを覚えんしゃい』

「ふふ、凪紗先輩、おばあちゃんみたい」

『うむ、複雑だが鋭い! その通りこれはどっかのおばちゃんが言ってた言葉の受け売りです!』

「どっかって……。また凪紗先輩はテキトーなんだから…………」

『確か映画かな? テレビかな? マンガかな? とりあえず二次元!』

「……でも、今の私には、とても有り難いお言葉です」

『そーかそーか! そりゃ良かった! ───ところでムラサキ、さっきからずっと見てるけど抱き締めて欲しいの?』

「はあ? 頭沸いてんじゃねーのアンタ。そんなことあるわけね、って何すんだし!!」

私から次はむっくんに移動した凪紗先輩が彼の大きな体に腕を回す。何だかんだでむっくんも凪紗先輩のこと好きだったもんね!
それから、むっくんにも会いに来る約束をオリジナル溢れる指切りでした凪紗先輩は唄と共にむっくんから離れる。それと同時に、違う場所にいたはずの虹村先輩がすぐそこまで来ていた。

「よォ紫原に凪紗、ずいぶん楽しそうじゃねーか」

「げ、虹村サン……。てか、どこがだし!」

『いやー、ムラサキはこう見えて淋しがり屋さんだからさ。修と同じだね』

「「誰が淋しがり屋だよ!!」」

ケラケラ笑って、むっくんの前から虹村先輩の隣に並ぶ凪紗先輩。そういう自然さや、何も言わずに隣に来る凪紗先輩に唇を尖らせる虹村先輩を見るのが好きだった。これで恋人じゃないんだから虹村先輩のファンは納得いかないんだろうな。

2人は3年生になってクラスが別れてしまったけれど、それでもお互いのことをよく知っていた。虹村先輩によると凪紗先輩と関口先輩のクラスはこれから進路面談があるみたいで、この引退式もお開きになる。

「じゃーな、オメーら。しっかりやれよ」

『あ、最後くらいみんなで挨拶して出よーよ』

「だな。オイ3年!整列!」

凪紗先輩の提案で、虹村先輩が叫ぶ。そうすると1軍の3年生は綺麗に出入り口に並んで、虹村先輩を見た。けど、彼は凪紗先輩に視線を送るから、結局全員のそれを集めたのは彼女だ。

『え、私かよ!? 修でいいじゃん!』

「オメーが言い出しっぺだろーが」

「この体育館の鍵閉めは白幡だしな」

「「「「やっちまえボス」」」」

『誰がボスだこの野郎。全員あとでシメるかんな。……えっ、マジで私!? じゃ、じゃあ修も一緒にせーっのって言おう!? そしたらみんなで3年間あざーした! ね!』

「仕方ねーなァ」 「「「りょーかーい」」」

『修っ、はい、「せェーの!」』

『「「「「3年間有り難うございましたァァ!!!」」」」』

わんわんと響く声。それは、言葉通り3年間共に歩んだ体育館に染み渡る。
私たち後輩は思わず背筋を伸ばしたし、鳥肌が立った。胸から熱いなにかが迫ってきて、思わず視界が霞む。先輩たちとの日々が、過去に、思い出になろうとしていた。
そんな感動的なムードだったのに、やっぱり3年生は凪紗先輩を筆頭として少し騒がしい人達で。

『よーしさっきボスとか言った奴らちょっと表でろー』

「「「マジかよ根に持ってた!?」」」

「凪紗終わったら連絡しろ」

『分かったー』

「えっ、ちょ、虹村どこ行くんだよ!」「お前いなきゃ誰がコイツ止めるんだ!」「行くな! 頼む虹村!」「忘れ物してる! 白幡忘れてる!!」

「知るかンなん。自業自得だろーが」

『オラてめェらさっさとそこに正座しろ!!』

バッタン! と凪紗先輩がアルミ製の重たいニ枚扉を引き合わせて閉ざされた体育館。そして、数秒後に響く断末魔。あまりにいつも通り過ぎて呆気に取られる私たちはぽつぽつと苦笑を落とす。

「つーか、最後まで虹村サンとくっ付かなかったな」

「いえ青峰くん。アレが所謂事実婚ですよ、きっと」

「くっ、黒子!! 2人はまだそうできる歳じゃないのだよ!」

「凪紗ちんてマジで何者だったんだろー」

「知らないんスか紫原っち! 3年生の皆からは凪紗先輩鬼じ村の嫁って呼ばれてるんスよ!」

「……黄瀬の残念さには時々同情を覚えるよ」

「えっ、赤司っちそれ「あーちょっと忘れ物したわー、黄瀬ェちょっと来い。ダッシュ」えっえっ、何スか虹村キャプテ、ぃいい行くッス! 行くッスから生かせて下さいッスーー!」

『此処は鬼ヶ島だったのかふーーーーん』

「ちがっ、違うんだ白幡!!」「あーや! 言葉の文ってやつだよ!」「だから、そ、ちょ、ギャアアア!!!!」


あれが、思えば中学時代最後にみんなで楽しく過ごした日だったな。それからは、全然、ダメだった。



朝起きれないことに対して虹村先輩に説教を受けている大ちゃんの隣で、先輩たちの引退日を回想する。丁度終わったところで、ふと目の前にあった黒い頭が右に揺れた。

「そんなんじゃオメー桃井に愛想つかされ「「あ」」………、」

私と大ちゃんの声が揃って虹村先輩の言葉が止まったのは、その頭がストンとぶつかり、そのまま安定した時だった。口を開けたまま左肩を見る虹村先輩。
彼と大ちゃんの会話が無くなって静かになった車内に、すーすーと凪紗先輩の寝息が耳に入る。左から覗き込めば、たぶん本気で落ちてしまったんだと分かる寝顔だった。
何が起きているか理解して驚いた先輩が、ボストンバックに乗せていたその手をずるりと凪紗先輩側に落とせば。動いたことに居心地悪そうに、『んー……』と唸りながらすりすりと頭を尚寄せる。

「…振りほどかなくていいんすか? 虹村サン」

答えなんて決まっているのにニヤニヤ笑いながら問う大ちゃんに、虹村先輩は右手で顔を覆った。

「ッできるわけねーだろクソが……!」

吐き捨てた台詞に影虎さんもくつくつ笑って、隣のリコ先輩をつついて起こす。

「おーいリコたん、起きろよ。いいものが見れんぞ」

「ッオイ!「虹村先輩! 大きい声出したら起きちゃいますよ!」ぐっ……」

ボソボソと注意すれば、さすがの先輩も口を閉じる。バックミラー越しでは、リコ先輩がうっすらと目を開けた。そして徐に私たちを振り返ると、バッと体を起こして口許に手をあてる。

「やだ! いつの間にこんな面白いことに!?」

「面白くねーよ!!」

「写真写真! あっ、ちょーど中村くんから凪紗を気遣うメッセージが入ってたから送っとくわね!」

「やめ…っ、……オメーは……!」

また途中で虹村先輩が顔を手で隠すから、何事かと左から覗くけど分からない。「こっち」と大ちゃんに肩を引かれて二人の間から顔を出せば、しっかりと凪紗先輩の手が虹村先輩の左手を上から包んでいた。
私とリコ先輩はとにかく悶絶。凪紗先輩可愛すぎる!! やっぱり安心するのかな! するんだよね!!

窓縁にかけた右腕に顔を押しつけてやりすごす虹村先輩なんて何のその。リコ先輩が2人を超笑顔で連写したのは言うまでもない。あとで写真送ってもーらお!


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