あくびをしながら布団から出る。隣の劉と、向かいに寝ていた伊月も物音で起きたようだ。日向は夢の中だけど。
「何の音アルか。まったく煩いアルなぁ」
「んー、分かんない……けど、ドア?」
『眠い……。昨日何時に寝たっけ……』
3人でボーッと会話をしていると、ガチャンッと扉が開いた。え、なんで。鍵は昨日かけたし、デスクの上にもちゃんとあるのに。
それを確認した刹那、暗闇からズンズンと何かが近寄ってきた。
「あんたたち……」
『……リコ?』
「全員外に出なさい!!!」
「ぐはっ!?!?」
『「「「!?!?!?」」」』
ドンッと直ぐ側にあった日向の背中を踏み下ろし、何故か怒っているリコに有無も言えず5人で廊下に出る。
なぜ?? 何故こんなに怒ってらっしゃるの!? 全員訳がわかんないまま外に出ると、廊下にいたのは安堵と焦りを浮かべるアレックスさんと、もはや汚物を見るような冷めた目付きの赤司だ。
「ナギサ! 何もされてないか!?」
『は?』
「アレックスが一旦目が覚めても凪紗が帰ってきてないって言うから! 探したのよ!」
『あぁ……』
「あぁ……、じゃない!!」
「白幡さん。何のために男子と女子の階を分けたと思ってるんですか」
『何のためって……。───いやいや!!!そんな疚しいことないよ!?』
「当たり前でしょ!! 有ったら大問題よこのバカ!!」
『痛っ!?』
ゴツン! と容赦ない拳骨が脳天に入る。
「てかそこの野郎共!! 何で普通に凪紗と寝てんのよ!!」
「い、いや、あまりにも自然すぎて……」
「白幡に女子という点を見つける方が困難アル」
『オイコラ劉クン?』
「いや、俺たちが悪かったです。心配かけて済みません」
「頭下げんの伊月くんだけ?」
「「『申し訳アリマセンデシタ』」」
4人1列、廊下に三つ指で土下座をする。確かに心配をかけてしまったようで、心の底から詫びます。そしてココにいる人たちを皆起こしてしまったことにもお詫びします。
「起床時間の6時まで、全員そこで正座!!」
『「「「え゙」」」』
ピシリと、少し涼しい空気にヒビが入る。2時間、ありますけど……、
『あの、リコさん……? 私、朝ごはんの準備が……』
「何時にアラームセットしてたの?」
『……よ、「5時起きだって言ってたアル」5時起きの予定でしたァアア!!!!』
ガバッと頭を下げると、上から「じゃあそれまで。」とのお達しが降る。ラジャーです。サボるなんて考えるなよと笑顔で言われ、頷く間に3人はそれぞれ階段を降りていった。
「最悪だな……」
「ワタシ正座の文化なんかないのにこんなの鬼畜アル白幡マジないわー」
『標準語やめろ!! 地味に傷付くから聞き流せないから!!』
「あー……マジかー。これマジかー」
伊月、劉、私、日向。並んでる順に一言ずつ発すれば、沈黙が訪れる。今ごろ他の人たちはまだ夢の中に違いないのだ。クソ羨ましい。
私たちはただ大富豪に盛り上がって寝落ちしちゃっただけなのに……。いや、そりゃ心配かけたのは本当に申し訳ないけど、お詫びの品をご馳走するからどうにか許してほしい。
「2時間暇アルな」
「あーあ。スマホ持って出てくれば良かった。戦線やりてぇーなー」
「皆でダジャレ考えればいいんじゃないか!?」
『「「却下」」』
左にいる劉も右にいる日向も私もテンションは低いのに、一番遠い伊月がここぞとばかりにダジャレをやらせようとする。
静かな廊下で交わされる会話。眠たいし既に足痛くなってきたし本当にやらかした。もう寝落ちするまでなんて 言わないよぜぇったぃい。
武道習ってたときに正座はしてたけど、何てたってブランク。私はブランク。あの頃とは訳が違う。
「しりとりでもする?」
ダジャレを全拒否された伊月が、試しに、といった具合で訊く。
「それくらいしかやること無いアルからな」
「俺は眠いからパス『日本史しりとりにしようか』よぉーっしじゃあ俺からぁ! しりとりの “り” だよな! 律令国家!!」
『鎌倉幕府』
「藤原サン」
『「ハイ劉の負けー終ー了ー」』
「おいィイイ!! 今のわざとだろ劉!! 何だよ藤原サンて! 下の名前は!?」
「日向煩いアル。次、ラーメン用語にするアル。ハイチャーシュー」
「うずまき」
「何でラーメンだよ!! き、き、きくらげ!!」
『げ、何だよそれくっそビミョーだな』
「なんか飽きてきたアル」
「ルール変わりまくる挙げ句に全然続かなかったけどね」
『ねぇ見て、まだ10分も経ってないんだけど』
「どうにかして時間を忘れなきゃ死ぬアルよ」
「……良く良く考えたら人が居なくて良かった」
『確かに……』
「2階だったら3年に、4階だったら1年に弄られてたアル。3階でマシだったアルな」
「何という。これこそ不幸中の幸いってやつか」
『階段とか廊下に影を見たらとりあえず全員顔見られないように俯こうぜ』
「絶対バレるアルよそれ」
「れ、……練習しとく?」
『……首痛めそうだね』
「ネックアルな、キタコレ」
「レッツダジャレ大会の開催かい!?」
「──────いや、お前ら何器用にしりとり続けてんの!?!? ビックリするわ!!! あと俺も入れろよ!!!」
『よ、よ、夜更かしは禁物だよ、ね、』
と言ったところで。廊下の先から扉が開く音がした。皆でギョッと音の方を見るけど、遠すぎて良く分からない。
『とりあえず俯こう!!』
「バレたらただの晒しもんアル」
「話しかけられても返事すんじゃねぇぞ!」
「この部屋の前にいる時点で意味無いだろうけどなぁ」
『シャーラップ伊月!!』
全員で畳の目ならぬ廊下の毛を見下ろす。何でこんな時間に起きてくる奴がいるんだよ!! 私の携帯のアラームが鳴ってないってことはまだ5時にすらなってないよね!?
頼むからまこっちとか原とか、葉山とかじゃありませんように……!! 折り続けている膝の上で両手を組み祈る。
床はタイルではなく、よくホテルに使われる柔らかい絨毯みたいな奴だから足音は聞こえない。とりあえず早く通りすぎてくれと考えるばかりで、
─────「…………凪紗?」
『!』
集中が足りなかったのか、絶対返事をするなと言われたのにピクリと肩が揺れてしまった。
考えてみればここにいる女子のうち、1人は茶髪、1人は桃髪、1人は金髪、1人は黒髪。驚くことに日本古来からの遺伝子引き継いだのが私しかいないという謎の現象が起きているのだからそりゃあバレるわ。
「……オメー、何してんの」
『(でも何でよりにもよってお前なんだよォオオ!!!)』
立ち上がって目の前の奴をド突きたい衝動に駆られる。クッソこの際もう葉山とかの方がマシだったわ。
隣の劉と日向も私の反応が気になるのか、首は起こしてないようだけどめっちゃ視線が刺さるのが分かる。やめてそんなに見ないで! 居たたまれないから!!
正体バレてると知っても尚、仕方なく無言を貫くしかない。いやだってそうでしょ。顔をあげたところでどうしろと。リコに殴られる選択肢しか浮かばない。
「………………。」
沈黙するくらいならどっか行けよ早く!! 何してんのねぇ私の旋毛見て何がしたいの?? 押すの!? そこ押すの!? なんのツボか知ってんのかおどれらは!!
仕方なく首をコクンコクンしてみる。寝てるってことにしてるからコレ。寝てるんです頼むから即刻立ち去ってくれマジで!!
という私の願いは虚しく。
何故か靴だけだった視界に膝頭が映った。そして私の身体にも陰がかかる。
いやいやちょっと待て!! しゃがんだの!? コイツしゃがんでんの!? 何でだよ意味わかんねぇ畜生!! ジーーーッという視線が、旋毛から額の辺りにまで侵食し始めた。
ちょっとさ、日向とかもう顔上げて状況説明して帰ってもらってよ。 “あー、こいつ寝てるわぁ” とか、その一言があればいいんだって誰か動いて頼むから!!
「───……なァ、」
嘘だろ喋り始めたァア!? 無理無理無理無理無理!!! 答えられませんからァ!! 何を言うか知りませんけど答えられませんから!
神様仏様、もうまこ殿様でも良いです恥を偲んでお頼申しますぅう!! 誰か助け、
『っ、』
────…………息を。
息を、咄嗟に止めた。膝の間にあった両手の内、一つが視界から消えたかと思えば直ぐに動く気配がして。
サラ、と。耳の前に垂れていた髪の毛に何かが触れる。ビクリと肩が強張った。思考回路はショート寸前、もはや今すぐ逃げたいよなんて考えられない。
どうやらアメリカでいらない度胸を身につけ、代わりに恥じらいを捨ててきたらしい。他に人がいるのを気にしていないのか、そのまま親指で掬った私の髪を耳にかけ、顔を近づけた。
「……悪かった。もう、いいから」
『─────ッ!!!』
『─────ッ!!!』
全く似合わない、小さな声。でも、私の知ってる、……修の声だった。
目を見開く内に、パッと手は離れて。でもまた頭に知り尽くしていた温もりが乗って。視界から膝も足も消えていく。耳にかけられていた髪の、何本かだけが、また元の位置にはらりと戻ってきた。
握り合わせていた両手を解き、左手で左耳を、右手でバクバク打ち付ける心臓の辺りを押さえる。何だこれ、……何が、起こったんだろう。
足音がしないからどこで見られているか分かんない。だから私たち4人は動けないまま呆然と固まって時を過ごした。
漸くポケットの中から私のアラームが聞こえたとき。ハッと我に返った私は伊月たちに顔を見られないよう直ぐ様立ち上がり、一抜けして階段に駆け込む。
が、そこでまさかの高男とエンカウント。
「あ、おはよーござ、って、凪紗サンどうしたんすか? めっちゃ顔赤『黙れゴキブリ前髪!』酷い!」
事実だもん! と心のなかで言い訳して、そのまま地下まで剛速急で下りる。
『な、んで、……ぁんな、こと、』
調理場に飛び込み、扉の鍵を閉めて背を預けた。
ぜえはあ、息が切れている。こんなに苦しい理由が走ったということだけじゃないのは解っていた。アラームが鳴るまでの間、ちゃんと呼吸はしていたのに。まるでずっと水のなかにいたような心地だったのだから。
左耳を、もう一度押さえる。まだジリジリと焦げているような感覚が収まらない。求めていた音が、温度が。……目眩するような、吐息が、言葉が。胸を痒くして、苦しくして。取り出して掻き毟りたくなる。
「……悪かった。もう、いいから」
────なんだよ、それ。
もういいって何が。お前のなかで何がもういいの? むしろどれが良くなかったの? 気にすることなんて、あったの? それならどうして……。
ひとつも口にできない疑問が、沸いて、沸いて。ボコボコと沸騰の音を立てる。
『……自己解決とかふざけんなだアホ……』