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Still…

Episode.44 完全に捨てましたよ

驚くほど心境に変化があった。
去年の7月は性懲りもなく伊月と氷室から若干距離を取っていた記憶がある。現に今年も、数日前までは流石に森山先輩や笠松先輩、宮地先輩たちを見ることすら避けてしまうような時間を予想していたのに。
全くそんなことはないまま7月は過ぎ去って行った。自分でも呆れるくらいに受け入れているのが現状だ。

結局、私を縛っていたのは思い出よりも “物理的” なものだったのだろう。携帯の番号に、クマの縫いぐるみ、暗記カードと時計。そしてリストバンド。
あれらが入っていたごみ袋はいつしか家から姿を消していて、きっと今ごろは海の上にでもあるんだろうと思えばやはり少し蟠りが残った。だけどたぶんそれは、物を捨てることに対する少しの罪悪感だけで。痛むものは何一つない。
支えようとしてくれた(はずの)まこっちの言葉も一因だとは思うけれど、やはり前者の存在は大きい。

『あれ! 黛さん。お久しぶりです』

「そうだな」

喫茶店に着くと、もう一人のバイトの人がまだ残っていた。いつもは互いの入退の間に15分から多くて2時間くらい空くのだが、今日は丁度同時刻のバトンタッチのようだ。実際顔を会わせたのはこれで4回目くらいだろう。

物静かで影薄くて、最初見たときは黒子みたいな人だと思ったけど。口を開けば彼とは似ても似つかない乱暴というか素っ気ない口調が飛び出てきて唖然とした。
1つ上だとマスターに教えて貰ったけど……、何処の学生かは分からない。バスケサークルの人たちと比べると顔も含め大人びていて、福井先輩や宮地先輩と同い年には見えないと思う。

「お前……、」

エプロンをつけて手を洗っていると、私服になった黛さんがスタッフの部屋から声をかける。顔だけそちらに向けて応答すると、彼は無表情のまま告げた。

「なんか、変わったな」

『え、変わった……? 大人になったってことですか? 魅惑な女性に見えますか?』

「そんなことは鏡を見ればデマカセだとバレる」

『ハイ?』 

デマカセ言うなよ。キッと睨むも、黛さんは悪びれた様子もなく飄々と言葉を探す。

「そうじゃなくて、……荷が下りたというか、スッキリしたというか、」

少しだけ、背筋を伸ばしてしまった。……もしかしてもしかしなくとも、吹っ切れた感が出てるのだろうか。

「大学生を謳歌できるような感じだ」

『……ふ、あはは! そう見えますか!』

「馬鹿にするみてぇな笑い方止めろ」

次に睨まれたのは私だけれど、謳歌という字体があまりにも黛さんにミスマッチしてて変なツボに填まってしまった。羨ましいのかな……なんて考えてるのがバレたら確実に私はこの店から消されるだろう。黛さんも敵に回すと怖いタイプだと思う。

『い、いや、そんなつもりはないですよ? ただそう見えてて良かったなって……。これで女の子の友達増えますかね「中身の根本的部分は変わってねぇから無理だろうな」

即答である。むしろ被せてきやがった。

『マジすか……。───あ、いらっしゃいま、せぇー……』

ベルの音に反応して声を上げながら御客様を確認した私は、ヒクリと口角をひきつらせた。……何でココに……。

「おぉ、えぇ雰囲気の店やな」

『………………』

「てか黛もおるんか。世界は往々にして狭いなぁ」

『えっ、知り合い!?』

「店員さん。ブレンド一杯頼んます」

『それよりなんで今吉サンがいるんですか!? まさかのまこっちからの刺客!?』

「凪紗くん、知り合いでも御客様に失礼な口を利かないの。あ、千尋くん御疲れ様」

「お先に失礼します。──────お前のことは10年に1回くらい思い出してやるよ」

『少なっ!! てかどういう意味!?』


****


優雅に珈琲を啜る詐欺師を傍目に、私はせっせとシルバーを磨く。頼むからそれ飲んだら帰ってくれ。と念じながら。
まこっちが来る平均時刻まであと30分ほど。あの2人の蜜月空間とか耐えられる気がしない。
そこでふと気づいた。……まこっちと今吉サンが同じ部活だということに。
今吉サンが此処に居るってことは、今日は何時もより早く終わっていてタイムリミットはそんなに多くないんじゃないか? うっわそれヤバイよ。

このときの私は全く表情を気遣っていなかった。くつりと声がしたかと思えば、無い目をより細めて珈琲の水面を揺らす今吉サン。
焦点は重なるくせに、嘲笑い方は全く似てない。

「自分、そない慌てへんでも大丈夫やで。花宮はいつも一旦家に戻ってから来るのが常やからな」

焦り様がすっかり顔に出ていたようだ。

“ワシらの学校から花宮ん家までの距離、知っとるやろ?” まあそうですとも……そうですけど? お前こそ何でソレ知っとるんじゃワレ。
プライバシーの保護とか、そんな権利は実際一般ピーポーにはあってないようなもんだ。このご時世、どっから個人情報が漏れでるか分かったもんじゃない。SNSや他人の口、もしかしたら千里眼という超能力によって侵される可能性もあることを、我々はよく認知しておくべきである。
どこか含みを持った言い方に易々と首肯ける訳もなく。菩薩のような笑みで黙々と作業を続けていく。

シルバーを磨き終わった私は他の御客様のお会計をする。マスターも地下の食料庫に行っているのでこれで今吉サンと2人きりになってしまったが。とりあえず、まこっちと鉢合わせする気はないようだ。なら良し、そんなに長居もされないだろう。

『ありがとうございましたー』とベルの音を見送ると、今吉サンがトン、トン。食指でカウンターを鳴らす。ついとその動きに目を遣れば、待ち構えていたように今吉サンが話し出した。

「だいぶ楽しんでるんとちゃう? 物件見学。」

物件見学。この4文字で私は突然崖の上に追い込まれた気分になった。ザパーンザパーンと崖壁に打ち付けられる波が脳を揺らした。
ああ憂鬱だ。この話したくない。だってこの人、人の中身覗くプロだ。未だ自分すら把握していない潜在意識を引っ張り出されてしまいそうで、怖い。
自覚の中ではとっくに思い出の人になっているはずだから、恐怖も牽制も尚更だ。

だけど拒否権なんて持たせないのが今吉悪代官様のモットーでありますれば。

「もう、前の物件はええの?」

『……つい最近、完全に捨てましたよ』

はぐらかしても下手に嘘をついても、何の意味もないのだ。
それにこう答えたからって、まこっちが物件になるわけじゃない。

なぜ “前の物件” の存在をこいつが知っていたかについては、まこっちが推測してくれた。あの日、向こうから折り返した時刻は大体東大前で話していた辺り。そのとき私の携帯は今吉サンが持ったままだった。まこっち曰く、今吉サンはたぶんその着信を直接見ておおよその見当をつけたようだ。
アイツの名前は、名前こそ暑苦しい気があるが名字は珍しく、それでいて中学時代に文字通り名を馳せていた。私たちの年代で中学時代それなりにバスケを経験していた者なら、知らなくちゃモグリなんだと。


たぶん、今吉サンの中での物件の定義は私が一番親身に感じれる男子的なものだろう。むしろ当事者としてはソレくらいしか該当しないのでそうでなくちゃ困る。

『でもだからと言って花宮にサインしたわけじゃありませんよ。てかその言い方止めて欲しいんですけど』

「気ぃ悪くさせたなら堪忍な。ま、花宮もまだまだなわけか。先は思っとるより長そうやな」

『はぁ……。今吉サンって、花宮と私をどうさせたいんですか?』

問いかけに、今吉サンは数秒だけ逡巡して、薄く笑った。

「……人間ってのは強がるときと弱まるときの姿を知っとる相手が必要やと思わんか?」

『え、』

「独りで生きてくとかそないなことは抜きにしても、どっかで箍を外していかんと心も身体ももたんやろ」

閉口してしまった私の返事なんて、待つ気もないんだろう。今吉サンはカップの中身をぐるりと時計回りに廻して、波紋を縁に寄せる。

「せやけど空気や孤独の脇におるちっちゃな空間にやったって、それは気分転換にも息抜きにもならへん。そういうもんや。つまりはそうしとる自分を客観的に認識される感覚があらへんと、ワシらは満足なんかできひん。誰しもそういう場所が必要て話や」

『……で、その場所に中るモノが物件ってことですか』

「せや。この場所に対応するモノが互いに噛み合ったら、もうそれは結婚でも何でもやってとにかく仲良うやってかな勿体ないやろ。幾つの確率か計算するのも砂浜の砂数えるのと同じくらいやしな」

『……だけど。花宮と私にとっての物件がそうだとは思えませんよ』

それはもちろん、アイツに関しても、だ。だけど今吉サンは首を横に振る。

「ホンマに? ワシには凪紗チャンは未だしも花宮はかなりそう感じるように見えとるけどな。小堀たちも言うとったやろ、お似合いやて」

『それは別にこんな深い意味じゃ……、』

「何にせよ、こればっかりは100パーセント自分で相手を選ぶわけにもいかへんから、抗ってばかりおってもしゃあないで」

『はあ……』

おずおずと頷くと、今吉サンはまたも満足気に3つの弧を描く。
いつの間にか、彼の片手にあるカップは空になっていて。「ごちそーさん」と腰を上げるお客様に、心非ずな私は形式だけの失礼な礼と共にレジに立つ。レシートを御返ししたところで、カランカランとドアベルが鳴った。

「な、何であんたがココに……!!」

「これは偶然。なんや前から気になっとった店に入ってみたら、凪紗チャンだけじゃなくて花宮にも会えてもーたー」

「嘘つけよ。どうせ俺とコイツがいるの知ってたんだろこのストーカー」

「けったいな言い方やなぁ。ま、ワシん家からもそんなに遠くないし贔屓にさせてもらおかな」

「ふざけ「ほなまたな。凪紗チャン」……クソッ!」

言い逃げるようにさっさか店を出ていく今吉サンと入れ違いでまこっちが入ってきた。
この人のストレス発散場所って、所謂サンドバックだよなぁ。そういうことじゃない? いやでも、簡単に言えばこうでしょ。だったら、原とかザキとかでも良いじゃん。例えばだよ? 例えば。

────皆そうだ。特別私じゃなくたって良いんでしょ。そういう意味で求められるような人間じゃないんだから。
どんだけ今吉サンが不満要素なのか、イライラしているまこっちを視界から外した。


「お前じゃねーと無理だから」



そんな言葉は嘘だって、もう痛いくらい学んだんだよ。