腹の中の色が良く滲み出てる声に、財布の中身を思い出した。昨日割り勘するはずだった映画代(宿泊代に代わった)に加えて東大から花宮の家、そこから家までの電車代(そこまで高くなかったけど)を差し引いた金額はそんなに多くない。しかも今日は休日だ。手数料取られてまでお金をおろしたくない!
『ちょ、ちょっと待った! 私今日の所持金君のコーヒー代払えるくらいしか入ってないんだ!』
《知らねぇよ。てか金でケリつけるなんざ言ってねぇ》
な、なんだと!? それはつまり暴力!? 拳で締めようってこと!?
『よ、よく考えてみようよ互いの恩を! グラタンには映画、映画のお金には宿泊代! ここでトントンなわけだけど、加えて私は花宮の願い通り朝ご飯も作ってあげたわけだ!』
「朝ご飯ってなんスか!?」
「新妻みたいだな」
「やめてくれ笠松! 俺の女神が!」
《はあ? 宿泊代がDVDなんて安すぎんだよ。そこに朝飯代加えてトントンだろーが》
『えぇ!? いや、お前こちとら朝4時起きだぞ! 昨日何時に二度寝したのか覚えてるでしょ! 私の睡眠時間計算しろ!』
「そんなに激「イグナイト!」がはッ! 何すんだテツ!」
《どーせ帰って寝たんだろ》
『そ、そうだけどその時の疲労やご飯作る労働加味しても余りが出る!』
《だとしてそれが何だよ。俺の顔に落書きすることが余りの分だってのか?》
『も、もちろん』
《じゃあ油性インキを落とすために使った水道代だな》
だって油性ペンしか見当たらなかったんだもん!! そんな叫びは良い訳にすらならない。
そう、落書きこそがまこっちの怒りの源。家を出る前にちらーっと寝室を覗いて、少し悪戯心が顔を出したのだ。因みに原に送った画像は件のもの。
こうなったら、大袈裟にでも話題を逸らしてみようと思います。
『そ、それより朝御飯どうだった? 白幡家は甘い玉子焼き派だけど花宮の為にだし巻きにしてやったよ。味噌汁の味も完璧だっただろ!』
《別に普通》
ヒクリと口許が歪む。んだとこの野郎!! 昨日のグラタンでお前の嗜好を見極めたんだから褒めてくれてもバチは当たらないっつーの! 洋風であの感想だったから和風も少し濃いめにしたのに……。
こう見えてガラスハートな私はかなりショックを受けた。丹精込めたのにその言い様はないだろう。
『……………あの花宮の顔写真、今吉サンに送るの忘れてたから切るわ』
《あぁ!? お前写真撮ったのか!?》
『撮るに決まってンじゃん。……てか、あー、よく考えたら? どっちが有利な立場かなんて一目瞭然じゃないですか花宮クン?』
《チッ》
『ご飯作る身としては素直な感想とかが一番疲労回復になるのになぁ』
《言わねぇからな》
『言えよ』
《これで水道代チャラにしてやる》
『あーさいですか。じゃあこの件は終わりってことで! ザキに代わる?』
《いらねぇ》
ブチッ。と通話が切れた携帯をザキに返す。電話料金は向こう持ちだから気にすんなよ。
とりあえず、花宮の弱味を握ったことでレベルが上がっていたようだ。これでコーヒー貢ぎも終わらせられるんじゃないか。
シンと変わらず静まり返る体育館。……私たちの会話内容筒抜けだったじゃんコレ。うわーなんか……、……まあいっか。なんも野暮なことは言ってないし。
『で、なんの話だっけ?』
「「「「…………」」」」
「あー。詰まる所、」
沈黙を破る男、原が言う。
「……新妻姿、様になってるんじゃね?」
7月10日、15時18分。
日向順平、伊月俊、相田リコ、黒子テツヤ、黄瀬涼太卒倒。休憩終わりの仕事は良くわからない面子でもある彼らの介抱になった。
今日が終わるまであと何時間か、なんて。考えないようになっていて。それに気づいたのは練習が終わる頃だ。
きっかけは、回復した黄瀬たちの様子を確認しようと練習風景を見回したとき。見切ったそこに映った氷室の顔に、アイツが脳裏で笑う。
────また、あの表情だった。バチッと目があって、得意の笑みも苦笑もなくフイと逸らされるその感覚に、さすがに心臓が冷えた気がした。
そうして、時計を見る。随分と時間が経つのが早いなと思った。次にハッとしたときには、おめでとうと独り言ちずに今日が終わるのかもしれない。
そう考えると、何だかとても、私は冷酷な人間のように思えて。毎年細くなる喉を押し広げて空に向けて放った言葉は、途端存在の価値が重くなる。
7月10日、23時34分。シフトが終わったは良いものの、未だ捕まらぬ殺人犯の為かマスターがまこっちを護衛につける。
「誠心誠意、送ってやるよ」
その笑みに誠の心があるんなら旗を掲げた新選組の面目は丸潰れだ。やめろ。
花宮コナーズ(今吉エキス配合)の威力は価格以上の物で、バイト中は最初のオーダー以外至って普通だった。強いて言うなら少し語調がトゲトゲしてたかもしれない。
ただ、2人きりはヤバイと思う。
「行くぞ」
『ウス』
まこっちはきっと何がなんでも携帯を奪いあの防花宮剤を消し去るに違いないのだ……!
うわあああどうする凪紗! やり方としては恐らく相手の大事なものが1つ2つ崩壊するまで壊す戦法だろう。寧ろそれこそがまこっちの満足値である。こいつの満足の先に、私たちの幸せや安堵など存在しないのだ。
流石ゲス宮それがゲス宮。やることが違う。
いや、でもアレは既に原に拡散済みだし、再送してもらおう。そうすれば、うん大丈夫だな、これ。何とか凌げるかもしれな「オイ」。
びっくう! と肩が揺れる。そもそも携帯を奪われなければいい。パーカーのポケットの中で入れた携帯をギチリと握りしめる。
『な、何?』
「何じゃねぇよ。こっちだ」
『は? いや、私ん家この道を真っ直ぐ────「いいから来い」ぅお!?』
グイと腕を引かれ、予定より数10メートル手前の角を曲がる。
待て待て待て待て! 人通りの少ないとこに連れていかれるんじゃないか!? マスター!! 殺人犯に劣らない危険人物配置してるんだけど!
いくら私とはいえ、やたらめったら固いボールを弾いたり押したりしてる男の力には敵わない。嘘じゃないから本当だから。
そのまま大人しく(後が恐いので)まこっちに付いていくと、とある公園に出た。見覚えのある滑り台を目にした途端、ドプッと血液が沸く。
ココは公園だけど、さつきと青峰と来た場所ではない。あのときは避けてたんだ、この場所を。
だって近いから、アイツん家に。もし、赤司の話が本当だったら(事実だったけど)と考えたら近付けなかった。会ってしまうんじゃないか、って、思ったから。
「あともう少しで読み終わンだよ。ちょっと付き合え、奢ってやるから」
『や、違、待って花宮、』
奢るとか、まこっちには到底似合わない言葉で。恩を売りに来てるとか反論できる要素はたくさんあったのに、上手く声がでなかった。
だからか私の思い虚しく入ってきた方とは反対の入口付近に見える自販機まで歩いていってしまうまこっち。それを見送りながら眉を寄せた。暗闇の中、ぼんやりと青白く主張するソレが凄く遠いものに思えた。
嗚呼、また。今日に限って、何でココに。
そう悲観する己を振り切って、前向きになる。大丈夫だ、もうサヨナラしたんだから。伊月や森山先輩には何も
横ではなく縦に長い滑り台の階段に足をかける。台は小さい子供が6人座れるくらい大きなスペースで、大人でも2〜3人はイケるかもしれないなと考える。
ジーパンだし、洗えば良いだろと躊躇なく直に座って空を仰いだ。夜空は満点の星……なわけもなく、都会らしく5つだけ寂しく散らばっている。
そう言えば一昨々日は緑間の誕生日だったので皆でお祝いをしたけれど、七夕の日でもあったわけだ。
東京じゃ立派な天の川なんてそう見えたりはしないけれど、今年も織姫と彦星は出逢えたのだろうか。1年に1回の久闊なんてと馬鹿にすれば、今の時代に生きる私たちは彼らに怒られるだろう。向こうは我々と違って連絡する手段すらないのだ。
でも、
『1年に1度会える約束があんだから、そんなの幸せな方じゃん』
携帯も確立した郵便制度もない同じような状況だった昔の人は、わりと彼らをアホらしいと思うのかもしれない。遠すぎて文が届かないのに加え毎年1度も会えない───若しくは、生涯顔を見ることすら出来ない人たちが多かったのだ。写真だって残らない時世に。
それに聞けば彼らはイチャコラしててお仕置きとして離れ離れになったというじゃないか。自業自得、リア充ざまぁ。
「何似合わねぇことしてんだ」
つまんなそうな口調と共に、頭に当たる足りない手加減の衝撃。……逃げた先にも魔の手が蔓延るのが人生ですが、今の私は柔じゃないんだからな!
1人で勝手に意気込んで、凶器になりつつあったペットボトルを受けとる。この時点でオレンジジュースでないことは確定だ。だって、最近は500ミリリットルのペットボトルのオレンジジュースなんて自販機で見なくなったから。
味を確認している間に、まこっちは私に背を向ける形で座った。何処からともなく出した本を開き(てかいつもバッグ持ってないってことはコイツ財布と本だけ手でもって来てるのかよ)、沈黙の夜が包む。
口に含めば柔らかい甘さがふわりと口内を洗った。トプンと閉じた唇にぶつかった液体が仲間のもとに戻る。美味い。
今何時だろ。明日も朝練で早いのだ。まこっち、どれくらいかかるかなぁ。
てか待って、この暗さで本読めんの!? ブンッと首を回せば、煩わしそうにまこっちが喋った。
「んだようぜェな」
『い、いや、暗くない?』
「夜目は利く方なんだよ」
『ふーん……』
夜目か。カッコいいなその台詞。
首を戻すついでに、暇なのでまた上を見上げる。ゴツ、と頭同士がぶつかる鈍い音がしたけど、そのまま体重をかけて牽制した。まこっちも面倒臭くなったのか抵抗を直ぐに諦めたので、私も重心を真っ直ぐにする。
虫の音も聴こえない。葉をそよがせる風の音と、紙を捲る音が時おり耳を掠める。
どれくらい経ったのだろう。暫く気持ちの良い静寂に身を預けていると何だか眠くなってきた。ウトウトするので、ポケットから携帯を出して光を浴びる。ついでに目に入った時間に、私は練習中の予感は強ち間違ってなかったんだと苦笑した。
携帯を閉じ、喉を潤しながら考える。今まで、どんな気持ちで言っていたんだっけ。寂しくて、届いたりしないって分かってるのに、堪らなく零していた気がする。
だけど今年は、もう違う。
あのときは、アイツを想ってるんだという、結局は自分を思う叫びだったかもしれないけれど。今日は、ちゃんと、アイツを思って言えるよ。
『…………おめでとう』
7月10日、23時58分。
きっとね。この世界中で、今日という日の一番最後に君を祝ったのは私だよ。
─────そんなこと、修は知らなくたっていいけどさ。