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Still…

Episode.39 売約済みって、

駅に併設されたマジバで、季節限定シェイクの汗を拭う。じりじりと肺を灼く後悔で酷く息苦しい。
あれから。あの場に残っても上からみんなが降りてくるかもしれないことに遅れて気づいて、アスファルトに寝そべったままの携帯を拾い上げ急ぎ足でその場を離れた。けれど家に帰る気にはなれなかった。
本当に何してんだろう。 “自分で自分が分からない” とかいうマンガの主人公にそんな馬鹿な話あるかと鼻で笑っていた私を殴りたい。生憎絶賛迷子だよ畜生。

そんな私を諌めるように、再度画面に映る通知はまたも着信で。『っ、』と震える手中に驚きながらそこを見下ろす。並んでいるものに漢字も平仮名もなく、あるのは数字だけ。普通は不信に思うその表示も今は安心剤だ。私の機種のシークレットモードは設定した偽名が表示されるようになるし、私の場合は偽名の欄にも本名を設定してあるから。
そういえば前にもこんなことをあったなと思いながら、我が家の家訓に従った。そのまま留守番電話に繋がると、珍しく伝言に残そうとした声が聞こえてきた。

《チッ、1発で出ろよ。てめぇこの電話に気付いたら3秒以内にかけ直せブ『……只今おかけになった番号は現在電波の届かないところに居られるか電源が入っていない為にかかりません。どーぞ』

悪口なぞ言わせまいと台詞を被せれば、2度目の舌打ちを頂いた。不本意過ぎる。にしても、まさかまこっちから連絡をくれるだなんて……。誰から聞いたん───あ、原か。奴だな、うん。

《何がどーぞだよ。……お前今どこいんだ》

『あー……後悔という大海原の中』

《ちゃんとこっちの要求を読めよ、あ?》

『ごめん。ラウンドツーの最寄駅のマジバにいる』

《……………………。》

『…あれ、花宮? どうしたの? 具合悪いの?』

《あぁ? その質問に答えても俺に利はねぇ》

『人の親切の処理雑すぎかよ』

《とりあえず……あー、いい。お前俺んとこ来い》

『は? 花宮んとこって、えっ。その、それ、私に利はありますかね?』

《ふはっ、当たり前だろバーカ》

プツンと通話を切ったのはまこっちだ。予想を裏切らない。
通話時間を碌に見ずに、アナウンスに従ってデータを保存する。少し、この機械の重みが増した気がした。

このお呼び出しに救われた私は駅をくぐって直方体のマシンに揺られ、仰せのままに東大の赤門前に到着した。
ここに居てくれると思ったのに、そんな人影はひとつもないところも裏切らない。でも場違い感半端ねぇ……。みんなチラ見しながら通っていく。そりゃ日本一の大学ですから一般ピーポーは畏れ多い場所ですよね。
まこっち早く来て……! 先程登録したばかりの番号を引っ張り出して耳に宛てる。


あまり顔を見られないように門の端に背を向ける形でコール音を送っていると、トンと後ろから肩を叩かれた。

『あ、……あ?』

思わず低い声が出た。もちろん相手がまこっちじゃなかったからだ。

「久しいなあ凪紗チャン」

『……どうも。御無沙汰しております今吉さん』

無愛想な返事にもどこか満足そうにした今吉さんはスルリと耳に当てていた私の携帯を奪いさる。そして、あっという間に通話を切ってしまった。あーぁ、やってくれたなこの野郎……。責任取ってくれなきゃ私が死ぬんですけど。
彼の手に握られたままの携帯から目を逸らすと、この前の練習試合で見かけたような気がするとってもまとも風なお二方に気づく。名前は……うん、ごめんなさい。
するとあまりにも見すぎていたのか、あちらから挨拶をしてくれた。

「俺は今吉と同じ学年の諏佐佳典だ。高校の後輩だった若松から白幡のことはよく聞いているよ。あいつら共々宜しくな」

『こっ、ここここちらこそ宜しくお願い致します!!』

まさかの絵に書いたような常識人に私は今なら空も飛べる気がしている。
冷静とはかけ離れた返答をする私を、いい意味で楽しそうに爽やかに笑って握手を求めてきてくれたのは、この前の練習の時に黄瀬と早川たち海常高校組のお母さんみたいだなぁと思った人だ。

「あはは、じゃあ俺も宜しくしてくれ。同じく3年の小堀浩志だ。高校は笠松と森山の所だったんだけど、女性の白幡さんにはアイツらが本当にお世話になっていると思う。すまないな」

『いやいや、こちらこそお世………………、……はい、あの、どういたしまして……』

お世話になってるのは私の方です! と言おうとしたけれど、よく考えればそう思える場景が全く思い浮かばなかった。森山先輩は今でもあんなだし、笠松先輩に至ってはまだ慣れてもらっていないのが現実である。
ぎこちない上に微妙な言葉を継ぎ接ぎすれば、諏佐さんと小堀さんはまた可笑しそうに笑ってくださった。恥ずかしいけど、なんだろう……すごく嬉しい……。年上でしかも福井先輩、岡村先輩、大坪先輩、木村先輩レベルの常識人ともなれば私のなかでは充分神に値するのだ。全然安くなんかないから。

「まぁええわ。そんで凪紗チャンは何しとるん? ま、聞いたとこで理由なんて一つしか見当たらんけど」

『知ってるのに聞く意味ありますか?』

「なぁ、ワシへのあたりだけ強すぎとちゃう?」

『てかその人に連絡してたのに今吉さんが切っちゃったからもう既に帰りたい』

「そないなこと言うてもあと1分くらいで着くやろうし」

『うわあ出た妖怪千里眼』

「自分2度目ましての相手にホンマよう言えるなソレ」

「しかも今吉だからな」

「白幡さんスゴいな!」

『「複雑すぎるんやけども」』

思わず関西弁になったあげくハモってしまったことに顔を歪めると、諏佐さんが「あ」と声をあげた。その視線を追えば、今吉さんを見たために嫌そうに眉を寄せた花宮くん。
細身の黒いジャケットのポケットに両手を突っ込んで堂々のご登場でございます。人のこと呼んでしかも遅れてきたくせにくせにまじ何なんあいつ。

「さて、お待ちかねの王子様のご登場やで」

『王子様というよりかは殿ですよありゃあ。……よし、まこ殿様ーーーっ!!!』

今吉さんの茶化しに便乗して、周りの人間がギョッとしてまこっちを見るほど大きく手を振ってあげればとても喜んだご様子だ。

「ぶはっ、さすがやな凪紗チャン!!」

────今吉さんが。

当事者の殿は、と言えば。今まで見たことがないくらいの “困ったなぁ” っていう顔で場を切り抜ける。その表情に視力2.0の私は目を疑った何アレ。何アノ笑顔怖……っ!!
まこっちのものだとは思えない爽やかなソレ。向けられた女子はきゃーっと小さく可愛らしい悲鳴をあげて喜ぶが、彼女たちのおつむは大丈夫だろうか。甚だ心配だ。あの真っ黒いオーラ漂ってるのが見えないのか!?

そのままズカズカと迫ってきたまこっちの顔はどんどんいつもの無愛想なモノになって、咄嗟に今吉さんの背に隠れていた私の腕を乱暴に引っ付かんだ。

「ふざけんなよマジで」

『いや、さっきの花宮どこ行った!? てか冗談だ、っ痛!!! 手首骨折れる痛いってば!』

辛うじて握られてない右腕で今吉さんを掴んでるけど、ただ愉しそうに傍観してるだけのこの男使えねぇ!!

「痛くしてんだから当たり前だろーが、よ!」

『ちょ、まじギブ!! ごめん謝るっ、謝るから!!』

散々やった癖に最後は舌打ちをしながら解放したまこっちは、首の骨をコキッと鳴らす。私が手首を擦れば一笑でこの辛さをはね除けた。信じられぬ。こいつ本当に人間かよ。
ムムム……と睨み合う私たちの意識を逸らしたのはそんな一部始終をすぐ傍で見ていた小堀さんだった。

「2人は付き合ってるのか?」

『「はあ!?」』

すかさずギッと神に噛みつく。キタコレ! ───じゃなくて、なんだその肌寒い意見は。
くつくつ笑う小堀さん。何処と無く木吉を思い起こさせる彼はマイナスイオンを噴出させ始めたようだ。
常識人ルートから逸れつつある小堀さんを責めるのはまこっち。

「あんた何言ってんだ。なんで今のやり取りでそう見えんだよ意味わかんねえ」

「いや、花宮が猫被らないって時点でそういうことだろう?」

「っ、俺はそこまで単純じゃねぇ!」

まこっちはシャーッと毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。そして諏佐さんまでもがそれをものともせず付け足す。

「でも他の女子とは区別しているんだよな? 花宮にとってそれは仲が良いってことなんだと思うが……」

「なっ! 何で俺がこんなブスと!」

『はあ? そんなブスをここまで呼んだのはお前だろうが花宮眉麿さんよォ』

火花を投げつけ合う私たちは、また小堀さんを動かした。私とまこっちを交互に一度ずつ一瞥したあとで、やんわり笑う。

「……お似合いなんじゃないか?」

『「こっちから願い下げだ!!!」』

「ホラ。さっきから息もぴったし。いいと思うけどなぁ? 今吉」

「せやなぁ。あ、でもあかんわ。この子はもう売約済みやった」

『は、』

諏佐さんの問いに、今吉さんは已然私の肩に手を置いたまま。逆光で下からでは何の表情も読み取れないまま。

『売約済みって、「残念やったなぁ花宮」

───────そう、言った。絶対に私の問いも聞こえていた筈なのに、今吉さんは笑いを含んだ声で遮る。

意味が分からないほど私も鈍くはない。
……この人は一体誰を “ソレ” と思っているのだろう。まあたぶん、氷室とか、日向とか、そんな風に勘違いしてるに違いない。……違いないのに、嫌な予感が止まらない。
そもそも売約済みって言葉自体間違っているのだ。私は、誰のものでも、ない。
なのに、

「せやけど、売約済みだから言うて諦めずに居心地ええ居場所提供してけば、契約サイン移るかもしれへんで」

まこっちも私も2人して絶句。何言ってんだコイツ。
人をモノに例えてされる助言のようなものは、本当にまこっちだけに言ってるのか、それとも……。

「その可能性も充分あるやんな、お客サン」

ゾクリとした。こんなに喋る人だとは知らなかったし、ここで初めて首を曲げて見下ろしてきた今吉さんの糸目は、また薄くその扉を開けている。



「とりあえず、今日1度目の仕事はワシらでしといたで。────元気になって何より」

『ッ!(こいつ────!!)』

私がついさっきまで鬱いでたこともお見通しだったようだ。眉を顰めてしまう私を、クッと喉で笑う今吉さんは満足気に私の肩をもう2回叩く。そして、奪われたことをすっかり忘れていた携帯を上から私の手に握らせた。

「さて、ワシらはそろそろお暇しよか。ほなまたな、花宮、凪紗チャン」

心配そうに私を気にする小堀さんにも諏佐さんにも、最後まで何も言えなかった。
残された私とまこっちは暫くその背中をただ見送っただけで、そのあと放心状態の私の頭は掌底によって横から一撃される。

「……行くぞ」

『……ん。』

嗚呼、染めなきゃ。その身長故の後ろ姿も、私を引っ張るやり方も強引さも、全て。────忘れなければ。