「バイトがある日は、2日前までに私に教えてください」
『はい……』
「テーピングとかマッサージとか、大抵の応急処置は一通り出来るのよね?」
『たぶん、忘れてなければ……。でもマッサージは練習というか、覚え直したほうがいいです、はい』
「そう。そう言ってくれるなら安心だわ。下手に知ったかぶって手ぇ出されても困るし」
『す、すいません』
「あら、なんで謝るの?」
『え、ななななんとなく』
ぎこちない笑いをなんとか持続させながら、横に流した視線に映る日向に助けを求める。助けて。助けて。怖いんだけど何これ。本当に同級生なんだろうか。貫禄すさまじいよ。
日向から返ってきたそのサムズアップは、とりあえずあとであらぬ方向に曲げようと思います。
私とまこっちの関係はあの後、インチキ(名前は今吉という)さんにこれまた恐ろしい笑みで問い詰められたので2人で仲良く『とあるカフェの店員と』「……客」と答えました。いやあ、がちでそーゆー仲だと思われていた面子はホッと胸を撫で下ろしていた。そんなにヤバイのか……あれ、対象もしかしてまこっちじゃなくて私? いや、そんなことはないよね!! うん!!
それからまこっちにお前覚えてろよ的発言とスマイルをもらった私は土下座で彼ら東大組を見送りました。お世話になりました。
そして顔をあげるや否やすぐさま襟足を日向とムラサキに掴まれて体育館前方の長机の上に乗せられた挙げ句みんなの見る前でまたもや土下座で挨拶をさせられた。いや、正座をしてただけなんですが、あらゆる方向から来る視線に怖じ気付いて三つ指でお辞儀したのが仇となったんです。とんだ羞恥プレイだ。
てか何でここなの。机の上に乗っちゃいけないってママから教わったろーがよ。
それからその体勢のまま、机の脇に立つ現マネージャー2人に質問攻めにあっているのが今の状況です。せめて机から下ろさせて欲しかったなぁ(遠い目)
「大体分かったわ。これからの仕事は追々説明するとして、視たところ力もあるようだし、頼りになるわ」
『はあ……』
まあ、あれだけ目の前で黒子に投げ技かけたり多勢な男に引っ張られてればそうなりますよね。なんか久しぶりに話す女の子からの印象がそれって悲しいけど自業自得なので何も言えません。
とりあえずバイトに関しては続けて良いということらしい。いいのかよ。まあ願ったり叶ったりですので大人しく甘えさせていただきます。
「明日はバイト無いのよね?」
『はい……』
「良かった。じゃあ早速だけど、朝は6時、放課後は……そうね、終わった時間で良いわ。よろしくね」
『ろく……っ!?』
「全員朝も自主練するもんだから、強制にしたのよ。帝光の時とそう変わらないでしょう?」
『いや帝光は、……ハイ』
…… “ハイ” じゃねぇええ!! 帝光より早ぇーよ畜生っ!! 何年早起きブランクがあると思ってんだこの野郎!! 高校初日の朝イチの台詞『2度寝幸せすぎる』なんですけど!! 大学入ってからもっと遅くなったんですけど!!
喉から手で押し出したい叫びを生唾で何とか嚥下させる。
泣きたい。帰りたい。辞めたい。早起き嫌だよ…何で6時……。
帝光は普通のマネージャーすら選手と共に7時集合だったよ! まあそれは私がそれより30分前にいたからってのもあったけど。何で私だけ早かったかって、それはその、うん、付き合いが、あったから……ってクソ。ほらまた嫌な思い出が出てきちゃったじゃん苦虫を噛み潰す表情で下を向く。忘れろ。これからはこいつらの思い出で上から塗り固めていけば良い。
「それじゃあ改めまして。男子バスケ部1軍トレーナーの相田リコよ! ヨロシクね凪紗!」
『よろし……ん? トレーナー?』
「そ。主に練習メニューとか選手の体調管理を担当してるわ」
『役割分担があるんだ』
「まあ、どうにも私たちは突出してる部分があるからそれを生かさない手はなくてね」
「私はスケジュールとスカウティング担当です! 一言で言うと事務系ですかね」
『じゃあ、私は?』
「それ以外の普通のマネージャーの仕事と、あと食事系の担当かしら」
『食事?』
「そいつ、さつきレベルだぜ」
「青峰外周15行っとく?」
「殺す気かよ!」
2人の会話を聞きつつ、私はやはり相田さんは赤司並みに恐ろしいと思う。だってこの大学の広大な敷地の外周って……つまりそういうことでしょ。どこの範囲かわかんないけど、あの青峰が生死さ迷うならそれなりだ。
そして料理の腕も然り、なのだろう。さつきレベルってそりゃもう殺人級ですよ。国潰せるからアレ。
うむ、となると……レモンのはちみつ付けとか言う、差し入れにはたまらん癒しアイテムが凶器として提供されるのか。可哀想すぎる……。
自覚があるのかそれきり口を閉じて床を見ている2人に代わって、苦笑混じりの声がした。
「合宿は軍ごとに行くんだけど、今年はこの1軍の人数も増えたからね。去年は何とか料理のできる人達で賄ったけど、さすがにあの練習のあとにこの人数分を作るのはちょっと……」
『待って氷室それ裏を返せばこの人数分を私1人で賄えってことだよねそうだよね』
「いや、俺たちもちょっとは手伝うよ? もちろん!」
信じるに値せん!! 何だか急にハードなお仕事になってきたぞこりゃあ。帝光の時はさつき以外のマネージャーと力を合わせたわけだが、今回はマジで個人戦の予感。
一気に湧き出た冷や汗に肌を滑らせて頭を悩ましていると、突然下の方からゴンッという音が聞こえてきた。
「頼む白幡!! お前が必要なんだ!!」
ぅおい何事!? あろうことか日向が額を床に押し付けて土下座していた。私に。え、何? 今日は土下座デーなんですか? 事あるごとにそのイベントが必須なんですか?
驚きすぎて若干引き気味の私をよそに、日向は訴え続ける。
「みんなも去年のことや今までの経験を思い出してくれ!!」
その切実な思いに突き動かされたのか、ほぼ全員がみんな同じく膝を折る。先輩もいるはずなのに、全員だ。
てか待って! 赤司!! お前が土下座するのは色々ヤバい!! やめて!! お願いだからやめて!! あとでお前の家に謝罪申し込まれても困るんですけど!!つーか土下座綺麗すぎかよ!! 茶道とかで養ったんだよねソレ将来の交渉の為とかじゃないよねソレ!? お前はさせる側だよね!?
土下座してないのは目の前のマネージャーただ2人だけだ。彼女たちの目尻に浮かぶ涙ももはや同情の種である。それより私のほうが泣きたい。
「この通りだ! もうこれ以上、犠牲者を出すわけには行かないんだ!!」
「日向のいう通り!! 今年こそ全員三途の川を見ずに帰ってきたい!!」
「誰も記憶をブラックアウトさせたくない!」
『あんたたち何をしたんだ……』
「「ごめんなさい」」
2人とも自身の腕前は自負しているらしい。確かにこれだけのものを見せられたらそうしてもらわねば困るのだが。
これは大変なことになりそうだ。とりあえず明日から腹が膨れるレシピをかき集めておこう。塩分とカロリーを考慮した味付けも色々考えなきゃ。……あれ、私って栄養士になるんだっけ?
そんな先の事を考えつつ、息を吸う。
『えーっと、とりあえず、すごく居心地悪いので顔をあげてください……』
バッと一斉に上がるみんなの頭。揃いすぎてて恐怖。
そして少しにやけている赤司。そうか、お前この状況便乗して楽しんでたな。青春してたのか……ゔ、そう思うとなんか怒れない。
はあーと息を吐いて、瞳を閉じた。だってこんなにたくさん目があったらどれを見れば良いのか分からないんだよ。それに中々のホラーだからね。
『とりあえず、私しか出来ないのであれば引き受けます。そんな頼まれ方で断れるわけもないし』
「「「ぃよっしゃあ!!!!」」」
『ただし!』
強めの一言で、空気が止まった。瞼は下ろしたままなのでどんな顔をされているかは分からないけれど、それは好都合だ。
『やるとなったら、私はちゃんとやりたい。みなさんを満足させたい。そのために、食事の予算とかが増えて部費が高くなったり別口で徴集することになるかもしれませんが、』
“構いませんか?” の言葉と共に、漸く目を開いてみる。眼下にあるのは笑顔ばかりで、面食らってしまった。
「んなこと気にすんなよ!、です!」
「それで美味い飯が食えるなら全然構わない」
「凪紗ちゃんの…手料理……死んでも良い」
「んじゃそのまま死ねよ森山ァ」
「良かった……、本当に良かった!!」
こんなに喜ばれるとは思っても見なかったから、何だかこちらも笑ってしまう。どんだけだよ、ホント。スポーツ男子ってやっぱりこういうもんなのかって思った。
だがその直後。すぐ傍に落ちているマネージャーたちの白い目を見て、私は表情筋を働かせることになるのだ。複雑すぎるわ。
才色兼備なんてこの世にいない。世界は不平等であるのに、変に情けをくれるのだ。だからこんなにも捨てられない。
料理が出来ることを、こんなにも誇らしく、そして疎ましく思うのはきっと、そんな世界のせいだ。妖怪のせいではない。自分のせいでも、ない。