まこっちが選んだのは、左手だった。皮肉にもそれはアイツとは触れたことがなく、今はただ手の甲を打ち付けた固い感触だけを知る。男の手という情報を初めて持った左手は私の意識を傾けるに充分で。今日は何かとこっちの手で物を持ってみたりした。
今日は月曜日。選択肢が1本になってから1日。私はどう彼らに説明をしようか、まこっちに言わせると矮小な頭を働かせる。
観戦をしてしかも最後まで残った以上、彼らにとってみれば私に何らかの爪痕を残せたと思っているだろう。強ち間違いではないのだが、そうなるとやはり試合の感想は言うべきだろうか。
けれどこの決断と一緒に渡しても水の泡だ。「そう思うなら手伝えよ」って言われる。そうに決まってる。
そもそも、いつ伝える? 放課後は申し訳なくてダメだ。私が行くと部の活動が停止する。見知らぬ人も此方に注目してしまうのはここ2回で学んだ。
かといってそれ以外の時間ではカラフルズやいつメンたちがちょうど揃うのは珍しいだろう。休日を待つのは忍びない。というか病む。
『まこっちに相談すれば良かった……』
一昨日から彼は偉大な存在となった。もちろんハチミツの刑はきちんと実行するし合えば口喧嘩もするだろう。だけど前より印象は確実にアップしている。良かったねまこっち。
『そしてもうこんな時間だ』
そろそろ家を出なければ。重たい腰を上げる。と、同時にインターホンが鳴った。嘘だろオイこんなのフラグじゃんか。
リビングの壁に設置されてるモニターを遠い距離から薄目で見る。とりあえず確認するはやはり髪色。赤色と桃色なら私の家を知っていてもおかしくない。いつメンは最寄り駅【ピンポーン】…こそ知ってるが其処からの帰路は分からないはずだ。でも後輩たちならほぼほぼ地元と言っていい圏内だし……。
ここからじゃ見えないのでゆっくり1歩ずつ近づく。意味なんてないけど、こういうのは雰囲気が大切だと思います。【ピンポーン】
そしてあわよくば居留守を使おう。講義に遅れるかもしれないけど……、こちとらお【ピンポーン】は朝のお陰で今日は一時間早く準備をしてるんだ! 見た瞬間に【ピンポ【ピンポーン】1時間早く起こしてくれたお母さんマジグッジョ【ピンポン【ピンポ【ピンポ【ピンポ【ピン「凪紗ーーー!!いるのは分かってんだよ居留守なんて使ってんじゃねぇぞ!」ピンポピンポ───】
『ぁんのヤロォおお……ッッ!!!』
もはや恐る恐るとか言ってられない。ドタドタと走ってオープンTHEドア『ぅるせぇんだよゴキブリィ゙イ゙その年になっても近所迷惑ってのがわかんねぇのかゥラアッ!!!』「ぐふッッ!!!!」
腹を押さえて俯く蒼い髪にそのままゲンコツ。「ッォォ……!」と呻くその姿ざまぁ。そして何もされてないのに別の意味で腹を抱えて笑う人が1人、何故かすんごいキラキラした目でガッツポーズをする知らない金髪1人。
『煩くしてすいませんでしたって今のボリュームで詫びろやボケ』
「お前もうるさか『ぁあ?』っ……わぁーったよ!煩くしてすいませんでしたァア!!」
深く腰を曲げながら叫ばれて、遣らせておきながら耳を塞いだ。こいつの声は低いのになんでこんなに煩いんだ。
一睨みして、私は『数分待って』と中に戻る。扉は開けっ放しでいいことにしておいた。じゃないと家に入らせてくれなかったから。
自室からリュックサックを持って、リビングのテレビを消し火の元やらを一応確認して玄関に戻る。鍵を手で遊びながら青峰たちをどかして施錠した。
「凪紗サン独り暮らしなんすか?」
『普通の一戸建てなのにそんなわけ無いでしょ。私が一番家を出るのが遅いだけだよ』
「なるほど!」
『で、あなたは(コミュ力)高男くん、コイツはゴキブリ括弧バージョンアホ峰、それでお宅は?』
「オイこらなんつった」
「2年体育科の若松孝輔だ! ポジションはセンター。宜しくな白幡!」
『お、おう……』
何だよこいつもコミ力高い系男子かよ。もう高男2号でいいかな。弱干距離を取りつつ大学の方へ歩く。彼は私を知っているようだから自己紹介は省こう。私が先頭をゴキブリもといアホ峰と並べば、高男初号機の「なんかフレンドリーっすね若松サン」という答えに「白幡はいいヤツだと思って」と返した2号。会って間もないのにスゲーいい印象埋め込んだらしい。お前こそいいヤツだろワカマチくん。
ここで現在の見た目を振り返ってみよう。190p越えと180p越えが1人ずつ、170p代が2人。日本人の規格外サイズがのしのしと闊歩する様子は一体、地元民にどんな衝撃を与えているのだろうか。頭痛がするゼ。
はぁー、と息を吐いてから青峰を見上げる。
『で、今日は何というお達しが? てかなんで家まで……』
ピッとICカードを改札に通す。てか青峰とかムラサキとか電車乗るときどこ掴まるんだろう。中学の遠征は基本バスだったし、一番でかいムラサキもあのときは山の妖精越えるほどなかったしなぁ。
「どうしても放課後に手伝って欲しいことがあるんスよ!」
(略)男は私の隣に並びつつ白い歯を見せた。何がそんなに嬉しいのかなぁ。本当に懐かれてしまったようで、「手伝って下さい!! なんか奢ります!」ってわざわざ背を丸め、揚げ句首をコテンって曲げて覗き込むからあざとい。何なのホント、コテンじゃねぇよ。
対してこのガングロは上から私の頭を鷲掴む。力を加減されてるから痛くはないけど、先輩にやることではない。さっきの腹パンと拳骨を少々根に持っているようだ。
「練習始まる前に話つけとけって赤司が言うからよ。俺らん中で家覚えてて授業ねぇのが俺だったからな」
どや顔の意味がわからずエルボー入れておく。鍛え上げられたこの肉体に私の技が決まるのは、それなりの経験と知識があるからで、別に元ヤンとかじゃないから。そういった誤解がそろそろ生まれそうだけど違うから。
「んで、会えなかったらキツいっつーことで押し掛けちまったんだ、すまねぇ」
で、眉を下げて頭掻きながら謝ったのはほぼほぼ悪くないというか青峰の世話役として付けられたニューパーソン。あなたも今日から私の友達だ。
『良いやつだなワカマチっ……』
「わかまちって誰だ!? 俺若松なんだけど!!」
『あ、それは申し訳ない』
「ワカマチサン電車来ましたよー」
「おいワカマチサン腹減ったんだけど金貸してくんね?」
「お前らマジ黙れ!!!」
****
がっしりと回された日向の腕から肩にかけて負荷が掛かる。なるほど逃げられん。
「さ、そんじゃ行くか!」
『ウス』
結局、高男くんにハーゲンなダッツを奢って貰うことで手を打った私はこうして日向に肩を抱かれ……いや、首を絞められる手前の状態で半ば引き摺られてます。何だか大人気ない上にスゴく惨めです。
あー、周りの視線と言葉が今日も刺さる。「え、あの子今度は日向くんと?」「ありえなーい」「朝は青峰くんとか若松くんと一緒にいたけど?」「は?マジなんなの?」ハイすいません。ホント私もそう思いますマジなんなんだ。明日には男たらし改という肩書きがつくのか、不名誉すぎる。
そして、こうやって菱がれる私に日向の容赦ない鉄槌が横から薙いできた。
「……なぁ、」
『ん?』
「お前さ、……氷室と付き合ってんの?」
『は、』
「ぁ、いや、言いにくいなら別に『私は君に失望してる』何でだ!?」
哀しい。日向まであんな根も葉も……いや、根は確かにあったかもしれないけどさ……! でもみんながみんな勝手に日光と水と養分をあげて育てた噂を簡単に信じるなんて、残念だ。私と氷室の中でいつそんな甘ったるい空気が流れたというんだ30文字以内で答えてほしいよ全く!!
じとりと睨み付けるだけに収めておくと、日向が「嘘ならそう言えよ」と息を吐いた。言わなくても解れよ私たちズッ友だろ。
私に3割ほど掛けていた体重を戻した日向。そろそろ今日の仕事場に到着だ。
何やら練習試合をするそうなので、そのお手伝いをしてほしいんだと。これまではさつきと対戦相手のマネージャーさんがスコアを付けたりしてたらしいんだけど、どうやら今回の相手もうちの大学と同じくマネさんが居ないらしい。まあ相手方は本当に希望者が居ないのかもしれないけど、うちに関してはそうじゃないって知ってるから声を大にして言いたい。自分達のことは自分達でやるって、そう決めたなら頼るなよ!
「ちわーっす!お願いしゃす!」
今日はギャラリーOKの日らしいけれど、他校が来るということもあって見学開始の時間が何時もより遅めに設定されているんだって。まあ最前列を取ろうとキープアウトの内側に人だかりは既にあるけれど、入り口前はスッキリ空いていた。
待っている人たちにまた氷のような視線を浴びながらも、ガラス戸手前で離れて挨拶をした日向に小さく倣う。
『お邪魔します』
中学時代は私もよく “お願いします!” と叫んだものだけど、今回はむしろ私がお願いされます側なのでこういう形にしておきました。
中に入ると早速さつきと略男と黄瀬が駆け寄ってくる。もう略男の順応性には突っ込みません。そう彼こそがコミュ力空気読める力懐に入ってくる力ナンバーワンのTA☆KA☆O!! 全米も驚いた3冠達成だぜヒュー!!
「来てくれて嬉しいです!」
「センパイセンパイ!! 俺のドリンク作ってくださいっス! あの味、俺忘れられないんスよ!!」
「え何それ美味そう! 俺にも作ってくださいよ」
「は? ちょっと高尾っち自重して欲しいッス。帝光バスケ部だった俺たちだけの特権なんスけど?」
「堅苦しいこと言うなってシャララ! 今先輩がココにいるのは誰のお陰だと思ってる! 俺の財布から幾ら飛んでいったか知ってんのか!!」
『さつき、何すればいい?』
「とりあえず更衣室行きましょう! 先輩の服も用意してあります!」
『えっ!? それ誰の?』
「新品ですよ。今回の急なお話に乗って下さったので、俺からのお礼です」
『あ、さいですか……』
スッと現れると共に浮かべられた紳士スマイルに何の躊躇いもなく首は縦に動いた。何だろう。お金持ちだからそんなに気にしなくていっかと思ってしまう自分が恥ずかしい。
でも彼にとってこれが普通なのだから、正そうと無駄に叱るには理由が足りなさすぎるだろう。素直に『ありがとう助かるよ』と頭を下げて、さつきに着いていく。
どうやら体育館の前方にあった扉から地下に入れるらしく、そこに更衣室やシャワールームが完備されているんだと。降りてみればまあ凄い。都内一の大規模大学はこういうとこにもスケールに差が出るようだ。
“女子マネージャー用” という札のある扉の鍵をさつきが開ける。その仕草を一歩引いた気持ちで見ていると、桃色の髪を揺らして彼女は振り向いた。
「ふふ。なんか、こうやって先輩の前で更衣室のドアを開けるの新鮮です」
『……そうだね』
喜悦に満ち足りた表情に、ゆるりと笑みを返す。中学時代の鍵係は引退するまで私だったから、この立場は逆なことが多かった。もちろん今手ぶらな私と違って、さつきは分厚いファイルや普通にタオルの籠を持っていたりしたけど。
中に入ると、女子だからか汗臭さは無かった。入り口の棚の上にある芳香剤がいい仕事をしているのだろう。だけど想像以上に狭くて少し驚いた。
ロッカーは合わせて8つ。そのうちの4つが “桃井” と “相田” の名札によって縦に仕切られている。
「この体育館は男バスしか使わないので、元は備品置き場だったのをマネージャーの部屋にしてもらったんです。他の体育館を使うサークルはもっと広いところで数グループで共用しているんですけど……、」
“嫌がらせもありますし、私たちは別にしてもらったんです” と苦笑いするさつきに私は『賢明だよ』と笑い返す。こっちもそこそこ経験済みだ。
ここにあった備品は元々更衣室だった場所に運び込まれているらしく、そこのロッカーを上手く使って整理しているようだ。備品の内容は全てバスケサークルのものではあるが、救命用具やビブスだけではなくバスケットボールから得点板など大きいものもあるらしい。そうなるとこの部屋は少し狭すぎる気もするから、一石二鳥だったのだろう。
この話の終わりに「あとで場所教えますね!」と言われて思わず真顔になった。あれ、なんか、フラグ?