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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -

Still…

Episode.30 寝坊すんなよ、凪紗


タオルやビブスを洗う洗濯機もネットも物干し竿とその場所も全て備わっているのはごく当たり前だと思っていたけれど、思えばそれは昨年末の同窓会までの話。別の中学校に行った小学校の友人は「さすが私立さすが帝光」と若干引き気味だったもんな。中高一貫でもないのに我が私立帝光学園は中でも部活への金銭工面がずば抜けて高いようだ。
干し終えた洗濯物を見送って部室の鍵を閉める。そしてダムダムとボールをつく音が聞こえるなかへ戻った。足音で察知したのか、たった1人でゴールに向き合っていた彼が背を向けたまま左手の指を3つ立てる。あと3本で終わらせるらしい。

『もうちょっとやってていいよ。今から着替えるから』

そう言うと、「終わったら教えろ」とゴール下に散らばるボールをひとつ持ってセンターラインまで下がった。

壁際を通り、舞台脇にある階段に足をのせる。ここを上がったギャラリーから廊下に出るのがロッカー室への一番の近道だ。
因みにロッカー室は各部ごとに割り当てられ、加えて男子の部活の女子マネージャーにも共用として一室与えられる。他の部活のマネと顔を合わせる場があると業務連絡がしやすい。ありがたい配慮だ。これも公立の中学校にはまず無い話らしいけど。

1人1つ用意されたロッカーに手をかける。流石にこの時間だと誰もいない。お陰で心置きなく脱いで汗を処理できる。
軽く結んだ髪の毛もそのままに、ロッカー室を出て此処にも鍵をかける。ロッカー室の鍵は各部1つずつ配られているので楽だ。これは体育館や部室の鍵と一緒に職員室へ片付ける。



ギャラリーに入って『終わったー』と声を出しながら窓の戸締まりを確認する。下からは「あと5本」とまたも指で示された。口で言えよ。一々お前を視界に入れなきゃなんないじゃん。
全ての窓を確認し終えたら階段を降り、ゴールの周りに散らばるボールを集める。1人で出し過ぎだっつーのエコロジーに行こうってば……。

残り1本となったところで近くにあるベンチの上の青いフェイスタオルとボトルを掴む。ボンッとボールが床に当たった音がしたと同時に、手にあるタオルを固く丸めて投げてやった。向こうも来ると分かってるからなんなくキャッチする。

「サンキュ」

『ん』

汗を拭いながらもう一度開かれる手に今度はボトルを投げる。それをゴクゴクと飲むのを横目に、残っていた3つのボールを籠に入れた。

「着替えてくるわ」

『いってら』

ひらひらと手を振りながら、舞台の奥にあるモップを取り出して誰かさんの汗で濡れた床を磨く。ついでにもう1周モップ掛けをして、片付けが済んだ頃にギャラリーのドアが開く音がした。今日もこのタイミングに狂いはない。



「なんか赤司が気になる奴がいるって言うんだわ」

『マジかよ、お寝坊さんな春の到来じゃん』

「ちげーよそういう意味じゃねぇ」

体育館の鍵を閉めている途中に頭を叩かれる。こちとら女だってのに相変わらず容赦ねぇなこの鬼。
でもあの赤司だよ? あの赤司様が恋とか……笑える。弄りまくりなのにそうじゃないのか。ちょっと残念。私の落胆を余所に隣は話を続けた。

「そいつ今は3軍らしいけど、何でもすげー面白いプレーヤーになるらしい」

『3軍!?それまたけったいな掘り出し物だねぇ』

3軍ということは恐らくスキルを補う体力すら1軍に到底及ばない連中だろう。2軍にはスキルは平均でも体力がバカみたいにある奴だっている。ある意味体力も1種のスペックとしてカウントされるわけだ。だが3軍となればそれもない。平均レベルが他校より頭2つ分出ているウチではそこら辺の平凡少年なら問答無用で3軍行きになるのだ。
何より、今年の後輩たちの一部は出来が良すぎるからまた平均が上がった。最初から1軍ってなんだよそれ。隣にいるコイツだって1軍に入ったのは冬休み前だぞ。ま、バスケは部活に入るまで遊びだけでやってたっていうコイツもそのあと主将に選ばれてしかも各校から注目されてるわけだから、逸材には変わり無いんだけど。
副将も既に赤司様だし、やっぱり今年は例外だ。

信者もいるらしい宗祖様がそんな3軍で見つけてきた原石。磨けば光る、そういうことなのだろう。赤司が居なければ彼はどんなに経っても陽の目を拝めなかった可能性だってある。3軍からの昇格というのはそういう意味だ。


職員室に入って鍵を返す。「いつも遅くまですごいなお前ら。気を付けて帰れよ」って声をかけてくれた立川先生もいつも遅くまで残業お疲れ様です。新任教師って噂通り大変なんだな。私たち2人はもはやこの時間にいるのが当たり前なので、今が7時半を過ぎていても特に怒られはしない。バスケ部という肩書きも大きく重いものだ。

『で、その子は1軍に入るの?』

「準備ができたら一度特別に昇格試験をするらしい。時期はそいつに任せてっから何時になるかわかんねぇってよ」

『ふーん』

辺りはもう大分暗い。虫の音も煩いくらい聞こえてくるようになって、秋は益々深みを増していく。
その日あったことを多愛もなく話す帰り道。この時間は大通りに出るまで周りに人はいない。


コイツとは、小学校の5〜6年で同じクラスだった。お互いまさか進学先の私立に同小出身がいるとは思わなくて、小学校以外にも認識する場があったことに加えて入学式初日から席が近いとなれば必然的に話すようになった。
私と同じく徒歩通学で、通り道だからって送ってもらう形になるのが常。朝練も一緒の時間に行くから家の外で落ち合う感じだ。

この生活が続いて1年半。老人のような早起きも、宿題する余力も尽きるほどの部活動にもだいぶ慣れてきた。よくぞここまで耐えたわ。

私の家から帝光までは15分くらいで、誰かと歩く分には苦にならない。平生がこんな感じだから、時おり独りで歩くと凄く長い道のりに思ってしまうけど。



「じゃ、お疲れ。寝坊すんなよ、凪紗」

『お前もな。また明日』

「おう。また明日」

家に入る手前。お約束の言葉を言い合って、彼の大きな手が私の頭に置かれる。
視界の上で動く虹色。私が去年の誕生日プレゼントにあげたものを、毎日飽きずに着けてきてくれる。需要があるってのは嬉しいもので、胸の奥がくすぐったくなる。
くしゃりと髪を巻き込んで無造作に一撫でして去っていく背中。TEIKOの文字が見えなくなる前に、私は玄関を開けた。




「本当に、付き合ってないの?」

付き合う? まさか。ただのチームメイトだよ。

「良かった。私ね、……ずっと好きなの」

すき……?

「うん。……虹村くんのこと…………。ナイショね?」

え、うぉ、まじか。あいつも罪な男だな。
部活一筋だから彼女なんか作るわけないのに。




昼休みの、隣のクラスの子の可愛らしい声が頭のなかでリピートしている。
悪気はなかった。なんであんな風に空気の読めない発言をしたのかも分からない。不快に思った彼女は「嘘つき」と暴言にもならない言葉を吐いて階段を降りていった。
確かに心ない言葉ではあった。反省してる。だけど、

『嘘は言ってないのに……。女子ってわかんないなぁ』

自室で呟けば、鏡の中の私は唇を尖らせている。まるでアイツみたいで、何だか癪だった。

例えばアイツが、バスケ部に入るなんて言わなかったとすれば。私は1ミリたりとも候補にしなかっただろう。
ぼっち回避なわけじゃないけど、流れで一緒に部活を見て回ったからこそ、今の私はこのエナメルバッグとジャージを持っている。あの日、白金先生に声をかけられなかったら。私は空手部に、アイツは帰宅部に入っていたのだろうか。

分岐点なんて至るところに転がっていて。もし私が今日の昼にあんな余計なことを言わなければ、数ヵ月後にはアイツの隣に居れなくなっていたかもな、なんて考える。所詮は想像でしかない故に浮かんだ感情は何処か他人事で何とも言えないけれど、良いものでないことは確かだった。
去年貰った誕生日プレゼントのクマのぬいぐるみに顔を埋める。

今日も疲れた。早く寝よう。