『……今、なんて?』
「帝光中の主将だったシュウだよ!」
皮肉だと思うのは、室ちんの呼び方と凪紗ちんの呼び方が一緒だったこと。少し興奮ぎみになっている室ちんの前で、凪紗ちんは前髪で顔を隠した。お陰で表情が分からない。
「俺と同い年だからナギサは同級生だったんじゃないかい? えっと、苗字は何て言ったけな……、」
うーんと顎に指を当てて考える室ちん。これ以上余計な話を進めたくないのか、さっちんが「氷室先輩!」と意識を集めた。
けれどそれも、あんま意味はない。だってほら、
「確か、に『………むら』……ん?」
どす黒くて地を這うような声が辺りを制圧すれば、
『そいつ、虹村って言うんじゃねぇだろォなァ?』
眼孔ガン開きの先輩は、指の関節をボキボキ鳴らして全然可愛くない笑みで室ちんを見上げてる。てかもう口調からして女子力ってやつは無いよねぇ。まあ、凪紗ちんに求めるものでもないか。
流石に何か訳有りだと悟ったらしい室ちんは頷くのを躊躇う。一気に空気が冷めた体育館。帰りたいんだけど赤ちんの眼が怖くて動けない。
「凪紗先輩、あの、ちょっと落ち着きましょう! ねっ?」
『氷室くぅん、ちょっと外のカフェでお茶しなぁい? お話があるんだけどぉ』
「い、いや、俺はこれから練習が……、」
女の子大好きの凪紗ちんがさっちんをガン無視してる。これはレアだと思う反面、やっぱりあの人のことになると凪紗ちんの性格は45度くらい傾くんだって実感。
伸ばされた手がガシリと室ちんの腕を捕獲した。それされたら逃げられないんだよ御愁傷様ー。
『いやだなぁ、ここに無理矢理連れてきたのは氷室くんだよね? だったら凪紗のお願いも聞いてもらわないと。それともなに? 凪紗のお願いが聞けないなんてそんな、女子にいつでも紳士な氷室くんがそんな野暮なことしないよねぇ? ウフフフフ、凪紗ケーキ食べたいなぁウフフフフ』
「Jesus……」
額に手の甲を当てて凪紗ちんから目を逸らす室ちんが思わず神の名を呼んだ。でもきっとこの人神よりも強いよ。一番怒らせちゃいけないって赤ちんが初めて見たとき言ってた。
悪魔の嗤いがこだまする中、動ける人は誰もいない。こうなった凪紗ちんを止められんのも、あの人だけだったから。だから、今は彼女の気が収まるのを待つしかない。
「オイ白幡! 俺たちの話はまだ終わってねーぞ!」って、例え今のメガネちんみたいに誰か他の人が仲介に入っても、『煩せぇ』「スイマセンシタァアア!!」なんて土下座して謝る下僕が増えるだけだし。
凪紗ちんは素早く突きだした挙げ句メガネからわずか1センチ開けた距離で寸止めさせていた2本の指を下ろす。きっとその指をメガネに突きつけるまでを目で追えたのは赤ちんと俺と、あと野性を持つ人たちくらいかな。これにはケンカ慣れしてるらしい室ちんも口を開ける。
『ねぇ氷室』
「な、なんだい?」
『聞かせてよ、そのシュウっていう私に似てるらしい心外なズガタカ男のことを』
室ちんが横目で俺に助けを求めるけど無理だから。何もできないし。俺面倒くさいの嫌いだし。
「逝ってきなよ、室ちん」
「アツシそれ字が間違ってないか!?」
「間違ってないよ逝ってらっしゃい」
『じゃあ逝こうか室ちん』
「Wait up!!!!」
こんなに慌てる室ちんなんて初めて見た。バ火神も一緒なのか「タツヤ……?」と驚愕の視線を向けてくる。
凪紗ちんが室ちんを引っ張ってなんとか体育館から連れ出そうとするから、慌てて黒ちんと黄瀬ちんとさっちんが室ちんをコッチから引っ張った。このあと何されるかは分かったもんじゃないしねー。
3人掛かりで阻止するもんだから他の人たちもそうした方が良いと判断したらしく、“大きなかぶ” の絵本みたいにずるずると凪紗ちんが逆に引き摺られてきた。あ、かぶの漬物食べたいなぁ。お菓子も食べたいけど、なんか今はそれがいいや。
『ちょ、うぉおおい!! か弱い女子1人に対してスポーツマン男子7人は可笑しいだろっ!!!』
「こっちに倒れてこないだけお前は怪物アル」
『んだと劉!!!!』
「つか、これだけ引っ張ってもあれしか進んでないのかよ……!」
「待ってくれみんな! 俺の腕が千切れそうだ!」
「ハッ、チキンが千切(ん)れないキタコレ!!!『「黙れ伊月」』
「室ちんがんばー」
俺はあくまで傍観者。その方が面白いし、楽だし。
なのに、入口に一番近いフリースローラインで踏ん張る凪紗ちんが振り返って叫ぶ。
『ムラサキヘルプっ!!!』
「えー、どーしよっかなぁー」
『ゴリゴリくん3本!!』
「ん〜もう一声〜」
『えぇい4本!』
「おっけ〜」
『まいどありィィー!!!!』
「「紫原ァアア!!!」」
それを出されたら動かないわけにいかないっしょ。それに凪紗ちんの頼みって断りにくいんだよね。……個人的に、さ。
2歩だけ歩いて、彼女のお腹辺りに腕を回す。引き辛いから少しだけ持上げて自分側に引き込んでみた。だけど持ったところが悪かったのか、『うぇ!?』と変な声をあげた凪紗ちんが室ちんの腕を離したことで事態は終着した。慣性の法則的な感じで、目の前の列が後ろへ背中から雪崩れ込む。それは人間ドミノみたいで、凪紗ちんが指を差して高らかに笑う。
『傑作!! そんでもって退散!!』
「「白幡!!!!」」「「先輩!」」
色んな人に呼ばれているけど、凪紗ちんは俺の腕をペシペシ叩く。その力は赤ちゃんみたいだけど、反応がないことに苛立ったのか最終的にはグーで殴ってきた。……いくらなんでもそれは酷すぎじゃない? と思ったけど、下ろしてあげたら『明日ゴリゴリくん渡しに来る!』と振り向いて笑うからどーでもよくなった。
「んー、待ってるー」
『おう! んじゃ、これで』
ちょいちょい返事に男気が見える凪紗ちんは小走りで出口に向かう。その際赤ちんの前を通りすぎたけど、赤ちん自身は何もせず「変わりませんね」と笑っただけだった。何考えてんのかわかんないけど、今日は見逃すってことかな? それとも元から今日入ってもらうつもりは無かったってこと?
まぁいいや。俺はどっちでもいいし、凪紗ちんが悲しむなら正直賛成はしない。
「「「赤司!?」」」
「さ、皆さんそろそろ練習を始めましょう」
体育館から出ようと靴を履く凪紗ちんに背を向けたあたり、本当にこれ以上は止めないらしい。凪紗ちんも『ん? まさかのあっさり対応』と思わず逃げる足を留めて赤ちんの背中を見つめた。
そんな視線に気づいたのか、赤ちんは「あぁ、そうだ」とわざとらしく声を出して、首だけ凪紗ちんの方へ回す。
「またお呼びしますね」
その台詞に、凪紗ちんはニヤリと口角をあげて『お待ちしておりますわ』なんて似合わない口調を吹いた。何だか楽しそうな表情で、心の中にあった氷山の一角がちゃんと溶けて消える。
あの日から数えると、凪紗ちんの笑顔を見たのは初めてだった。何となく、赤ちんの目的の一つにはコレもあったんじゃない? って考える。お陰で俺らの心はだいぶ収まりが良くなっている気がして、それはきっと赤ちんも一緒だ。
「赤ちんもちゃんと人間やってんだね」
「何を言ってるのか理解が出来ないな」
勝ち誇った感じの、あの既製品のものとは違って、困ったように眉を下げて笑う赤ちん。凪紗ちんの笑顔も必要だし、見れたら嬉しいというか安心するけど。少なくとも赤ちんのこの笑顔も同じくらい需要があると思うよ。って言ったら、この人は照れたりするんだろうか。
響くホイッスルの音にそんな空想を重ねた。
#紫原敦 side#