「っきゃああああ!!!」
『っぐふ!』
後ろからドンッと衝撃。そして背中に当たる柔らかいもの。正体は分かるが、この叫びはまさか……、
「凪紗先輩! 今! 今虹村先輩にキ『うわぁあああああ!!!!』んんーっ!!」
咄嗟に振り向いてさつきの唇を手で覆う。待って待って!! やっぱりこの子見てたんか!? てかさつきがいるってことは……。
恐る恐るさつきの背後を見る前に、苦笑した赤司が要らぬお節介を寄越す。
「……白幡さん、花宮さんには俺から帰るよう伝えましょうか?」
「お、おおお俺は何も見ていないのだよ!!」
「ぶっは凪紗!! おま、顔! 茹でダコみてェ!!」
「あの、…ドラマみたいでしたよ、はい。なんかすいません」
「何謝ってるんスか黒子っち! 俺は今超興奮してるッス! 良かったッスね凪紗先輩!」
「アレックスに今日は向こうで赤飯食べてって伝えとかないと」
「おいタツヤ…! やめとけって!」
────ジーザッッッス!!!
あああああオワタ……もう顔上げられない。何があったかなんて考えたくない。
当事者より盛り上がってる外野の中で魂抜け始めてる私に、ゆらりと大きな影がかかる。
「……ねー凪紗ちん、……」
『…………』
無視を決め込む私に反して、さつきは普通に見上げる。ムラサキはさつきを一瞥した後に軽くかがみ、頭の上辺りからボトリと爆弾を落とした。
「……今の、一回目より長かった?」
『ッ………!!!!』
ドスッと拳がムラサキの腹に吸い込まれる。
「痛っ! 何すんだし! 訊いただけじゃん!」
『っ煩いバカ!! バーカバーカ! やっぱりまこっちと帰る! 絶対にまこっちと帰る!!』
「帰るなと言われたからその二千円をもらったのでは?」
『煩い知るかそんなの!!』
赤司の言葉に二千円を隠すように仕舞って、私はズカズカとまこっちのいる場所まで歩きだす。ていうかお前らどこにいたの!? 会話が聞こえてるってどういうこと!?
付いてくるさつきたちに絶対に前に出てこられないよう防ぎながら、熱や疑問を発散させるように叫ぶ。
『誰があんなバカの言うこと聞くか! いっぺん禿げろ! 絶対待ってやんねーかんなバァァーーカッッ!!!』
他人に迷惑だろーとこれしか術がないんだよ!!
そんな声を聞いて、苦笑いをする氷室やみんなは私の前に無理矢理回ってカメラを取り出したり茶化したり。
いつもと一緒のようで少し違うこの騒がしい空気に胸が詰まった感覚がする。蟠りがとれたのに変な感じだ。
ふとした瞬間に思い出す熱と景色が夢にまで出てきて眠れなくなるのは今日の夜の話。
でも、もし夢に見なくなったとしても。私はアイツに関するすべてを一生忘れられないんだろう。
「まあまあ、ナギサ。ほら、オレンジジュースだよ。飲むかい?」
『……飲む』
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底にあった残りを飲み干した瞬間、冷たい風が吹き込んだ。空になったオレンジ色の缶を日向に持ってもらい、慌てて袷のチャックを閉める。
劉に肉まんじゃんけんをしようと持ちかければ「そんなに豚になりたいアルか」と真顔で返された。
『何なの!? 最近お前やけに私に冷たくない!?』
「別にそんなつもりないアル」
『嘘だよ!! 何かとケンカ吹っ掛けてくんじゃん! 暴言吐くじゃん!!』
「あー違うぞ白幡、お前がそろそろ虹村のもんになるから寂しいんだよ劉は」
『なっ、』
「勝手なこと言うなアル日向ダ眼鏡!!!」
「ダ眼鏡って何だよ!!」
隣で始まった日向と劉の口論を余所に、私は私で一人俯く。くっそマジで日向ダ眼鏡ふざけんな……!! 私は別にあいつのものになると決まった訳じゃ……、てかこの言い方がアウトだから!!
今日は地球温暖化を疑いたくなる寒さが東京を襲ってる。これだから十二月は嫌いなんだ。寒いだけじゃなく、今となってはお母さんたちからクリスマスプレゼントも貰えないから尚更好きじゃない。
一年で一番嫌いな月は六月だ。なぜって雨が降るし、祝日がない。ああでも、理由が今年一つ減ったから少しだけランクアップして実質ワースト二位の十二月と並んでいる。
六月と十二月どちらが良いか聞かれたら、今は十二月で良かったと答えたい。熱を持った頬に冷たい外気が当たって気持ちいい。
早く冷やしてくれと念じながら、気を紛らわせたくてポケットから携帯を出した。見れば、青いLEDのライトが点滅している。
可能性は二つだ。このご時世、メッセージアプリを使わずに連絡してくるのはマスターか、あいつだけ。前者の場合、バイトに関する連絡故にとても重要な話になる。結果私はこの通知の詳細を確認せずにはおけないわけで。
どうかマスターでありますようにと願いながら画面を点灯させる。
しかし、世界は残酷だった。見なかったことにするため画面を消灯させようとホームボタンを押す────その前に。黙りこんだ私を訝しんだのか、劉が顔を近づけて一言。
「チッ、虹村から着信入ってるアル『何見てんだこのヤロォォオ!!』
バッと携帯の画面を片手で覆って下に下げる。本当にお前は隠し事出来ないな!!! しかも舌打ちしたな! 本当に私がいなくて寂しいのかよそういうことにしてやろうか? ぁあ?
劉をギンギン睨み付けながら一人にやにやとしだす周りから離れようとする。も、いつの間に背後を取られたのか、ガシッとリコの指が肩から入って鎖骨に触れた。
「あら凪紗、かけ直していいのよ?」
『い、いいです。後で個人的にィイイ!?!?』
「ちゃんと時差も考えてかけてくれてるんですから、早く返してあげないと!」
『おいコラさつきィイイ!!!』
パッと下から掬うように綺麗な指に携帯が奪われ、勝手に操作される。ロック画面に戻るのが間に合わなかったようだ。色事に興味無い奴以外の全員がさつきを褒めるこの場に私の味方などいない。
「あっ、プルルルルって言ってますよ!」
さつきが耳に当てた携帯を指差して嬉しそうに笑う。くそ可愛いな!!しかしそれはズバリ!!
『いらない報告ゥウウ!! 切って!! 今すぐ切っ「あっ、繋がりましたよ! ハイ!」
律儀に両手で差し出されたそれに、『ハイじゃないよ!!』と突っ込みながら受けとるのを躊躇う。
いやマジでダメだって!! 一人の時でさえ碌に会話できないのに、こんなみんなの前でとかただの公開処刑ですからぁああ!!
頭の中で叫びながら文明の利器を見下ろしていると、そこから昨日ぶりの声がする。
《おい、凪紗?》
ギクリと、体が揺れる。直接目の前に立ってるわけではなく、ましてや実際あるのは携帯という機械なのに。私はおろおろとそいつから視線を逸らして左右を二度見ながらたどたどしく返事をする。
『は、い、凪紗です……』
う、わ……! やっぱりダメだ無理!!! アイツがアメリカ帰った日から何回かこうやって通話してるけど、何日経ったって私はあの夏の日を思い出すんだから!!
さつきに無理矢理耳に当てられた携帯はもはや凶器にしか思えないけど、周りに張り付くリコとさつきと実渕が拒否を許さない。
そしてさっきから視界に入る高男と原と青峰と小金井はウザいし、福井先輩とか宮地先輩とか笠松先輩とか、とにかく三年生組の視線が恥ずかしい。
沈黙は羞恥だ。それが嫌で『あ、えっと、凪紗ですあってますハイ』とかよく分からない言葉をしどろもどろに溢す私の心情を余所に、受話器からはどうしようもなく心を締め付ける声が流れ込む。
《くはっ、まだ緊張すんのかよ》
『っ、』
ブチッと思わず通話を終了させる。
いや待って本当に今更ながら普通に話せる気がしないんだけど何これ!耳が焼け死ぬ!! この前までどうしてたんだっけ!?
通話の切れた携帯をギチギチ握り締めながらとりあえず下唇を噛んで俯く。すかさずリコが不満をぶつけてきた。
「ちょっと何切ってるのよ!!」
『っるさい……!!』
「凪紗先輩顔真っ赤! かわいい!」
『そんなわけ無いから赤くないから!!』
「何々、虹村ちゃんに何て言われたの?」
『何も言われてない!!! 良いから全員前向けよ向いてください!!!!』
居たたまれなさ過ぎて一番大きい実渕の後ろに隠れる。
とはいえ、向こうが話そうとしていたことは何となく分かる。明後日に冬休みを利用して帰ってくるから、たぶんそこら辺の話だとは思うけど。
「あ、考える意味もないわね。クリスマスだもん、どこ行くか話したかったんじゃない?」
アレックスさんたちも帰ってくるということで、その話は今私を自分の肩越しに見下ろす実渕含め他の人たちも知っている。
そして彼の言う通り世間は二日後にクリスマスを控えてもいるが、その発言には首を振った。
『いや、それは無いかな。だって私クリスマスもイブもバイトだから』
「はぁ!? 何で!? イブは未だしも、クリスマスは金曜日じゃない!」
『だってまこっちが金曜日しか来れないって言うんだもん。私は今年こそあいつにケーキを食わせてやる』
去年食べたあのマスターの絶品七面鳥を食べる為に。そしてまこっちにケーキを食わせる為に予てより計画をしていたのだ。崩してたまるか。
「あなたそれ、虹村くんに言ってあるのよね?」
『……いや? まだ言ってない。予定訊かれたのは帰ってくる日だけで、クリスマスとかについては何も言われてないから』
何か悪いことをしているつもりはないのだがしかしどうだろう、みんなの視線が心なしか痛い。そして一様にため息をつかれた。こういう色事に興味無さげなムラサキや大坪先輩とかまで白い息を吐くから解せぬ。
すると突然、さつきが今度は自分の携帯を耳に当てて切羽詰まったように喋り始めた。
「ちょっと虹村先輩!? 緊急事態ですよ!!凪紗先輩クリスマスは花宮先輩とケーキ食べるって言ってますよ!!」
『おいぃぃイイイ!!!!』
さつきちゃん何言ってくれてんの!? それなんか誤解を生むってか、そもそもあいつにとってまこっちは禁句ワードなんだけど!! その名前だすとめっちゃ不機嫌になるんだよ!!
会話を続けるさつきの携帯を奪おうとするも、後ろからリコに掴まれる。
「えっ!? ……分かりました! 直ぐに連れていきます!! ────行きますよ凪紗先輩っ!!」
『は? 行くってどこに、「いいから走って下さい!!!」ちょ、さつき!?』
かと思えば、今度は前からさつきに腕を引かれて急かされる。道順は普通にいつも通る校門までのルートで、だけどそこに着いたときには軽く息切れ状態だった。
さつきは同じように口許に白い靄を作りはしているものの、同時に周りをキョロキョロと見回している。私も私で息を整えつつ、自分の頭でも漸く状況を考察する余裕が出来た。えーっと、さつきは確かアイツと電話し、………………。
考え始めて早三秒。頭を即座に上げて地面を映していた視界に冬の暗闇を与える。そこに光を探すように、私はさつきと同じことをした。
それから───たぶん彼女より先に───数ヵ月ぶりの人を見つける。
『……なんでっ、』
「……凪紗、」
電話越しとはまた違う音が、少し遠くから私を呼んだ。そしてこのあとに何となく甘い展開をどこかで期待していたなんて自分を、心底刺したくなる。
街灯と月に照らされたその表情に柔らかさなんてなく、相変わらず口を歪めたあげく尖らせてはつり目型の瞳をより一層鋭利にしていた。言わんとしていることを薄ーく感じ取った私が思わず後ずさればそれより何倍も大股で寄ってきて、さつきの後ろに隠れる前に捕らえられた。
「お久しぶりです虹村先輩。今度はちゃんと任務遂行出来たでしょうか!」
「おう。ご苦労だった、ありがとな。……じゃ、こいつ借りてくわ」
『え゙』
「はい! 凪紗先輩お疲れ様でした! また明日!」
こっちもこっちで変わらず女神のような美少女スマイルを見せてくれた彼女だが、今の私には宛ら小悪魔にしか見えない。似合うよ!? 矢印型の尻尾とか角とか似合っちゃってるけどさぁ!!
『ちょ、さつき!! 一人にしないで!!』
校内に逆戻りしていく背中に手を伸ばすも、横から幾分大きくて冷たい手がそれを握って下ろさせた。そのまま手を引かれて校門から遠ざかる。
道中、振り返らずに問われた。
「……オメー、誰のもんにもならねーんじゃなかったのかよ」
『なってないよ!!』
「……………………」
振り向いて上から睨み下ろしてくる視線に怖じけず立ち向かって口を開く。
『本当だって!じゃあクリスマス修もバイト先来ればいいんじゃないかな!! ……まこっちいるけど……』
「何なんだよオメーはよ。再会早々ケンカ売ってんのか? あ?」
『ソンナコトハ決シテ無イデス。』
「……あっそ」
つまんなそうに言って、修はやっと止まった。そこは駅に向かうまでの大通りから少し外れた通りに入ったところで、今日何度めかの白い息を私に見せつつ向かい合う。気恥ずかしくて、マフラーに口から下を埋めた。
私を見てるのはそっちの癖にやっぱりイライラしてるのか全く話しかけてこない。うー、気まずいけど此処は一つ私が大人になるべきか。
一つ息を吐いて、視線だけ彼のコートから上げる。
『…………修、』
「あ?」
『…………あの、おかえり、なさい……』
そう言えば、細身のそれは円を描いて。それから眉を下げて少し悔しそうに目線を逸らした。ただ、ずっと私のを握っていた手には僅かに力が加えられる。
「……おう。ただいま」
────たぶん、一番大切なことはお互いまだちゃんと口には出来てない。その筈なのに、かちあわない視線とか繋がった手とか、そこから伝わる温もりや脈打つ心臓から、全部理解できる気がするのは自意識過剰なのだろうか。
「……空港で言えなかった話だけどよ、」
『……! ひ、人前で何晒してくれてんじゃボケェえ、えッ……!』
グイと腕を引かれて、数ヵ月前と同じ抱擁を受ける。……温かい。この前は、こうされてどう感じたんだっけ。思い出すには少し時間が経ちすぎたのか、それとも熱で頭が働かないのか。
「……アメリカの挨拶なんかじゃねーし、誰にでもやるわけじゃねーかんな、アレ」
『っ、さ、さいですか……!』
頬が熱くなるのを自分自身にも隠したくて、修の胸に顔を押し付ける。さっき冷やしたばかりのはずなのに……、私の顔だけは恒常性の機能が無いらしい。
「……凪紗、」
それから。空いていた方の手が頬に伸びてきて、条件反射のように顔をあげる。その先に今まで見たことないくらい真剣な表情が目の前にあって、どうしたらいいのか、分かんなくて。修の口が、一生忘れない音の形を作る様子をスローモーションのように眺めていた。
(論より証拠)
──The story END? Not, it would still continue….──