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生徒会長は頭が良いってイメージを払拭すべき為にいるのが、この私だと思う。目の前に広げたノートは開始から5分経った今も全く黒みを増さない。もういっそ、最初に書いた問題の与式を消して真っ新なページに戻してやりたいくらいだ。まあ、そんなことをした所で何の解決にもならないのだけど。
うーんと唸って背凭れに寄りかかり、生徒会室を見渡す。普通の事務的な机と椅子が私の前に3つずつ向い合わせで並んでいる。かくいう私の椅子も、ソファーなんて大層なものではなく職員室でよく見る回転椅子だ。会長らしいグレードなんて所有物には適応されない。

学年末テスト1週間前の今日は吹奏楽部含め全ての部活が休みだ。私はどうにも家で勉強が出来ないタイプで、自転車を漕いで幼馴染みの秀才くんの元に駆け込んだり、電車に乗ってまで他校にいる元同級生の天才くんの家に突撃訪問して貶されながら教えてもらったりもするが、今日みたいにあの2人の予定と会わない場合はまだ人の気配がある校内の生徒会長で机に向かう。

これが得意な教科ならここで何も問題はなくなるのだけど、苦手な数学となると少し勝手が違う。今日は何としてもこのページを終わらせなければ後が辛いのは分かってるから、場所に加えてもう一味加えなければならない。
ところで、今日の私は冴えているらしい。ふと、昼休みだというのにシャーペンをグリグリ動かしていたリコの言葉を思い出す。 「今日は放課後にバスケ部で少しミーティングするのよ。その内容をまとめてるの、すぐ終わるから先に食べ始めていいわよ?」 ……そうだ、まだバスケ部が残っているかもしれない。だとすれば彼もいるだろう。

急いで携帯を操作して本人にメッセージを送る。一応リコと鉄平くんと日向くんにも転送しておいた。
先に既読をつけて返信をくれたのは、意外にも日向くんだ。《まだ部室にいるぞ》の言葉に私は一人ガッツポーズを隠せない。良かった……! 神だ! そのまま本命の相手に携帯を見るよう伝える。
本命───つまり、伊月くんの既読がつく前に、もうひとつメッセージを加える。《時間がありましたら、このあと生徒会室で私に数Bを教えてくれませんか……っ》、それを送ってからほんの数秒後に、《今すぐ行くから!!》と吹き出しが出てきた。

慌てないでいいよと足した私は立ち上がって、伊月くんの座る席を作る。こういうのって隣り合ったほうがやり易いよね……。そしたらお誕生席の私の机より、向かいにある庶務の長机にしよう。
いそいそと荷物を移動させて、それからすぐ隣にある自販機でコーヒーとレモンティーを買っておく。前にコーヒーゼリーが好きだと聞いたから、たぶん飲み物もこれでいいはず!


庶務の椅子に座りながら待とうとした所でノックの音が2回した。本当に直ぐに来てくれたんだと思うと申し訳なさと同時にやっぱり少し嬉しい。
表情は後者仕様にして、私からドアノブを回して引いた。突然開いた扉に驚いた様子の伊月くんと目が合う。

「び、っくりした……」

『あ、ごめん、来てくれたの嬉しくて!』

私の喜びに、伊月くんは驚いた顔をしてから困ったように笑った。少しストレート過ぎたかもしれない。

『急なのにありがとう、いらっしゃい伊月くん!』

「あ、う、うん。お、お邪魔します……!」

『はい、どーぞ!』

自分の家のように振る舞えば伊月くんは今度こそ面白そうに笑う。
席に移動する道すがら、手にあったコーヒーを渡した。これにも目を丸めた彼は、そのまま両手で缶を受けとる。

「ありがとう。俺、コーヒー好きなんだ」

『やっぱり? 良かった! 伊月くんコーヒーゼリー好きだってリコと日向くんが前に言ってたから!』

「……そっか」

少し照れたような表情で缶を持つ伊月くんは印象的だ。コーヒーが似合う。日向くんよりも様になるし───彼はコーラとか炭酸のイメージかな───、鉄平くんは言うまでもなく緑茶である。
コーヒーが似合うと言えば真くんも似合うなぁ。翔一先輩もブラックのイメージで、真太郎は勿論おしるこだ。

『あ、お礼はそれで終わりじゃないからね!? ちゃんと何か後で用意するから、欲しいもの考えてね!』

「ほ、欲しいもの?」

『うん、伊月くんが欲しいもの。私が用意できるのであれば何でもいいよ!』

「……か、考えとくよ………」

どうやら、またまた困らせてしまったらしい。苦笑した彼が椅子に座るのを横目で捉えつつ、私も左隣につく。
いけないいけない、始まる前から困らせてどうするんだ。せめて生徒会長らしい威厳はこれ以上減らさないようにしなければ。

私の席の前に開かれた問題集を見ながら、取り出したシャーペンをくるりと器用に回す伊月くん。書かれている単元を元に確認される。

「分からないのは漸化式かな?」

『はい! 意味不明です先生!!』

「なるほど。先生じゃないけど、まず流れを覚えるとこから始めようか」

『はい先生!』

問題集よりも遠くに置いていた教科書を掴んで、伊月先生の課外授業が開かれる。右手で示した指の先と透き通った美声に意識を最大限傾けて、私はこの日初めて漸化式がなんたるかを8割方理解できたような気がした。



長針が1周も回らないうちに大方の敵を倒せるようになった私は、とてつもない達成感と手応えを覚えていた。
伊月先生すごい。偉大だ……真太郎たちと同じくらいわかりやすい。そして、こと優しさに関しては逸脱している。良い意味で罪悪感を覚えない。素晴らしい。真太郎や真くんが途中で吐く呆れやため息はなかなか堪えるものがあるのだ。
健闘は、伊月くんにも十分認められるものだったようだ。すっかり黒が優勢となったノートを見て頷く彼は「お疲れ様」と労いまで掛けてくれる。なんてホスピタリティー。

「応用も大丈夫そうだし、苦手は克服できたんじゃないかな?」

『うん! バッチリ! ありがとう伊月くん』

「お役に立てたなら良かった。どういたしまして」

『分かりやすいし優しいし最高でした! これからは伊月くんに聞こうかなぁ』

手の平が外側になるように手を組んでグーッと前に伸ばしながら呟く。伊月くんなら学校も一緒だから場所にも困らないし、帰るときは律儀に送ってくれる彼らに申し訳なく思うこともない。
そんな理由はあくまで後付けで、専ら思いつきの呟きだったんだけれど。伊月くんは「えっ」と肩を揺らした。

「あ、ごめん! 嫌とかじゃなくて! ……あの、カントクや緑間じゃなくて良いのかな、って……。今日カントクもいたのに、」

『あぁ、リコは今日お母さんの誕生日だから早く帰らなくちゃならないんだって。というかそもそもリコに教えてもらったことはないなぁ』

「へぇ。意外」

『すごい苦手なのは数学ぐらいで、理科も英語も、まぁリコほどではないけど理解できるからね! ただいつも教えてもらってる真太郎たちも今日は予定があるららしくて……』

「椥辻も数Bの須藤先生は苦手なの?」

他の教科は担当の先生に直接訊くのだけど……。苦い心で打ち明けたその先を彼は見事汲み取ってくれた。
須藤先生はとても聞きやすい声量ではあるのだが、どうしても黒板と説明が雑で私には合わない。東大出身だというから賢い人には難しくないのかもしれないけれど、平々凡々の自分の脳が一から十まで理解するには厳しい説明だ。
伊月くんの、同意を求める助詞を聞き逃さなかった私は、思わず勢い良く頷く。

『そう! だから何とか数学得意な人に〜って考えてたら、伊月くんがね! パッて浮かんだの!』

「そ、そうだったんだ」

褒めだと受け取ってもらえたのか照れ臭そうにする伊月くん。……そういえば、去年一緒のクラスだった子が彼のことを “イケメン最高彼氏にしたい” と漏らしてたのを合同体育の時間に聞いたっけ。リコはニヤニヤして私に、今の伊月くんみたいに同意を求めてきたけれど───。
ちらりと彼の様相を窺う。確かに綺麗な顔立ちで、成績も普通に良くてバスケのスタメンでとても気遣いのできるハイスペックなお方だ。ダジャレが玉に瑕だとリコや日向くんは言うけれど、私と鉄平くんは中々すごいと思ってる。あんなにすらすらキタコレできるのは賢い証拠だ。謎解きとか得意そう。……あ、今度一緒に脱出ゲームしに行けたりしないかなぁ。真くんはいつも仕方なく付いてきてくれてる感じだし……。

誘ってみようか、と思ったところで私の立場を思い出した。違う違う、あくまでも願いを聞く側で、好きなことを言えるのは伊月先生の方である。

『そういえば伊月くん、お礼の内容考えた?』

「へっ? あ、あー、ごめん、まだちょっと……」

『そっかー。コーヒーゼリーとかも作れるから食べ物系でもいいし、どっか遊びに行ったりとかでもいいよ』

「遊びに!?」

『あ、勿論奢るから!』

「い、いや、そうじゃなくて……」

うーんと悩んでしまった伊月くんは空になったらコーヒーの缶をクシャリと潰していく。アルミ缶だから計り知れないけれど、バスケ部は握力も強いのかなぁ。鉄平くんはなんかもう筋肉と体型からしてリンゴ潰せそうだし実際潰してたし……。

「───あの、さ」

『うん』

「俺たち、来年受験生じゃん?」

『……それを言っちゃいますか』

見ザル言わザル聞かザルを無意識に働かせていた現実。伊月くんは「あはは、ごめん」とおかしそうに笑う。───今日は色んな笑顔が見れるなぁ。

「それで、嫌じゃなければ、なんだけどさ」

『うん』

「志望校とか、……合格したとことか、……時々教えてもらってもいいかな」

それは、見返りや願望というには余りにも凡庸で。それなのに、気まずそうな様子で伏し目がちな伊月くんは聖人君子的な類いなのかと思ってしまう。例えが雑だけど、とにかく私の目が丸くなるには十分だった。

『いいけど……、もしかしてそれがお願い? そんなんでいいの? 安くない? 伊月くん欲無さすぎだよ』

「安くないよ! 俺にとってはめちゃくちゃ、か、価値あるもの、だから……っ」

『えー。私がお礼した気分にならないなぁ。それは普通に教えるし、何だったらたくさん相談したいから他のにしよう?』

「う、えぇ、これ以上望んだらバチが当たりそう……」

『伊月くんはこれまでどんだけ不徳を積んできたの?』

「そ、そういうんじゃないんだけどね……。……うーん、えっと、そしたら、………………一緒に、放課後とか、勉強……しません、カ……」

何故だか両手で顔を覆い、天井を仰ぎながら蚊の鳴くような声で代替案を出される。
一緒に勉強───それもなんだか、お礼にはならない気がするなぁ。だって私にも利が出てきてしまう。放課後に勉強できるなんて、願ったり叶ったりなのだから。
まぁ伊月くんが良いなら仕方ないんだけれど……。一回くらいファミレスか喫茶店に連れ出して、美味しいコーヒーのデザートを奢ろうそうしよう。

『分かった、じゃあ引退したら放課後勉強会ね!』

「……! あ、ありがとう……! 俺頑張るよ!」

『うん、一緒に第一志望合格しようね!』

そんなこんなで晴れてテスト勉強会を終えた私たちは、生徒会室を出て一緒に駅まで向かう。いつもはリコたちもいるから、今日みたいに伊月くんと2人きりっていうのは初めてだ。
少しずつ日が長くなってきた気もしなくもないけれど、まだ2月の今は寒さが残ってて空もすっかり暗い。来年のこの時期は何を考えているんだろう。この道をこうして歩いていることはないかもしれないな。

「椥辻、上ばっかり向いて歩いてると危ないよ」

『え、うわっ!』

「あ! っと、ほら……」

マンホールの溝に爪先を引っ掛けて転けそうになる身体は、伊月くんの腕によって事なきを得る。流石、反射神経が素晴らしい。

「───ふっ、」

『ふ?』

「あはは、ごめん。椥辻はなんというか、……時々小学生みたいだよな」

ドキ、と心臓が一際大きく唸る。割りととんでもないことを言われたからか、それとも───伊月くんが初めての笑いを見せたからか。
今日は何度も色んなパターンの笑顔を見せてくれたけれど、声を出して笑うのはまだお目にかかれていなかった。

……うん。カッコいいと言われるの、今ならスゴくよく分かる。
我ながらよっぽど驚いたらしい。普段の普段の伊月くんも、真太郎も、秀徳の高尾くんや宮地先輩も綺麗な顔をしているけれど。心臓がここまで慌てて血を送り出すことなんて今まで無かった。
然り気無く車道側を歩いてくれたりだとか、身長差があるのに隣にずっといてくれたりだとか。伊月くんの彼女はきっとお姫様みたいな心地になれるんじゃないかと1人で勝手に想像した、まだ少し春が遠い日の帰り道だった。