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アリウムの唄


ドキドキしていた心臓はすっかり平生を取り戻していました。岡村さんが持つ斧を使う必要が無かったことに、どうやら自覚する以上の安堵を覚えているようです。
 
最初に感じたとおり、この部屋は不思議な空間です。入り口を背にして右手側は暖かく、左手側は少し涼しい作りになっていました。もっと細かく言えば、入り口から反時計回りに春夏秋冬の順で空調が調節されているのだと思われます。仕切りはおろか、見渡す限りにはエアコンすら見当たらないのに、です。
部屋の一番奥にいる僕たちには、右側の壁となるガラス越しに、みなさんがいる拠点地が見えています。―――にも関わらず、自然が溢れる風景や季節感を狂わせるこの場所は、あそこから遥か遠くにあるような錯覚を覚えさせるのです。……早くこの世界を出なければ。脳の端から湧く焦燥感に煽られます。
 
踵を返し、複雑に曲がった小径を辿って出口まで一度歩きます。仕掛けを解く部屋に行く前に、一度しっかり全員でココを見て回ることにしたんです。季節通りに反時計回りを選び、右側に再度歩を進めていきます。日向さんの提案で探索に制限のある椥辻会長のことを考えれば、一度にできることをなるたけ多くしておきたいのは自明でした。
 
先程僕は実渕さんと左側を回ったので、今度は特に視界の右側をよく観察しましょう。まず初めに目についたのは、天井に届くほどに聳え立つような桜樹でした。風がないためか、枝の先は見たこともないほど満開です。だけど、どうしてあまり存在感はありません。
それよりも強調されるのは、すぐ下にある春の花が並んだ低い花壇でした。スイートピー、パンジー、その隣には名前の分からない柔らかな輪郭の青い花。桜の花弁に似た、それよりもピンクの濃い茎花。どれもこれも真上の大樹に勝るスケールではないのに、目を引いて止みません。
そして、その隣には一際異彩な空気を放つ花壇があります。ここにだけ土に “Mary” と綴られた大きなプレートが刺さってました。その後ろにも小さなプレートが並びますが、ほとんどが土だけです。唯一、赤色のチューリップだけが4輪、花弁を閉じて淑やかに咲いています。
 
「…… “メアリーさん” とは、この屋敷の方でしょうか」
 
僕の問いかけにいち早く首を傾げたのは椥辻会長です。少し先を歩いていた彼女はこちらを振り返り、僕の側へ数歩だけ戻って隣に並んでくれます。
 
『うーん、どうだろう。でも確かに、この屋敷にはちゃんとした住人の設定がある可能性もあったもんね』 
 
「そうだったかしら?」
 
『2階の【マネジメントルーム】の鍵のラックに、Master RoomやKids Roomの札もあったから』
 
「あー、そんなことも言ってたわね……」   
 
眉間を押さえてため息をつく実渕さんには精神的披露が垣間見えます。かくいう僕も、昨日の話であるそれはもう随分と色褪せています。
一方、椥辻会長は反して疲れなど微塵も感じさせない顔で『住人、メアリーか……』と、改めて何か耽り始めてしまいました。

メアリー。外国人のお名前としては馴染みのある名称です。そう、だから、マザーグースの本にも出てきていました……!
気づいて、ジャージのポケットに指を入れかけたときでした。
 
『すみません、どなたかここの写真を撮ってもらいたいのと、マザーグースの訳の写真を見せてほしいんですけど……』
 
会長が言い終わる頃には、僕のスマホはポケットからこの手に移動していました。「マザーグースの方は今お出しします」言いながらアルバム機能を開き、画面を左にスワイプします。椥辻会長はお礼を口にして同じ画面を覗き込みました。
何十枚か画面を繰ったところで、指を止めます。桃井さんの、可愛らしいけど丸くはない読みやすい文字が、探していた4文字を象っていました。
写真を撮ってくださっている岡村さんの隣で、実渕さんもスマホの画面で指を踊らせました。  
 
「なーに? マザーグースの本にヒントがあったの?」
 
『ヒントになってくれそうなもの、だけどね。これ、メアリーとお庭が出てくるの』
 
 “contrary mary” 。訳曰く、へそ曲がりのメアリー。話としては脈絡もなく意味を解しませんが、発音教育のための詩なので深く考えても仕方はないのでしょう。今回僕らが注目すべきなのは、この話全体の解釈ではなく、
 
「鈴、貝殻、女の子???」
 
『そう。この花壇のプレートとへそ曲がりって意味を合わせれば、たぶんここの3つはお花の名前だと思う』
 
椥辻会長の言うとおり、それぞれの単語の意味が重要であること、です。
 
「なるほどのう。鈴で花なら、鈴蘭くらいしか思いつかんのじゃが……」
 
「女の子の意味を持つ花がチューリップなのも良くわからないけれど……これこそ秀徳の木村さんが畑なんじゃない?」
 
『うーん、あくまで八百屋なので……。どこかにヒントがあるか、書庫に行ってヒントブックを探すか……』
 
「ひとまず報告だけに留めておくべきかもな」
 
『そうですね。真くんや翔一先輩なら何か知ってる可能性もありますし! 赤司くんや黛さんも物知りそうなので、本当に心強いメンツです』
 
透き通った声色でした。それこそ鈴を彷彿させる、明瞭で凛と張った音が紡ぐ名に、僕の心は相応しくない反応をしてしまうのです。
後に加えられた洛山の顔ぶれの印象は、僕と相違ありません。そしてそれ以上に、最初に名前の挙がったお二人は、椥辻会長にとって大きな希望の光なんだと思います。
ただ。たった一人だけには、僕の理解が及びません。僕の中でまだまだ大きく凝りが残るその人は、むしろ彼女の一番と言っても過言でないほど頼れる存在でしょう。知識や頭の回転速度に於いては確かに抜きん出ていて、言いたいことは分かる気もします。いえ、十二分に、分かるのです。だけど飲み込むにしてはどうしてやはり苦しくて、仕方がなくて。その辛さだけどんどんと肥大してしまう感覚が、彼女に対する印象を陰らせます。それを悟られないようにしたい感情だって、決して椥辻会長の為なんかではありません。そもそも今はそんなことを感じる余裕すらないと解っているのに。こんな醜悪さが、今度は自己嫌悪に飛び火します。
 
『……こくん、黒子くん!』
 
「あっ、はい!」
 
じっと花壇を見下ろしているように見えたであろう僕は、いつの間にやらその場に取り残されていました。弾かれたように上げた視界に映るのはあの桜の木でした。慌てて左を向けば、少し先にいる実渕さんと岡村さんが振り向いてくださっています。……やってしまいました。眉を顰めそうになりましたが、すぐ傍にいてくださった椥辻会長が僕の顔を覗き込んだことで逆に眉間は広がります。
 
『大丈夫? 具合でも悪く、……何か思いついたの?』
 
優しさと心配。だけれど、最後に見えた隠しきれない期待感。緑間くんが “姉というよりは妹……いや、弟にも思えるのだよ” と長い睫毛を下ろしてぼやいた気持ちが、今なら少しわかります。
僕の心が、人知れず生温い息をひとつ吐きました。自覚してまた嫌気が差して、だけどまずは目の前の相手と向き合うことに注力をおきます。
 
「すみません。考え事をしてただけで、」
 
そう言えば、椥辻会長はハッとした様子を見せてから『ごめん!』と謝ります。何についての謝罪なのかを紡ぐその前に、僕はギリギリ言葉を滑り込ませることに成功しました。
 
「いえ、そういう思考がきっと大事なんだと思います。……僕は、いつもの椥辻会長を頼りにしているんですよ」
 
『!』
 
椥辻会長の双眸が丸く広がって、それからはにかんで言うのです。『ありがとう』と。会長が掛けてくれる感謝に安堵が一つ。そして湧き上がる、形容のできない、胸を詰まらせる何か。
 
桃井さんは、欲しいときに欲しい言葉をくれるのが僕だと言ったことがありました。彼女自身がそう感じて嬉しくなるのであれば、それはそれで良い話。
ですが本当は。そんなものは恐らく贔屓目なのです。僭越ながらも、桃井さんから好意を持たれている自負はあります。それが確かな恋情かはひとまず置いておきましょう。とにかく良いフィルターがかかっている可能性はあって、だからそう言うふうに聞こえる。言った言葉が、彼女の都合の良いように変換されて届く。全部が全部とは言いませんが、そんなこともきっと、あると思うんです。
だってそうじゃなければ、矛盾があります。……僕にそういった力があるならば、青峰くんから一瞬たりとも笑顔を失わせたり、しなかった。僕を慕ってくださる桃井さんを不安にさせて、灰崎くんが部を抜けることもなかったかもしれない。緑間くんに、椥辻会長をバスケと関わらせたくないなんて、言わせなかったかもしれない。
“たられば” なんてくだらなくて、後悔は先に立てば苦労はしません。だけど僕は、もっと、あのとき何かを変えられたんじゃないかと……。
―――いえ、こんなことを考えて願うのは利己的で、彼らにすれば余計なお世話かもしれないですね。結局僕も、自分のことが一番なのです。そしてそれが、自分一人では無いことも、解ってしまっているのです。

『黒子くんも気づいたことは何でも言ってね! 脱出成功には情報共有がとっても大事!!』
 
「はい」
 
『よし、あの箱を開けに行こう!』
 
快活。明快。明朗。溌剌。晴れ。ああ、太陽みたいです。火神くんや青峰くんとはまた違った、煌々燦々な光。
僕とはまるで正反対の背中が、意気揚々と前へ進みます。小さくなってしまわぬように追いかけながら、利己的な僕らしく、どうかせめて壊れてしまわぬようにと静かに願を掛けました。もう誰も、哀しむ顔は見たくありません。
やっぱり大した力なんて持つはずがない僕ができることは、これくらいしかないのです。  
 

 
 
部屋の最奥に向かう途中、椥辻会長が足を止めました。釣られて斜め下を見れば、可愛らしい苺が並んででいます。茎や実は大盛況に覆われ、植えてある土はほとんど見えません。旬は冬かと思っていましたが、意外にも春の果実のようです。その隣からは香水のような華やかな香りが漂います。鮮やかで発色のいい青色が、横に並ぶ赤に映えてとてもキレイです。
 
「これはラベンダーであっていますか?」
 
『うん、たぶん。あんまり詳しくないんだけどね。ラベンダーに苺、か。うん。黒子くん、覚えておこう』
  
「はい」
 
今の2つのワードは、既にスマホのデータに入っている記憶もあります。メモ画面にそれらを打ち込み写真にも残して、重石をつけておきましょう。シャッター音に満足して視線を横に切ると、懐かしいものが見えました。  
 
「あそこになってるのはアンズですね」
 
『へぇ、そうなの?』
 
「はい。祖母の家に同じ木があるので、恐らく合っていると思います。実もなっていますから、このあたりまで来ると夏になるかと」
 
桜には及ばずとも大きな木。その隣には紫陽花。南国を思わせるハイビスカス、ブーゲンビリア。そして次はヒマワリがキレイに同じ正面を向いて疎らに並んでいます。
空気も少し蒸し暑く、じとりと汗が滲みそうです。 
       
カシャカシャとスマホを鳴らしながら、実渕さんたちのいる最奥のテーブルまで戻ってきました。
天秤の右腕からは、ブーンと嫌な音が耳にまとわりつきます。
 
「これはまだ開けないのよね?」
 
『うん、ギリギリまでは待ちたいかな。花がたくさんあるから散るとは思うんだけど……、一応ね』
 
「順番も考えなきゃなんないとは、頭を使うのぉ」
 
『あはは。ゲームだと探索が出来なくなるような仕掛けは最後に動線があるので……。途中に開けるなら尚更そんな仕掛けはないし、とりあえずこれを開ける必要が出てきたらにしておきましょう』
 
椥辻会長の提案に否を唱えるわけもなく、テーブルを右手にして今度は秋の季節の方へ回ります。紅葉の木と、銀杏の独特な臭い。あまり得意じゃないので下を向けば、小径には松ぼっくりやドングリが転がっています。
少し歩けば銀杏は金木犀の香りに変わり、肌寒さを感じるようになってきました。いえ、肌寒いを少し超えているような気もします。長ジャージなのが救いでした。学校もまだ冬服の時期なので、椥辻会長も長袖のシャツとカーディガンを羽織ってはいますが、腕を擦っている様子を見ると同じ体感なのかもしれません。
 
「ここまでくると寒いですね」
 
『結構冬の気温だね……』 
 
「そうねぇ」
 
「そうなのか? ワシはまだ平気じゃけど」
 
『秋田は雪国だからでしょうか?』
 
「んだべなぁ」 
 
「とにかく、写真を撮るだけにして、早めに出ましょうか」
 
『はい。―――あ、そういえば、福井さんは秋田の方じゃないんですか?』
 
「いんや。がっつり秋田県民じゃよ? ナマハゲ嫌いじゃし」
 
椥辻会長が不思議に思ったのは、岡村さんが割と福井さんは口調に違いがあるからでしょう。紫原くん曰く3年生はどちらも秋田県出身なので、県内の地域差や個人特有の癖だとは思いますが。
岡村さんの答えに、椥辻会長は満面の笑みで返します。 
  
『あはは。守りの陽泉主将の苦手なものがナマハゲって、なんだか意外です!』
 
「「「え?」」」
 
『えっ?』
 
また一段と空気が冷えた心地に、なんとなく状況を察しました。椥辻会長はキョトンとして、狐に抓まれたような顔です。 
 
「あの、椥辻会長、」
「あのー陽泉の主将は、」
 
「ぶっ、あーっはっはっ!!! 岡村さん!! あなた福井さんに負けてるわよ!!」
 
「『!?!?!?』」              
  
実渕さんの高笑いが、文字通り高らかに庭中で響き渡りました。椥辻会長と岡村さんは二人して大きく口を開けていますが、声は出ていません。
椥辻会長は間違いを瞬時に把握したらしく、塞がらない口をあわあわと動かしてから大きく腰を折りました。 
  
『すっ、スミマセン!!!!! 会議にも福井さんが出ていらしたので!!!! 私てっきり!!!』
 
「い、いや、ワシが頭使うん苦手なのは本当じゃし、問題ねぇべ……」
 
完全にそっぽを向いて背中を丸めてしまった岡村さんを、椥辻会長は慌てて覗き込んで弁解を図ります。彼女の手はもう自分を擦っていません。寒空の下の澄んだような空気が、いつの間にかモミの木を挟んだ隣の春のような気候のように錯覚したのは、僕も同じでした。
雰囲気はいくらでも変えられる。ここに来て何度も学んだそれは、いつも椥辻会長が教えてくれます。
 
「いいんじゃ。ワシもなまはげ苦手じゃから嘘ではないし、もっと別のところで主将っぽいとこ見せられればいい話だもん……」
 
『あっ、あのその、ここに来るまでに周りを何度も確認してくださったところ、主将っぽかったです!!』
 
「ほんとう!?」
 
「そんな事言ったら大抵の人が主将よ」
 
『しゃ、シャーラップ実渕くん!!』
 
「うぉおおおワシはどうすればいいんじゃぁあ!!」
 
「どうもしなくていいんじゃないの」
 
てんやわんや。危機的、況してや自身に黒い影が纏わりついているかもしれない状況などどこか遠くに放り投げてしまったように、目の前では学生たちの談笑が弾みます。
 
『お、岡村主将キャプテンって呼ばせていただきます!!』
 
「ぐっ、椥辻さん、あんた良い人じゃのお……!」
 
そんな場を作る彼女なのに、岡村さんの涙ながらの想いには少し戸惑って、急に視線を下げて、困ったように『とんでもない』と急に距離を取るのです。置いていた足の位置こそ僕に近づきましたが、心は傍には寄って来ていないような、そんな気がします。
自己肯定と他者評価のギャップはきっと誰にでもあるのでしょう。それを埋めるのは得てして容易ではなく、少なくとも僕にはその素材すら見つけることができていません。椥辻会長も同じなのでしょうか。
とはいえ、日常の学校生活では―――自尊心の高いタイプでは無いにしろ―――こんな反応は見た記憶は無くて。この異端な世界での時間は、少しずつ、僕らの “信じる心” を蝕んで行くような気がします。
 
僕がまた勝手な物思いに耽る間、実渕さんが椥辻会長の腕を取って優しく引き寄せます。元の位置に戻らされた会長が驚いた顔で見上げるも、彼はどこか不敵な笑みだけを浮かべるに留めました。そんな表情に歩み寄ろうとしたぎこちない会長の笑みは、非常に、なんというか、言葉を敢えて選ばないとすれば、下手くそで。実渕さんは眉を寄せ、呆れを交じえるままに椥辻会長の肩を優しく2度叩きました。
 
 
「さて、また何かあったら来ればいいことだし、とりあえず此処を出ましょう。征ちゃんたちも待ってるわ」
 
「そうじゃの。次は紫原たちが開けに行った部屋……。今度こそ仕掛けを解くわけじゃし、気を引き締めねば」
 
「そうね。こんなとこにずっと居られないわ。……そんなわけだから、最後までしっかりよろしく頼むわよ、円香」 
 
『! ―――はいっ』
 
そうして次に彼女が見せたのは、数分前に僕が見た、あの喜びに満ち溢れる屈託のない笑顔です。
憂いた色は、瞬時に光を帯びて、あっという間にまた僕たちの進路を照らします。ケータイを持つ人でそれぞれ写真を撮った後、椥辻会長の先導で自然豊かな空間から退出して右に進路を切りました。十字路を今度は左折して、桃井さんと紫原くんも入ったアルファベット4文字の部屋の前でもう一度足を止めます。
ドアの脇には、僕の胸下くらいの高さにカードリーダーが付けられていました。先程僕のカードを通した機器とは少しタイプが違うようですが、詳しくないのでよくわかりません。視線を上にずらし、E.W.S.N.―――英語の授業で使う単語帳にも書いてなさそうな並びが彫られたプレートをジッと見上げます。並び替えると “NEWS” になりますが、だとするとピリオドの必要性が分かりません。言われなければ、東西南北を示すなんて発想には至らなかったでしょう。
 
「のう、なんで東西南北なんじゃ?」
 
『それが、今回の仕掛けを解くキーワードなんです』  
 
にやりと口元で弧を描く椥辻会長が、鍵の掛かっていない扉を押して開きます。未だベールに包まれたままの返答に首を傾げる2人の先輩方の後ろを追いながら、僕も桃井さんとの会話を思い浮かべてみます。
ガチョウを探したあとにこの部屋に来ることは予め説明を頂いていたので、事前に写真に撮ってあるマザーグースの訳には目を通して来ました。該当するであろうお話は見つけて、そこに出てきた他のアイテムが同じこの部屋でいくつか見つかったことも桃井さんには確認済みです。
しかし、彼女曰く、肝心の “東西南北” を示すものは見つけられなかった、と……。確かに、ざっと部屋を見回しても、4つの一貫性がない絵画や逆に全く同じ代物だと思われる脚長の円卓から方角を読み取れるようなものはありません。
 
一体どうやって東西南北を見分けるというのか。椥辻会長や今吉さん、探索に来た赤司くんと花宮さんもわかったと言うならば、確実に此処に証拠があるはずなのに。どうにも固いらしい僕の頭にモヤがかかった感覚を覚えたとき、ふと、円卓に彫られた不思議な模様に気づきました。 
 
「あの、椥辻会長。この溝の形って、もしかして、鳥の足、でしょうか」
 
『あ、うん! そこにこの子達を置くんだと思うの』
 
なるほど。この部屋にもともと置いてあったもの。僕たちが使っていた寝室の1つに隠されていたもの。それから、僕のカードでゲットしたもの。計3つ、すべてを使うことはヒントになる唄からも分かります。置くべき場所の候補が大方明確になった今、僕がわからないのはいよいよ東西南北の区別の方法のみ。円卓が4つあるので、おそらくそれぞれがどれか1つの方角を表しているのだとは思うのですが……。 

「鳥、ねぇ。リンゴのメモを拾った部屋で見た生きてる鳥とはまた違う種類のようだけど……」
 
「集めていたのはガチョウじゃったべ?」
 
『はい。東西南北と一緒に出てくる鳥はガチョウなので……。見た目的にも合ってそうだって、翔一先輩もおっしゃってましたし』
 
全体的に白いフォルムと、可愛らしい黒い瞳に黄色いくちばしと足。アヒルのイメージと似ていましたが、首の長いところが見分けのポイントなのでしょうか。詳しくはわかりませんが、そこまで微妙なミスリードは基本的にないはずだと椥辻会長は言います。
となると。やはり僕の分からないことも、前提知識云々よりこれまで得た情報とこの部屋にある情報から推測できそうです。方位はもちろん、円卓も4つ。ふむ……ならば、他に4つあるものがヒントになるのではないでしょうか。ぐるりと辺りを見回して、気になったのは金の額縁に填められた絵画でした。描かれている内容に一貫性はないものの、絵のタッチは同じです。油彩画、と呼ばれる類だと思われます。
この部屋以外にヒントとして使えるものは、往々にしてマザーグースの唄です。スマホの写真から、東西南北が出てくるものをもう一度探ります。
 
「どこにどこを置くのか、円香は分かってるの?」 
 
『うんっ!』 
 
椥辻会長が文字通り、花が咲くような笑顔で力強く頷いたとき、漸く僕も東西南北のヒントを見つけました。画面と絵画を見比べて、それから中央の円卓に当たりをつけます。

「まぁ、4分の3じゃし、最悪当てずっぽうでもどうにかなりそうじゃな」
 
「違うわよ岡村さん。確率で言えば6分の1……15%くらいしかないわ」
 
「え゙」
 
『はい。この円卓に置くのは2羽だけなので、そうなります』   
 
「2羽!? じゃあ、あと残りの1羽はどうするんじゃ!?」
 
「カッコウの巣、ですね」 
 
『うん、そうだと思う』
 
ここまで強気な表情の椥辻会長を見るのは初めてでした。そんな彼女の肯定は、僕の心に確かな自信の根を張らせます。どこからともなく吸い上げたエネルギーで、僕は足を動かして入り口向かいの壁沿いにあるクローゼットへ向かいました。隣りにあるのは、白い歯を剥き出して威嚇しながらも檻に入れられた凶暴そうなサメと、それを嘲笑う小魚たちの絵。
両開きのクローゼットを開ければ、中庭で嗅いだときとはまた違う木の独特な臭いが鼻を擽ります。桃井さんの話によれば、取り外すことはできなかった鳥の巣がここに入っていたとか。事実、その中には細い枝で器用に編み込まれたボウル状のものがありました。これがカッコウのものなのかは分かりませんが、ガチョウの話と同様、ミスリードにはならないのでしょう。
 
「ここの巣に1羽を入れれば、マザーグースの唄と同じになるんです」
 
岡村さんはハッとした様子で、スマホを取り出しました。僕が数十分前に見ていた唄と同じものを見つけるのには、そうそう時間もかからないでしょう。
先の発言から、ここの仕掛けの解き方をおおよそ理解していると思われる実渕さんは、椥辻会長と一緒にクローゼットまで歩み寄り、中を覗きます。
 
「これがカッコウの巣、なの?」 
 
『たぶん。本当はカッコウの巣を表現するために、周りに卵でも落ちてたらもっと良かったんだけど……』
 
「? 巣に入っているんじゃなくて?」
 
『あぁ、カッコウはね、実際は別の鳥の巣で、別の鳥に餌を貰って育つんだよ。本来そこで育つはずだった本当の卵たちを巣から蹴落としてね』
 
「「!?!?」」 
 
僕も実渕さんも似たような顔をして、椥辻会長を見下ろします。説明をしていた会長の横顔は涼しく、『アイテムのクオリティとしてはイマイチなんだよなぁ』とぼやきました。

「嘘でしょ……。……ていうか、そんな淡々と……」   
 
『え、……あっ、あれだよ!? 私も最初聞いたときはヤバいなカッコウ!! って思ったんだけど、その、そんなにこういう話が苦手なわけじゃないというか、生き物スゴイなって思っちゃう方で……!』
 
わたわた弁明をする姿は、謙虚すぎた先刻の様子とは違い、割と良く見られる一面ではあります。
寄生虫だって似たような存在ですし、それが生物の進化と淘汰を象徴していると言われれば強ち誤りでも無いでしょう。
 
「ああ、ごめんなさい。別に責めるつもりはなかったの。ただ、黛さんの言ってたとおり、見かけによらず図太いのねぇ」
 
『えぇ!? 黛先輩そんなこと言ってたの!?』
 
「私はあなたみたいなタイプ結構好きよ? もうちょっと正しく気を遣える子のほうが良いけれど」
 
『正しく……?』
 
「そう。だからしゃんと背筋を伸ばしなさい。誰がなんと言おうと、私はもう決めちゃったのよ。ココではあなたを信じるって」
 
『ッ……、』
 
一瞬。
一瞬だけ、目の前にいる彼女の心臓が、息が、時間ときが、音も立てずに止まりました。
嗚呼、僕は。やっぱりどうして臆病で、浅はかですね。
 
会長の口が薄く開いて、だけど何も生まれず。舌で少し舐めた下唇を軽く噛んで俯けば。実渕さんが「言ったそばから下を向かない!!」と背中を手のひらをで優しく叩きます。
なぜか剣幕に圧されている岡村さんがオロオロとおふたりを交互に見ていますが、何か言えるはずもなく。僕たちは『ひゃいごめんなさい!!!』と呂律を外した咄嗟の謝罪を聞きながら、次のやり取りを待つだけ。
 
実渕さんはフンと鼻を鳴らして、言います。
 
「嫌になってしまうなら、私が信じた円香を信じなさいよ。緑間くん、今吉さん、花宮……たくさんいるであろう誰かのために信じればいいの」
 
『…………』
 
「分かった?」
 
『……うん、ありがとう。……信じてくれてありがとう、実渕くん』
  
面目ない。そんな言葉があるように、人は顔を合わせることに不都合を覚える生き物です。それでも椥辻会長は、たとえ頬を恥ずかしさに染めていても、きちんと顔を合わせてお礼を言える人です。
……良い人だと、僕も思います。信頼を寄せて然るべき方だと、断言できるのです。この心が蝕まれても、最後の一点、その灯火が落ちない限りは、何度だって燃やして、守り続けたい。
 
「はあ……バカね。そっちじゃないでしょ」   
 
『えっ、そっちってどっち?』 
 
「あーもう! 今のが正しく気を遣えてないところなの!」
 
『どういうこと!?』
 
「いいからさっさと仕掛け解くわよ! ほら、ちゃっちゃとガチョウ置いて説明してちょうだい!」
 
『わわ、待って待って、まずは巣に置くから!』
 
急かされた椥辻会長はしゃがみんで、カントクに借りていたポーチを開きます。取り出された1羽のガチョウは巣の中に。そして、立ち上がった彼女は円卓へと歩いて、正面のドアを指差しました。そこにあるのは、4枚の中で最も明るく、ファンシーな絵柄です。ヒト、ウサギ、ネコは立ち上がり、魚も水面で飛び跳ねる。あらゆる動物がはしゃいでいる情景。……それは、風が西寄りに吹くとき。
椥辻会長は言います。『方角のヒントはこの部屋の壁にかけてある4つの絵画です』と。実渕さんは左手に持ったスマホに、長い睫毛を向けてゆるく下ろします。
  
「……なるほど。―――風が西寄りに吹いてるときは誰にとっても万々歳―――確かに言われてみれば、この唄から連想できる絵だわ」 
 
「つまり、ドアがあるあの方角が西になるのか……」
 
『はい。なので、2羽目のガチョウは、ココです』 
 
読みが的中して、よし! と、人知れず心のなかでガッツポーズをします。なるほど、この嬉しさは確かに中毒性があるのかもしれません。

扉側に回り、僕たち3人と向かい合わせになった椥辻会長。ポーチから出した置物を、側にある円卓に置きます。ご丁寧に足の形が彫られているからか、巣のときとは違い、カチッと何やらスイッチが入ったような音がしました。ただ、他に変化はなさそうです。
 
「もう1羽は東だから、コッチ側に置けばいいんじゃろ?」

『いえ、北から右回りに東、南、西と続くのが普通ですが、この部屋の方位はバラバラです』
 
「なんじゃと!?!?」
 
岡村さんの反応に居ても立っても居られず、僕はスマホの画面を見ながら口を開きました。
 
「風が東寄りに吹いてるときは人にも獣にもいいことがない」
 
「え、」
 
「実渕さんが読み上げてくださった唄の他の小節です。風が北寄りに吹いてるときは腕利きの漁師も漁をしない。風が南寄りに吹いてるときは魚でさえ餌を吹き飛ばされる。風が西寄りに吹いてるときは誰にとっても万々歳」
 
「それなら、ワシらから見て右にあるのが北になるんじゃろか」
 
『はい。なので、残す東は―――……ここです』
 
 
コンコン。僕らの左側にある卓を曲げた指の関節でノックする椥辻会長。全員の総意を確認してから、彼女は最後の足を溝に填めます。
2度目の小さなスイッチ音は、部屋中に緊張の糸を一気に張り巡らせてピンと詰めました。中庭は箱が開くという仕掛けが分かっていたのに対し、この部屋は何が起こるか全く想像がつきません。
刹那、ガシャン! ゴトン!! と耳を劈かれ、僕らの心臓は飛び跳ねました。
 
「うぉぉおおおお!?!?!?!?」 
 
「っな、何もういきなり!!!」 
 
「……ガチョウが、割れてます……」
 
『…………2つだけ?』  
 
恐怖に鷲掴まれた心臓が、嫌な音を立てて全身に血を送り続けているのが分かりました。だから、このとき小さな椥辻会長の呟きは聞き取れませんでした。
息を呑み、無惨な姿に慣れ果てたガチョウ “だったもの” を見つめます。西側である向かいの円卓にあった1羽だけが、バラバラに砕けていました。ただ、床に破片は落ちていません。
動けずにいる僕たちの他方、椥辻会長はすぐさま割れたガチョウの元へ駆け寄って破片の中に手を入れます。持ち上げられた彼女の親指と人差指の間には、何かが挟まれています。想像以上に小さく驚いていますが、アレは、
 
「……種、ですか?」
 
『……そうみたい。ご丁寧に、種類まで』
 
もう片側の手で掲げてくださったのは折り目が1つついた1枚の小さな紙です。 “Apple” と手書きのペンで綴られています。
 
「なんでリンゴなの??」
 
「確か、実渕さんたちはリンゴ農家の日記を拾ってましたよね? アレと関係しているんじゃ……」
 
「おお、なるほど!」   
 
僕らと離れたところで一人キョロキョロと辺りを見回す椥辻会長は、『もうひとつ……、あった!』と叫んで、今度はクローゼットの近くに位置する部屋の隅へ。そこには見覚えのない箱が転がっています。あ、今思えば、ガチョウが割れたときに何かが落ちたような音もしていた気が……。
箱を拾い上げた会長はソレを観察するよりも先にクローゼットの中を確認しました。そこにも何かがあったのでしょうか? しゃがみこんで数秒後、漸く僕たちの側に戻ってきます。脇には箱、手にはタマゴを持って。
 
「何そのタマゴ。巣の中にあったの?」
 
『うん。だからこっちの箱は東側の分かな』
 
何も置いていない円卓に、左からリンゴの種と箱、タマゴが並びます。箱には4桁の鍵がついており、数字を入力するタイプのようです。
 
『種は日記の指示に従うとして、タマゴは……なんとなく分かってきたけど、それをどうするかなんだよなぁ……。うーん、もう1回2階に降りたほうが確実かなぁ』
 
「ちょっと。1人でぶつぶつ言わないでちょうだい」 
 
『あ、ごめんなさい!』
 
椥辻会長の独り言に出て来なかった箱を持ち上げてみます。何気なく裏面を返したとき、そこにも紙が貼り付けられているのを見つけました。
 

“J  AM  A  ND”
27=◆ 28=● 29=▲ 30=■ 31=★
Answer=■●★▲  


不自然な感覚で並んだ6文字のアルファベット。その下には27から31までの数字と、それぞれに割り振られた記号。
 
「椥辻会長! ここにメッセージ、というか、数字のヒントみたいなものが……!」
 
『わ、本当だ!!』  
 
思わず声高に報告してしまいましたが、椥辻会長も同じようなテンションで返してくれました。
 
4人で覗きこむ中、僕はアルファベットを単語として捉えてみます。ジャム、アンド……? 何を表すんでしょうか。アンドといえば、それを示すもう1つの形に紐付けられた方がいますが……。
ちらりと椥辻会長を見下ろせば、アルファベットをいくつか指差したあと、今度は手のひらを返して何かを指折り数え始めています。そして間もなく、口元が緩んだのを感じました。
 
「もしかして、解けたんですか?」
 
『あー、うん。たぶんね!』

嬉しそうに答えてくださる会長に、岡村さんも実渕さんも「「えっ!?」」と声を上げます。驚いたのは僕も例外ではなく、少しだけ悔しさまで感じてしまいました。うーん、絵画と方角の関連性を自力で閃けたときの達成感を思えば、これも自分で解きたいところですね……。
ああ、これは、……どうやら僕も謎解きにハマりつつあるみたいです。