タフィーを倒してくれた翔一先輩たち。それから、【東西南北】と【Tower of London】の部屋の仕掛けを解くアイテムの探索に出てくれた真くんたち。再び全員が戻ってきたところで、情報交換の会が開かれた。
学校毎に固まって座る円卓。最も暖炉に近いそのひとつに、翔一先輩と赤司くんだけが立っている。私がクッキーを作ったり会議に参加したりしている間はリコとさつきちゃんのところにいたユーキちゃんだけど、基本的には常に私をご指名してくれる状態だ。今もゴロゴロと落ちない程度に膝の上で寝そべっている。
タフィーの部屋で得た収穫品は2種類。
まずは【Collection Room】で見つけたものと同じ単語カードが2枚。装飾やフォントは全く同じで、異なるのはその内容。示されているのは青峰くんを指すであろう “Quit” ───やめる、諦めるの意を持つ単語。そして、虹村くんの頭文字から始まる “Yield” 。初めて見た言葉で、日本発音で端的にいえばジールドと読むらしい。何かをもたらす、引き起こす。名詞でいえば産出、という意味もあると教えてくれたのは翔一先輩だ。
もう一方は、倒したタフィーが姿を変えたという紫の花の花弁だ。小さく放射状に萼を広げている。花びら自体は少し尖っているが、イラストで良く描かれる花形をした可愛らしい見た目。ただし、その容姿からは想像の出来ない臭いがすることで全員が釘付けになった。
「───通称、ネギ坊主、ってやつだと思う」
「ネギぼーずぅ?」
「木村、知ってるのか?」
宮地先輩と大坪先輩が木村先輩に聞き返す。彼は1つ頷いて、臭いの正体として相応しい名前をもう一度繰り返した。
「種類はたくさんあるらしいが、紫色のやつはその花が1本の茎に丸く球体状に集まって、タンポポの綿毛みてーな見た目で生えてるやつだ」
「八百屋の知識じゃねぇだろソレ」
「ニンニクとかネギとかの花に似ててな、だからそんな名前もついたらしい。前に1度、親が面白がって買ってきた」
宮地先輩のツッコミに少し口を曲げながら答える木村先輩。
なるほど、とみんなが感心する。私も1つタメになったなぁと思っていたのだけど、真太郎の横顔に心臓がヒヤリとした。匂いを嗅ぎたいと申し出る葉山くんや、ソレを子供を叱るように落ち着かせる実渕くんの声が一気に遠くなる。この角度から見ても分かる、深く寄せた眉間にきつく真一文字に結ばれた唇。やっぱり真太郎は、あの花について特別思うところがあるのかもしれない。みんなより早く、虹村くんたちから紫の花びらを見せてもらった時のやり取りが脳に浮かぶ。そしてそれは、……あまりいい思い出じゃ、ないのかもしれない。だって、……ひどく哀しい顔を、
「確か、アリウム、って名前だったかな」
木村先輩の声も遠ざかってしまったうちの1つだったけれど、放たれた4文字の音だけはまるで耳元で囁かれたような近さだった。真太郎で埋め尽くされていたはずの脳内に、音だったハズの情報が “アリウム” と赤い文字で印字されるようなイメージを鮮明に覚える。
その瞬間、鈍い痛みが頭を殴って、ぐらりと視界が揺れた。ぼやけて色を無くす景色のなかで、ただ1つ。筆を振ったようなグレーが、左下から斜め上に抜けて飛び散る。
私の太ももの上にいたユーキちゃんにはその振動が伝わったらしい。慌ててバランスを取るべくお腹にくっつかれたのだけど、軽い立ちくらみレベルで直ぐに平衡を取り戻す。
多少頭を揺らしたかもしれないが、上半身を大きく傾けたわけではなかった。それでも、───まるで、ずっと気にして見られていたかのように───隣卓、すぐ真横に腰掛けていた真太郎がガタリと立ち上がる。
「円香!?」
『っえ、あ、ごめん、なんでもない』
まさか糾弾されるなんて思ってもいなかった私は、驚きで心臓が冷やされた。咄嗟に出た、癖とも言える謝罪は、上辺だけのように聞こえたらしい。実際、反射的なものではあったけれど、落ち着いてみれば確かにもう身体は平気で、刹那的な頭痛だった。
しかし普段から心配性な真太郎には、この館にいるあいだ輪がかかっているようだ。「何でもなくないのだよ!」と、説教のトーンで私とリコの間に身体を滑らせてくる。上から覗き込む立ち姿は、唯一初めから進行役として立っていた彼らと違い大きく目立つわけで。
「どうしましたか椥辻さん」
赤司くんの窺うような呼び掛けに、再度心臓が冷えた。それは今しがた真太郎に呼ばれたときとは少し違う種類のものだったけれど、上手くその差を表現できる気はしない。
でも、その次に覚えたものについては、形容できる。───焦りだ。ただただ、せり上がってくるのは焦りだった。せっかく次は探索に行けるターンなのに、こんなところで1回休みを食らう訳のは勘弁だ。今はもう何ともない、これは本音。慌ててユーキちゃんを抱えながら立ち上がって、首と手を高速で横に振る。
『いえ、すみません! なんでもないです!! 真太郎、ごめんね、ありがとう。本当に大丈夫だから座って? ね??』
「だが……! 「座れ真太郎。」 ッ!! …………」
真太郎を一切見ない真くんの一喝が、真太郎にどうして強く刺さる。彼は顔を悔しそうに歪めた。そうして、湧き上がる、私には視えない何かグチャグチャした感情を、抑え込むように瞼を閉じる。さっきよりも深く眉間に皺を寄せたまま、多少荒々しい息を吐いて腰を下ろす。真くんは依然として真太郎のことを見ていなかったくせに、彼も彼で頬杖をつく手を組み替えた。
そのやり取りの中で、私の知らない線が彼らの間に見えた気がして、……そんな不確定で曖昧なものにすらまた、性懲りも無く心臓はしかと熱を奪われていく。ホラーやグロテスクに耐性はあるくせに、もっと大事な部分に限ってなんて脆弱なんだろう。情けない自分は、「ホントニダイジョーブ??」というユーキちゃんの優しさにもぎこちない笑顔でしか返せない。
脱出のための謎解きが解けるより何倍も速い速度で分からない問題が次々出てきてしまう。そんな嫌な感覚を断ち切るよう、座り直してから真太郎と同じように目を閉じてみた。───こんなんじゃダメだ、ひとまず気持ちを切り替えなきゃ。
「話を戻しましょう。倒したタフィーがアリウムと呼ばれるその花になったことは今後なにかのヒントになるとして。他に変わったものや見つけたものはありましたか?」
「んー、特にはあらへんかったな。ワシらの報告はこんなもんや。赤司たちんとこはどうやったん?」
「椥辻さんに言われたものを探したのですが、見つかったのはガチョウの置物1つのみでした。とはいえ、正しくは2つ。 “手に入れられたもの” が1つ」
翔一先輩たちと平行して探索に出たのは、赤司くん、真くん、山崎くん、根武谷くん。代表して報告をする赤司くんが、足元から想像より少し小さな鳥の置物を洛山のテーブルに乗せた。1羽は【東西南北】から私たちが持ってきたもの。もう1羽が、赤司くんたちが見つけてくれたものだ。入って右手の寝室のベッド下にあったらしい。
彼の言うとおり数は2つだけだが、私や恐らく翔一先輩が考える解法に必要なのは3羽分。
「つまり、あと1つは何かしらの仕掛けがあるわけや」
「はい。恐らく───黒子。キミのカードが必要だ」
名前を呼ばれた青年は、私の目の前で水色に染まる瞳を丸く凝縮させる。タフィーという敵も倒した上に今のところ危険物の報告が無い場所ゆえか、その目には不安こそ無いけれど、明らかに戸惑いが滲む。
「ボク、ですか??」
「あぁ。それは透明の箱の中に入っていたが、開かなかった。箱は固定されていて、黒子の持つ “H” が黒字で印字されていたよ」
「そう、ですか……」
「隣にカードリーダのようなものがあったから、十中八九黒子が今回のキーパーソンだ」
カードの使用は本人でなければならない。浴室を開けたときにユーキちゃんが言った一言は、十分な鎖となって各々とカードを繋いでいる。ただでさえ、作成に血を必要とするようなやり方だ。個人情報を大事にしていると考えるのは必然で、ユーキちゃんが言うようなこと─── “ゲームオーバー” ───が起きるとなれば易々と試すことはできない。
“敵” を倒すわけではないから予測できる具体的な危険は無い。ただ、仕掛けを解いた後のイベントだって十分有りうる。全体的に今回の設定は特定のエリアに入ったことだけで敵が出現するのだから、なおさら確率は高い。
彼にしか頼めない仕事だ。だけど、 “お願い” だなんて口が裂けても言えない。特に、私のような非戦闘員には重すぎる言葉だ。何があっても貴方を守る、そんな実力があれば手を差し伸べ、そうしてその中のものを引いてあげられるのに。 つくづく、頭でっかちな自に嫌気がさす。
……とはいえ、口を開けないのは私だけじゃない。力がある男子でも、そこまでの勇気は喉元まで行くことすら茨の道だ。 自信や責任という錘も合間るのだから、相当厳しい。だから、本人自ら首を縦に振ってくれるのを待つことしかできないのだ。
「分かりました」
胸を撫で下ろすような、音のない共鳴。部屋中に広がっていくソレに私たちは気付かないふりをする。
道なんて、黒子くんにとってもその他大勢にとってもたったひとつしかなくて。詰まるところ、この感覚も思いも全員が分かってるはずなのに、誰ひとり “ごめんね” とは口にしなかった。いや、出来なかった。もし、 “謝罪は間違っている” という共通認識がその理由だというのならば、私ひとりだけが輪の外なのだろう。
「ありがとう。助かるよ」
まるで絵本の中の王子様のように優しく奇麗に微笑む赤司くんの言葉が、撫で下ろしてスッキリさせたハズの胸を塞ぐ。きっと “感謝” が正義で、“謝罪” が偽善なのだ。
「いえ、そろそろ僕も探索に参加したいと思っていたので」
自分一人でどうにかなることじゃない───そんなことはとっくに理解している。だけど、それでもやっぱり、この世界は私が…………。それなのに、過酷なことを他の人にやってもらうなんて、尚更ダメだ。
優しさの堰が溢れかえるこの部屋では、きっと、理解はされてもほとんど認めて貰えないであろう無意味な自責の念が、湧き水みたいにとめどなく増えていくけれど。外に出たってその堰に止められてしまうから、私の胸中だけを浸水させる。
「それに、今回は椥辻会長もいらっしゃいますし……」
酸素を送り込んだのは、注目を一心に集める黒子くんだった。パッと顔を上げる私を、慰労で塗られた空色の瞳が真っ直ぐ捉えて、痛いほどの温情を流し込む。
「面目ないですが、僕はこの通り非力ですから、やっぱり正直、椥辻会長の知識を含めた存在は心強いです」
『……ほんとうに??』
我ながら酷く怯えた、細い声だった。黒子くんにしてみれば、その気持ちが真かどうか問われるとは思ってなかったらしい。驚いた顔を一瞬浮かべてから、まるで赤子をあやす様に、僅かに眉を上げて微笑む。
「はい、本当です。───頼りにしています、椥辻会長」
必要性を感じさせてくれるのはもちろんだった。けれど、何よりも心に刺さったのは “ここにいて欲しい” と、存在を求めて、認めてくれたことで。自分なりに思う役目を果たせていない私の自責の一部に蓋をする。
セーブやロードなんてできない。私たちは少なくとも痛覚を感じる状態だ。そのうえで人が指定されている以上、他人が肩代わりしていいものではない。それだけでイベントが失敗判定にもなり得る。───そうやって、何度も何度もした確認を、黒子くんの言葉に甘えて、また繰り返す。被せてもらった、迎合するための蓋を落とし込んでいく。自分がまだ手を汚さずにいることにも、苦労もせずにいることにも、 “仕方ない” 、“それが正しい選択になる” と、そんな言い訳をしながら肯定を縫い付ける。
『ありがとう。───うん、頑張るね!』
「あ、すみません。色んな方が心配されるので、身体を張るのはやめてください」
『…………』
「あら、よく分かってるじゃない黒子くん」
見事に私の口を完封させた黒子くんのド正論に、リコがニヤニヤと応戦してくる。
「よく聞きなさい円香。度が過ぎた優しさやお節介は、ただの自己満。自己中の塊よ。アンタは特にそうなりがちなうえに、妙〜に過信するのよねぇ。過信というかポジティブシンキングというか……」
『そ、そう、かな……』
お節介、自己満、自己中、過信。全くもって褒められていないワードの数々は、グサグサと心に刺さる。わ、わたし、そんなに性格悪かったの……??
「とにかく、何かをやるにしても身の7分丈くらいのことまでにして。いい? 絶対に、自分の身体さえあれば何とかなる、なんて根拠もないふざけた自己犠牲で切り抜けようとしないで。それは、“なんとかなる” に入らないの」
『う、』
「 わ か っ た わ ね ???」
『……ハイ。』
日向くん、伊月くん、小金井くん、水戸部くん。それから黒子くんに火神くんまで。こんな返事に、みんな揃いも揃って安堵した顔をする。隣の鉄平くんの表情は見えなかったけど、彼も例に漏れないのは頭を撫でる大きな大きな手の温もりから十分予想が着いた。……鋭意、努力はします。でもほら、こういうのって身体が先に動いちゃうしさ……。
心中でもごもご言い訳をしておく間に、ガチョウの置物を探しに行ってくれた赤司くんたちが見たものの報告も再開する。それを小耳に挟みながら、現状を整理することにした。
まず最終的な目的は、1階大広間に繋がる玄関扉の鍵を手に入れること。もしそれが本当のゴールじゃなかったとしても、舞台が屋敷であったり、どんどん上の階へ登っていく設定上、トゥルーエンドに繋がる手前の大きなイベントになるのはほぼ間違いないだろう。
キーとなるのが、今言ったように上の階を目指していくこと。これも、本当にこのルートで合っているかは分からないけれど、できる限りの部屋を開拓していく意味を込めてもやはり当面の目標として相応しい。
そのために目下いちばん必要なのは、隠し通路や鍵を探していくこと。部屋を探索している割には鍵が見つからなさすぎる。このパターンなら、どうやら謎や仕掛けを解いていく必要がありそうだ。そして、これらはなぜかマザーグースに肖るものが多い。
それと、カードの持ち主を示したり、アルファベットの意味が表記されたメッセージカード。加えて、他の人には後ろめたいけれど秘密にしている “チェスの駒” 。これらも回収アイテムだ。
本当は、ユーキちゃんの存在と私がキーパーソンである理由も知りたいけれど。……知らなくても脱出できるのであれば、元の世界に戻ってから調べよう。チェス、マザーグース、そしてアリウム……。ヒントとなるワードはあるし、真太郎や真くん、翔一先輩たちは何かを知っていて、隠してる風だった。手段はあるはずだから、今は優先度を下げておこう。
今見つかっている謎や仕掛け、施錠が確認されているボックス系は以下の通りだったと思う。
まず1階。【Borden】の中、鎖で縛られていた木製の箱。南京錠がかかっている。この部屋だけ扉が鉛のような素材だったのも気になる。周囲の廊下はリジー・ボーデンというエネミーが徘徊。
次いで2階。【M.M.】───ManageMent Roomの略だったその部屋に、4桁のダイヤル錠が付いた金庫。
私たちがいる3階は、階下に比べてかなり仕掛けが多そうだ。大体の解き方の目星がついているものが、2つ。1つは【東西南北】にある、ガチョウと絵画を組み合わせもの。ガチョウ以外にあの話を指し示すものは大体あったし、4つの円卓が置いてあった辺りやってみる価値はある。もう片方は、伊月くんたちと見に行った【The Medieval Palace】前のライオンとユニコーン、それからおじさんの石像。これを解くには、真くんと赤司くんに頼んだ王冠が必要だと思ってる。まだ見つかってないみたいだけど……。
それから、
「あと、後々うるせェヤツがいるから言っとくが、中庭にはもう1つ仕掛けがあった」
真くんが明らかに私を見ながら教えてくれたのは、植物が溢れるソコにはそぐわない、アンティーク調の天秤があったこと。その片腕には “June” と印字してある木箱が載せられていて、中からは大量の虫の羽音と、甘い蜜の香り。彼はもう解き方が分かっているというのだから悔しい……。
一方、検討もつかないものを挙げると、まずは【Tower of London】にあった、あの塀の窪み。一体なんのためにあるんだろうか。【Collection Room】の絵画たちも、一応ヒントになるかもしれないから存在は覚えておきたい。
あとは、原くんが見つけてくれた “リンゴの育て方” 。これは “Diary” とも連動してるから必要そうな情報だけど、リンゴが何に必要なのかはまだ分からない。それに、この2つがあった【Tidy Man】───文字の上には訂正線のようなものが引かれていたらしい───には、加えて本物の鳥さんが鳥籠の中で生きてたって話だ。地味にこれが1番怖い……。
リンゴ。それに、鳥……マザーグースの本を読んでいて良く出てきていたのは、駒鳥とガチョウ。鳥籠に入るというのを踏まえて前者だとすると……。
リコとさつきちゃんが作ってくれた和訳メモをペラペラ捲る。生憎、みんなと違ってスマホは向こうの世界に置き去りにされている身だ。他の人たちはこの画像を撮ってもらって共有しているので、私が原本を持たせて貰っている。
えっと、駒鳥が関係してくるのは、“Come hither, sweet robin”、それから “Who killed cock robin?” って、これまたニューイングランドなお話。
あ、真くんが言ってた天秤の仕掛けは、コレがヒントかな。そしたら次の探索にアレを持っていかなきゃ。確かキッチンにあったはず……。
思考を戻して、リンゴが出てくるのは、…… “In marble walls” …………だけ、かな。男の人は出てこないけど……。あれ?? この文って確かあそこで見たやつだ。うん、まだ直接どんな関係があるかは分からないけれど、一応覚えておこう。それから、Diaryの中身はまだちゃんと読ませてもらってない。あとで確認しなくちゃ。
真くんや翔一先輩みたいな脳みそを持っていない一般ピーポーな私にとって、情報の見直しはやっぱり大事だ。もう1回、今度は末尾の方からヒントになるようなものの見落としが無いか捲っていく。うーん、玄関やその他の鍵を見つけるって点で、もしかしたらヒントになるのはその素材かもしれないけど……。今のところ直近するようなものは無し。強いて言うなら、【Tidy Man】の部屋を見に行きたいくらいだ。
「それでは、次のメンバーは岡村さん、実渕さん、椥辻さん、黒子の4人でお願いします」
ここまで整理したところで、片耳で聴いていた会議も終わったらしい。いよいよ探索に出発だ。
「頼むべゴリラ」
「酷い!」
「気をつけてねレオ姉!」
「はいはい、ありがと」
「黒子くん、ちゃんと円香を見張っててね」
「しっかりやれよ」
「はい、頑張ります」
リコと日向くんに見送られた黒子くん。私には2人とも口を揃えて「「無茶しないで(くれ)」」と切実に見下ろしてくるのだから淋しいものだ。
外へ出て、まずは未だ視線もあまり交わしたことの無い今回のリーダーに挨拶をする。用心棒として持っている斧が小さく見えるくらい大きな人だ。真太郎も鉄平くんも宮地先輩も、190越えが周りに居すぎて感覚がおかしくなるけれど、この方も一般的には相当のタッパなんだろうなぁ。
『改めて、よろしくお願いします、岡村さん』
「お、おぉぅ……っ!! こっこここちらこそ!!」
「よろしくお願いします」
「うむ!! こんなに素直に頼られるんはながなが無い……っ!! ワシはけっぱるぞぉ!! みんなを守るべ!」
感動に咽び宣言した岡村さんはガタイも大きくて、大坪さんを彷彿させる。福井さんが散々不安そうに喝を入れていたけれど、歩いている最中もさり気なく周りを見渡してくれているところを見ると頼りがいは充分感じられた。
次にくるりと斜め後ろを振り向いて、黒子くんの隣にいる彼にも声をかける。同じ料理係だし、寝室も一緒だったことで比較的コミュニケーションを取ってきた相手だ。
『実渕くんも、よろしくね』
「えぇ。いざとなったらしっかり男として円香をお守りするわ」
「なんでワシを見ると!?」
あ、そういえば、岡村さんも一人称ワシなんだ。翔一先輩と一緒だな。それでも、2人とも私の周りに居ないタイプだからか、どこか新鮮な雰囲気がある。うるさくは無いけれど、決して静寂というわけでもない。そんな適度な賑わいのある声を廊下に響かせて、目的地のひとつ、【Botanical Garden】の入口についた。ガラス張りの部屋は、宮地先輩が閉じ込められたあの空間を思い出させる。丸見えの室内には相変わらず草花が溢れかえっていて、ここから観察できる限り怪しそうなものは特にない。
私が伸ばしたものより先に、岡村さんの手がドアノブを取った。
「あ、開けでいい、っす??」
『はい。お願いします』
す? 火神くんみたいだな。なんて思いながら頷いた私の動きに、ゴクリと生唾をひとつ嚥下した岡村さん。大きな手で握っていたドアノブを、そのままゆっくりと押し開ける。
特に風は感じなかったが、中に一歩踏み出せば微かな温かさが肌を撫でた。屋敷が寒いわけではないが、やはり植物を育てるには些か気温が低いのだろう。まるで春の陽だまりの中にいるような陽気さは、周りの植物たちをキレイに色付けている。見えるところにあるだけでも、赤や黄色のチューリップ、紫と白のパンジーなど、小学校で見た記憶のある花々が植えられている。
───あぁ、そういえば。お母さんも園芸が好きだったなと思い出して、懐かしさが胸を込み上げた。ほんの少しだけ、鼻の奥がツンとしたけれど、ゆっくりと深呼吸をする。今やるべき事を、ちゃんとしよう。そうして早く帰って、会いに行こう。
気を取り直して、赤司くんの教えてくれたモノを探して歩く。初めて入る場所ゆえにたくさん見学したい気持ちはあるけれど、まずは黒子くんの心が優先だ。ストレス状態で長居させる訳にはいかない。
「えっぴゃ花があるんじゃな」
『えっぴゃ?』
「あっ、えっと、秋田でたくさんっでいう意味でして……!」
『方言! かわいいですね!』
なぜかさっきからちょいちょい敬語を使われているのは、赤司くんに敬語を使ってしまう私が突っ込めることでは無いので置いといて……。同じ日本でもいろんな言い方があって、やっぱり言葉は面白いし奥が深い。
と考えていた矢先、目の前で岡村さんが固まった。男性に “かわいい” は不味かったかもしれない。今更ながら失言に気づく私の、なんと浅はかなことか。なんとか上手い訂正を高速で探してコンマ数秒。「う、うぉおお!?!?」と岡村さんの時間が突然動き出す。
「福井!! ワシはこういうときどうすればいいんじゃぁあ……!!」
『岡村さん!? 大丈夫ですか!?』
「東北のゴリラは放っておいて。春の花があるかと思えば、秋のコスモスに冬のクリスマスローズ……四季がゴチャゴチャね」
「でも、確かに左側は少し涼しいかもしれません」
「場所によって温度が違うのかしら。幻想的といえば幻想的だけど……本当に、何でもありな世界なのね」
ふ、と。実渕くんがどこか諦めたように吐いた息を知っているのは、黒子くんだけ。
私は咆哮をあげた岡村さんにあたふた声をかけて、なぜか泣きそうな彼の意識を別のことに持っていくのに必死だった。早く箱を見つけようと誘い、逞しすぎる腕のジャージ部分を控えめに引いて誘導する。
『あ、』
「な、なんじゃ!?」
『えっ!? あ、す、すみません! 箱じゃないんですけど、……リンゴの、花壇……?』
「リンゴ?? あぁ、そういや、笠松たちがリンゴ農家の日記とリンゴの育で方ってメモ見つけてたの」
Maryと書かれた大きなプレートが手前にある花壇。これは持ち主を示してるのだろうか? その奥には、小さめなプレートが4つ。Apples、Silver bells、cockleshells、mades。リンゴは良いとして、銀の鈴、……???、……メイドは、お帰りなさいませご主人?? でも、madesの後ろにだけ唯一ちゃんと花が植えられている。これはチューリップ、だ。さっきも見たけど、……もしかして、種類ごとに植えられているわけではないのかな。いや、メアリーの花壇だから、別枠なのか。
「あ、あのー、椥辻さん、何かすることでも分かったんじゃろか?」
『あ、いえ、今のところはまだ! すみません立ち止まってしまって!』
「椥辻ちゃーん! 見つけたわよぉー!」
『あ、実渕くんたちが見つけてくれたみたいです。行きましょう!』
メアリー、チューリップ、リンゴ。銀の鈴とよく分からない英単語はとりあえず覚えなくていい。これもマザーグースで見た事のある羅列だから、帰ってからもう一度確認すれば記憶を引き出すのは難しくない。
実渕くんたちがいたのは、この庭園の1番奥だった。植物が溢れかえる中、木製の四角い机が2つ並んでいる。どちらも同じ仕様で、高さは腰くらいまで。
左手の机に乗っかっているのが、赤司くんが教えてくれたガチョウの入った透明な箱。見た感じアクリル製で、割れそうにない。上から3分の1くらいの所に薄く横線が、背面から左側面、正面、右側面と、ぐるり囲むように繋がって入っている。背面にはその線を跨るように蝶番がついているので、ここから開けそうだ。箱の右側面には確かにカードリーダーが取り付けられていて、一番上の面にはしっかり “H” が黒く刻まれていた。
右手の机には、真くんが言っていた天秤だ。ブンブンと身の毛のよだつ耳障りな羽音と、ほのかに香る甘い芳香を放つ木箱。こちらは手前の面に “June” の文字。左腕に何も持たない天秤は、もちろん木箱の乗っている右腕が重く垂れている。思ったよりは小さいけれど、中に何が入っているかは見えない。蜂が入っている以上、こちらの仕掛けを解くのは後回しにしよう。出てこられて鬼ごっこイベントがいちばん困る。まぁ、もう二度とここに入ってこられないような仕掛けはないと思うけれど……。どちらにしろ今回は開けない方がいいかも……。
とりあえずまずは。
『黒子くん。……お願いしていいかな』
「はい。開けます」
ジャージのポケットから取り出された、水色のカード。皮肉にも草木の溢れるこの場所に唯一足りないようなその鮮やかさが、黒い無機質な器械に通される。ブザー音が小さく鳴った。ゴトン、と器械が取れて机に落ちる。
誰よりも先に手を伸ばして、目星をつけていた線より少し上を両手で持って上に引いた。思った通り、蝶番を支えに3分の1が浮いて、中を触れる状態になった。
「開いたわね」
『他に仕掛けは何もなさそうで良かったです。ガチョウと、……あ、』
「カード、ですね」
取り上げたガチョウの下に、見覚えのあるカード。真くん、虹村くん、青峰くんが持っていたものと同じだ。 “Hurt” ───傷つける、いや、傷つくが正しいか。
……そういえば、使い所に置いてあるとするなら、1度使ってるリコや私、それに【東西南北】で使ったメンツの分が無かったのはどうしてだろう? まだどこかで使う、ってこと?? 私はまだしも、他の人たちには1回っきりにして欲しいんだけどな……。
「傷つく、か。嫌な単語だわい」
「……そうね。さて、隣の天秤はどうする?」
『中のものが出てきても困るので、とりあえず一旦出て、ガチョウの仕掛けを解きに行きましょう。疲れてませんか?』
「はい。問題ありません」
「こんなので疲れてたら試合なんて出れないわよ」
「じゃな。さ、行くか」
返ってきた返答に、ふふ、と笑ってしまう。本当に頼もしい限りだ。
リコに借りたポーチに、手のひらサイズのガチョウを入れる。これで3羽、全て揃った。東西南北と関わりがあるのはガチョウだけだったからこれでいいとは思うんだけど……。他のものが必要なんて二度手間、ありませんように!