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アリウムの唄

赤口

そこら辺にあった布でベッドの下をテキトーに拭く。その布も埃を舞わせるからあんまし意味ねェ気もするけど、まァやんないよりは……、な。青峰とふたり、そこに身体を並べる。斧を一旦預かる今吉さんは高尾と共にクローゼットの中に入った。
こういうのに似たゲームを知る高尾は目も良いらしい。視野が広いのは勿論だが、普通に視力も高いんだと。それらを理由にタフィーが寝たのかどうかを確認してくれる。っつーわけで、高尾がクローゼットから出てきたらいよいよ討伐開始だ。
シンプルなだけに作戦を頭で追うのは簡単だが、情報が無さすぎてどれだけ不足の事態が起こるのかは全く見当がつかない。首を跳ねるのが一撃必殺になるとして。そもそも火掻き棒なんかで巨人の首を跳ねることなんて出来んのか?
不安を募らせていると、隣の青峰がポツリと呟いた。
 
「鼻先と目潰し……」
 
聞き覚えのある内容。その正体は直ぐに思い当たった。安全地帯と呼ばれる拠点を離れる前。緑間の幼馴染だという椥辻が授けたアドバイスだ。
ソイツの雰囲気は、過去に緑間が一度だけ話してくれたときに抱いた想像から大きく外れなかった。まさかこんなとこで会うなんて思ってもみなかったから自己紹介のときは驚いたし、見た目によらないバイオレンスな知識には今になって少し線がはみ出つつあるけども。
 
「脳幹、だっけか。……パワーワードだな」
 
「なんか、緑間の幼馴染だなって納得したっすわ」
 
変人同士、と言いたい青峰の気持ちも分かる。ああいう雰囲気の女子高生が言う内容にしては意外性が有りすぎだ。
とはいえ、必殺技にはならないまでも戦闘力を削ぎ取るには役立ちそうな方法だ。折角だから初手は目を狙ってみると、青峰はゲーム感覚で言う。相手は今吉さんの目測、紫原よりは高いがバスケゴールのリングよりは低いらしい。ミニバスくらいが妥当ラインだそうだ。そんくらいであれば、青峰の身長で勢い良く斜め上に振り上げれば届くと思う。まあ出来ることなら役立たせずして終わらせるのが一番だけどな。
 
会話が終わり、カビ臭さを認識するようになった嗅覚に顔を顰めたときだった。 
 
「……………………あの、」

ボソリ。さっきの呟きに似た低い声が俺を呼ぶ。 
  
「ん? どーした?」
 
「…………なんか、スンマセン」
 
「は?」
 
そう言った青峰と視線が合うことはなかった。むしろ軽くそっぽを向かれている。
何に対する謝罪か分からなかった。そもそも昔からコイツに何かされたことはあんまし記憶にない。強いて言うなら、休憩時間でさえもバスケをしてたり、終了時刻過ぎてもバスケしてたり、…………部内1のバスケバカであることにキャプテンらしく注意したくらいだ。
俺の聞き返しにも聞こえないフリをしているのか、それ以上会話が続かない。ここで騒ぐわけにもいかねェし、理由なんぞ後で突き詰めればいいか。
 
珍しいことも相まって、仕方ないから自分で理由を考えてみる。……俺が、火掻き棒でトドメを刺すことに対するもの、か? 最初は自分でやろうとしてたし、……あり得るな。
もしくは──── “ガチャン!!”
 
 
その音が聞こえてきた瞬間、ドクリと血が騒いだ。青峰がバッとこちらを向く。バスケをしているときとは違う形を縁取る瞳は、俺が映った瞬間に細められた。
重量感ある足音が近づいてくる。皮肉にも、俺の鼓動と同じテンポだ。息を殺す、とはよく言ったもんだと思う。普段は意識していないモノをいざコントロールするってーのは難しい話で、殺すくらいしないと不随意な動きをしてしまいそうだ。
ギシギシ、ベッドが軋み始める。上から舞い落ちる埃に、慌てて顔を腕で覆った。くしゃみや咳なんて自殺行為に等しい。…………ハハ。流石にちょっと、緊張してきたな。
 
“息を殺す” のとは対象に、 “生きている心地がしない” って方便は上手くない。というか、嘘八百だ。だって、こちとら心臓バックバクで、今にも口から飛び出そうなんだから。生物を生かす機能の動作音を、内側から犇々と、痛いくらい打ち付けられてんのに。あんなん出鱈目だ。…………死ぬ前の、最期の悪足掻きってほうが、しっくり来る。───いや、その後に控える “死” を認識するために、 “生” を知らしめているような……。
 
そんな思考を浮かべて暫く。ガーガーと、絵に書いたようないびきが聞こえてくる。青峰と再度顔を見合わせていると、左側の視界にスニーカーが映った。それから直ぐにオレンジ色の両膝と、その間に親指を立てたグーサインが覗く。
作戦にあった合図に、外へ出るよう身体を動かそうとしたとき。
 
「…………巻き込んじまって、スンマセン」 
 
「っ、」  
 
小さく右から聞こえた二度目の謝罪に、思わず目を見開いて首を捻る。だが、黒いジャージは高さ数十センチの狭すぎる世界から既に消えかかっていた。 
静かに深く息を吐き、俺も物音を立てないようベッド下から這い出る。俺の側には高尾、青峰側には斧と大きめの布を持つ今吉さんがいる。
 
そして、ベッドの上には想像以上に巨大なモノが横たわっていた。膝から下はマットから大きくはみ出しており、もはや両足を床に付けて寝ている。
見た目は、なんつーか、……この部屋の主と言われてピンと来るレベルの醜穢さだ。端的に言うと、グロい。頬の焼け爛れた皮膚は今にも剥がれ落ちそうで、顔は古傷ばかりが目立つ。目を閉じてくれていることさえ、幸いに思えるほどだ。女子にはまず見せられない、見せたくない。知識という面で何度も探索に同行していたという椥辻を連れてこなくて良かった。
 
全員が口を閉じたまま所定の位置に立つ。
高尾は瞬時に火掻き棒を発見したようで、ダイニングキッチンへ続く方向に放り投げられていたソレを拾い上げた。近寄った俺を見上げて、それからもう一度手の中に在るものに視線を落とした。釣られた俺は、その手に力が込められるのを知る。
蚊が鳴くような声が斜め下から放たれた。 
 
「こんなんで、首跳ねられるんすかね?」
 
「あー……構造的にはやっぱし厳しそうだな」
 
少し錆びたような赤銅色の棒。鉾のように鋭利な先が二手に分かれていて刺す分には殺傷能力に問題無さそうだ。アメリカで出来た友人たちの家で見たモンを知る俺にとっちゃ、その想像より幾分か凶器に近い形だった、が。跳ねる、という表現には青峰の持つ斧の方がしっくり来る。
 
「…………ちょい待ち。唄やと“threw it at his head” やったから跳ねんでもええと思うで。どちらかというと……そうやな、撲る方が正しいんちゃう? 」
 
「なるほ、ど…………。アレ、跳ねる、って誰が言ったんでしたっけ?」
 
4人で顔を見合わせるも、小ささを極める声は何一つ聞こえてこない。数秒後、漸く開いた口は高尾のものだった。
 
「確かに。俺もなんかいつの間にか “跳ねる” って訳が頭ン中にあったんすけど、思い返してみたらそんなこと誰も言ってなかった気がするっつーか……。青峰は?」
 
「首チョンパだと思ってた。誰が言ってたとかは……、覚えてねェな」 
 
「ワシはそうでもないんやけど、自分ら全員のイメージがあの単語だけでこんな一致してるっちゅーわけか」 
 
確かに俺は、この部屋に入ったあとの作戦会議でも既に首を “跳ねる” 気でいた。高尾の言うとおり誰かが訳したのを聞いた覚えはない。勝手に取り違えただけ?? ……だが、それは今吉さんの台詞も相まってしっくり来ねェ。ヒントだという本を見た記憶もないが、therewをそんな風に解釈するほど文学チックな意訳力は無い。

「────またこの感じや……」
 
「また?」
 
「…………いや、ともかく。首チョンパなんてハイレベルーな殺り方せんでええから。間違っても無茶するんやないで」  
 
今吉さんの念を押すような言い草に頷きながら、考える。彼が言った、“この感じ” ってなんだ。
今みたいなものだとしたら、……思考を、誰かに、コントロールされてるってこと、か?? その想像に、柄にもなくゾッとした。……ダメだ、やめやめ。余計なこと気にしてたら取り返しのつかねぇヘマをしでかしそうだ。  
精神統一よろしくフッと息を吐いた俺に、高尾が手の中のモノを触れさせる。
 
「…………お願いします」
 
「───おう、サンキューな」
 
受け取って、手元で軽く振る。長物で殴るなんざ、小学生以来だ。あン時使ってた金属バッドよりかは軽く、回しやすい。─── “もたらす” 意味を持つ理由はしっくり来ねェけど、ここに呼ばれる悪行には身に覚えがある。むしろ、俺が一番ヤベェとも思う。巻き込んじまったのはコッチの方かもしんねェのに…………あぁ、全く。こんな形で贖罪とはなァ……。因果応報って言葉が在るワケだ。
  
「なんやサマになっとるなァ虹村クン」 

「あー、そーっすか?まぁソレっぽくやっとかないと、上手く行きそうにないんで 」  
 
「さすがあの赤司たちを纏めてた主将サンや。頼りになるわ。…………せやけど、堪忍な。寝てるところ襲って済むんなら案外イージーモードかもしれへんけど、……そうやとしてもコレばっかりは、 “あの子” だけには、させられへんから……」
 
「……? あの子って、椥辻っすよね? そりゃあ女子なんだから当たり前ですし、青峰が拾ったカードからしてみれば俺たちの役割だったわけだから、謝られる必要ないですよ 」
 
「───まぁ、そーなんやけど……。ワシも年下に任せてしもうたし、不甲斐ないなぁ思って」 

「いやいや。今吉さん含め、先輩方全員には、これ以上ないくらい感謝してますし、尊敬してます」
  
そう、感謝しかない。俺たちが支えきれず護りきれずで歪ませてしまったアイツらの絆も、バスケへの愛も。何もかもを元通りに直して、むしろそれ以上のモノにしてくれたんだ。
どんな風になっていたかは木吉から聞いていたし、彼らがこの1年で経験したものはこの先かけがえのない思い出と糧になるだろう。…………それでも、もっと何か、してやれてんじゃねーかって。理解とか、アドバイスとか、できなくたって、話を聞くことや俺らが居なくなった後のケアとか……。たらればだし正解なんて分かんねェけど、先輩として、早めに主将を託して、アイツらだけの狭い世界に閉じ込めてしまった責任を、負えたんじゃないかって、思うから。
感謝と、罪悪感。それから、少しだけ。本当に極僅かな、羨望。それらが胸の奥でぐちゃぐちゃと混ざり合う。気持ち悪くて、場違いで、……だから、ちゃんと伝えることなんて、できやしないけれど。
 
今吉さんはそんな塊の成分一つ一つ見透かしたような顔で、「…………それはそれは。おおきに」と口元に弧を浮かべる。
 
「そしたら恩返しっちゅーことで受けとこか」
 
「はは、そーして貰えると気が楽っすわ」
 
「ほんなら頼むで、 “虹村” 」
 
「! ───はい」
 
 

 
 
変なところにリアリティーがある世界だと、高尾はどこか諦めたような遠い目でそう言った。そのために今吉さんはさっき俺がベッドの下を拭いたシーツを持ち上げて、タフィーの頭から首へとソイツを被せる───それが、合図だった。
大きく振りかぶり、体重を乗せて頭に鉤爪が付いてる面を思い切り下ろす。ブツ、とシーツが破ける感覚の直後、もう少し抵抗力のあるモノが裂けるのを棒越しに感じた。頬に飛んできた生温かさは、纏わりつくように皮膚を濡らして顎へ垂れる。バッドよりもよっぽど克明に伝わって来る感触に、奥歯を噛み締めた。頭を殴られたみたいな衝撃が脳内を襲う。
 
「ヴ、ぁあぁあ゙アァア゙アァ゙ア!!!!!!」
 
どうやら、椥辻に教えてもらった脳幹というやつは貫けなかったらしい。耳に刺さる叫び声。断末魔、と言って良いのかは分かりたくない。
他の誰でもない俺が破いた箇所から、シーツが瞬く間にどんどん赤く染まっていく。そうして漸く、白かったその布の有り難みを実感した。
 
────俺は。数えきれねェくらい人を殴ったし、殴られた過去がある。道徳の授業で聞かされる命の尊さなんてクソくらえだったし、理解しようとする気も、理解できる気もしなかった。何であんな黒歴史に染まっちまったのか、きっかけは思い出したくねェくらいに青臭いものだってのに。そんな理由で、色んな血を見てきた。
それでも。ヒトを、命を、この手でダメにしたことは無かった。ああいうヤツらはズルいモンで、そこまでしたらヤバいことは分かっていて。行きすぎた行為だという認識を外せば、仲間だけでなく敵をも遠ざける。暴れる理由なぞ存在意義や自己主張が殆どだった俺らにとっちゃあ、そんなのは本末転倒だった。
 
想像を絶するような痛みに耐えかねる男が両足を激しくばたつかせる。古びたベッドに埃が舞って、それが照明に反射してチカチカ光っている。横目にそれを捉えていると、突然グラグラと火掻き棒が揺れた。驚いて視線を下ろして、その様子に血液がドクドク音を立てて沸く。男が自分の顔面に突き刺さる得物を掴み、押し上げて抜こうとしていた。慌ててソレに対抗しようと体重を加えれば、棒のめり込みは更に深みを増して、比例するように絶叫が鼓膜を劈く。
―――こんなことをしたくて、あの日髪を金髪に染めたわけじゃない。あの頃、人を傷つけていたわけじゃない。
耳を塞ぎたくなるような声に吐き気がする傍ら、そんな言い訳が並ぶ頭に舌打ちをする。
 
「虹村サ「───あァ、違う。大丈夫だ、気にすんな。むしろ1人で充分だから、青峰は何もしなくていい」…………」

今のところ何もしていない青峰の声は、対照的に低く緩く骨に響いてきた。だからこそ、頬にある生温さも知らないだろう後輩を制す。
 
そうだ。これは代償だ。一般人を巻き込む場所に属していたわけではないにしろ、道端のバイクを盗んで走る高校生の腰にしがみついて、何かを犠牲にすれば好き勝手できてしまう世界を嗤った。同じ穴の狢の血で拳を濡らした。命がどんなに尊いものであるか分からなかったあの頃は、小さな間違いが不意に逸れて大きな過ちになってしまうことすら知らなかった。そんなの “知らなかった” で済まされねェのに、な。
やってることは大して変わらない。少し多めに、力強くするだけだ。言い聞かせて棒を再度握り直す。もう一度振りかぶる為に食いこんでいるソレを抜いていけば、グチグチと嫌な音がした。それでも俺は止められない。止めてはいけない。これが自分に任された責務だというなら、今度こそ全うしたい 。間違っても、後輩や女子にやらせるべきものじゃないのなんて分かりきってらァ。
だったら────歯を食いしばり、既に赤黒いもので染まるモノを、もう一度同じ場所に振り下ろす。シーツが吸いきれなかった鮮血が、今日は着た覚えのない紺のジャージと中の白いTシャツに楕円と途切れ途切れの帯を描いた。
 
 
 
 
  
   
────『消えた?』
 
「そっ。虹村サンがトドメの一撃食らわしたら───いや、消えたってのはちょっと違うかも。えーっと、あ! そうっすわ、アレアレ! 吸血鬼が太陽浴びて灰になっちゃうみたいな感じで、足のほうからコレに!」
 
指を開き、手中に忍ばせていたものを覗く緑間と椥辻。前者は瞬時に眉を顰め、後者は頬を綻ばせる。説明する高尾はそんなふたりと手のひらを交互に見て、どこか楽しそうだ。
 
「円香、見覚えはないのか?」
 
『え? 真太郎コレが何か知ってるの?』 
 
「いや……、覚えてないなら良い。忘れろ。俺の勘違いだった」
 
その会話にスッと目を細める高尾。椥辻は頭にハテナをいくつも並べるが、やはりピンとくるものはないようだ。 
 
『うーん、どっかで見た記憶もないけど……小さくて可愛いね、このお花』
  
「元があんなモノだったのに可愛いわけがないだろう」
 
『えー? この子に罪はないのに?』

それぞれ別の不服を浮かべる顔に、高尾の瞳が通常の大きさに戻る。同時に和らいでいく表情はある意味羨ましい。アイツにとって……あんな惨劇のあとに求める癒しとしての効果は絶大なのだろう。
 
緑間が右手の人差し指と親指で、その小さな花を摘まみ上げる。紫色で放射状に6つの細い花びらをつけているソレ。一応俺も1つ持ってきたが、あまり見覚えはない品種だ。 
高尾の言う通り、あの巨体は突然、火掻き棒が刺さってた辺りから足元に感染してくみたいに次々とこの花へ姿を変えた。吸血鬼が灰になるっつー喩えは尤もで、あっという間にベッドは紫色に染まっちまった。ギリギリまで暴れていたからか、小さな花や花びらはキレイな人型を型どっていた訳でもなかったが、火掻き棒の先端はソイツらに埋もれていた。……それでも、そこから抜いた部分からは真っ赤なものがポタポタと垂れ、せっかくの紫を上から台無しにしてったけど。
 
花になってくれたから何とか平生を取り繕えたけど、───最初からそういう仕様にしてくれりゃあ良かったのに。この手に残る感覚に今更そんな我儘を重ねて、往生際の悪さに息を吐く。
そんな俺を、戻ってきた時も真っ先に赤司と出迎えてくれたタツヤが気に掛けてくれる。直ぐに態度に出る癖、いい加減何とかしねぇとな。

「シュウ、本当に大丈夫かい?」  
 
「あぁ。確かにちょっと緊張疲れはしたけど、大したことねェわ。ありがとな」 
 
「そう、なら良いんだけど……。俺はアツシたちのところにいるから、なんかあったら相談くらいしてくれよ」
 
「なんだよ、優しいじゃねェか」
 
「失礼な。いつだってキミの味方さ」   
 
自分の臭いセリフにもハハハと声を上げながら、陽泉の集まりに戻っていくタツヤ。椥辻同様、まさかこんな所で縁が再び結ばれるなんて。病院で知り合った木吉のことも含めれば、世界はどうやら往々にして狭いらしい。
どちらにせよ生意気だが可愛い後輩やそういう奴らを守ることに貢献したんだ。そう思えば、幾分か気は楽になる。
 
生意気といえば、灰崎ドコ行ったんだ? 視線をさ迷わせて、くすんだ深緑の集団に混ざる目に痛い赤色を確認した。あそこは確か、霧崎第一、だったっけか。なんつーかガラが悪いが、残念なことに灰崎のやつ結構馴染んでやがる。……まァ、話し相手が増える分にはいっか。
  
休憩時間として、俺たちが帰ってきてから30分後に報告会をするらしい。あと20分くらいだろうか。
タツヤが離れて1人になり、灰崎から逸らした視線をそのままぐるりと左に流していると、青峰にお辞儀をしている椥辻とそれを無表情で見下ろす緑間を見つける。しかも、たまたま前者とはその直後にバッチリ目が合っちまった。椥辻は緑間に一言二言何かを告げると、こちらへ真っ直ぐひとり歩いてくる。  

『お疲れ様でした、虹村くん』
 
「おう、……サンキュ。わざわざソレを言いに来たんか?」   
 
『うん。翔一先輩も高尾くんも青峰くんも、みんな虹村くんが大活躍してたって言ってたから……。あっ、もちろんそう聞いてなくても言いに来るつもりだったよ!? 危ない仕事をありがとう』
 
「……いや。あんなん、礼を言われて良いようなことじゃねーよ」
 
俺の返答に双眸を丸める椥辻。その後数秒間伏せられた顔のせいで、無意識に重りをつけた気の利かない台詞に対する表情は掴めない。
何を言ってんだ俺は。嘘でもどういたしましての一言くらい舌に乗せてやらァ良かったのに。そんな後悔がジリジリと背後から首を締め付けるようで口を曲げる。 
 
『───ううん。でも私には、やっぱりお礼を言うべきことだよ』
 
「へ」
 
まさに今、この口で象っていたであろう字面の音を情けなく零す。椥辻はいつの間にかしっかりと俺を見上げていて、呆ける自分の映る黒い真珠は不思議と赤司を思わせた。この短時間で何となくいつも笑ってるようなイメージ持っていた彼女は真剣な眼差しだった。
台詞に加え、そんなギャップにも驚いていた様子にハッとして即座に口角を上げる椥辻。少し視線を逸らして、作り笑い。
 
『えっと、なんていうか……。虹村くんにとっては、……倒すって感覚よりももっと、深刻で、残酷なものだったかもしれないけど、私たちにはやっぱりこれからの行動の安心が増えたし、その、…………ごめんなさい』 
 
「……なんで謝ンだよ。いい、分かった。伝わったよ、ありがとな」 
 
上手く言葉にならなかったのか、途中で失速していく椥辻の心に苦笑する。その意図を理解したと言えば『本当に?』と不安そうに尋ねるから、「おう」と間髪入れずに返した。ホッとしたような顔をする椥辻だが、それでもまた申し訳なさそうに眉根を寄せる。
 
『…………ごめん。やっぱり “ごめん” のほうが言わなくちゃいけないや、虹村くん』

「は? 何でだよ」  
   
『だって、……本当は、……私の仕事だった。……倒すんじゃなくて、殺してしまった感覚は、……、虹村くんを苦しめてるよね?』
 
その発言は、鈍器で頭を殴られたみたいに脳を揺らした。
コイツ、バカなんじゃねーの。さっきそれで緑間んとこの先輩に怒られてたろ。今吉さんにだって釘を刺されて、しっかり傷ついてただろーが。
  
『だから、ありがとうも勿論あるけど、謝らなくちゃって「ンなわけねーだろ」……え、』
 
「あれは俺の仕事だった。俺のアルファベットが落ちてたことも今吉さんたちから聞いてんだろ。間違っても椥辻の仕事なんかじゃねェ。あんなことオメーが知る必要ない。あんな感覚は、後にも先にも俺だけでいいんだよ」

『……そういう風にさせてしまったから、ごめんって言いたいんだよ、虹村くん』  
  
「っ、」
 
『殺す側の気持ちなんて、知らないでいて欲しかった。……私が男子だったら良かったね。ごめんね』
 
どうしてか。10センチ以上低いとこにある顔は泣きそうで、なのに笑っていて。意味がわからなくて、仕方なくて。なんでそうなんだって怒鳴りたくなるのに、喉の奥がキュッと締まって動かせない。
優しさに塗れているが、とんだ鉛玉だ。ソレを、……まるで、自分は知ってるような言い草。守られるだけじゃ満足しないどころか、守られることすら厭う言動。笑えば、少なくとも知り合いの空気を和ませる椥辻が、どんどん遠くなって行く気がした。
こういう反応に気づけば、彼女はパッと取り繕った表情を見せると今さっき学んだはずなのに。俺は性懲りも無くまた呆けてしまう。
  
『ぁ、いや、変なこと言ってごめん! でも、アレだね!! 虹村くんが無事で良かった! ホントにありがとう!』 
 
「……オメーは、…………」
 
『ん?』
 
「……いや、何でもねぇわ。あんまし勝手に考えて動くなよ」
 
『アッハイ。』 
 
こちとら言葉も飲み込んで、なかなか神妙な面持ちで言ったというのに。癖なのか、また視線を逸らす椥辻はどうも覚えがありすぎるようだ。学ばないのはどっちもどっちらしい。
嘘が下手くそな様子も、どうしてか緊張感が緩むような雰囲気も、……いざという時に自分をセーブするのが不得手な印象も。その姿は想像に容易くて、肩の力が抜けるのと同じように鼻から息がフッと漏れる。

『え、なんで笑ったの!?』
 
「いや、口だけになりそうだなって」
 
『な、ならないよ! …うに気をつけます……』
 
「言わんこっちゃねーな」
 
ぐうの音も出てこないのに更に喉を震わせると『この話はもう終わり!』と勝手に緞帳を降ろされた。少し頬を紅く染める椥辻は、その小さな両手を胸の前でパンッと合わせる。
 
『あ、そうだ! 虹村くんは甘いもの平気?』
 
「おう。すんごい甘ったるいヤツは得意じゃねェけど」
 
『じゃあ食べれるかな? さっき火神くんとクッキー焼いたの』
 
「クッキー!?」
 
『うん。紫原くんがすごい消費するから、虹村くんたちのは別に取っといてって氷室くんがアドバイスをくれて……。後でそこのテーブルに置くから、翔一先輩たちと食べてね』
 
まるでココが自分の家のように振舞う椥辻はふわりと微笑んでいる。順応力の高いヤツだな。……そうさせてるのかもしれねェけど。
 
そんな椥辻が、少し遠くから飛んできた自分を呼ぶ声に振り向く。大きすぎない絶妙な音量の凛と張ったソレは、椥辻の表情を喜びに変える。『はい!』と年下には些か不相応な返事をした。
 
『呼ばれたから行ってくるね。本当にお疲れ様! ゆっくり休んでね!』 
 
異質な存在。キーパーソン。俺なんかより余っ程重いモンを背負ってるくせして、軽い足取りで声の方向に向かっていく。
ソレを目で追った先にいる後輩は───心無しか、僅かに安堵したような、そんな……あんまし理解したくない顔をしている風に見えて。だが俺の視線に気づくと、数ミリ単位の筋肉運動で平生のモノに変えて、会釈をされる。
  
───なァ赤司。危ねェ存在なのは認めるよ。というより危なっかしい、って感じだけどな。でも、……ソイツは本当に、情を抱いちゃいけねェ相手か?
心からの親切心で言ってくれた忠告だというのは分かってる。ただ、昨夜耳打ちに近い声で言われた内容は今になって喉元まで戻ってきて、飲み込めなくなっちまった。
 
休憩が終わるまで、あと5分。意外に時間が経ってないのにも、複雑な心地がする。