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「#エロ」のBL小説を読む
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アリウムの唄

仏滅

重い。進まない。まるで、足枷の先に大きな鉛球が付いているみたいだ。どんなに前へと爪先で地面を蹴りだしても、推進力がちっとも働かない。
気づいたらこうなっていた。視力は健全なはずなのに、景色が明瞭としていない。一面灰色で、辛うじて自分の影が確認できるくらいだ。一本道なのか、曲がり角があるのか、それすら認識できない。室内? 屋外? ここは何処で、どうしてこんな状況なのか。殆どのことが分からないまま、もう何分も経っている気がした。
一つだけ明白なのは、 “ワタシ” が何かから逃げているという意識があることだけ。逃げろ逃げろと頭のなかで誰かがひたすら連呼する。危機感、恐怖、焦燥───既に “ワタシ” が持っていたらしいそれらは声によって増幅していく。
 
だけど、嗚呼、どうしよう。苦しい。息ができない。もう走れない。だけど、止まってはいけない。だって、だって、 “アレ” が来る。後ろは怖くて振り向けないけれど、きっともう直ぐソコまで迫っているはずなんだ。この足を棒にしたら最期、何もかも失ってしまうんだ。だから逃げなくちゃ。逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて、そうして、真太郎を───せめて、真太郎だけでも、助けなくちゃ、守らなくちゃ。唯一であるワタシが、私が、わたしが。その為には、……そう。何だってヤラナクチャ──────。
 
 
 
 
 
 
 
 
途中で足場が崩れたらしい。ジェットコースターで味わうような浮遊感が心臓を持ち上げて、跳び跳ねるような感覚で目を覚ました。バクバク唸る胸と息切れを交えた呼吸に、ちっとも休めた気がしない。吸入器は咥える部分が口から外れていた。
 
「円香……?」
 
声を辿る視線の先、直ぐ傍に真太郎がいた。ダイニングにあったような椅子に腰かけて本を開いている。前に私が薦めた推理小説だ。ここに在るということは、カバンに入れて持ち歩きつつ読んでくれているらしい。
栞紙を挟んでからパタンと音を立てて閉じられる。その様子をぼーっと眺めていた私の額に、テーピングが巻かれた白い指が数本、第1関節辺りで軽く触れる。
 
「汗を掻いているが、具合は大丈夫か?」
 
『うん、ちょっと怖い夢を見た……気がする』
 
「怖い夢?」
 
『……たぶん? でも、うーん、よく覚えてないや』
 
どんな世界にいたんだっけ。ついさっきまでソコにいたはずなのに……。良い夢で無かったことは確かだけれど、どういった内容で何故怖かったのかを思い出せるほどの記憶が残っていない。心臓はもう落ち着いている。けろりとしていれば真太郎も深く言及しなかった。
吸入器を私の手から取り去って中身を確認している。その間に身体を起こした私は一度大きく深呼吸をした。おかしな呼吸音は聞こえない。発作は無事に収まったらしい。

室内を見回して、真太郎と2人きりであることを視認する。吸入器を用意してくれた真くんは眠りにつくまで居てくれたのを覚えているけど、既に部屋を出ているようだ。
……………………というか。
 
『やばい! また寝ちゃった!! どれくらい!? どれくらい寝てた!?』
 
「落ち着くのだよ。おおよそ30分くらいしか経っていない」
 
真太郎が見せてくれたケータイの画面はストップウォッチ機能を表示していた。32:45、32:46、32:47……1秒ごとに少しずつ形を変える数字を見て、顔を歪める。大分ゆったりしてしまった。こんな風にしてていい存在じゃないのに。
だけど、その自責をもお見通しらしい真太郎の方が倍ほど険しい顔つきで端末の画面をオフにする。「薬も飲んでいない上に走ったとあれば、こうなるのは必然に近かった。円香に落ち度は全くないのだよ」そんな優しい毒を流した後で、眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
 
「ちなみに、無理をしたことに関しては別の話だ」
 
『え゙』
 
「特に宮地さんは大層お怒りだった」
 
『む、無理なんてしてないし不可抗力なのですが……!!』
 
「俺に言われても困るのだよ」     
 
イスから立ち上がってしまう真太郎の腕を咄嗟にガッシリ掴む。『どっ、どこにいくの!?』「起きたら教えるよう宮地さんに頼まれて『起きてない!! 眠い!! まだ眠いなぁ!!』 往生際が悪いのだよ!!」真太郎の声にもいやいや首を振り、十数年ぶりに駄々を捏ねてみる。あきれているだろう表情に罪悪感や自己嫌悪を沸かせたくなくて俯いていたのに、突然酷く優しい感触が頭を撫でる。
 
「……本当に、気が気で無かったのだよ」

『ッ、』
 
「頼むから、……もう少し守られていてくれ、円香」
 
『しんたろう……?』    
 
上から軽く負荷が掛けられていて面を上げることを許されない。それでなくても、彼の表情を窺うことは憚られた。きっとそれは、真太郎の男としてのプライドに皹を入れてしまうような気がしたんだ。

いつも私の後ろをよちよち付いてきたり真似事をしたりするような頃から一緒にいた彼は、いまでも可愛い弟の存在で、それはこれから先も恐らく揺るがない、はずなのに。
この世界に来てから、どうしてだか途端に遠くに感じてしまう。私の知らない───弟じゃない真太郎ばかりが眼に映るのだ。時に眩しく時に暗転していて、慣れない為にどうしたって目を閉じてしまう。それは瞬きに近い一過性のものだけれど、瞼を持ち上げたときには既にいつも通りの真太郎に戻っている。
大切なものを見逃してしまった気がしたけれど、完全に後の祭りだ。はぐらかされてしまうことも、それを覆すくらいの図星さえ当てられないことも分かっているから私は黙る。千里眼を錯覚させる洞察力を持つ真くんや翔一先輩がとても羨ましくなって、それから情けなさも覚えて。あぁ、どうしようもない。私は愚かさを隠すために苦笑いを貼り付けることしか知らないのだ。
 
「───とにかく、良い機会だ。しっかり灸を据えてもらうのだよ」
 
『はい……』  
 
 
 
発作はすっかり収まったので、真太郎を言い聞かせて一緒に寝室を出る。さっきまで居たのは昨夜休息を取った女子部屋でなかった為に、扉を開ければすぐにダイニングだ。
いち早く私の名前を呼んでくれたのはすぐ側にある円卓についていたリコで、ガタガタ慌ただしくイスを鳴らして立ち上がっては軽い衝撃と共に飛びついてくる。

「もうっ!! もぉーーーっ!!」
 
『あー……ごめんなさい……』
 
ぎゅうぎゅうと抱きしめながらの唸り声は明確な言語でなかったけれど、言わんとしていることは伝わった。キュ、と申し訳程度に背中に腕を回せば「円香のバカ!!」と罵られる。ここまで言われちゃ罪悪感だって増し増しになるというもの。あのときの選択に後悔はないし最善策というか他に道すら無かったけれど、言い訳なんて出来やしない。もう一度『ごめん』を繰り返して、おでこが彼女の肩にぶつかるくらい力を入れ直した。
 
赤司くんの宥めるような促しで身体を離してもリコはぶぅたれた顔をして、暫く私を許す気はなさそうだ。けれどしっかりと手を握ってさっきの席まで引っ張る。
真太郎を見上げて、それから彼の視線の誘導で宮地先輩を見つけた。ひぇ、思ったよりお怒りだ。彼も随分リコに似た顔で頬杖をついて私を見ていたようで、目が合うのは光の速さだった。何とも居たたまれない。会釈をする形でそそくさと視線を逸らし、鉄平くんが空けてくれたリコの隣に座る。
私の左に座り直した彼は右と対照的すぎるスマイルで言う。
 
「お疲れ円香。発作は治まったか?」
 
『うん、お陰さまで。鉄平くんも、みんなも、心配かけてごめんなさい』
 
「全くだアホ。伊月の生命線がどんどん短くなっちまうだろ」  
 
「なっなななにを言ってるのかなァ日向くんは!!」 
 
「でもドキドキしたのは本当だよカイチョー。水戸部もオレもずっとソワソワしちゃってたし……」
 
『……気を付けます』  
 
肩を縮めて頭を下げる。薬を飲まないだけでこんなに発作頻度が上がるとは想定外だった。早く片付けないと、どんどん自分の役目を発揮できなくなってしまう。ここにいる意味を失うわけにはいかないのに……。
  
 
膝の上で右拳を作り、グッと力を込める。爪が手のひらに当たったのを感じたところで、赤司くんが形の良い唇を開けた。

「椥辻さんも戻って来られたので、ここから先の具体案を話しましょう」
 
「せやな。笠松たちの話によると、外でワシたちを追っかけ回したんは盗賊やっちゅー話で、となると “タフィー” なるウェールズの盗賊がアレの正体や」
 
『出てきた方───階段の近くの部屋は、“タフィーの部屋” ってプレートがかかってました』
 
「おん、ワシもそれは覚えとる。何人かも同じみたいやな」

数人が頷いたのを確認した翔一先輩は、テーブルの上に置いてあった本を持ち上げた。マザーグース全集───恐らく、タフィーもその中の1つに出てくるんだろう。パラパラとページの山が右から左に移り行き、1/3になったところで雪崩が止まる。

「で、この本に出てくるタフィーはまぁ色んなモンを盗んで挙げ句やっつけられるんやけど……。問題はワシらも同じ事をするか否か、や」
 
ふぅ、と息を多めに吐いた先輩の顔が、こちらに向けられる。それを追った視線が何個も……いや、何十個も注がれて、思わず背筋を正した。背凭れから離れた背中に、緊張が混ざった空気が当たる。

「……原と高尾は、本の内容がヒントや言う考えや。円香チャンは?」
 
『……私もそう思います』
 
誰も声は出さなかったけれどざわめくような雰囲気に変わる。本の内容がヒント、ということは、本と同じ事をするということ。そしてそれは、タフィーを倒す───殺すのと同義。だから、

『でも、』

───だから。方法が、重要なんだ。
  
『……本の、内容は、……私にも、出来ますか』
 
翔一先輩の目が少し開く。俗に言う三白眼が私と本とを1度だけ行き来して、ゆっくりと閉じられた。時間は止まらない。この世界は終わらず、出口は出てこない。
  
「……いんや、厳しいわ。円香チャンの力じゃまず不可能。ワシだけでもしんどいかもしれへん」
 
「俺一人でも可能性は低いです。今吉さんや笠松さんたちから聞いた特徴を考慮すれば、身長は190近く、握力も50以上が求められます」
 
身長190、握力50。後者は分からないけれど、目測ならば該当する人は限られてくる。紫原くん、劉さん、宮地先輩、青峰くん、……鉄平くん、真太郎……。少なくともそこに私は入らない。論外だ。
 
そうなると話は大きく違ってくる。まずそんなに力が必要なら、方法は惨たらしいものになるだろう。急所として知られる心臓や脳を狙うことは必至、武器だってあの巨体に対抗するにはそれなりの重量が必要だ。
だとすれば話は違ってくる。いくらヒントでも、これだけ人がいれば何か別の切り口があるはずだ。

『それなら、やっぱり私は賛成しません』
 
「え、ちょっと円香?」
 
『私が出来ないなら、違う方法を探しましょう』
 
「なっ、あんたねぇ……!」
 
リコの手が上腕を掴んでくる。それを笑顔で迎えて、翔一先輩の方へ視線を戻した。けれど、メガネのブリッジを押し上げる翔一先輩は合わせてくれない。
 
「それは合理的じゃあらへんな」 
 
……ですよね。
 
「元より円香チャンにやらせるつもりで検討しとるわけやない。 メンバー決めもかなり慎重にするつもりや。円香チャンの出来る出来ないは関係ないで」
 
『っ、でも、』
 
ユーキちゃんの言や、これまでの現象を信じるなら。この世界への扉を作ったのはきっと私だ。それなら、未だ出現しない出口を作るのも私なはず。もしもそれが地獄の業だというのなら尚更、私がして然るべきで。巻き込まれた人に殺らせるものでは決して無いのに。
試されているのは勇気や忍耐力なんかじゃない。こんなに人数がいるのだから、私一人の賢明な決断力なんかでもない。試練を合格したところで私が獲得するものにプラスの要素なんてないのだろう。だから、高みの見物をしてろというのが試練なら、脱出が遠回りになってでも落第する。

『させられ、ません……』
 
幸い、アレは人間じゃない。怪物だ。シュミレーションゲームでよく倒すモノと一緒のもの。情に流されるような余地はない。いつも通り、倒すだけ。私にとっては慣れあるものだ。
だけど、真太郎たちはそうじゃない。寝る暇も惜しむほどボールを触っていたい彼らが、私のように四六時中ゲームしたいと思っている可能性は低い。必然、経験も浅い。
勿論、ゲームと実際にやるのでは訳が違うのも解ってる。銃を撃てば反動で腕に衝撃を受けるだろうし、照準を合わせるのにレーザーポインタなどは使えない。思ったところに当たらない。あんなに軽快に走れない。ケガをして血を流しても屋敷中を探索して走り回れる気がしない。

でも、私がやらなくちゃならない。心当たりなんてないけれど、私を哀しませたり苦しませたりするのが目的のゲームなら、たとえクリアの為でも、その感情を他人にやらせることで抱きたくない。だから───。
 
『この世界では私の役目です。私が、……壊れたり、死んだりすることがここから脱出する条け「黙れ」ッ……』
 
左斜め後ろ、いくつかテーブルを挟んだ場所から飛んできた矢が、真っ直ぐ首を貫いて喉を射抜く。振り返らなくても誰が放ったのかは直ぐに分かった。真太郎でも、真くんでもない。
 
「それ以上言ったら一生その口開けなくさせる」
 
『…………宮地先輩……』
 
刺々しい声。恐る恐る姿を確認して、目の当たりになる殺気に伸ばしていた背筋ごと氷付けになる。部屋から出てきた直後とは比べ物にならなかった。何が、とは言うまでもない。
 
「今吉、続けろ。どうせソイツは次の探索に出れねぇんだ。バケモノ退治にはどんな方法であれ不参加だろ」
 
「……せやな。一応ヒントにすべきやっちゅう言質は取ったし、この本に書いてある通りにやってみよか」
 
『翔一先輩!!』
 
「悪いんやけど、今回はちょっとワシも怒っとるで円香チャン」
 
『ッ、』
 
「自己犠牲はキレイで立派に見えるけど、正しいとは限らへん。誰かのために傷つくんも簡単なことやないし、円香チャンの良いところでもある」
 
けどな───逆接の音が聞こえる頃には、心臓はバクバクだった。まるで全力疾走した後みたいに酸素を巡らせようとするポンプは、収縮を繰り返す。
 
「庇われるもんの気持ちも考えられへんと、ただの自己満足で終いや」
 
ガツンと鈍器で頭を殴られたような衝撃で、実際に頭痛が走った。同時に、どうしてか肩の辺りが痛い。
反射で閉じた視界は真っ暗で、だけど何かが映りかける。砂嵐が混じった白黒の映像。認識できたのは怯えた表情の少年だ。
映像は不鮮明のまま、一瞬でプツリと消えた。思わず左耳の上の辺りを押さえながら、唯一しっかりと判別できた被写体を思う。───真太郎……なんで、あんな表情をしてたんだっけ。
 
「方向性は決まりや。桃井、誠凛のカントクサンと円香チャン連れて別室に移動しててくれ」
 
「は、はいっ!」
 
「……行くわよ円香。お昼ご飯の準備でもして待ちましょう」
 
「っあーー、待ってカントク!! それはいいよ!! 後で火神とかにやらせるし!!」
 
「そっ、そうっすよ! 俺やるんで、カントクは部屋にいてくれ! です!!」 
 
私の手を引いて逸早く立ち上がったリコを日向くんと火神くんが止める。 
 
「何でよ。桃井さん、あなたもそっちの方が良いと思うわよね」
 
「え、あっ、そうですね!」
 
「オイコラ余計なこと言ってンじゃねぇぞ。部屋で大人しくしてろさつき」      
 
「でも暇だし……」
 
「桃井、カバンに電子辞書は入っているか」
 
「電子辞書? うん、あるけど……」
 
「それなら、この本の全訳を3人で作って欲しい。そんなに量はないから大丈夫なはずだ。今後アイテムとして出そうなものや、今までの探索と関連するものもまとめておいてくれると助かる」
 
「分かった」
 
赤司くんが指しながら言った本を、翔一先輩はさつきちゃんに渡す。受け取った彼女はテーブルの上のペンとメモ帳をパーカーのポケットに入れて私たちのところへ来た。
 
「行きましょうか」
 
「えぇ。……円香、諦めなさい」
 
『……はい……』
 
渋々立ち上がり、ふたりについてダイニングを出る。行き先は寝泊まりした左手最奥の部屋で、カバンから筆箱と電子辞書を取り出したふたりはローファーを脱いでベットの上へ上がった。
 
私は立ち呆ける。初めて作戦会議から外された。いよいよ、私のいる意味が無くなってきてしまう。薬が無い今、探索だって満足にできなくなっていくかもしれない。最悪だ。
……何より、宮地先輩と翔一先輩を怒らせた。あんな目付きで見られたの、初めてだ。どうすれば良いだろう。これから、どうしていけば良いんだろう。最適な案だと、思っていたのに。
私が皆を守る方法なんて、それくらいしかないのに。
 
視界の端、ベッドの方で何かが動いた。「円香」リコが私を呼ぶ。私は、……リコも泣かせて、傷つけて、心配させて、それなのに護る術すら失ってしまうのか。
 
「円香、何突っ立ってるの」
 
『……ごめんなさい……』
 
「はぁ。あのね、あなたは女子なの。同じ女子でも私と円香に能力の差があるなら、男女にもソレがあって当たり前でしょ」

何に謝っているのかを悟っている彼女は、ボールペンを指先でくるりくるりと回す。私に出来ないペン回しを癖のようにやってのけた。
 
「いい? 出来る範囲で頑張るのよ。出来ないことをやりたいのなら、余裕のあるときにしなさい。今はダメ。ただの足手まといでしかないわ。悔しいなら私みたいに口答えだけで我慢しなさい」
 
『っ……』
 
「頭がいい人が全て正しい世の中じゃない。だから、もし赤司くんとかが貴女を必要としなくなったとき、私は命張ってでも円香を庇うし傍にいる。私には円香が必要なの」
 
「わ、わたしも!! さっきの探索に一緒に来てくれたのスゴく嬉しかったですし、ご飯も美味しくて、もっと仲良くなりたいです! 私にも椥辻先輩が必要です!」

目元から頬へ、段々と皮膚が濡れていく。唇を噛んで、手で瞼を押さえる。
そう言われて嬉しかったのは、必要とされたかった自分を肯定する。役に立ちたい。そう思うのは、紛れもなく居場所が欲しいからだ。誰かのため、だけじゃない。そんな立派なものじゃない。自己保身だって混ざってる、キレイには程遠い。

「それと、誰だって自分が一番可愛いの。自分がいなくちゃ結局幸せも喜びも、感情は何一つ得られないんだから、そんなの必然な思考だからね」
 
「はい。ですから、私たちと一緒にいたいと思う椥辻さんは、ちっとも悪くなんかありませんよ」
 
それなのに、そんな私ですら認めてくれるこの世界は優しくて、憎めない。残酷なのは熟知しているのに、捨てきれない。
まるで心を見透かしたようなふたりの言葉で、胸が苦しくなる。声を押し殺して泣く私を、リコとさつきちゃんは笑いながらベッドへ引く。赤司くんに言われた作業に手がつかない私に時おり質問だけして、ふたりはマザーグースの訳を進めた。