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アリウムの唄

先勝

話しかけようと思って近づいたものの、呼び掛けるより先にギロリと睨まれて言葉に詰まる。蛇に睨まれた蛙の気持ちはきっと同じようなものだろう。
 
「何だよ」
 
『ぁ、えっと、あの……、』  
 
「さっさと探索行けよ、行きたいんだろ?」
 
グサグサ心に刺さる物言いは、同時に距離を突き放す牽制でもあって。何を伝えれば良いのか、途端に正解が欲しくなる。これ以上気分を害させないためにも間違いを避けたくて、頭の中を引っ掻き回して必死に言葉を探した。
でも、1分使っても全然見つからない。沈黙に耐えきれなくなって、とりあえず当たり障りのない挨拶的なもので誤魔化そうとした矢先に、宮地先輩はため息を吐いた。
 
「……それとも俺に何か用でもあんの?」
 
『は、はいっ!』
 
「なら30字以内で言え。じゃねーと轢く」
 
『さっ!? えーっと、ちょっと待ってくださいね!?』
 
「こら宮地」 
 
言いたいことを指折り数えていくと、呆れたような声が宮地先輩を諌めた。大坪先輩だ。高尾くん曰く秀徳のママンだという先輩は本当にお母さんみたいな雰囲気を醸している。
 
「意地悪してやるな。小学生みたいだぞ」
 
「な、うっせぇ大坪! 別に俺は……!!」
 
「椥辻もそんな律儀になんなくていいぞ。コイツの無茶ぶりは無視していいから」
 
「何勝手なこと吐かしてやがんだ木村!! 言っとくけど俺は礼儀正しくねぇ後輩は嫌いだからな!」
 
「先輩の言うことを聞くことは礼儀作法じゃない」
 
「木村の言うとおりだな」 

「ぐっ……」
 
言い負かされている宮地先輩を初めて見た。文字通りぐうの音も出し切れず、照明に反射して淡く透ける蜂蜜色の髪をガシガシ手で掻く。あぁ、キューティクルが……。

大坪先輩はフッと笑いながら優しい顔で私を促してくれた。「さ、今だぞ椥辻。言いたいことを言ってやれ」誘導に頷き、座ったままでいる宮地先輩の隣にしゃがんだ。肩の辺りにあった彼の目は頭2つ分くらい上になった。うん、なんというか、見下ろされるほうがしっくり来る。
  
『ごめんなさい』
 
「……何がだよ」
 
『……えーっと、心配かけて?』
 
「別に心配なんてしてねーよ殺すぞ!」
 
「こら清志! 嘘つくんじゃありません!」
 
「真太郎が殺気立つからやめなさい!」
 
「だぁーっ! オメーらのその口調も腹立つんだよ!!」
 
宮地先輩の叫びのせいでかなり注目を浴びてしまっている。名前で呼ぶあたり、たぶんさっきの家族ごっこを模してるのだろう。真太郎がいつも練習してるこの雰囲気を知る度に、彼が秀徳を選んで良かったと心から思う。大坪先輩も木村先輩も、宮地先輩と高尾くんは、私じゃ癒せない傷を埋めてくれた。感謝してもしきれない。
 
「なに笑ってんだ」
 
『いたた! ごめんなさい! でも、仲良くて楽しそうだなぁって』
 
上から降りてきた手が頭を鷲掴みして髪の毛をぐしゃぐしゃ乱す。
真太郎は昔から行儀良くて、少し近寄りがたい印象を持たれがちだった。こんな風に、良い意味で無造作に扱ってくれる人は私か真くんか翔一先輩しかいなかったと思う。しかも私たちはどちらかと言えば言葉で弄るタイプだったから、こうやって温もりを以て “後輩” らしくして貰えるのはまた違う経験なんだろう。
 
熱しにくく冷めにくい真太郎が、おは朝よりも先に懐へ入れたバスケ。いつも楽しそうに練習する姿は印象的で、私のいる中学ではなく帝光中を選んだのもバスケが強いからだった。
それなのに……自分達がチームの要となるはずの3年生のとき、彼の顔からバスケをする満足感が消えた。半ば惰性で続けていたと思う。楽しくなくて、やりたくなくて、でも、好きだから捨てきれなくて。それを埋める何かを見つけられる気もしなかったんだろう。  
それでも私に負を近づけないようにした。それだけ、真太郎にとっては心を抉った出来事があったということ。私は殆ど何もできなくて、……ただ1つだけ、バスケ部がない誠凛を選んだことでしか彼に安堵を与えることができなかった。まあそれも、後で消してしまったのだけれど。
 
だから、この感情はとても身勝手で、感謝だけで示せるほどキレイなものではないかもしれないけれど。自分だけでなく他人のために人事を尽くせるところまで真太郎の成長を支えてくれた秀徳の皆さんには、頭が上がらない。
もし私のせいで彼らを巻き込んでしまったのなら、恩を仇で返すなんて喩えじゃ済まされないことだ。
  
「……楽しくねーよバカ」
 
『え、』
 
「……いいから早く探索行ってこい。ちゃんと帰って来なきゃ木村の軽トラで壁に挟むからな」
 
「新しいな」「そして地味に優しい」
 
「なんでそうなんだよ木村ァ!!」
 
始まった宮地先輩への揶揄かやっぱり面白くて、朝から心がほっこりする。 “楽しくない” という言には白線が引かれてしまって、踏み越えることを許されていない私は彼の気持ちを無視して安らぎを感じることしかできない。それはとてももどかしくて、───だからこそ、出来ることを全うしたいと願う。
 
『わかりました、ちゃんと帰ってきます』
 
「あぁ。気を付けていくんだぞ椥辻」
 
『はいお母さん』
 
「オイ」
 
「今吉とかいうキツネに騙されるなよ」
 
『はいお父さん』
 
「オイ!」「なんか心外なもんが聞こえたんやけどー」
 
『それじゃあ行ってきますお兄ちゃん!』
 
「っだ、誰がオメーのお兄ちゃんだ刺すぞ!!」
 
「ちょっとちょっと!? なに面白いこと始めてるんすか! 可愛い末っ子ズもいれてくださーい!」
 
「引っ張るな高尾!! お前は全く可愛くないのだよ!!」 
 
    
         

 
秀徳ファミリーとの茶番のあと、真太郎たちを見送ってから10分ほど遅れて私たちも探索に出た。向かった【E. W. S. N.】とプレートが掛かっている部屋───通称【東西南北】にも、扉の横に同じようなカードリーダーがある。他とは違い、ここだけ上に設置されたダイオードランプが横に4つ並んでいる。そして、最初の探索で確認したときは全部赤色だったのに対し、今は左から3つ目だけが黄緑色に染まっていた。「円香チャンの予想は半分当たってたかもしれへんな」翔一先輩の台詞に、さつきちゃんが首を傾げる。
 
「昨日、1回ピーって音なったやろ?」
 
「はい。───あぁ! 確か、ここって全部赤色だったんですよね?」
 
「せや。円香チャンがあんとき言った “どこかが開いたかも” はこの1つかもしれへん。他のドア開けたときも同じ音やったからな」
 
ふたりの会話に紫原くんは「そーだっけ〜?」と欠伸をする。あまり眠れなかったのかな……。

翔一先輩の指示で、W、E、S の順にカードを通す運びになった。先輩の赤色を通した時点で、聞き覚えのある電子音が館中に響いた。……よく考えたら、この音の大きさが怖い。物音に反応する敵がいなければいいんけれど……。警戒しておこう。
左から2番目のランプに黄緑色が入る。どうやら鍵開けの考察はビンゴみたいだ。青色のカードが続いて2枚通され、同じ数だけの電子音と変色が起こる。そして、極めつけはガチャンとそれらしい音がしたことだった。
 
「開いた!」
 
嬉しそうに反応するさつきちゃんに笑顔を返しながらも、ドアから離れさせる。どんな場所でも、やっぱり部屋のなかに入るときに無防備なのは賢明にほど遠い。
壁を背に両脇を堅め、翔一先輩が軽くドアを開け放つ。中から何も出てこないことを確認してから、さつきちゃんと紫原くんを控えさせたままゆっくりとふたりで部屋の中へ入った。視界の障害となるような大きい家具は無く、翔一先輩とアイコンタクトを交わしたあとで待機している1年生たちを迎える。

4人で改めて部屋を見回してみた。在るものは比較的少ない、というか背の低いものばかりだ。
中心に、長い1本脚の小さな円卓が4つ、十字型に1メートルほどの間隔で置かれている。机上は空白……、だか、中央に矢印のようなマークが全て彫られている。3本の線が全て同じ長さだから矢印ではないと思うんだけど……。他には何もないから、ここに私たちの手で何かを填めるのだろうか。
目の前にはもはやお約束な暖炉。
正面と左右の壁には四角い金の額縁に入れられた絵画。3種とも絵が違う。
 
「扉にも絵がありますよ」
 
さつきちゃんの指を追うように振り返れば、確かに扉にも同じ額に縁取られた油絵が掛けられている。描かれているのは人や熊や兎が二足立ちでハンズアップしていたり、魚が水の上から跳ねていたり。鹿や猪も駆け回る様子がわかる。全体的に黄色やオレンジなど明るい色が使われていた。
正面と右手の絵……、舞台はどちらも水だ。前者は黒い檻に入れられたサメのような魚が白く鋭い歯をガッチリ合わせていて、檻の外にいる小魚がニヤニヤとそれを見て笑っている。後者は手前に陸、奥に海が広がり、陸には小麦色の肌をした屈強な男性たちが頭に手を宛てて鑑賞者側へ歩いてきている。岸には大小様々な船が繋がっているところを見ると、彼らの職業は何となく想像できる。
そして、左手の絵は人間と動物たちが殺しあっている何とも残酷なものだった。リコやさつきちゃんにはとても見せたくない。赤と黒だけで描かれた禍々しいそれは、照明の光すら飲み込んでしまいそうだ。
 
暖炉と円卓、絵画以外は閉まっている両開きのクローゼットと、5段の棚。それから、四隅に置かれた植木鉢。植えられているのは見覚えのないものだ。私より少し低いくらいの背丈で、枝先には少し赤みがかった白い鐘形の小さな花が連なるように密集して咲いている。
 

「とりあえず鍵とか無いか探してみよか。ただし、見つけたもんは勝手に触ったらアカンで。あとでまとめて報告してもらうさかい、何か見つけたらとりあえず覚えといてな」
 
「『はい』」
 
私とさつきちゃんを「ええ返事や」と褒める翔一先輩の誘導で、各々部屋に散らばる。私は暖炉の中を、さつきちゃんはクローゼットを、紫原くんは棚を、先輩は植木鉢に手を伸ばした。
暖炉の中には薪が重なっていて、特に何もない。某ゾンビゲームの新作にあったような仕掛けを求めて上を確認したけれど、ハズレだ。 
立ち上がり、次の探索場所を探す。翔一先輩はあの残酷な絵画の前に立っていた。さつきちゃんもクローゼットは見終わったらしく、しゃがみこんで5段目を開く紫原くんの隣にいる。
 
「あー、お菓子だ〜」
 
「ちょっとダメだよむっくん! 触らないでって言われたでしょう!」
 
「はぁ? 触ってケガするわけないじゃん」
 
「危ないものが塗られてるかもしれないよ!?」
 
「そんなのアイテム集められないし。そーゆーのはたぶんないってば」
 
───驚いた。紫原くんは思ったより論理的思考回路を持っているらしい。
確かに彼の言うとおり、何かを回収するのが必須な条件下でアイテムを触れなくする方法に印の無いトラップはつけないのが普通だ。あったとしたら言葉や伏線が隠されているだろうし、それすら見つけられなかった場合を考慮して致死性や危険性の高いものも避けられている。チェスの駒のバリアが静電気だったことを考えても、恐らくそのルールはこの世界でも適用しているはず。
それでも翔一先輩が触らないよう線を引いたのは、チェスの駒があるからだ。
  
彼に近づく間、論破されてしまったさつきちゃんの目を盗んで紫原くんがお菓子を摘まむ。ラムネ、だろうか。透明なフィルムの両端は良くイラストで見るみたいに捩ってある。 
 
「ねー、コレ食べても大丈夫ー?」
 
『えっ!? いや、それはちょっと……』
 
「お腹すいたんだけど〜」
 
「もーむっくんたら……。さっき朝ごはん食べたばっかりじゃない……」
 
「甘いものは別腹だし」
 
甘いものかぁ。アメで良ければあげられるけど、きっとそれだけじゃ足りないんだろう。あ、そうだ。
 
『クッキーでいいならこの探索が終わったら作れるよ』 
 
「マジで!?」
 
『うん。次は探索に出れないから、その間に作るね』
 
「あー、これで生きていけるー」
 
大袈裟だなぁ。さつきちゃんと顔を見合わせて笑う和やかな雰囲気の中、翔一先輩が声をかけてきた。見つけたものを報告する時間だ。
暖炉の中は薪しかなかった一方、さつきちゃんと紫原くんはいくつかアイテムを見つけてくれた。クローゼットの中には、黒いワイヤーと、鳥の……巣、だと思わしきもの。棚の1段目と2段目は空で、3段目に葉っぱ───曰くミントの香りがしたらしい───、4段目に鳥の模型、5段目にお菓子が入ってたとのこと。チェスの駒の報告は上がって来ない。
翔一先輩はふたりに鳥の模型と巣を回収してくるよう頼んだ。確かに関連しているその2つは怪しい。というか、鳥、ね。なるほど……。
他は一貫性が無さすぎてキリがないから、とりあえず置いといても大丈夫だと思う。
 
「あれ……。んー?」
 
『さつきちゃん? どうしたの?』
 
「コレ取れないんです」
 
『よっ、…………、……本当だね。じゃあ鳥の巣があることだけ覚えておこっか』
 
「はい」    
  
さつきちゃんが見つけてくれた2つのうち、鳥の巣はクローゼットの底にしっかり貼り付いていてびくともしなかった。仕方ないのでワイヤーだけを持ってもらう。
翔一先輩の見立てと私の推察からすれば、現段階でこれ以上やれることは恐らくない。ここの部屋に何か仕掛けがあることは円卓をみる限りほぼ確実だし、何となくやることも少し分かるけれど、肝心のところはヒントが無さすぎて進められない。今まで同様、マザーグースに掛けてあるなら……。
全集のページ全てに目を通した翔一先輩を見上げる。
 
『見当はついてますか?』
 
「おん、まぁ大体な」
 
『むぅ……』
 
「まぁまぁ、そんな顔しなさんな。この仕掛けは他にも探さなアカンものがあるんや。時間いっぱいまで探しに行くで」  
 
あれが英語じゃなければ、私だって全部読むのに。如何せん時間を使いすぎてしまうのは分かりきっているから手を出せないでいる。
悔しさにかまけている私の背中を押した翔一先輩と、この部屋を出た。廊下を抜けて拠点の大部屋がある右方に曲がる。
 
「円香チャンも仕掛け自分で解きたいんやろ?」
 
『はい!』
 
「そんなら、桃井を送るついでにあの本持って来よか。読むページは教えたるで」
 
『やった!』「えっ」 
 
喜ぶ私の後ろで、さつきちゃんは驚いた声を出す。振り返れば不満そうに眉を寄せていた。
 
「私もこのまま探索できます」
 
「お、そうくるか。せやけど、ワシは円香チャン守るので精一杯なんや。堪忍してくへんか?」

「じっ、自分の身は自分で……っ、…………っ」
 
『……さつきちゃん……』
 
最後まで言い切れなかったさつきちゃん。いや、言い切らなかったんだろう。気持ちは何となく分かる。女子であるのに加えてスポーツマンの男子たちと行動するのは、重荷にしかならない。自分の身を守ると言ったって、彼らがそれを鵜呑みにして私たちを放っておく可能性はゼロに等しい。これは自惚れとかじゃなく、信用のお話だ。
 
「……ありがとな、桃井」
 
ポンポンと頭を優しく叩く翔一先輩に、さつきちゃんはぶんぶんと首を振る。……無念と不甲斐なさが痛いほど伝わってくる。同時に、私が探索に出させてもらえるのは探索力と知識ありきのことだと改めて実感した。
……しっかり役目を全うしなきゃ。私もすぐに同じ立場になってしまう。そんなの、耐えられない。さつきちゃんたちには悪いけれど、もしそうなれば私は我慢できず単独行動に走る。でもそれは間接的で、真太郎たちを傍で守れなくなってしまう。いざという時の覚悟は出来ているけれど最良な選択ではない。可能な限り今の状態を維持し続けなければ……。
 
廊下の先に見える安全地帯のドアを視認して、私たちはそこまで歩いた。ドアを開けようと、さつきちゃんの手がドアノブを包んだとき。ゴーンゴーンと、大きな鐘の音が辺りを震撼させた。ビリビリと、骨に響く感覚がする───刹那。ガチャ、バはタンッ。どこかのドアが動く音がした。
聞こえてきたのは左手側。そちらを見るのは好奇心ではなく人間の防衛本能が働いたのだと思う。左を見ながらさつきちゃんの腕を引いて即座にドアを開け、きれいなパステル系統の青緑色をした背中を強引に押しこむ。紫原くんと翔一先輩も押し込もうとしたけれど、右角から現れたモノと目が合う。その一瞬、気を奪われた。
 
「───ミィ……、つケ、たァ……」
 
ニヤリと上がる口角の周りの皮膚は爛れていて、今にも口から裂け目が広がりそう。1階で見たリジー・ボーデンに比べれば身長は桁外れに大きくて、紫原くんと同じかそれ以上だ。筋肉も隆々、その右手には暖炉に使う火かき棒。左手で薄汚れた麻袋を引き摺り、私たちの廊下に対して横向きだった身体を、ゆっくりと正面に向けた。