───「不本意だが、頼りにしてんだからな」
まさかそれが自分に向けられている言葉だなんて思わなかった俺は、自覚した途端に息の吐き方を間違える。パチン、と音を立てて割れた風船に少し眉を寄せた海常の熱血漢っぽい太眉パイセンは、青いジャージのポケットに手を突っ込んだ。
安全地帯と呼ばれてるあのヤベェ部屋を出るときに渡された馬の形をしたプレートは、高校生男子が持つには結構小さい。息を注ぎ直したガムが膨らみ切る前に、ドアノブの右下にある凹みにそいつは填められる。ガチャ、とそれらしき音がしたのは全員の耳に入ったんだと思う。俺以外の奴らは顔を見合わせたもんね。
ドアを開けるときは注意をするよう念を押した円香の思いは蔑ろにされることはなく、パイセンの「開けるぞ」と共にドアノブが回されても誰一人として直ぐに足を踏み入れなかった。
ネズミーランドで流れてるみたいなファンタジーっぽい陽気な音楽が聞こえてきて、実渕から「あら可愛い」と声が漏れる。笠松パイセンが動いたのに合わせて部屋に入ってみると、これまたBGMに相応しいテーマの装いが広がっていた。
部屋から先の床はどういう訳か長方形のレンガが敷かれていて、右側の壁沿いに俺らとほぼ等身大サイズの屋根付きワゴン車が幾つか並んでいる。目の前の壁には青空と、遠近法……っつーの? 床のレンガ道が遠くまで続くみたいに描かれてんの。相変わらず手ェ込んでるねぇ、自宅警備員かよ。
左側は右の壁より3人分くらいの間隔でまた壁があって、向かいの壁同様に街並みが描かれてる中、大体真ん中の辺りに板目アートのドア、んでソイツに合わせるような家の絵。ドアのプレート、っつーか表札には【
「 “元” 几帳面な男? うわ、俺絶対ムリー」
「とりあえずその部屋に入るか」
「そうね。…………原ちゃん? 入らないの?」
先に入った笠松パイセンの後へ続こうとした実渕が、ドアの側に寄らない俺に気づく。案外目敏いなぁ。ま、この状況だからかもしれないけど。
「先行ってていいよん。ここ見てから行くし」
「勝手に一人でこの部屋から出るなよ。お前にはこっちも見てもらわなきゃ困る」
「……ハイハイ」
音だけで飛ばされた、俺にとっちゃレアなご意見に不甲斐なく反応が遅れる。あーやだやだ。期待されるのとかって重いからこういうスタイルにしてんのに……。原ちゃん受け取り慣れてないんですけど? 困っちゃうなぁ全く。
全員が中に入ったことを確認して、少し風船を萎ませてから小さく小さく息を吐いた。向こうから「きゃあ!! 何よコレ!! 気持ち悪い! 悪趣味!! 最悪!!」と実渕の甲高い声が聞こえるけど、どうでもいい。
形を戻したガムを口に仕舞い、大分味の落ちてきたそれをとりあえず噛みながらワゴン車を一から確認する。
どれも人形すらついてないけどご丁寧に品書きが書いてあって、右のワゴンから順に何でも売ってる雑貨屋、花屋、パン屋───1ペニーで十字パン1個。……2個でも1ペニー? おいおい、大丈夫かよこの店。こりゃあ頭ん中ババロア詰まっちゃってるわ。
一番左端の店の品書きは金額じゃなくて物の名前が並んでる。駒鳥の羽1枚でチューリップの種。十字パン1個でスズランの種。ダイヤの指輪1個で鏡……ってぼったくりじゃね? んで、銀のピンで……おっと、これは。
覚えるのはあんまり得意じゃねーから、スマホで写真を取る。それから多めに息を吸って、仕方なく普段以上に声帯を震わせてやった。
「シンタロークン、シンタロークン」
「その呼び方をされる筋合いはないのだよ」
「そんな固いこと言わずにちょっと来いって」
眉を顰めて部屋から顔を出したメガネに手招きすれば、あからさまなため息と共に寄ってくる。そんな態度取ると大好きなオネーチャンに言い付けちゃうよん。
「コレ、お前や花宮たちにとっちゃ大事なもんでしょ?」
「!!」
質屋の品書きの6行目を指差せば、睫毛たっぷりの双眸を見開く。絵に描いたような反応をドーモ。
「……原さんも高尾も、何も聞いてこないんですね」
「ま、俺は単純に花宮の空気読んでるだけだけどねん。それにあんときの静電気云々の話は聞いてたし、大方円香チャンとシンタロークンしか触れないとかそういう設定なんじゃん?」
「…………そうですか」
目を伏せる緑間。葛藤と不安が入り交じるとか、こういう顔してる人間のこと言うんだろうね。俺には一生無い経験だろうけど。
「心配しなくても誰にも言わないよん。高尾がそうであるように、言う相手もメリットもないっしょ」
「……ありがとうございます」
「うっわ、ムリムリ、やめてくんね? そういうの慣れてないんだってば、キモい」
「お礼を言われる自分が、ですか」
「ナチュラルに真理ついてくんなって」
何この子。天然かよこっわ。
ま、なんにせよ。これで俺の予想は大当たりだったわけで、しかも割と深刻かもしんないってことは分かった。確かにここに来て円香とコイツしか触れないモノとか怪しさカンスト案件。緑間がいる分、緩和はされるかもしれねーけど、元から円香側の面子だし? 話し合わせてるだけで緑間も実は触れないんじゃねとか疑われたら最悪だろ。
そもそもここにいる全員本当に本人なのかとか、むしろ俺も本当に俺?www みたいなこともあって可笑しくない。円香という存在だってもしかしたらこの世界が作り上げた架空の人物で、 “緑間の幼馴染で花宮たちと一緒の中学校に通ってた誠凛2年生” って設定を都合の良い奴らにだけ埋め込ませてたらどうよ。あり得ない話じゃない。だって少なくとも俺は椥辻円香なんていう人間を知らないからね。
「あの、」
「んー?」
「この白いポーンは、銀のピンと交換できるということでしょうか」
「ま、そーゆーことになるんじゃん?」
答えてやれば、ジッと品書きを凝視する緑間。そーいえばコイツ昨日一瞬変になってたけど、アレもチェスの駒となんか関係でもあんの? っつーか無いわけがないよね。花宮が緑間も触れるか確かめたときわざわざ目を閉じさせたくらいだし、あの行為の意味は “緑間なら平気” だという希望的予測があったからっしょ。
チェスのルールすら知らない俺に駒の数なんて分かるわけない。でもこれだけの設定の上に散りばめられてるってことは回収イベントなのは間違いないと思う。
「銀のピン、見つかるといーねぇ?」
そう言ってわざわざ覗き込めば、苦虫を噛み潰しちゃった系の顔でゆっくりと視線を逸らされる。なるほど。必要不可欠だけど、やっぱあんま良い代物でも無いってことねん。
返事は端から求めてない。充分な反応を見た俺はくるりと踵を支点に向きを真反対へ変えて、実渕たちの後を追う。
初めて見た部屋の中、真っ先に目に入ったのはぶつ切りの腕。マネキンを思わせる素材のそれは、肘下と肘上に分かれて散らばっていた。見える限りで4本。とりま1人分ってことだろうけど、実渕が悪趣味だなんだの叫んでいたのは十中八九コレだね。確かにまぁ、人体模型宜しく、律儀に切断面から皮膚と肉、骨の3層が確認できる。あぁ、いよいよ本当にホラーっぽくなってきてるじゃん。
持ち上がる口角を隠さずに数歩進み、一先ず机に近づく。上には数本が入ったペン立てしか乗って無かったけど、引き出しを開ければ1冊の本が出てきた。パラパラと中身を踊らせる。罫線入りのページが続く。どれも一番最初には日付が書かれてるあたり日記だね。
「シンタロークン、これ読んどいてー」
「なっ、……全く……」
めんどくさいヤツはそういうのが得意な人に任せておくに限る。餅は餅屋って言うじゃん?
「ねえ、この机の上、他になんか無かった?」
「いや、何もなかったな」
「……それホンモノ?」
「あぁ。どうやら本物のらしい」
答えた笠松パイセンは鳥籠の前に立っていた。そんでもって、その中には明らかにロボットとかの類いじゃない滑らかすぎる動きをする小さいのがいて、チチチと鳴く。
うわ、待って。いきなり生物とかすごい怖いんだけど。
「かわいいけど、インコじゃないわよね?」
「さぁ……。鳥なんざ詳しくねぇからな……」
ガシガシと襟足の辺りを掻いたパイセンが離れていく。一応写真撮っとこ。
「パッと見で目ぼしいものはないが、探した方がいいようなとこあるか?」
今度は逆に尋ねられて、部屋を見渡す。家具はベッドと机、それからテーブルと椅子。その奥にもドアはあるが、実渕が試したところ開かなかったらしい。
「とりあえず家具の裏。あとベッドは枕とかシーツの中も見た方がいいよ」
「わかった。実渕はそこら辺のテーブル系を調べ直せ。原は俺とベッド。緑間はそのままでいい」
「えぇ、わかりました」 「はい」
お行儀良く返事をした2人と真逆の態度でベッドに近づく。一応下も覗くか「っうぉ!?!?」思わず慌てて頭をベッドから出す。やべぇ、今のはマジでないわ。流石にキツいって。
「どうしたの!?」 「大丈夫か!?」
声を掛けてくるパイセンと実渕にひらひらと手を振りながら一度深呼吸。それから改めて下を覗き直す。ソイツとはやっぱり変わらずに目があって、だけどさっきの鳥みたいに生気は感じられない。耳を床につけ、こちらに顔面を向けて転がっていた生首はそれなりに壮絶な顔をしていて、一応ちゃんと殺された設定に相応しい凄惨な顔つきだ。ビビったけど、どう見てもマネキンじゃん。あーーホント心臓に悪いわ。ザキとかだったら泣いちゃうよ?
その生首の前には紙が1枚落ちてて、手を伸ばす。「突然動くとかやめろよー」とそれなりにフラグは建てたけど、無事にへし折られた。何事もなくそれを掴み、ベッドの下から引き摺り出す。
「 “リンゴの育て方” だってよん」
「リンゴぉ?」
「ここの主人はリンゴ農家だったのだよ。日記に書いてある」
ちゃんと仕事をしてたらしい緑間が、日記から目を離し俺たちを見て言う。なるほどねん。しかもこんなに物が少ないなかでベッドの下に落ちてたってことは、割りと重要な情報ってわけだ。
俺がに脳内を完全ゲームモードにしている中、緑間は声のトーンを落とし、話を続けた。
「それと。……今この世界はいったい何時なのか、早急に確認しなくてはならないのだよ」
「どういう意味だ」
「……ここの階にはどうやら “タフィー” という乱暴者がいて、昼の11時から1時までの間はこの辺りをうろつくらしいです。街の人たちはその時間の外出を避けていて、もし家の外で会えば乱暴に持ち物を奪われ、運良く出逢わなくても留守中の家に押し入って盗みを働く、と書いてあります」
パイセンへの説明に、実渕が不安そうな面持ちで言う。
「でもそれはただ単に物語ってだけなんじゃ」
「いえ。ホラーゲームでは何よりアイテムが全ての証拠とヒントです。関係のないものがあるのは勿論ですが、警戒しといて損はありません」
緑間の言うことは間違いない。次に何をすべきか分からないなら、アイテムが道標になるのは定番中の定番、てかむしろそれしかないし。
……詰まるところ、2階にはいなかったエネミーが、よりにもよって安全地帯のあるこの3階には存在するということだ。殺せれば一番楽なんだけどねぇ。つーか殺せないとかないっしょ、それはハードゲー過ぎる。となればソイツを殺すのが次のイベントになりそうな予感だけど、───一体何人が納得してくれるんだか。
使えねえヤツらが多過ぎるのは本当に困る。何もできないならせめて言いなりになってろよ。それだけで存在価値が飛躍的に上がるってどーしてわかんないのかなぁ。一丁前にご立派な意見だけ並べられたって、それはただの雑音でしょ。そんなんで逆に使える円香みたいなヤツが淘汰されていくこの仕組みは、どうやら現実でもこの世界でも変わんないらしいよん。悲しいねぇ。
俺には珍しく、1人黙々と探索で部屋中を歩き回る。緑間に次いで口を開いたのは、常に背中を向けている笠松パイセン。
「そういえば、昨日この階でゴーンゴーンって鐘っぽい音を聞いたな。時計の鐘っぽいやつだった」
「あら。じゃあそれを探しに行った方がいいですね」
「あぁ。……原、この部屋まだ出れないか?」
「んー、ま、いんじゃない? もしなんかあればまた来ればいいよ。ハイ退場退場」
なんとか一周見終わったから良しとしよう。アイテム
ぞろぞろと部屋を出る最中、後ろを振り返る。生きた鳥が入った鳥かご、斬殺死体を催した人形、そして几帳面だったリンゴ農家と盗人タフィー。キーワードになりそうなものはこれくらいか───電波が通じないからスマホのメモ欄に文字を打ち込む。質屋の情報は写真を見せればいいっしょ。
ジャージのポケットにスマホを握った手を入れながら外に出る。とりあえずは道なりに進んでいくようで、この廊下に時計のようなものは見当たらなかった。今いた部屋の隣は特に名前がついていない。笠松パイセンが一度入ったことがあるらしいけど、もう一度確認のために覗いていくことになった。
「っ……」
ドアを開けてからの第一声は、目を丸くして息を止めたパイセンを見た俺が奪うことになる。
「うわー、嘘つかれたわー」
「ち、ちげーよ!! 昨日入ったときはこんなのなかった、本当だ!!」
慌てて否定するその指先には、天井ギリギリまでの高さをもつ大きな時計塔。ちなみに、これに見覚えがあるのは俺だけじゃない。
「……ビックベンなのだよ」
「ロンドンにある国会議事堂だったかしら?」
まず始めに読むのは勿論短針だが、そこにあるのは1本だけじゃない。ほぼ11を指すソレらに、我ながら背筋がゾクリとした。秒針こそないけど、ちょうど良いタイミングで長針が揺れる。どうやら機能しているようで、カチッと聞こえたのが合図、ゴーンゴーンとけたたましい音が響き渡った。
そして、次の瞬間には俺の横を何かが猛スピードですり抜けて、名もない部屋を飛び出していく。
「ちょ、緑間ちゃん……っ!!」
「あらら。血気お盛ん〜」
「ッアホ! さっさと追いかけるぞ!!」
バタバタと駆けていく人たちをゆったり見送る。追うっつったって、場所は分かりきってるじゃん。そんなことより、俺にとって大事なのは身の安全とこの部屋の探索。自己保身を優先するのは当たり前でしょ。動物なんだからさ。
前の部屋と同様、全体をぐるりと見渡した。ここはさっきみたいに一貫したテーマがないのか、気持ち悪いくらいごちゃごちゃしてる。
向かいの壁には時計塔が寄せられ、街並みと空が描かれているのに、左手はコンサートホールのような観客席が並んでいて、俺らが舞台に立っている体なんだと思う。その壁を正面にパイプ椅子と楽器が置いてある。本物かどうかは別にどうだっていいよね。
右側は4つの肖像画が並んでいた。いや、肖像画っていうのは間違いか。だってこの絵、トランプによく印刷してあるのと同じやつだし。左からジョーカー、ジャック、キング、そしてクイーン。クイーンは涙を流してるのか、目の下に安直な雫が垂れている。それぞれ下にはハートのボタンみたいなのがついていて、試しに押してみるけど何も起きない。
特に持ってくアイテムも分からないし、とりあえずパイセンたちと合流しよ。いや、むしろそのまま部屋に戻った方が早いか。どうせあの人たちも既に帰ってる可能性の方が大きいし、……よほどトチらなければ、の話だけどねん。
そういえば、2階からあがってくる階段の側には確かに【Taffy's Room】ってのがあったっけ。そっから出てくるとしたら、規則性のある動きをしてるかもしんないな。ま、殺すためのヒントを探すとしても、極論この時間帯はあの部屋から出なければいい話なんだけど。【Taffy's Room】も調べなきゃなんないだろうし、殺さないイベントなら尚更その情報は必要になってくる。
「……楽しいけど割りとめんどくせぇな、 “プレーヤー” 」
ゲームなら肉体的負荷が限りなく低い状態で、しかもかなり速断的に行動できるのに、リアルはそうじゃない。傷つかないよう、念入りな調査と準備をしてからの検証が求められるわけで、セーブも出来なければロードというやり直しも効かない。
主人公たちの気持ちを考えるなんて言われてもやんない。とはいえこうして実際にその役をやらされると解る。俺の趣味はどいつもこいつも我ながらだいぶ腐ってるわ。円香も同じなのはスゲー面白いケド。
慎重にドアを開けて廊下の様子を窺う。廊下だけで追いかけっこをするなら、インターバルにそんな長いラップがあるとは思えない。とりあえず今いないなら何がなんでも外に出て、ひたすらあの部屋に向かって走ればいい。なんだ、案外イージーかも。
と、思うのも束の間。
「原!! そこ開けとけ!!」
「円香チャン、もう少しやから気張りぃ!」
『ッは、い……!』
ちょっとちょっと。お前ら揃いも揃って頭ん中ババロア詰まってんの? ───なに戻ってきちゃってんだよ!