×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

アリウムの唄

情誼を計る。

椥辻円香。そう名乗った彼女は、誠凛の制服を身に纏い、タイガを含めた同校の人たちに “会長” と慕われている。さっきまで黄瀬くんと少しいざこざがあったのだけれど今はなんとかその場が落ち着いていて、椥辻さんも誠凛のカントクさんと楽しげに笑っている。その顔を見た瞬間、俺の心は言い表せない改悛と安堵に忙しなくなるから、咄嗟に視線を退かした。

アツシがお腹すいたと駄々を捏ねるのをあやしていると、ふいに椥辻さんが此方を向く。ドクリと心臓が疼いた。先刻に述べられたお礼を、俺はおいそれと受け取れないのだ。居心地が悪くて、やめてくれと唱う自分に心底嫌気が差す。
でも彼女がそんな残酷な此方の思いを知るはずもなく、話し掛けた黒子くんと共にコチラへ歩いてきた。この大人数が無理なく入れたとはいえ、だからこそ空いている空間は多くない。この中では比較的小柄な2人組は、黒子くんの影の薄さが助長したのか他校の視線は集めないまま、あっという間に俺たちの前に来てしまった。

アツシは少しだけ首の角度を上にして来客を認める。

「どーしたの黒ちん」

「用事があるのは僕ではありませんよ。椥辻会長がキミに渡したいものがあるというので、連れてきました」

「え〜、何それ〜」

間延びした言い方にアツシの図体も相成って、椥辻さんは僅かに肩を揺らしておずおずと黒子くんを見た。さっき黄瀬くんに見せた姿勢とは打って変わるしおらしさが、また俺の心を掻く。
黒子くんが「大丈夫ですよ、食べられたりしませんから」と言うと、アツシがムッと眉を寄せて「どーゆー意味だし」と口を尖らせる。そのやり取りに漸く頬を弛ませた椥辻さんは、スカートのポケットから何かを取り出した。その際、『あ、』と彼女が一声漏らすが、私事だったのだろう。特に時間も取らず、しゃがみこんで少し身を乗り出し手のひらをアツシに差し出した。

『お腹すいたって聞こえたから、良かったらどうぞ。』

「マジで……!」

『あ、全員分はないから、しー、ね?』

アツシによって荷物を下ろした右手がきれいな1つ指を立てて、それで彼女の桃色の唇を縦に繋ぐ。コクコクと頷いたアツシはまるで幼児のようで、椥辻さんのそれとは全く違う大きさの指で器用に封を切った。アツシの口に入る前、ふんわりと甘いstrawberryの匂いが俺にも届く。

コロコロと飴を転がしながら、アツシは上機嫌で言った。

「おいし〜。ありがとー……えっと、名前、なんだっけ?」

『椥辻円香っていいます』

「ん、円香ちんね。これあと何個あるのー?」

『えっと、あと4つくらいだったかな。またどうしても耐えきれなくなったら、あげるね』

「なんか黄瀬ちんとこの変な人が女神っていうの分かった気がするー」

『えっ、あ、いやそれは……ちょっと、』

頬を唇と同色に染まらせた椥辻さんは、アツシの言い分をやんわりと拒んで膝を伸ばす。ここで漸く、椥辻さんは俺を見る。そして彼女は、少し表情を変えた。微笑は残るものの、どちらかと言えば困った様子を感じさせるそれに俺は求刑を待つ心地になる。

『……あの、氷室、さん』

突然の指名に驚いて目を見開くと、椥辻さんがホッとした顔を垣間見せたかと思えばガバッと勢いよく頭を下げる。

『火神くんから聞きました。怪しい存在であるにも関わらず、一番に抱え起こして下さったこと、本当に感謝しています』

「え、いや、違うよ……。俺は、そんな、」

『火神くんにも御伝えしましたことで、厚かましい意見でしたら聞き流して欲しいのですが……。私は、氷室さんたちには感謝しかありません。ですから、棺桶を開けるまでに至る皆さんの言動や考えに、1つも非なんてありません』

「…………!」

『本当に、ありがとうございました。今度は私が皆さんをお助けします。絶対に脱出しましょうね』

タイガの素直さに、また俺は救われたのだと思った。同時に、彼女の優しさにも浸ったことを悟った。居心地の悪さなんてもう全く覚えない。むしろ日だまりのような温もりに、こちらも口角を上げるしかなかった。

「無事で良かった。コチラこそ、1階の部屋を探索してくれたこととアツシに飴をくれたことに礼を言いたいな。ありがとう、椥辻さん」

『いえ、氷室さんは紫原くんのお兄さんみたいですね』

「あはは、よく言われるよ。それと俺たち同い年だよね。敬語もいらないし、もっとフレンドリーに呼んで欲しいな」

『そう、だね。分かった。改めまして椥辻円香です。宜しくね、氷室くん』

「ああ。ヨロシク、椥辻さん」




これからどうするのか。そんな答えは1つだ。扉に鍵がかかっているなら、そこに差すものを探せばいい。

アツシに飴をあげた椥辻さんは、黒子くんと誠凛のところに戻った直後に花宮に呼ばれて何人かと寝室へ消えていった。恐らくこれからの方針会議をするのだろう。この部屋にいないのはあの2人だけでなく、今吉さんと赤司くんも同じだ。
やらなければならないことはそんなに多くない為か、あまり時間も経ってない内に4人が寝室から出てくる。「1階のようなモノの存在も考えた編成で、探索に出てもらいます」と、赤司くんが説明を始める。

「とりあえず2つのグループを作りました。両方とも、まずは片っ端から開く部屋を見つけて手がかりを探して下さい。それと、中には扉にプレートが書かれた部屋もあります。その部屋には特に注意して、場所も記憶してください」

仮に、これがHorror gameを模したものだとして。そういうときに “玄関” の鍵だという観念で探す場所を絞るのは良くないらしい。もちろんそういった臆測を優先に動くのだが、アイテムはその場所と全く関係のない場所にあることも大いにあるそうだ。

「それと、とりあえず探索はこの階だけで進めてください。もしも敵に遭遇した場合はそのグループのリーダーの指示に従い、潰せるようなら潰して下さい。探索中も、鍵だけでなく何か武器になるようなものも探して頂けると助かります」

あのバケモノに物理攻撃が効くのかはまだ試していないから、モノを投げるくらいならやってみてもいいかもしれない。この部屋にやつらが入ってこれない確信なんてないから、安易にここまで逃げて敵を引き付けてしまうよりもその場で対処できたほうが安全にも繋がるだろう。

「Aグループは今吉さん、椥辻さん、伊月さん、氷室さん、根武谷さん、火神。行動の中心は今吉さんと椥辻さんです。根布谷さんと火神は特に彼女の援護をお願いします。このグループはMMと書かれた鍵の部屋の捜索を優先してください」

早速俺の出番のようだ。今吉さんは言わずもがな、タイガもいるしゲームに詳しい椥辻さんも、鷲の目の伊月くんもいる。
名前を呼ばれなかった緑間くんを初めとする秀徳勢は眉を寄せて不服のようだけれど、赤司くんも有無を言わさないテンポで次のグループを発表した。

「Bグループは花宮さん、瀬戸さん、高尾、青峰のメンバーです。人数が少ない上に小回りも利くと思うので、成果としては部屋の探索数を取ってきて下さい。中心は花宮さんです。宜しくお願いします」

そこまで言って赤司くんの声が消えた頃、緑間くんが赤司くんの隣の人へ声を投げる。そう言えば彼は呼ばれなかったな。高尾くんがいるグループに入ると思ったんだけど。

「……円香」

怒気を含んだそれに応じたのはもちろん名前を呼ばれた椥辻さんで、それでも彼女は穏やかに『大丈夫だよ』と笑うだけで済ましてしまう。緑間くんは眉を寄せて一瞬息を吸ったが、何かを覚ったのか目を閉じた。

このおかしな世界は決してGameなんかじゃないだろう。だけど、合理や真理、特にこの世界を否定するような現実を重視する見解で動くのも間違いだ。
そういう意味では、やはり椥辻さんは重宝されるべき人材である。知識にも長けた上にこの世界のイレギュラーを逸早く受け入れられる脳。そして、決して体力があるとは言えない脆弱さ。敵の立場になれば、狙うには恰好の獲物だろう。初めに棺桶に入っていた理由も考えれば、ますますその線は強くなる。かといって、俺達は彼女の才能を使わない訳にはいかないのだ。

「時間はとりあえず1時間。それまでに帰ってこなければ新たに探索隊を出します。何か一つでも異常が起こったときにも、速やかに一旦帰還してください。……全ては、全員で、……必ず。ここから出るために」

赤司くんの言葉に、俺達は頷くまでもなかった。
例えほんの少しの、犠牲があっても。命に関わらない程度なら、それほどの危険は承知の上で行動をすべきだろう。だから、椥辻さんの起用は不可抗力なのだ。例え今後、同じ女子である誠凛のカントクさんや桐皇のマネがこの部屋から出ることなんかないとしても。そしてそれを、椥辻さんが一番理解して、望んでいる。
罪悪感は感じても、それを表に出してはならない。そんなことをすれば、全員が助かる道が消え失せてしまうから。ただでさえ、椥辻さんという一番の危険因子を置いているのだから、もうこれ以上危ない橋にするわけにはいかないんだ。
俺は、椥辻さんが椥辻円香本人であってほしいと思うけれど、彼女が味方でない可能性を捨てきるわけにもいかないのだ。そしてもちろん、彼女以外の全員にも。


飴は食べ終わったのか、普通に喋るアツシが珍しく俺を気にかけるようなことを言う。「どうせ探索隊に駆り出されるの俺だしー。めんどくさいからちゃんと帰ってきてよねー」と。
こんなときに擽ったい感覚になるくらい、案外余裕はあるみたいだ。分かった、と笑って立ち上がる。

「何か食べるものでもあったらいいけど」

「ねぇそれ食って平気なの?」

「あぁそっか」

毒味が必要か考える機会に立ち会うとは。思っても見なかったな。