報告が終わり、少し休憩をすることになった。頭のいい方々は次の動きについて幾つか考えたいことがあるらしい。
面倒なことになったなぁ、と肩の力を抜いた。無事受験を終えた俺は、笠松と森山と久しぶりに部活に顔を出したわけだが。俺たちの参加に舞い上がる後輩たちと片付けを終えて、どうせならどこかに食べに行こうという会話をしながら校門を潜ったつもりだった。……残念ながらその先はこんな異世界で、正直さっきのバケモノも精神的にキテる。休憩時間があって助かった。
床に座って壁に身を預けると、あるものに飛び付いた人達がいる。
『翔一先輩!』
「なんや必死やな自分。お目当てはこれか?」
今吉が持ち上げたそれは、海賊や冒険物を思い起こさせるランタンだ。今時の、中に電球が入っているタイプではなくオイルを補充して中で火を起こす旧式。
頷いた誠凛の女の子は他の女子2人とは全く違う顔で今吉を見上げている。その周りには元から親交があったらしい高尾と、さっきの作戦で仲良くなったのか、霧崎第一の原がいた。
「円香サン早すぎかよ! てか俺も持ちたいんですけど!」
「じゃんけんして決めよーよ」
静かに疲労を癒す筈の雰囲気を壊すメンツにため息をつくのは緑間と花宮だ。聞けば、彼らはホラーや脱出と言われる類いのゲームが好きらしく、そのシーンは今の状況にとても似ているそうだ。理、なんて可笑しな表現かもしれないけど、この世界におけるルールや動き方が解る3人は1階の探索をする作戦に大いに貢献していた。
「ランタンってそない重要なアイテムなん?」
『いえ、ここは明るいので要らないとは思いますが、有名なゲームで使われているので……』
「3人ともか」
「『はい』」「うん」
「ま、確かに今のところ重要なアイテムではあらへんな。ケンカなしにしぃや」
今吉から手渡されたランタンが揺れると、キイキイ錆び付いた音がする。うぉおおおと感動する3人。その知り合いはほぼ全員呆れた顔をして、他校は珍しそうに眺める者もいれば、特に興味がないのかただの暇潰しの為に傍観しているのもいる。例えば葉山とか氷室は前者だが、青峰たちは後者だ。
あとは。チラリと左を確認する。見渡しても、この種の顔をするのはこいつだけだな。不満そうに眉を寄せて、冷ややかな視線を送る黄瀬に俺は嘆息。悪い子じゃないと思うんだけど……。まぁ、疑うってのはみんなを心配するって意味もあるから一概に駄目だとは言えないけどさ。
笠松は棺桶から助けたときのことを気にしてか、気まずそうに横目で事を見てるし。
暖炉の手前にある小さな輪はみんな内側を向いていて、ガラスをつついてみたり中を開けたり。端から見てれば、子供が新しいオモチャを発見したときの光景だ。
あ、花宮が動いた。「静かにしてろ餓鬼かお前ら」と椥辻さんの後ろに行きながら言っているが、全員従う様子はない。椥辻さんなんて嬉しそうにランタンを掲げながら首だけで花宮を見上げる。
『見て真くん! ランタン!』
「知ってるっつーの」
頭にチョップを入れられながらも、力は弱いものなのか笑顔を絶やさない椥辻さん。あぁ、そんな顔すると……、
「───天使だ」
森山が喋りだしちゃうんだよなぁ。ランタンを高尾に渡す椥辻さんに恍惚の眼差しを注ぐこいつは、高校三年間ちっとも変わらなかった。ごめん、森山のお母さん。俺には息子さんを救えなかった。頼まれてたのに……。
両脇の温度差が辛い。黄瀬と森山、足して2で割ったら丁度いいんだよな、きっと。色んな意味で。
「なぁ、小堀」
「……どうした?」
「俺たち、大事なことを忘れてるんだ」
「大事なこと?」
森山は椥辻さんを見たまま、俺に話しかける。何だろう、と天井を仰ぐ。報告し忘れたものなんてないはずだけど。黄瀬も気になったのか、椥辻さんから視線を外して俺たちを見る。
至極真面目な顔で、森山は言った。
「あの天使に自己紹介をしてないんだ」
あちゃー、今ここでその話か。もっと周りをみて欲しいよ。いくらその腐っ…いや、濁った目でも流石にわかるでしょう。隣の後輩の存在。
一気に俺の周りだけ温度が10度くらい下がった。この部屋はとても快適な温度調節がされているけど、肌寒い。
「……森山先輩、」
笠松、中村、助けて。早川はいいから、どっちか2人助けて。
「何で、そんなにあの人のこと信用するんスか」
「何言ってるんだ黄瀬。あんな怖い思いしたのに泣き言も言わずに頑張ってる。健気じゃないか。見ろあの俺のためにある笑顔。いい人に違いない」
「森山のではないかなぁ」
「笑ってんのはこの状況が楽しいからでしょ。それすら可笑しくないっスか? 桃っちとか、男子ですら怖がってる奴もいるのに、あんなに平気なんて」
あぁ、あぁ。恐れていた事態に。俺は今はお前が怖いよ。余計なこと言うなよ、頼むから。仲間割れとか駄目だからな絶対に。それこそ敵の思う壺だろ。
「黄瀬、落ち着け」
と言ってはみるものの、自己満足にも満たない形で終わる。聞こえてないよね、うん。
漸く笠松も俺らの前にしゃがんで「どうした」と手を伸ばしてくれる。ちょっと遅いけど、まだ大丈夫。軌道修正お願いしたい。
中村と早川も移動して、海常だけ円になる。
「聞いてくれ笠松。黄瀬がまだ椥辻さんを疑ってるんだ」
今はまだ2人とも気にして声を小さくしてるし、笠松も小声で聞いてくれた。椥辻さんは……、よし、じゃんけんするみたいだ。
「「『さーいしょはグー、じゃーんけんポンっ』」」
事の次第を理解した笠松は、黄瀬を見上げて諭し始める。ありがとう、笠松。
「黄瀬、疑うなとは言わねぇが、信じてみようとしないのも無しだ」
「っ、何で……、」
「うわ、負けちゃったよ花宮」
「報告いらねぇよ」
『最初は私だね』
「どういうスパンで交替にします?」
「ここ拠点にすんの? なら毎回の探索終わる時でいいんじゃねん?」
「そうしましょう!」
向こうの会話が聞こえるくらい、俺たちは小さな声だ。あっちも決して大きな声とは言えない。高尾のはよく聞こえるけど、それほどでもないから、この音量なら十分だ。
「頭から疑われたら誰もいい気はしないだろう?」
「小堀先輩まで……!」
「頭いい奴も運動出来る奴もたくさんいるんだ。大丈夫だろ」
俺も苦笑して言う。真面目な顔ばかりでは、責めていると感じさせてしまうだろうから。中村も、少ししかめた顔ではあるが黄瀬を責めない言い方で加えた。
そして、早川が喋る前。極めつけは、森山だった。
「とりあえず、自己紹介しに行こう。話してみたら彼女のことが解るはずさ! それに天使に挨拶無しなんて失礼だからな!」
「だから……!」
まとめようと思ったらしい。でも黄瀬は、一層眉間を寄せてしまった。あ、やばい。そう思っても、後の祭で。
『真くん、ダニエルって呼んでく「なんであんなやつに自己紹介したいと思うんスか!」
しーん、と。辺りが静寂になる。椥辻さんたちの会話が無くなった瞬間に、彼らのそれは場を和やかにしていたんだと知った。じゃあ俺らのこれは、何だって言うんだろう。
途端に申し訳なくなりながら、立ち上がった黄瀬を、見上げてしまう。
「ホラーゲーム好きとか、ますます怪しいし! もしかしたらバケモノかもしれないじゃないっスか!」
「黄瀬! ちょっと熱くなりすぎだ」
「笠松先輩も、森山先輩も! 何で疑わないんだよ! 邪魔者じゃないかなんて誰にも分かんないのにッ、どうしてみんな信じれるんスか!」
『っ、』
見てしまった。椥辻さんが、ハッとしたような顔をしたのを。不安げに周りの3人を見て、ソレを歪めたのも。
今思えば、その可能性を知らなかったことも、あんなに明るくいられた理由だったんじゃないだろうか。泣かないことを選んだ椥辻さんなら、自分が邪魔者だと疑われていると気づけば俺らの元を離れていたかもしれない。
彼女がそこに気づかなかったことを責めることは、俺には出来なかった。これから、桃井さんや、相田さんのような表情をさせてしまうのか。それを望むほど、俺は椥辻さんに恨みなんてないし、疑ってもない。
「何かあってからじゃ遅いんスよ! あの人だけ、完全なマネージャーでも俺らにたくさん関わってたわけでもなくて! 確かに棺桶から出て発作を起こしてたっスけど、それも仕組まれていたらどうするんスか!」
黄瀬の叫びは、高尾の手を動かした。「シャットアウト〜」ってトラえモンの小さい声真似で椥辻さんの耳を塞いでやるその口こそ弧を描くが、目は笑ってない。
森山のいう通り、俺たちの前では泣いたりしなかった。それは、地下に行った笠松たちの心労を減らしたと思う。
囮作戦を、躊躇っていた。その名前がつくのに、あのバケモノの前に一番に挑んだ。もし彼女が、バケモノじゃなかったとしたら、相当身を張れる子なんじゃないかって思う。安心はあっても、安全の保証はない。一度敵の手中に落ちたとなれば、今後狙われる危険性だって否めないのに。
「緑間っちの幼馴染みだか何だか知らないっスけど、少なくともアイツは疑われて当然の立場っしょ!」
「っあんたねぇ! 幾らなんでも、言って良いことと悪いことがあるのよこのクソガキ! そんなのも分かんないでよく高校生やってられるわね!!」
叫んで立ち上がったのは、さっきまでの怯えたものとはがらりと雰囲気の違う怒気を露にする誠凛の監督だった。
「もしも円香がバケモノだとしたときを踏まえて疑うのもみんなを心配するのも止めろなんて言わないし、その気持ちも分かるわ! だけどね、九疑うんにしても一は信じなさいよ! 端から否定してちゃ見えるものも見えないに決まってんでしょ!」
「「「ちょ、カントク! 止まって!」」」
「円香のこと何も知らないその口が何よ偉そうに!! あの子が本物かそうじゃないかくらい判断できるわよ! 舐めないでくれる!? その上で私も緑間くんも花宮真も邪見にしてないんでしょうが!!」
「リコ、」
「今の発言がバケモノなんかじゃないあの子をどんだけ傷付けたか分かってんの!? 彼女が本人である可能性を考えて発言したの!?」
今にも黄瀬に突っ掛かってきそうな誠凛の監督は何とか日向や木吉に抑えられている。本当に申し訳ないと思う。
黄瀬は、苦虫を噛み潰したような顔で拳を握る。
俺を含め、海常は全員なにも言えなかった。
こいつが疑おうとする理由も分かって欲しい。絶対に間違いだなんて言えないんだ。それが、こいつにかけられる唯一の味方の言葉だったのに。
それをあの子はちゃんと分かっていたから、言う必要を奪われてしまったんだ。
味方だなんだって言い方は悪いかもしれないけど、今回の黄瀬の言動で擁護できるのは残念ながらそれぐらいしかない。
理由は監督さんの言う通り。疑うならば、信ずる余地だってあるということだ。それが確信にならないのならば、余る道を決して見逃してはいけなかった。
けど黄瀬は、誤ってしまった。椥辻さんが人間である時のことを、考えなかった。疑いを周りに伝えるにも、彼女を傷つけずに済む方法なんていくらでもあるのに。
俺らも、きっと他のやつらも全員。黄瀬の全てを批難する者もいないだろう。それでも表だって味方だと主張できないのは、やり過ぎてしまったからだ。
それに。例え、黄瀬が言ったみたいにバケモノだったとしても。俺は騙されても良かったと思えるくらい、彼女に救われた気がする。笠松のことも、あの探索に参加したことも。助かったし、これから先俺も頑張らなきゃって、思ったから。罠だったとしても、そう感じたのは事実だ。この思いは何があっても消えないだろう。
なのに、無力だなあ。