急激に便利になった現在、携帯電話というものを持っていないことはもはや珍しいと分類されるようだ。
私都恭夜は自分自身が其処に所属する身であるにも関わらず、未だ死体にショックを受けている隣の男に通報を命じた。すると案の定、彼は「何で俺が!」と反論する。そうして返ってきた私都恭夜の答えに双眸を開いたのだった。
「おま、何なの、本当」
『何なの、とは、どういう意味だ。携帯を持っていないことがそんなに奇妙か?』
「そりゃ確かに悪いことではねぇけどよ…、今時携帯じゃなきゃ本性出せねぇなんて奴もいるくらいだかんな?」
『俺にしてみればそいつの方がよっぽど珍妙だ』
「…ま、まあそうなっちゃますけども、」
“不便だろ”そんな問いに、私都恭夜は嘲笑を返す。
『そんなものが無くたって時代は終わらず進み続けてきた。金も人も物も、回せる奴が回せばいいだけだ』
“俺には必要ない”きっぱりと言い放って、もうこの話は終わりだと言わんばかりにしゃがみこみ、手袋をはめて死体監査を始める。突き放すような言い種に蟠りを覚えながら、銀時は仕方なく当たり前の存在となった機械を慣れた手付きで操作した。
一一〇通報の通話に出たのは、銀時の知らぬ隊士だった。これが十四郎達だったら“いたずら電話だろ”などと揶揄されて話が通じなかった気がする。
しかしどっちにしろ、平隊士よりも知り合いである幹部に代わって貰った方が手っ取り早いのも事実だ。銀時は渋々私都恭夜の名を出してみる。私都恭夜も立ち上がり、此処は協力的に横から『本当だ、副長様に代わってくれ。あと山崎と鑑識を現場に急行させろ』と槍を入れたものだから、隊士は直ぐ様首を縦に動かした。
そんな命令を隣で聞いて、(ああ本当に、)と落胆した。(落胆?は??)次いで自問をするも、もやもやと訳のわからない糸屑のようなものが心中で暴れるだけで答えはない。
彼────否、彼女が、真選組には似合わぬ色の羽織で着飾っていることが妙に興味をそそる。完全に向こう側ではない、そんな考えが浮かんで更に銀時を困惑させた。
ぶんぶんと抱えきれぬ思考を振り切る内に、耳元の機器から音が流れる。
「土方だ。電話代わったぞ、私都」
それはとても気分を害するもので、銀時は耳から受話器を離して私都恭夜に画面を向けた。
私都の名前しか出さないということは、平隊士が彼女を酷く重要視した説明で土方に伝えたのだろう。その私都は電話を手に持つことはせず、少しだけ張らせた声で会話を始めた。
『悲報だ副長さん。第三の犠牲者発見だよ』
「へぇ…───ってオイ、今、なんつった?」
『行方不明者常田美奈子を遺体で発見。鑑識と山崎を派遣させた。君は遺族に至急連絡を入れてくれ』
「ちょっと待て切るな。第一発見者は?この電話の持ち主か」
電話の持ち主への問いに、銀時は先ほどの予想に二重丸をつけた。(どうせアイツらの中では脇役だよ)と唾を飲み込む。
『一番は俺。持ち主は次だ。んでもってお前や金髪の話に時おり出てくる万事屋殿だよ。何で此処にいるのかはこれから聞く。代わるぞ?』
くい、と顎で示せされ、顔を歪めた。銀時は携帯との距離はそのまま、通話を代わる。
「どうも大串くん万事屋やってます坂田でーす。話は私都くんが全部してくれたので僕はこれで切りますサヨナラ」
一方的に自己紹介をしたあと直ぐに電源ボタンを押して通話を終了させる。ぶちん、という誇張されたような音がとても快い。
「(さてと、)」
銀時は再びしゃがみこんだ私都恭夜基い恭那を見下ろす。絹糸のように柔らかい亜麻色が地面に染み込む赤と共に視覚を刺激した。
どうやら話によると、恭那の属す真選組は被害者を知っているらしい。銀時は初めましてなわけだが、行方不明だったとすると彼女は今回の事件の次の被害者候補でそして正にその通りになってしまったようだ。
だが銀時には謎がある。
「なあ私都。なんでこいつが三人目ってわかったンだよ」
そう、これ迄の死体と比べて著しい相違点が在るのだ。
「神隠し吸血事件、だろ。吸血できてなくねコレ」
行方不明者が血液がほとんど残っていない遺体として発見されたから、世間がそう名付けた筈だ。一度目も、今回も。
しかし、銀時の足元に横たわる女の脇腹からは惜しみ無い出血。神隠しはあっても吸血はされていない。
俗に言う模倣犯の出現だってある。人間の中を幾重も流れる血を抜くことなど、そう易々と出来るわけがないのだから。
なのに目の前で死体の瞼を押し上げる私都恭那は確言していたのだ、“第三の犠牲者”だと。
私都恭那は暫しの沈黙のあと、自分の羽織を脱いで遺体の胸元にかけ、その端を捲った。銀時に見えたのは最近は御無沙汰の女性の膨らみの一部だ。全貌は私都恭那の羽織でもって巧く隠されている。
それでも、理解するには十分だった。刀を持つ者なら分かる的確な一撃の痕が、其処にあった。
斬られた痕があるとは報道でも知らせていたが、こんなものだとは公開されていない。息を飲む銀時に、私都恭那は羽織の上から彼女の身なりを申し訳程度に戻して解説を加えた。
『深さと長さ共にぴったり心臓の表面を裂いてある。これも今回の一連の事件の特徴だ』
「…確かに。俺ら一般市民にはこの傷は伏せてあるし、こりゃあ其処らの者には真似できねぇな」
『そうゆうことだ。それに、』
私都恭那はそこで一度口を閉じてから、銀時を見上げた。表情は相変わらず乏しかったが、僅かに眉を寄せている。
『…ひとつ訊くが、お前、木刀だけじゃなくて普通に刀振れるんだな?』
「…あー、まぁな」
『戦争…参加したことあるか?』
ギクリと、肩が強張るのは謂わば条件反射だ。嫌な映像がどっと脳内を色づける。
首を動かすのはかなり抵抗があるが、いつまで縛られているのかと戒めて頷いた。音のないそれと首に手を宛がう様子から、私都恭那も『そうか』とだけ返す。
『じゃあ、こういうのも見れるな。ちょっとアレだけど』
そう言って、先程とは別の場所の服を捲る。見えたのは脇腹と、刻まれた刀傷だ。銀時にとって久しいからか、何時かの生臭さを敏感に感じ取った。
「この傷口…、」
それは胸に開けられた傷とは打って変わって、かなり乱暴だった。刺した後に何度か抉るように刀を捩られたのか、裂け口の損傷が激しい。
愉快犯────そんな一番気に食わない犯人像が浮かんで苛立ちを彷彿させる。
「犯人は単独じゃねぇってか?」
『あぁ、そう見た方が妥当だろう。此方の今後の姿勢も変わるしな』
確かに、相手が一人よりも二人と考えた方が動きと考えの場も良い意味で広がる。もちろん悪い意味も付き纏うが、いざとなったときの臨機応変さも鍛えられるだろう。
「おい、これ」
三件目の今になって急激に増えた情報を整理する私都恭那は、ある重要な一点を見逃していた。そこに気づいたのは同じようにしゃがみこんだ銀時で、細く白い右腕を持ち上げている。
自身の着物を使って間接的に触れたということを頭の片隅で認識しながら、私都恭那は彼の視線を追った瞬間に、ぐいっと奪うように手首を引き寄せる。
肘の裏下、まるで浮かんでいるような一点。
「針か?」
『…そうだろうな』
これ迄の犠牲者には無かったものに、私都恭那は無表情でその傷をなぞった。その傷の真下に在るのは血管だが血は止まるどころか流れてすらいない。異様なほどに細い青筋だ。
ふと足元を見ても、土に染みた赤は随分と色褪せて真新しいものは既に無かった。
行方不明の期間は三週間。三つある傷口。多量の出血。そして、注射針の通った痕。
『(幾らなんでも、詰め込みすぎだろ)』
唐突なそれを、転機と取って良いのか。それともこれも仕組まれた計算の内なのか。
私都恭那は口のなかで小さな音を奏でた。
不意討ちには舌を打て
「…まだだ。まだ、足りない…」
誰かに焦がれる時と同じ科白を呟く声に、一つの人影の肩が揺れたのを、当事者以外は誰も知らない。