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懐かしい人の声が、靄のように頭に膜を張った。優しく生温いそれは酷く心地よくて酷く鬱陶しくて。そんな違和感で目を覚ました。

『……どこだ、ここ』

三文字だけで構成された音は、私都恭夜の中で警報となって廻る。視界と気配と手探りだけで辺りを見回しながら身の状態を確認しようと試みたところで、絶句した。

まず、布団の上にいる。しかも、布団から出した腕を見れば服が違う。そして、腰にあるはずの刀が真横に置いてあった。
誘拐にしては拘束が無さ過ぎている。処遇もかなり上物だろう。刀すら奪わないとは、攻撃を怖れていないのか。
身体は相変わらず何ともないから、変な薬や機械を投入されたわけでもなさそうだ。思考回路も、これだけ推察できるなら通常運転そのものである。

『幕府では、無いな…』

彼らはこんな風に私都恭夜を野放しにはしない。貴重な人材に逃走・襲撃されては堪ったもんじゃ無いだろう。


一先ず危険は傍らに無いことから、私都恭夜は漸く上体を起こす。怠い身体に鞭売ってみれば、ぱたりと目の前に落ちてきた白い布に驚いた。少し湿っているが、温い。額に手を当てると、此方も僅かに湿っていた。
枕元にはメッキの桶に入れられた水に氷が音もなく浮いていた。大きさはそんなになく、あと数分もすれば溶けてしまうであろうものもある。どうやら、運ばれてからかなりの時間が経っているらしい。

『(真選組か…?)』

人間に近いゴリラと、魔王と、従順真面目な部下の顔が思い浮かんで。少しだけ、可能性を感じた。
たぶん副長様は限りなくゼロに等しい。何せまだ信用されていないから。
だけど、他の交流ある三人なら、私都恭夜が刀を大事にしていることも知っているし、少なからず前者よりも仲間意識を持ち情けをかけてくれよう。

確信が持てない理由は、ここが少なくとも先日宛がわれた自室ではないからだ。他の隊士の部屋だろうか。


……いや、下手な先入観より事実を使おう。まず、こうなる前の記憶は…と、思考の海に潜り込む。
確か二人目の犠牲者が出て、部下の山崎と現場死体確認をしていた。そこで、……嗚呼、情けない。

血痕に反応したんだった。

それで、山崎にその場を任せてとりあえず容体を安定させようと路地裏に入って────…、


「…入るぞー」


解析の途中で、襖が開かれた。

「オーイ、生きてるかァ?」

同時に再生される一番記憶に新しい声。


銀髪…』


癖なのか、がしがしと後頭部を掻きながら死んだ魚のような目を少しだけ大きくした男。私都恭夜が起きていたことに若干驚いた様子だ。

『(お前か…)』

どうしてだか、本当にちょっとだけ、虚無感に苛まれた。意識を手放す直前も、覚醒する前も、どちらも何だか良いことがあった気したのだが、それはやはり幻だったらしい。
助けてくれたのは銀髪の男。私都恭夜の“過去の記憶”にも一切関わりがないであろう人物だ。
そんな彼では、失礼な話ではあるが、今の私都恭夜を幸福に包むことは出来ないだろう。これは例え介抱してくれたのが真選組であったとて、同義を指す。
加えて、現実にあり得る訳がないとわかっていたはずなのに傷を負う心が酷く憎い。

『(今更、何を望んでいるんだ)』

馬鹿馬鹿しい、と心中で唾を吐き、逸らしていた視線を銀髪に合わせようとした。しかし、実際には交わらない。入れ違うようにふいと氷水に目を遣った彼は、「溶けちまってンなぁ」と呟いた。

『……おい、俺は一体…、』

「…あー、いきなりぶっ倒れたから、連れてきた。ここは俺んち万事屋でーす。ほら、あれだよ、道端に寝っころがられると俺も誰かさんと同じで迷惑に思うわけだ」

『………銀髪

「なンだよ」

『なぜ、目を合わさない』

分かりやすいくらいに白と黒の肩が上に上がり、目だけでなく顔ごとそっぽを向かれた。気のせいではないようだ。さて何故か。理由を心中で探る私都恭夜は、直ぐにその答えに近いものを見つけた。

銀髪。…お前が俺を着替えさせたのか』

「あ、いや、その、」

『すまん、聞き方が悪いか。お前が着替えさせてくれたのか?』

口をぱくぱくさせる彼に、私都恭夜は聞かずとも分かった。恐らく、自分が男装をした女であることを知った為に気まずいのだろう。
軽く瞼を伏せた私都恭夜が質問の答えはもういらないと伝えようとしたところで、先に彼方の声が届いた。

「………俺じゃない。下でスナックやってるババァに頼んだ」

『…………』

「…その、俺、全然気づかなくてよ。だから、その、すいませんでした!!!晒しだけ見ちまいました!!」

相変わらず変なとこ正直な男である。幾らでも誤魔化せるものを、聞いてないことまでばらしてくれた。
私都恭夜は首をやわやわと振る。

『いや、別に謝んなくていい。汗かいてたんだろ?着替えできて助かった。ありがとう』

「お、おう」

返しに拍子抜けしたのか、ぎこちない返事をする銀髪、坂田銀時。この家にはこの男の他にあと二人ほど気配を感じる。

『他にも、人がいるな』

「あぁ。…っいや、でも!お前のソレ知ってんのは俺と下の婆さんだけだから!アイツらは知らないからな!!」

『そうか』

それは此方としてはかなり好都合だ。あまり自分のことを知られたくはない。いざというときの弱味や障害物になりうるだろうから。
一つ頷いて、私都恭夜は立ち上がった。

『世話になったな。礼はこの浴衣と一緒に後日返すよ』

てきぱきと腰に二振りの刀を差し、汗がついていなかったであろう花浅葱の羽織を身に纏う私都恭夜。身支度は万端だ。
しかし、それを落ち着いて見れない男がストップをかけて襖に立ちはだかった。

「おいおい、何帰ろうとしてンだよ」

『具合は随分と良くなった。これ以上の介抱は結構。俺は仕事もあるからここで失礼したい』

「おまえ、そんな青白い顔で言われても全く説得力ねェんだけど?」

ギンッと睨まれてもなお、私都恭夜はどこ吹く風で首を振る。

『あいにく、事件が立て込んでいて本来なら休む暇もないんだ。部下ばかりに働かせるわけにはいかないだろう。…そこをどけ』

感謝は既に述べてある私都恭夜にとっては、もう貸しのあるような遠慮は必要なかった。いつも通りの上から投げつけるような態度で坂田銀時を睨み返す。
暫し、互いの無言の攻防戦があった。

そこにどたどたと足音が響き渡り、沈黙は破られる。
二人して注目した襖が開かれて覗いたのは、の瞳だった。足音とは対照的に丁寧に気が遣われた開け方に少しきょとんとする私都恭夜に、目の前の少女は瞠目した。

「起きてたアルか…」

腕に抱えられた氷水が、彼女の目的を簡潔に示している。私都恭夜は胸がこそばく疼く感覚に少しだけ顔をしかめた。

「何で教えてくれなかったアルか銀ちゃん!」

「いや、こいつも今起きたとこだし…っつーか氷水って、神楽お前にしちゃあ気が利いてるじゃねェか」

数寸分しか隙間のなかった襖はスパンッと軽快な音を立てて開かれる。
にやりと口角を上げた坂田銀時曰く、神楽と言うらしいまだ幼気さの残る少女は、鮮やかなの頭をそこから完全に覗かせた。そうして明らかな敵意を剥き出す相手のに向けて、氷水の入ったメッキの桶を僅かに傾け始める。何が起こるのか見当のついた坂田銀時は慌てて少女の華奢な腕を押さえつけた。

「なにしようとしてんだテメェ!!」

「ワタシのこの努力と優しさを発散するヨ!!」

「間違ってるからソレ!努力と優しさは発散するものじゃないんですぅゥゥ!!!」



一応客人の立ち位置にいる自分を放って始まる論争に閉口した私都恭夜は、桶の揺れる水面を見てふと額に乗せられていたタオルを思い出した。かけ布団に落ちたままのそれを拾い、畳む。
それを片手に、私都恭夜は少女の前に立った。やんわりと少女の肩を押して坂田銀時との間に入り込む。

『これは君がやってくれたのかい?』

掌に視線を落として見せると、少女は「うん」とぎこちなくも頷く。
その返しに私都恭夜は満足げに微笑んで見せた。開いていた目を少しだけ伏せ、唇で緩やかに弧を描くそれを形成するのに数秒もかからない。

『そうか。名前はかぐらちゃん、だったかな?』

「あ、うん。ワタシ、神楽言うネ」

『神楽、お陰で熱は下がったし具合も良くなった』

タオルをまだ発達途上の白い華奢な掌に優しく握らせる。上から軽く手を添えてやれば、私都恭夜よりも小さな身体はピシリと固まった。
そして離した手の片方で少女の頬を優しく包むように触り、顔をあげさせる。白い肌に嵌め込んだ宝石のような瞳に、私都恭夜は自分を映し込ませたのを確認して、もう一度笑み直す。

『ありがとう』

「…っ、」

言葉にみるみる紅潮していく頬に、私都恭夜は喜悦を感じずにはいられなかった。想像通りの反応。どうやらどんな年齢の“女性”でもこの手には弱いらしい。
実際この症状は感謝の言葉だけが呼んだものではない。
細部まで拘った今使っている表情筋と、少し低めの温かな声の音低音色。軽く触れながら相手の瞳にしっかりと自分を映し込むこの体制。
どれも計算された、“女”のための会話術だ。

身体や心はどうであれ、自分の言動一つで照れたり喜んだりプラスの反応をされれば同姓でも悪い気がしないのは筋だろう。特に私都恭夜は悪い気どころか、異性である男の同じ表情よりも女の表情の方が愛らしく感じてしまうのだ。
後ろの男には背を向けているので、例え性別の問題を知られていても気兼ねはない。

私都恭夜は唖然とする二人を見計らって、するりと神楽の後ろへ回り込んだ。常人ではない速度で敷居を跨いだ自分の動きに反応して身体の向きを変えられた神楽に内心驚いたが、表情は崩さない。

『俺はこれからやらなければならない仕事が残っていてな。悪いが今日はここらでお暇させてもらうよ』

「おいとま…?お兄サン帰っちゃうアルか?」

『ああ。お礼はまた日を改めて伺うよ。浴衣も返さなきゃならないからね』

「そっか…」

しゅんと肩を落とす神楽の後ろから、目が覚めたような声がする。

「っておい、まてまてまて」

だが、今更遅い。

『また会おう。神楽』

私都恭夜は少女の耳元でぼそりと呟き、そして名残を惜しませるように彼女の頬に宛てていた手を輪郭に添って滑らせる。顎を指先で本当に軽く擦って離す。

焦り始める坂田銀時だが、彼がこんな紳士術を持ち合わせているわけはない。従って、今の感覚に慣れていない神楽はまた身体を固まらせてボーッと玄関に向かう私都恭夜を見つめるばかりだ。
そして神楽を固まらせたその位置は、部屋の入口ど真ん中。中から廊下へ出ようとする坂田銀時にとっては十分な障害物となるだろう。

「神楽てめ、邪魔だ!!おいこら私都!待て!」

ニヒルな笑みを浮かべた私都恭夜は駆け足で玄関を出る。
坂田銀時も神楽も、私都恭夜には劣るが通例よりは大分飛び抜けた身体能力を持っているからゆったりとしてはいられない。階段をかけ下りて右へ迂回する。



「神楽!酢昆布やるからアイツ捕まえろ!」

「イェッサー!!!!」

とか威勢のいい会話が聞こえたけれど、やはり手遅れには違いない。私都恭夜がそう考えながら丁度スナックお登勢の前を通った刹那だった。

「ほいよーーっ!!!」

『え、』

くるくると前回りをしながら、頭上から落ちてくる少女。スリットの入ったドレスも私都恭夜の瞳と同じ色をしているが、やはりの頭も目立つようだ。

『(ちょ、あの階段の踊り場から降りてきたのか!?)』

思わず真上を見上げれば、ニヤリとほくそ笑む銀髪の男が優雅に柵に肘をかけて見下ろしている。

白い肌に独特な方言。そして少女どころか生身の人間とは思えない身体能力。

『(こいつ、夜兎か!!)』

私都恭夜が確信したときには、少し頬を染めた可憐なその子がしっかり手を握っていた。この力もやはり、普通の少女の腕力ではあり得ない。

「捕まえたよ銀ちゃんっ!」

『………。』

「いよーし良くやった神楽ァ!」

「お兄サン、もう少しだけゆっくりしてくといいネ。ワタシもっとお話ししたいアル!」

『ふざけ「神楽、そいつ担いでこォい」オイ!!何言っ、うわ!』

私都恭夜の抵抗虚しく、身体は俵担ぎにさせられる。とても照れた相手にするものではない。




中途半端な優しさなら快く受け入れるさ





その場凌ぎだけで終わらせられるようなものにするはずだった。なのにこれでは…。
私都恭夜の胸が燻る。


「すみません本当にすみません!!あの、僕は志村新八です。同じく万事屋です」

『お前、苦労人だろ』

「っ…、分かってくださいますか私都さんっ!!!」

『(ちっ、墓穴掘った)』



頼むから、期待や好意を向けないでくれと。
そう願っても後の祭りだった。




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