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神楽は酢昆布をしゃぶりながら毒づいた。

「銀ちゃぁん、また同じこと言ってるヨ。最近の大人はバカになったアルか?」

「あー?」

黒い革地のチェアーに背中を預けていた銀髪の男は、かったるそうに本誌から顔を上げる。小さなテレビに向かって指差す神楽を言葉で退かすと、僅かに目を細めた。

ここ連日テレビを騒がしている話題は、かなり世間を賑わしており、一週間経っても収まらない。何度もアナウンサーが発する言葉は、三年以上前から江戸に住まいを構える彼にとって初々しいものでも無かったが、だからといって慣れ染みたものでもない。頭の中を引っ掻き回して、奥底の方に埋もれていたのをやっと引っ張り出した感じだ。
そして今回の事件にもまた、今の銀時は聞き飽きている。

「ニュースなんか見ても全然腹は満たされねぇンだよなぁ?神楽ァ」

「そうヨ、卵かけご飯今日で何日目だと思ってるアル!肉が食べたいネ肉ゥゥゥ!!!」

雄叫びをあげた神楽を横目にいそいそと手元に視線を移す。世間を未だ理解出来ていない部分のある彼女に、“あの言葉”の意味を聞かれずに済んで力を抜く銀時。ずりずりと椅子に沈めば、ギシリと鈍い音がした。
かの少女に教える内容としては、少々残酷なものだろう。いくら戦闘民族の夜兔族とは言え、兄のようになられても銀時としては非常に困る。

「(そのまま忘れちまえ)」

心の中で願って、一頁捲った。




「…ねぇ銀ちゃん、」

しかし、一癖も二癖もある少女はそうはいかないらしい。チッと舌打ちをして、銀時は誌面に向いたまま荒ぶった返事をした。

「俺ァ今忙しいんだよバカヤロー。神楽ちゃんは定晴くんの散歩でもしてきなさい」

「窓見ろヨ天パ!雨降ってるネ!お前が行けば良いヨロシッ!」

「いいのかーそんなこと言ってー。お前の卵かけご飯記録更新するぞー。あ、なに?ギネス目指す感じ?」

「誰が銀の玉転がしに行け言うたネ!」

バコンと銀時の頭にリモコンが突撃した。激痛の叫びすらもはや言葉に出来ない衝撃に、頭を抱えて悶える男。それを遠目に見て、勝者がフンっと鼻を鳴らした時だった。


来訪者の合図が玄関から響く。


「お客アルか?!」

即座に立ち上がった神楽の背中に、遅かれながらも頭を上げた銀時が声をかけた。

「新聞とか勧誘とかヅラだったら通すなよー」

─────「…何だお前かダ眼鏡」

「お引き取りしてもらえー。「何でだよォォ!!!」













神楽が戻ってきた。後ろにいるのは三人目の万事屋志村新八と、万事屋がお初にお目にかかる女性だった。

「銀さん、お客さんですよ。姉上のご友人で、此処を紹介してもらったので連れてきました。────すみません変なところをお見せして。こちらへお掛けになってください」

「…ありがとう、新八くん」

「いえいえ。えーっと、銀髪の人が坂田銀時、チャイナ服の娘が神楽ちゃんです」

手短に紹介した新八は、茶を淹れに勝手場ヘ消える。銀時は既に自席から立ち上がっており、客を名乗る女性の前に腰かけた。

真横一直線に揃えられた前髪、艶のある背中まで伸びた後ろ髪。肌は白く、そこそこ値が張るであろう着物をしゃんと着こなしている。斜めに閉じている脚の上に置かれた両手は綺麗に重ねてあり、一つ一つの佇まいが見事に上品だ。

「(かぐや姫みてぇだな)」

流し目程度を装いながら女性の品格、特徴等を確認した銀時。彼の推測でいうと、歳は二十歳前半だと思われる。見た目年齢についてはもう少し下回るだろう。

久しぶりのまともな客。しかもかなりの上玉に、銀時は背筋を伸ばし軽く咳払いをした。

「初めまして。坂田銀時です、万事屋です」

「…初めまして。橋本千代【ハシモトチヨ】
ともうします」

「橋本さん、ね。それで、今日はどんなご用件で?」

お決まりの、と言うには少し頻度が足りない気もする台詞を口にした銀時。しかし、客に浮き足立つ彼の目は自身のその言葉で開かれた。

「…っ、うっ、ふぅ…っ」

「え、ちょ、はいィィィ?!」

ポタポタと垂れる雫が、着物に点々と染みを作っていく。突然の涙に慌てる銀時だが、彼の懐からハンカチが出てくるような紳士性は無い。
あたふたする彼を戒める声が、後ろから近づいた。

「千代さんっ?!───ちょっと銀さん!!なにしてるんですか!!」

「べ、べべべ別に俺は何もしてねぇって!!依頼内容聞こうとしたらいきなり…っ、」

白い目と冷たい視線を送る新八に必死に弁解する銀時。神楽は眉を八の字に曲げて、女性の前にしゃがみ覗き混んだ。
神楽の瑠璃色の瞳が不安げに揺らぐ。橋本千代は細い指で瞳に溢れる雫を掬うと、朧気の視界でそれを確認し、ゆるゆると首を横に振る。

「ごめん、なさいっ、こんなつもりじゃ、無くて…、」

「謝ることなんてないヨ。哀しいことがあるなら、このかぶき町の女王神楽様が聞くから、だから、泣かないで」

まだ成長途中の真っ白な掌が、震える背中を何度か擦ると、漸く落ち着きも見えてきた。
橋本千代は一呼吸してから自分のハンカチを取りだし、それで目元を押さえる。そして、鼻にかかった声のままだが、ぽつりと話始めた。

「ありがとう、神楽さん…。あの、橋本、と聞いて、皆様心当たりはありませんか?」

「「橋本…?」」

大体の事情を聞いている新八は、ふっと瞼を伏せる。銀時と神楽は斜め上に視線をさ迷わせて、記憶を探った。


先に気づいたのは、先刻まで暇を持て余してテレビに意識を向けていた神楽の方だ。
声をあげて、そして予想を確かめるべくテレビのチャンネルを適当に回していく。ものの二つ目で、彼女の予想が依頼の核心に急速に近づいたことを誰もが悟った。

「橋本、って、…おねーサン、」

「神隠し吸血事件の、」

目を丸くした二人。橋本千代は薄く苦笑して、力無く頷いた。

「…橋本和弘【ハシモトカズヒロ】
の、…家内です」

涙の理由を察して、沈黙が流れる。




橋本千代は銀時の目を見て言った。

「お願いします、坂田さんっ!あの人の、あの人の無念を、晴らしてください…っ!」

「千代さん…」

「三年前のこの事件だって、真選組や幕府は解決出来ていません!だから、万事屋さんに依頼に来ました…っ」

「………………」

「お願い、します。お金はちゃんと用意しています、いくらでも払います…!!だから、どうか、どうか犯人、を、…あの人を奪った犯人を、捕まえて下さい…っ」

橋本千代は懐から取り出した黄唐茶【きがらちゃ】
色の封筒を丁寧に机の上に乗せる。厚さは数センチ。
銀時が瞬きをいくつか繰り返しても、女の手は茶封筒から離れなかった。

手を封筒に重ねたまま背中を丸めて懇願する彼女と銀時を、神楽は悲痛な表情で見比べる。ガシガシと頭を掻く銀時は、あまり乗り気ではいない様子だ。

「つってもなぁー、真選組もどうせ捜査してるンだろ?ぜってぇあいつらに関わっちゃうじゃん」

「銀ちゃんッ!」 「銀さんッ!」

私情を充分に含んだ文句に、他二人は檄を飛ばす。どうやらすっかりやる気になったらしい。彼らには義理人情というものが、どうも深く植え付けられてしまったようだ。

荒っぽく息を吐いた銀時は立ち上がって、テレビを消した。三年前は他人事に終わらせたこの事件を、今度はかなり奥まで関わることになるとは思いもしなかった。

封筒に手を伸ばしながら、名前を呼ぶ。

「…橋本さんよォ、」

「…はい」

顔を上げたと同時に重石の無くなった封筒を、銀時はかっさらった。

「依頼料金はとりあえず今半分だけ貰っとくわ。残りは終わってから貰うんで、とりあえず持って帰んな」

「…え?」

中から数枚の紙を抜くと、彼は机に封筒を戻す。しかし、半分も減ってはいない。
依頼人橋本千代は、キョトンとした顔で銀時を見上げる。

「依頼、受けてくださるのですか?殺人事件の犯人探しなんて、危険な依頼ですよ?」

「いやいや、今さら何言っちゃってンですか?ま、俺たちも依頼選べるほど生活に余裕無いもんでね」

「…本当に、良いんですか?」

最後の問いに、銀時は指に挟んだ数札をぱたぱたと揺らす。一日の生活費を硬貨で過ごしてきた彼にしてみれば、福沢油吉が一人いるだけで大儲けした気分だった。






そこまで落ちぶれちゃいねぇよ



にいっと御得意の笑みを浮かべて言う。

「…精々詐欺師にならねぇようにしねぇとなァ、神楽、新八」

「はい!!」  「おうヨ!!」

「ありがとうございます…!本当に、ありがとう…っ」

もう一度依頼人の頬を流れた雫は、これまでのものとは違って見えた。


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