A chúisle mo chroí
極平和的に肉体を取り戻す話



私はどうすればいいと思う?と昔少年に尋ねたことがある。計画は失敗し、肉体に拒絶をされて途方に暮れていた時のことだ。2度目に尋ねた時にはもう、自らの肉体を取り戻そうなんて気持ちはこれっぽっちもなくなっていた。羊皮紙に何か論文を書いていた少年・・・青年となったクルークは私の問にうーんと唸って、持っていた羽のペンを机の上に置いた。
「君はどうしたい?」
質問に質問で返されて、私は少し戸惑いを覚えた。手に持った星のランタンが揺れて、緩んだ結界の中を淡い光で照らした。ろうそくの代わりにしている月の石がその光を吸収して、結界の中はいくらか明るくなったようだった。その光に照らされた書物たちの影を見て、私はクルークに向かってもう肉体のことは考えていないのだ、と告げた。
「まぁね・・・シグは、あいつはやっぱりちょっとばかし「足りない」とは思うけれど、でもすごく足りないってわけじゃあないし。英断だと僕は、」
クルークは一旦言葉を区切って、書きかけの論文を見た。私もそれを覗き見た。人間のようなロボットの設計図がそこには書かれていた。彼は私が体を奪った事件があってからというもの、ずっとロボットの研究を続けていた。何が彼を駆り立てるのか、私にはわからなかったがその図を見るとそれは完成に近づいているようにも見えた。
「これは・・・・」
クルークは羊皮紙を手に取って掲げた。彼のかけている眼鏡がその拍子にずれたのを私は手を伸ばして直した。彼はありがとうといって、それから少し照れくさそうにしながらその羊皮紙を私によく見えるように持ち直した。
「これは君のために作ったんだ」
新しい体なんだけれど・・・。自信なさげに言った彼の顔を私は見つめた。あまりの感動に言葉が出なかった。しばらく見つめ合っているとクルークは悲しそうな顔をしてやっぱり嫌だったかい?と言った。
『なんて素晴らしい・・・』
奇しくも、漸く私のくちからでた言葉は彼が初めて私の閉じ込められている監獄と出会った時にこぼした言葉だった。彼も覚えていたのだろうか、クルークの頬が一瞬にして染まり、彼は顔を羊皮紙にかくしてしまった。クルークの顔の部分にちょうどロボットの顔が来ていたので、私は設計図と見つめ合うことになった。ロボットの顔はシグに少し似ていた。


「あやさまー」
肉体のことはすでにシグには話をしていた。彼は私のことを「あやさま」と呼ぶ。怪しかったクルークの、私の口調が偉そうだったから、というのが理由らしい。肉体の話をしたのちに、そんな気が抜けるような話をされて私はなんと返事をしたらいいかわからなかった。ただ、やはりこの肉体には魂が存在し、感情があるのだということは強く感じ取った。シグの体は未だ私と共鳴し続けており、その速度は遅いものの彼の左足もまた、昔の私に変化しつつあった。しかし、彼はそのことはあまり気にしていないようだ。
「メガネに聞いた。今度そこから出るんだって」
シグは私の持つ星のランタンをつついた。淡雪のような光が部屋中を照らして、彼は綺麗だな、と一言だけ言った。私が封印解除のために必要なアイテムを持つことに異論を唱えなかったのはシグだけだと、私はクルークから聞いていた。
「からだはあげられないけど」
眠そうな目でシグは私のことを見た。最も彼はいつもこんな目をしていた。顔に出る感情もひどく薄い。私というパーツが欠けているのは一目瞭然ではあるが、彼は、そして私も、もうそれは望まない。
「これならあげる」
シグは何処からか1匹の虫をとりだした。角が見事なカブトムシだった。どうやら虫が好きなようで、常に体のどこかに昆虫を止まらせていた。うごうごと蠢くカブトムシを見て、それからシグの顔を見ると彼は薄い笑みを見せた。
「今季一番のたからもの」
あやさまにあげる、と言って、シグはカブトムシを机の上においてクルークの部屋から出て行った。私は机の上のカブトムシにむかってランタンを掲げてみた。その虫は少し驚いたように一度後ずさり、角でランタンをつついた。
「おい、シグ……」
がちゃ、と音がしてドアが開いた。クルークが部屋を見渡してシグは?と私に訪ねてきた。そのまま机の前の椅子に座って、はぁ、と溜息をついたあとにクルークはぎょっとしたような声を上げた。
「うわっ!!なんでここにカブトムシが……」
『シグがくれたのだ』
「シグが?ああ、そうだ僕はあいつを探してたんだった。君は・・・シグの行き先は聞いてないよなぁ」
あいつはいっつもふらふらしてやがるから、とクルークは少し愚痴を言った。立ち上がろうとして、カブトムシがランタンをつついているのをみてまた椅子に座りなおした。角につつかれるたびに淡い光が強くなって、クルークの部屋をひと際明るくさせた。
「君の体がそろそろ完成しそうなんだ」
その光をぼんやりとした目で見つめながら、クルークがぽつりと言った。シグはもう知ってたのかもしれないな、そうつぶやいて彼はいまだ私のランタンをつつき続けているカブトムシを捕まえた。ジタバタと動く甲虫を見て、クルークは困ったような笑みを浮かべた。
「これ、オオアメノカブトムシだ。めったに見られない貴重な種だよ。見られたら幸運が待ってる、なんて言われるぐらいに」
『・・・・・』
「お祝いだな、こりゃ」
ランタンの光に反射して、カブトムシの甲殻が雨上がりの虹のように輝いた。



私が自分の体を手に入れてから随分と長い月日がたった。本に閉じ込められていた時間に比べれば瞬きするような時間であるが、得られたものはその比ではない。初期型よりも随分と滑らかになった関節を動かしながら私は図書室へと向かった。私がまだ本に閉じ込められていたときとは違う司書が私に向かって会釈をした。僅かながらにあの司書の面影を感じるこの女性はあの司書の娘であった。
「こんにちは、あやさま」
『・・・・ああ』
「あら、今日は返事を返してくれるのですね」
『そう呼ばれるのにも慣れた』
私が肩をすくめると司書は微笑んだ。そして聞いてもいないのにクルークさんはいつもの場所にいますよ、と言った。
『私はなにも』
「そうかなぁと思いまして」
『・・・・・』
唇を曲げると、司書は私に一冊の本を渡してきた。あいつが取り寄せを頼んでいた本が先ほど届いたらしい。分厚い辞書のようなそれを腕に抱えて、私は仕方がなくクルークのところへと向かった。彼はいつも明るくもなく暗くもない本を読むには最適の特等席にいる。私はいつもうつむいて本を読んでいる彼の真向いに座る。
「ああ、君か、なんだい?」
本を読んだままクルークがそう言った。彼は私のことを「あやさま」と呼ばない。名前を教えてもらっていないからだ、とかたくなに私のことを「君」と呼ぶ。
『司書が、頼んでいた本が届いたと』
「お、随分はやいな」
漸く顔を上げて、クルークは私のことを見た。目じりに増え始めた皺がいやおうなしに人間の時間というものはとても早いのだ、と私に思い知らせて来るようだった。私がまるで辞書のような古文書を手渡すと、クルークの目は星が入ったかのようにきらきらと光った。
『そんなにそれが読みたかったのか』
「ん、ああ、何、昔の君の手掛かりがないかなと思ってね」
『ふん、そうか、無駄なことを。私は封印される前にその本を読んだことがある。気が狂ったような男の書いた、幻想譚だ』
「なにぃ!」
本当に古い本だった。どのようにして管理をしていたのか、劣化もあまり見られない。まるであの時からそっくりそのまま持ってきたかのような本を見て、私は首を傾げた。写本にしては、あまりにも表紙の質が古すぎるのだ。
『誰から借りたのだ?』
「レムレス」
『またあの男か』
あの男に抱くあこがれのようなものはまだ変わっていないのだろうか。私は肩をすくめて、クルークの隣に山積みになっている本の塔から一冊の本を抜き取った。タイトルは「世界の昆虫たち」、著者は。
「ところで、シグのことで何かあったんだろ」
『・・・・なぜ?』
「君はわかりやすいところがあるよねぇ」
私はその本の一ページ目に記載されたナナナナホシテントウについての記述を読みながら少し迷った。ぽつり、とこぼす愚痴をこの男はただただ黙って聞いてくれるので、うっかり心の奥底まで話してしまいそうになる。きっと、それも、似ているからだ。私とこの男は似ている。初めて出会った時も、そう思った。
『すこし前に、あいつに子供が生まれただろう?』
「ああ、うん」
『いい加減顔を見に来てはどうだと言われたのだ』
そこでクルークは私の顔をちらりと見た。そして迷うように少し唇を尖らせた後に、行けばいいじゃないかと言った。
『子供の体が変質するかもしれないのに?』
「しないんじゃないか?そんなにホイホイ肉体があってたまるかよ」
『・・・・』
それも正解かもしれない、と思った。私の肉体は現時点ではシグだけで、その子供には関係がないことかもしれない。しかし懸念は消えず、私はいまだ彼らに返事を返してはいなかった。もし、万が一、そう考えてはペンを持った右手が止まる。
「それにシグは気にしない。周りのみんなも。だから君を家族の元へ呼んでいる」
『しかし、』
いいから行って来いよ、とクルークは私の両ほほを摘まんだ。柔らかな人口皮膚で出来た頬は良く伸び、私は言い訳を口にすることが出来なくなった。





「やっときた」
肉体はなにも変わっていなかった。身長も伸びた、声変わりもした、しかし、やはり心は殆ど成長しないようだ。眠たげな眼がほんの少し、うれしそうに私に向かって微笑んだ。
「きょうはアミティはいない」
『うむ?』
「だから子守りしてる」
くるり、とシグが回った。私に背を向けて、何をするのかと思えば彼は背中になにかを背負っていた。あう、と不明瞭な声が聞こえて、赤ん坊だと気が付いた。青い色をしたまっさらな瞳が、布の隙間から私を見つめている。未だ何も写さない目だと思った。明確な自我が芽生えていない生き物は皆こんな瞳をしている。
「かわいいだろ」
『う、うむ』
「じまんの娘」
『そうか』
ゆりかごのように、シグは体を揺らして背中の娘をあやした。うにゃ?と猫のような声で小さな赤ん坊が鳴いた。動いた表紙に頭までくるまれていた布がずれた。赤ん坊の髪は金色だった。
「髪はアミティにそっくり」
『・・・・触覚がないな』
「遺伝しなかったー」
ざんねん、といってシグが謎の触覚をゆらした。赤ん坊がきゃ、と嬉しそうな声をあげてそれをつかもうとした。私は思わず赤ん坊の両手を見た。変質は、していなかった。
「懸念は減った?」
赤ん坊が笑い声をあげている。ばたつかせた足は人間の形そのものだ。小さくても爪があり、肌色で、5本の指がある。私は肉体にしようとしていた人間の左手を見た。その手は決して元にはもどらない。
『・・・ああ』
「もっと気軽に見に来ればいい。アミティも喜ぶ」
『いや、それはどうだろうか・・・』
アミティは私のことをあまり好いていないようだった。当たり前だ、自分の恋人の体を狙っている生き物に良い感情を抱く人間は数少ないだろう。
「触る?」
『………いいのか?』
シグは首をかしげて、それから後ろを向いた。人差し指を幸せそうにしゃぶりながら、小さな赤ん坊が私のことを見上げた。澄んだ瞳の中に赤い何かが映っているのが見える。
「ほっぺをつついてみると面白い」
私の指先はきっと震えていたと思う。赤ん坊の頬にさわるとしっとり、すべすべしていた。初めて体験する質感だった。思えば封印される前も、そしてそれからも、私は生まれたばかりの生き物に触れた事が無かった。それは私が皆に恐れられていたから。それは私が皆とかかわろうとしなかったから。
「きゃあ!」
赤ん坊はうれしそうな声を上げた。小さな手が私の義手をつかんだ。小指をぎゅうと握られて、どうしたらいいかわからなくなった。





封印の記録から抜け出、仮初ではあるが肉体を手に入れてから。時間はあっという間に過ぎていった。私と出会った時にはまだ魔道学院の学生だった少年たちは青年になり、家庭を設け、子供を産み、老いていった。私の横を何もかもが通り去っていく。
『クルーク』
白い病室の中に私の声が響いた。筒の中に息を吹き込んでいるような耳障りな音が部屋の中で途切れることなく聞こえている。ピ、ピ、と硬質な電気音が赤と緑の線をモニター上に映し出している。それが老人の命だった。
『クルーク』
私は彼の腕に触れた。枯れ木のようになってしまった肌は乾いて、ざらざらとしていた。昔に触ったシグの小さな娘の肌を思い出して、私は目を伏せた。触れればすぐにわかる。終わりが近づいているのだ。
『お前も』
私を置いていってしまうのか、そんな言葉を吐くのはやめた。代わりに私は彼の手を握った。気のせいではあると思うが、わずかに握り返されたような気がした。
『お前のおかげで、私は救われたのだ』
瞼を閉じた彼の顔を、私は見つめた。
『クルーク。最後に私の名前を教えよう。何百年も、何千年も、封印される前ですら、たった一度も呼ばれたことのなかった名を』
私は義手ではなく、魂を伸ばして彼の胸に触れた。以前とは違う、弱弱しい鼓動が聞こえた。監獄に閉じ込められて、胸に抱きかかえられ、少年だった彼の鼓動を聞いたあの時を私は思い出した。ピ、ピ、鼓動に合わせて電気音が鳴る。私は目を閉じた。


















それから何百年もの時が過ぎた。魔道学校は廃校になることもなく現存し、図書室ではあの司書の子孫がいまだに司書を続けている。学校にいた子供たちの子孫もみな学院へと通っている。私は図書館のいつも明るくもなく暗くもない、本を読むには最適の特等席で昔に手に取ったことがある本を読んでいた。
『・・・・・』
タイトルは世界の昆虫たち、著者はプリンプ魔導学校卒。著者の死までこの学校の図書館に最新版が寄贈され続けていたその本は今は絶版で、世の中ではプレミアがついているほどらしい。執着していただけあって、その本の完成度は素晴らしかった。私はその本の中のオオアメノカブトムシのページに目を通しながら最近しおりとして扱っている封筒を触った。それはシグの子孫からの手紙だった。
『・・・・・・開けるしかないか』
どうもあいつの子孫は私に赤ん坊を見せたがる。嬉しくないわけではないが、私が見に行ってもよいのか、という気持ちはあった。最も肉体となる子供は未だ生まれたことはなかったし、片割れである青い魂はあれからその姿を見せていない。成仏・・・ができるのかはわからないが、もしかしたら、と私は思っている。自分の寿命がどれほど残っているのか、考えたことはなかったが「私」も不滅ではないのだ。いつかは消えてなくなることだろう。
『ふむ、』
封筒を開けるとやはり、1か月後に子どもが生まれそうだから会いに来てほしい、そのようなことが長々と書いてあった。消印は2週間前、この手紙が届いたのは1週間前。何百年もの付き合いになると、私がどのような性格をしているのかも把握されているようだ。ため息をついて私は本を閉じた。
『少し外に出てくる』
「はぁい、学長様に言っておきますね」
司書はひらひらと手を降って答えた。講義もしばらく休みにしなくては、と思って私は彼女にその旨を書いたメモを渡した。読みづらい字だ、と司書は文句を言った。
「書き方が古文ですよ古文。学長様も大変ですよ」
『走り書きをするといつもそうなってしまうのだ』
仕方がないですね、と言いながら司書は傘を渡してきた。
『これは?』
「もう6月ですから、準備もしないでいくと雨にふられてしまいますよ」
『そうか、感謝する』
「いえいえ」
カウンターに置かれた紫陽花が美しい紫色の花を咲かせていた。





『そうだ、明日は私が産まれた日だったな』
そのことをシグの子孫に告げたら彼らはどんな顔をするだろう、ふと私はそんなことを思った。雨粒を弾く傘をくるくると回しながら、私は彼らの住む街にたどり着いた。
『ここだったか』
ある一軒の家の前で、私は傘を閉じた。コンコン、とドアをノックすると子孫の伴侶と見られる男が顔を出した。南国の血が混じっているのだろうか、珍しい浅黒い肌をしていた。
「ええと…?」
『シルベリアに呼ばれた者だ』
「ああ、貴方があの「あやさま」ですか。どうぞ、こちらへ」
近日子供が生まれるであろう女の名前を告げると、男はひとつ頷いて私を家の前に招き入れた。するとふわ、とどこか懐かしい香りがして、私は思わず周りを見渡した。
『……?』
「何か?」
『いや……』
気のせいだった、と言って私は歩を進めた。案内された部屋の中では、一人の女が椅子に腰かけていた。腹は大きく膨らみ、今にも子供が生まれそうなぐらいだった。
「今日はすごくお腹を蹴ってきて・・・間に合わないかと思いました」
『不思議と、遅れたことは一度もないのだ』
赤ん坊の時にあったきりの女はすっかりと大人になっていて、時の流れを私はありありと感じた。次に会うときはこの女が死ぬ前だろう。抱擁を求めると彼女は笑んでそれに答えた。
「きっと、明日、生まれます」
6月16日がこの子の誕生日です。囁かれて、何かが引っかかった。私の産まれた日でもある、そう返そうとして止めた。私は女の顔をまじまじと見た。女は珍しい薄水色の髪色をしていた。脳裏でパチ、と不思議な音が鳴った。



そわそわと落ち着かなくうろつきまわるシルベリアの夫を眺めながら、私はとあることを考えていた。遠い昔のことだ。肉体が、シグが祝われていた日に、私は一度出くわしたことがある。そうだ、あれも・・・。
『6月16日・・・』
よく覚えている。ちょうど紫陽花がきれいに咲いていた、雨の日だった。昔もそうだった。いつも紫陽花が咲いていた。紫、赤、青、三種類の花を咲かせて雨にぬれていた。嫌な予感がする。
『・・・・すまないが、急用を思い出した』
「え?あの、ですが子供の顔を見ていくのでは・・・」
『すまないな。急いで戻らねばならぬのだ。かわりに呪いを置いていこう、子供が健やかに育つものを』
私は懐から一枚の紙を取り出して男に渡した。そこには未だ博物館の館長を続けているくまのぬいぐるみに似た生き物に頼んで籠めてもらった呪が入っていた。
「イート、ハイリトー・・・?」
『そうだ、子供の体に異変が起きたらそれをシルベリアに読ませてくれ。そうすれば何も起きないだろう、体の一部分は変化してしまうかもしれないが、それを読めば食い止めることが出来る』


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