僕がしんでも
ぼくが死んでも 歌などうたわず
いつものようにドアを半分あけといてくれ
そこから
青い海が見えるように

寺山 修司 『ぼくが死んでも』




「僕が死んだとしても」リンクは言いました。「いいかいテトラ、君は泣いてちゃいけないよ」。テトラは少しひるんだあと「わかっているよ」と返しました。「お前が死んだってあたしは泣かないよ」。




長い長い年月が過ぎて、テトラとリンクとその他の人々は広大な大地を見つけました。まるで昔のハイラルのような、そんな肥沃な大地で、そこにはリンクたちハイリア人が知らない神がいました。最もハイラルが水に沈んだのは何百年も前の話だったので、リンク達は知らない神についてこれといって何か思ったりはしませんでした。そこに住んでいた人たちに神について学び、上手く共存して。船で海を走る代わりに汽車で陸を走りました。

リンクもテトラもそれぞれ違う人たちと結婚をして、それでも二人共とても仲が良く、ずっとずっと友達でした。時折うっかり友達であることを忘れそうになったりもしましたが。

「僕は、今でもあの海を思い出す」
「そうだね」
あたしも夢を見る。とテトラが呟きました。あの海、下には偉大なるハイラルが沈んでいる海。昔はすべてを飲み込む破壊そのものだったそれは今はただただゆったりと凪いで、皆に実りをもたらす恵みの海になっています。そこから遠く離れた今でも、リンクとテトラはあの場所が好きでした。誰しも、生まれた故郷のことはずっと忘れないものです。

「ねぇテトラ」
「なんだいリンク」
「帰りたいと思うときはない?」

リンクがそう尋ねると、テトラはううんと唸りました。少し考えてテトラはこう言いました。「そりゃあ少しは」

「何年前だろうか、最後に海を見たのは」
「リンク、あんた呆けてる?何年も前じゃない、何十年前も前のことだよ」

少し黙って、それからリンクは「そうか」と言いました。そうか、そんなに昔のことだったか。歳をとると時間の感覚がおかしくなる、とリンクはせき込みながら言いました。テトラがあいずちをうって、それから心配そうな顔をして吸いのみを差し出しました。リンクはありがとうといってそれを受け取りました。たった少しの重みで震えるしわくちゃの手を、テトラがそっと包みます。

「もう剣は握れないな」
「何言ってるんだ、剣なんか握ってみろよ。骨が折れちゃうだろ」

あたしだってもういろんなところに身軽に冒険しにいけない、とテトラは笑って言いました。唇を水でぬらして、リンクも笑いました。彼女は随分自分を振り回してくれたことを思い出したのです。いやはや全く、リンクはテトラと一緒にいると何個命があってもたりませんでした。でもリンクは彼女のことがとても好きでした。それは親友として、それから一人の女性としても。

「ああ」リンクはそっと息をつきました。ありがちな言葉でしたが彼はとても眠かったのです。その眠気はテトラと一緒に朝から晩まで冒険をしたときの夜に似ていました。瞼が意思の力に関係なく落ちそうになるのを、どうにか若き頃に培った胆力でもって押さえつけているとテトラがふと気がついたかのように言いました。

「眠いのかい?」
「・・・・・ああ、とても」
「それじゃあ眠るといい。今お前の連れ合いを呼んでくるから」

久しぶりに会えて楽しかったよ、と言うテトラにリンクは声を出さずに返事をしました。こつ、こつ、と杖をついて、テトラがリンクの部屋から出て行きます。その小さな後姿が完全に視界から消えてしまう前に、リンクはどうにかこうにか声を出しました。

「それじゃあ、テトラ」

自分では力いっぱい出したつもりの声は、案外小さくかすれて聞こえました。テトラにその声は届いたでしょうか。リンクはテトラの後ろ姿を最後まで見送って、それからそっと目を閉じました。頭の中に潮騒と、かもめがきゃあきゃあと鳴いている音がふわと浮かんで消えて行きました。どこからかふ、と潮の香りがしたような気がして、リンクは薄くほほ笑みました。

「うん?」

外で、まるで何かのあいずのようにぼうと汽車が大きく汽笛を鳴らしました。テトラはリンクの家を出た直後にそれを耳にして、まるで昔よく聞いたラインバックの汽笛のようだと思いました。従者に体を少し支えられながら、何かの予感がしてテトラは後ろをふりむきました。「まさか」とテトラは呟きました。「リンク、まさかとは思うけど」




「オレンジを剥いてくれない?」とリンクがいいました。テトラはなんであたしが、とぶつぶつ文句を言いましたが、短剣を手にとってするするとオレンジの皮を剥きはじめました。かんきつ類特有の良い匂いがあたりに広がって、リンクはすんと鼻を鳴らしました。

「ありがとう」
「・・・・・・うん」

あらかた皮を剥いたオレンジを二つに割って、房の薄皮もしっかりとって、テトラはリンクにオレンジの果肉を差し出しました。リンクはそれをテトラの手から食べました。彼は酷い怪我を負っていました。それはテトラを助けた結果負った怪我だったので、彼女は酷く自責の念を抱いていました。「ねぇテトラ」とリンクが落ち込んだ様子のテトラに話しかけました。

「もし僕が死んだとしても」リンクは言いました。「いいかいテトラ、君は泣いてちゃいけないよ」。テトラは少しひるんだあと「わかったよ」と返しました。「お前が死んだってあたしは泣かないよ」。

「でもさ」リンクの口の中に勢いよくオレンジを押しこんだ後にテトラが拗ねたように言いました。「ゴタゴタが色々済んだあとはちょっぴり泣いたっていいだろう」。リンクは口のなかのオレンジをごくんと飲みこみました。それからちょっとにやにやとして「勿論」と答えました。「さっきのだって、ただ僕がテトラの泣き顔なんてみたくなかっただけだよ」。頭に大きなたんこぶが一つ増えましたが、リンクはやけに楽しそうにしていました。それはもう、ずっとずっと遠い昔の話。

「リンク、今なら泣いても良いだろう」

テトラはリンクの墓にオレンジを添えました。たくさんの献花に包まれたその墓はリンクがたくさんのひとに慕われていたことを表していました。ぽたり、と黄色い色をした一本の花の上に水滴が落ちて、地面にゆっくりとしみ込んでいきました。柔らかな風がさあっと吹いて、よく熟れたオレンジの香りが辺りに漂いました。


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