あの黒き砂漠には全ての始まりがある。

『ハイラルが欲しい』

傷が殆ど治りかけて、初めて連れて行かれたゲルド族の住む辺境はこれまで一度も見たことがなかった荒れ果てた土地だった。似た場所を例えるならばデスマウンテンが一番そこに近い、頑強なゴロン族しか住めない過酷なあの場所は、ゲルド族が住む砂漠と良く似ていた。

『あの肥沃な大地』

掬いあげた土がさらさらと指の隙間から下にこぼれおちていった。土、と言えば黒く湿っていて、独特の匂いがして、たくさんの生き物がそこに隠れているもののはず。それが俺の知っている『土』だった。しかし鼻先にもっていったそれには生き物の気配なんてものを感じ取れることはなく、ただ乾いた匂いがするばかり。

『ダークリンク、我らの故郷をお前はどう思う』

細かい砂交じりの乾いた風に吹かれて目と喉を痛めた。ゲルド族ではないのに何故か彼らと同じ色をもつ肌は、それでも砂漠の光に耐えられずにまた酷いやけどをした。ツインローバが水を魔術で冷却したもので手当てをしてくれた。力を持つ持たないにかかわらず、砂漠では貴重な水で。

『……とても、つらい場所』
『そうか。火傷の調子はどうだ』
『さっきよりはよくなった』
『ふむ、今は辛いかもしれんがそのうち慣れる。体が環境に順応するのだ』

腕を取られて肌を撫でられた。火傷をした場所に触られて鋭い痛みが走り、思わず顔をしかめると低い笑い声が聞こえて、ハイリア人の白い肌ならもっとひどい事になっていたと言われた。

『最も、何百年もの間ここで暮らしてきた我らのようには行くまいが。幸運だったな、ダークリンク。お前がもしあの小僧と同じ色をしていたら、また暫く寝込むところだった』

明日の朝まで滞在する、そう告げられて荒く息を吐きながら頷いた。焼けた箇所に熱い手で触られ続けたせいでなんだかそこの傷が酷くなったような気がしたからだった。マスターソードに触れた時の、骨の芯まで激痛に苛まれるようなものとは違う、じわじわと弱火で焙られているかのような刺激。でもそのまま触られ続けたらこの腕はどうにかなってしまいそうだった。こうしてまた、芯まで焦げるのだろうか。

『いいか、夜になる前には服をはおり、布をからだに巻きつけろ。傷が痛んでも耐えるのだ』
『・・・・・こんなに暑いのに?』
『信じられんかもしれんが、砂漠の夜は酷く冷える。忠告を守らねば我らが明日の朝に目にするのはお前の亡骸だろう』

己の判断には従うな、と最後にそう言って魔王はテントから出ていった。ずっと掴まれていた箇所を触るとそこだけやけに酷く熱をもって腫れていた。こんな状態で服が着れるわけがないと顔を顰めながら夜になる前に布をはおったが、酷く汗が出たから結局脱いでしまって、朝日が出る前に凍死寸前で発見された。

最初に俺のテントの入り口を捲った老婆の片割れが、馬鹿だね、と太陽が昇るまで暖を取るために薪に火をつけながら笑っていた。体を温めるための火でますます火傷が酷くなってしまうのにと。

どうしようもなく過酷な環境だった。だからどのような関係でも助け合うしかないのだと言っていた。昼間とは真逆の凍えそうな寒さと火傷の発熱で震えながら、時折薪がはじける音しか聞こえない静かな空間をぼんやりと見ていた。誰も言葉を口にしないのにそれを苦痛に思う事はなかった。そして記憶を大部分無くした頭で、家族がいたらこんな様子なのだろうと思ったのだ。思ってしまったのだった。

その感情に付け込まれたのだと言ってしまえば、それは確かにそうなのだろう。布に包まって静かに泣き始めた子供に差し出されたのは木製の小さなコップだった。中には夜をそのまま煮溶かしたような真っ黒な液体がなみなみと入っていて、とても香ばしい香りがした。完全に、とはいかずともだんだんと目から溢れる涙が止まり始めるぐらいには芳しい匂いだった。

『お飲みよ、ダークリンク』
『ここじゃあね、泣くのは御法度だよ。大事な水が逃げてしまうんだから』

ゲルドの女はね、決して泣かないんだよ、泣くよりも生きのびるためにやらなきゃいけないことがここには沢山あるからね。
そういって、幾年もの月日を重ねて皺だらけになった手が優しく目尻を拭った。傷つけないようにだろうか、長くのばされた爪を内側に握って、老婆の指は溢れる涙を攫って行った。甘くしたから子供には飲みやすいだろうよ、ともう片方の老婆が熱と痛みで中々動かない両手にそっとコップを持たせてくれた。魔王は何も言わずに風にひっそりと揺れる焚火の炎を眺めていた。

『これはね、カッファというんだ。砂漠の飲み物だよ』
『真っ赤なカフワの実の種をね、粉まで挽いて、熱い湯に溶かして・・・、それから布で水分を絞る。飲むまでにもそうだけど、カフワの実は小さな実だからね、作るのには手間がかかる。果肉を食べて、種をからからになるまで炒って、それがたっぷりあつまったらようやく粉にする。だから王様だって、毎日は飲めない』

でも今日は特別。言いつけを守らなかったのに、朝が来る前に死ななかったお前は運がいい。
ヒヒ、と顔を見合せながら肩を揺らしてツインローバが笑った。なんとなくその様子を眺めていると、冷めないうちにお飲み、と同時に促されてそれで恐る恐るコップの中身を口に含んだ。

『・・・・・・・、』

最初に感じたのは強い酸味、それからだんだんと甘さがやってきて、良い香りが鼻に抜けて、熱い液体が凍えた体の奥に滑り落ちて、じんわりと胸のあたりが熱くなった。その心地よさにほうとため息をつくと、気にいったかいと老婆の片方がほほ笑んだ。

『滋養強壮の効果もあるんだ。弱ってるお前には必要な飲み物さ』

早く元気におなり、と手櫛で髪を梳かれて、コップ一杯のカッファを飲み終わる頃には大地の端から僅かに太陽が出てきていた。

『ご覧、ダークリンク。夜明けが来たよ』
『砂漠にはハイラルとちがって遮るものがなにもないからね、太陽が昇るところが良く見えるだろう』

それは記憶の中にある夜明けとは全く違う光景だった。地平線の先から輝く太陽が現れて、夜を飲みこんでいって・・・とても綺麗だった。露に濡れる若葉の匂いや朝告げ鳥の鳴き声で目を覚ます、森での目覚めとはまた違う。
世界の始まりだ、とゴロンのルビーよりももっと紅い色をした太陽から目を離せないまま、心の中で思った。

『朝はここから始まるのだ』

まるで心の中を言い当てたかのように、ぼそりと呟かれた言葉に思わずそちらを見ると魔王と目があった。黄玉の色を湛えた強い瞳がこちらを見つめるのに、思わず息を呑んで、少しでも後ろへ下がろうとする衝動をどうにか耐えた。
魔王はそれをみて微かに笑ったようだった。俺から視線を外して太陽の昇る方角を向き、僅かに目を細めて腕を組んだ。

『砂漠に住む者のみがこの瞬間を目にすることが出来る。美しく、壮大な景色だろう』
『・・・・うん、』
『砂漠に存在し、ハイラルに存在しないものは山ほどある。また逆もしかり。貧しい大地でも、今まで育ってきた場所だ。俺はこの場所を好いている。しかし・・・・』

ハイラルが欲しい。と低い声で魔王は言った。

『あの豊かな土地があれば、熱さに倒れる老婆も、寒さで凍え死んだ子供も、飢えに苦しむ事も無く・・・』

目と喉を痛める砂交じりの乾いた風ではなく、茶色くよわよわしい草木ではなく、枯れた井戸ではなく。草花の匂いがする柔らかな風も、果実をたわわに生らす木々も、清らかな水があふれる湖も、全てが欲しい。
ぐるる、と魔王の喉が獣のような音を立てた。
ダークリンクよ、と呼びかけられた声はびりびりと重く、まるで空の上で鳴る雷鳴のようだった。

『力の聖三角を用いても、封印されし者に手を出すことは叶わなかった。小僧は何れあの忌々しい神殿の奥から現れるだろう。何年先かは分からぬが、手に勇気の証と、お前の腕を焼いた退魔の剣を携えてな』

その言葉を聞いて、今はもうほぼ完治したはずの傷跡が僅かに疼いた。手の中心に薄く残ったままの火傷の痕が妙な痒みをもたらして、思わずもっていたままのコップを取り落とした。サク、と小さく音をたてて砂に僅かに埋まったそれを、拾おうとする者は誰もいなかった。

『お前はどうしたい?』
『・・・・え?』
『ハイラルを、世界を手に入れるには疎ましい障害だ。我らは全力をかけて小僧を屠る』

お前はどうしたい、もう一度問いかけられて疼く手のひらを握り締めた。俯いて目を閉じるとあの光景が脳裏に蘇ってきた。いきなり弾き飛ばされて、その衝撃に呻き、歪んだ視界に飛び込んできたのは聖剣を両手でつかんでいる自分。あれも俺だったはずなのに、こちらに気付きもしないで行ってしまった。ジュウ、と音を立てて焦げ続け、焼けただれていく手を必死に伸ばして、掠れた声をあげても振り向くことはなく、醒めるように青い光の中につつまれてそのまま何処かに消えた。

『俺は、・・・・・、』

退魔の剣は俺だけを拒絶した。

『・・・あれは、俺が、殺す』

あいつは俺を置いていった。
そう言葉にするとどこからか悲しみにも憎しみにも似たなにかが違和感も何もなく胸の中にするりと産まれ落ちてきて、口元がひく、と痙攣した。再度頬を伝った涙はそのままに、戦慄く唇をかみしめながら憎い、と呟くと手のひらの疼きがそれに同意するようにふっと消えた。



石造りの床に手を強く押しあてると、その箇所がぐにゃと歪んで波紋が広がり、僅かに水音がこぼれた。波紋にむかっておぉい、と呼びかけるとそこから弾力のある透明な触手が一本出てきて、腕にやんわりと絡みつく。

「モーファ、頼みがある」

ハイリア湖の奥底に潜って、うんと冷たい水を取ってきてくれないか。そう頼むと小指ほどの触手はぐねぐねとうごめいて、最後に俺の手の甲を撫でて波紋の奥へと引っ込んでいった。これは恐らく・・・了承と取っていいのだろう。
床から手を放すと波紋は消えて、ほんの少しばかりの水が残った。ナビィがじっとそれを見つめている。

「さっきのやつ、気になる?」
『・・・・・・』
「あれはこの神殿の主だよ。勇者が俺を倒せたら、神殿の一番奥で戦うことになってたはずだ」

あいつは手ごわい魔物だから、きっと勇者だって苦戦したことだろう。なんたって水を自由に操れるのだ。本体の核が弱点だが、そこは攻撃力が皆無なために素早さに特化している。それを攻撃しなければいくら切ってもダメージが与えられないため、長期戦になると非常に厄介な相手となるのだ。

「何度か手合わせしたけど・・・未だに勝率は低いな」
『・・・リンクは勝つわよ』
「おっと、忘れないでくれよ。勇者と俺の実力はほぼ一緒だっただろ」
『でも、リンクは勝つもん』

だってアタシがいるわ、と微かに震える声でナビィが言った。アタシがサポートするもの、魔物の弱点を見抜くのは得意だから、今までもずっとそうしてきたもの・・・・。

『い、いままでそうやって、勝てたんだから。アタシたちとってもいいパートナーだったのよ、』

勝てたんだから、と繰り返してナビィは嗚咽を漏らした。ナビィが泣くのを見るのは初めてだった。産みの親であるデクの大樹が死んだ時も、彼女は泣かなかったのに。
そのよわよわしい姿に、胸に溢れた罪悪感から何かを言おうとして少し開いた口は閉じることにした。俺が慰めの言葉を口にしても恐らく意味がない。
何も声をかけることが出来ずに、体を震わせる妖精をただ見つめる。

「・・・・・・・ん、」

ふと、右腕に冷たい何かが触れた。下を見ると先ほどのようにモーファの触手が床から出てきていて、くい、と何かを言うように軽く腕を引っ張られた。

「もう持ってきてくれたのか?」

左手で触手に触れると同時に床下から大きな水音がした。本体が出てこようとしている音だ、と気付いて慌ててナビィが入った瓶と、体の後ろに隠していた勇者の首を胸に抱えて立ちあがる。

『あ、・・・』
「、ごめん」

勇者の首を目にしてナビィが呆然とした声をあげて、さっと体の色を変えた。それに気づいて、配慮が足りなかったと服の中に瓶を押しこむ。嫌、と布を通してくぐもった拒絶の声が、微かに聞こえた。

「悪かった。もう見せないようにする」

言いわけをするように服の上から瓶を撫でても返事は無かった。気をつけなければと思いながら床を見下ろす。だんだんとそこに広がる波紋が大きくなっていって、先ほどよりも何倍も太い触手が勢いよく飛びだした。本体を内包しないままうねうねと動くそれを見上げながら不思議に思ってもう一度下を見ると、床と波紋の境目から水に包まれた紅い球体が半分だけひょいと顔を出していた。

「モーファ」

球体の名前を呼ぶと、りゅぅん、と空気が不思議な音を立てて震えた。水の中で発されているからか、少々不鮮明で甲高いその音がモーファの鳴き声だ。

少し顔をしかめながら、その甲高さにキーンと痛くなった耳を押さえて下へ屈みこむ。本体を守るためか、他の箇所よりも妙に弾力が強いその表面を撫でると球体が少し左右に揺れた。その拍子に床下からいくつか泡が上がってきて、紅い核を包み込む。りゅん、と今度は少し控え目に鳴いて、モーファは体の大半を置き去りにして床の上へと抜けだした。そしてまだうねうねと動いている触手にはもう興味がないとでもいうように、好き勝手に部屋の中を跳ねまわり始める。

「・・・もしかして、この体全部、頼んだ水か?」

ぽん、ぽん、とリズムよく床の上で跳ねているモーファにそう尋ねると正解だ、とでも言うかのように一オクターブ高い声が帰ってきた。

「こんなには必要ないんだ」

勇者の首を保存したいだけだから、と生首を見せながら言うとモーファは一瞬動きを止めて、それから核に少しだけ纏っている水を細い触手にしてそろそろと伸ばしてきた。まずは血の気を失った頬にひたりと触れて、何かを確かめるように撫でまわす。唇、鼻、半びらきの目、髪、とすべて触れて、最後に触手を薄く平たく伸ばして首をすっぽりと覆いこんだ。

「この首が、腐らないように。たったそれだけの量でいい」

モーファは時の勇者の首をじっと眺めている。いつのまにか太い触手は動きを止めて、床にだらりと横たわっていた。

「あれの、はしっこぐらいをくれれば丁度」

床の上の水の塊を指差すと、モーファは首に触れていた触手をゆっくりともとの形にもどして、ぽん、と一度跳ねた。するとよく熱したナイフをバタの塊に差し入れた時のように、すうと触手の先端になめらかな切れ目が入った。分離されたひと固まりのそれは、球体をすこし潰したような楕円形に変化して、床の上で未だただの水と化すことなく形を保っている。

「ああ、それぐらいで大丈夫」

ありがとう、と礼を言うとモーファはころころと転がって残りの触手の中へ滑り込むように入っていった。ずる、と床をすべる音がして、モーファの体が波紋の先に飲み込まれていく。
最後の部分が部屋から消えて少しして、ようやく床に広がっていた波紋が消えた。これで足が沈む事も無い、と残された水の塊へ近づく。抱えたままの勇者の首にそっと魔力を通して、中に残った血の塊を外へ無理やり押し出した。魔力というものはやろうと思えばある程度の事はできるのだと教えてくれたのはツインローバだ。

「あ、」

予想以上の量が切断面を支える手の平へと垂れ、妙に重い音を立ててゼリー状の血液が指の間から滑り落ちた。暗褐色になってしまったそれを少し勿体ないなと思いながら足で踏みにじる。冷たい水の中に入れる前に綺麗にしようと思ったのに、結果的にますます血で汚れさせてしまった。

仕方が無い、と鍵が無くとももう開くようになった扉を開けて、水場へと近づく。血の匂いに反応してか、近寄ってきたテクタイトを散らしてそっと首を浸す。流れる水の中に一瞬だけ暗い赤が混じってすぐに消えた。

「・・・・・・・、」

とっさに懐に入れたままの瓶が、屈んだせいでわき腹に当たる。首を、鼻まで沈めると口か鼻か、そのどちらかからごぽりと空気が漏れて、まるで生きているようだった。水場から引き上げると、すこし開いたままのくちから水が溢れ出る。

もうどこにも汚れはないだろう、と隅々まで勇者の首を眺める。生々しい色を晒す断面から落ちる水にほとんど赤が混じっていないことを確認してから後頭部を見ると、うなじに近い部分に一つだけ、血で固まった箇所を見つけた。

「・・・あとはここ、だけか」

濡れた指で触ると暗褐色の血がついた。滲むそれから目が離せなくなって、顔を首へ近付ける。

「ん、」

舌先に触れた血は、どこか懐かしい味がした。


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