追憶
初めて顔を合わせたとき、こんな顔をしていたのかと思った。でもそれは分かり切った事だったから恐らく表情にはでなかっただろう。それにくらべてあいつはとても驚いた顔をしていたっけ。形のいい目が見開かれて、もう7年は見ていないハイラル平原の空色をした瞳がよく見えた。

それを欲しいと思った。

「何か褒美をやろう、言え」
「ならば首を」

時の勇者の首を。ハイラル城の王座に座るガノンは少し考えるそぶりをして、それからまぁ良いだろうと言った。

「既に勇気のトライフォースは手に入れた。配下を殺された恨みはあるが・・・良い。持っていけ」

ツインローバが左手を切り落とされ、あとはごみのように転がされていたあいつのところまで案内してくれた。

「運がよかったねぇ。もう少しであたしらの実験材料になるところだった」
「2番目に良いところを持ってかれちゃうなんてねぇ」

一番は左手、二番は頭、三番目は体全体。あんたが残った物全部欲しいって言わなくてよかったよと双子の老婆の片割れが言った。

「自分で切り落としておくれよ」
「そうそう、力仕事は婆あにはキツくてね」

ツインローバの実験場に転がされていた時の勇者の体は、左手がない事を除けば俺が殺した時のままだった。剣を抜いて、首に当てる。魔力を込めて青白く輝いた黒剣は驚くほどあっけなく時の勇者の首を落とした。ごろりと転がった首の切断面から、黒く固まった血が僅かに流れ出る。

「ああ、ダークリンク。あんたがそれをどうするのかしらないけど、そのままじゃ腐ってしまうよ」
「そうだよ、コウメさんの言うとおり。良いかい、腐らせたくなかったら冷たい水の中か氷の中に入れておきなさい」

小脇に抱えた時の勇者の首が、氷の魔法によって一瞬で冷たい霜に覆われた。老婆からの心遣いは暫くこいつの首が腐るのを押しとどめてくれることだろう。

「そういえばツインローバ様、マスターソードは?」
「なんだい、あれもほしいのかい?」
「あれは駄目だよ、さすがのアンタでも」
「いえ、ただ気になっただけで」
「そうかい、あれはガノン様が折っちまったよ」

力と勇気のトライフォース、二つの神の力を手に入れたあの方にかかれば、退魔の剣だってなんてことはないさ、と老婆の片割れが部屋の隅を指差した。そこに立て掛けてあった折れた剣。銀の刀身に紫色の柄。俺の剣のオリジナル。触っても指は焼けなかった。

「もう退魔の力は無いんだよ。まるで何かが抜けちまったみたいにね」

柄を握って、そこに残った刀身を眺める。退魔の力が無くなってもその美しさは変わらない。まじまじと見ていると黙って後ろで浮かんでいたツインローバが隣に来て、小さな魔術を使ってマスターソードの刀身を僅かに欠けさせた。綺麗な三角形に割れたそれが床に落ちて、微かな音をたてる。

「・・・・力を無くしたって、これはただの剣じゃあないんだ。だから全部はやれないけど、それをやるよ」
「あたしたちからの礼だよ、よくぞ勇者を倒したね」

霜に覆われた首と、マスターソードの小さなかけらを持って城から出た。どこに行けとは言われなかったし、何をしても良いとも言われなかった。だからとりあえず元の場所に戻る。
時の勇者を倒した所。水の神殿の奥深く。幻の水が全て消えたあの場所には勇者が流した血だけが残っている。




殺風景な石作りの部屋の真ん中から、少し左寄り。床に残る血の跡はあの時のままだ。右肩から腰の部分までを袈裟懸けに斬ってすぐに、心臓を突いて殺した。だからきっとたくさんは苦しまなかったはずだ。

口を僅かに「あ」の形に開けて、目は薄開き。金色のまつげの隙間からほんの少しだけ輝きを失った空の色が見える。床に広がるそれなりの量の血痕の前に立ちながら小脇に抱えた首の表情を確認する。俺が殺した時のままの表情。死んだ勇者は目を閉じられることも無く、ハイラル城に運ばれてそのまま手を切り落とされた。そこに死者に対する敬意はなかった。残ったからだははたして何に使われるのか。あの二人の老婆のことだ、どうせ悍ましい実験に使うにきまっている。

「よぉ、」

立っていても仕方がない、とあぐらをかいて床に座り込む。抱えていた首を後ろ手に隠して、懐から一つの瓶を取り出す。その中には妖精が一匹だけ入っている。傷をいやす力を持たない種類の、勇者の瞳に比べれば薄い空色をした小さな妖精・・・今は、少し黒い色をしている。彼女が体の色を変えたのは恐れだろうか、それとも怒りか。

『・・・・・・・』
「つれないな、返事ぐらいしてくれよ」

こつ、と瓶をつつくと瓶の中で沈黙していたナビィが一度だけ羽をはためかせた。どうやらそれが返事の代わりのようだと察して、ため息をつく。別に話が聞こえないようにしていたわけでもない、城での会話は全て聞いていたはずだ。

「怒っている?首をもらってきた事」

2回、羽が動いた。勝手に「いいえ」と受け取って「よかった」と返すとちらとこちらを見たような気配がした。しかしそれもすぐになくなる。
ナビィはうつむいて何をみているのだろう。透明の瓶を通して見える灰色をした冷たい床?それともすぐ近くに広がる、もう茶色く変色しはじめている勇者の血溜り。頬杖をついて瓶の中の妖精を眺める。沈黙は苦ではなかった。たいしたことじゃない。こいつらが来るまではずっとここで一人だった。

『・・・・・どうして、』
「・・・うん?」

しばらく沈黙しているとふるりと羽を一度震わせて、ナビィがそう小さくつぶやいた。次に続く言葉を待っていると、こちらに顔を向けて、さっきよりも大きめな声で「どうして」ともう一度。

『どうしてそんな事聞くの?怒っているかなんて』
「そりゃあ、誰だって嫌だろ。怒ってる奴と話しをするのは」
『・・・・アタシが怒ってないとでも思うの』

友達がしんじゃったのよ、と一際強く羽を震わせてナビィが言った。感情に合わせてか、彼女の色が次々に変わる。赤、オレンジ、元の水色、黄色に黒。

『アナタに殺された』
「分かってるさ、でもそんな邪険にしなくたっていいだろ?」
『仲良くなんてできない!』
「本当に?ひどいな、ナビィ。7年ぶりだってのに」

取り付く島もないその様子にやれやれ、と肩を竦める。小刻みに羽を震わせていたナビィが驚いたようにこちらを見た。黒い色をしていた体が、徐々に元の色へと戻っていく。いや、少しばかり青が濃いだろうか。

『・・・・・・なんですって?』
「時の勇者とも、ナビィ、君とも七年前にわかれたきり。一応久しぶりに会った、ってことになるんだぜ」

正しくは時の神殿でマスターソードに触ってから。剣に触った途端に弾き飛ばされて、黒煙を上げながらぐずぐずに焼けただれていく両手を必死に聖域に通じる扉に向かって伸ばした。・・・骨の芯まで届いた火傷を直したのはガノンとツインローバだった。良い拾い物をしたと、痛みで気絶する寸前に確かに聞いた。勇者の闇の塊だ。これほど使いやすいものはない。

『・・・・貴方、誰なの?』
「当ててみなよ、そんなに難しい事じゃないはずだ。俺の顔は誰に似ていると思う?」

俺の名前はダークリンク、なんて単純な答えなんだろう。




神殿の前で今までの敵に拾われて、治療を施された。本体から突然剥がされた上、聖剣に両腕を丸ごと焼かれたために暫く熱が出た。痛みと熱で朦朧とした意識の中で「記憶はあるのか」と聞かれ、それに「ない」と答えたのは今にしてみれば英断だったのだろう。最も、何を聞かれているのか分からずに相手の質問の内容をそのまま繰り返したらそう判断されたのだけど。

怪我が治ってからもその演技は続けた。演技と言っても、マスターソードに焼かれたときに本当に何か色々な事を忘れてしまったらしくて、たとえば3つの精霊石をどう集めたとか、ゼルダ姫はどんな顔だったかとか、彼女に何を言われたとか、そういうことは皆どこかに行ってしまった。思い出そうとしてもまるでその部分だけ元からからっぽだったかのように、記憶は欠片も出てこず、必死に記憶を掘り起こそうとする俺にツインローバは優しく声をかけた。

『無理をするんじゃないよ、病みあがりなんだ』
『そうそう、また熱がでたらたまらない。いいかいダークリンク、思い出したらで良いんだ
よ』

その時覚えていたのは故郷の森、今はもうおぼろげな3つの試練の数々。マスターソードに触れた時の痛み、驚き、置いていかれた恨み。脳裏に焼き付いている、だんだんと遠くなっていく緑の服を着た小さな子供の背中と水色の妖精。どこか甘い香りがする、清々しい森の香り、よく晴れていた空・・・。ツインローバの魔法で作られた、従順なスタルフォスに体を支えられながら、ハイラル城の窓から覗いた空は不気味に暗く厚い灰色の雲に覆われていた。

『リンク、貴方はリンクにそっくり・・・』
「そうだな」

今は、全てではないが抜け落ちていたところもいくつか思い出せている。傷が癒えるまで暫くハイラル城で過ごした後は、時の勇者が来るはずだからとこの神殿に放り込まれた。それが今から2年前。あとはずっとここで一人きり。揺らぐ水鏡に映った俺の顔は何故か記憶にあるものとは違う。ゲルド族のような褐色の肌に、色素を失ったかのような白い髪毛、血のように真っ赤な瞳。

「でも、「リンク」にそっくり、なんじゃない。俺も「リンク」なんだ」

2年間も一人きりだったのだ。失われた記憶を掘り起こし、考える時間はたっぷりあった。7年前の自分は何をして、何を言われて、どういった物を見てきたのか。

「本当はさ、一番最初は、ガノンたちを裏切ろうと思った。俺だって勇者だ、聖剣に拒絶される前まで俺も同じ存在だった。共に時の勇者になるはずだった……」
『……なら、』
「ナビィ、いろいろ考えたんだ、俺は」

ゲルド族が住む砂漠には、ハイリア人には邪神と呼ばれる巨大な女神像がある。彼らが生きるのは風が死を運んでくる、乾いた砂だらけの小さな街だ。ハイラルに続く道はただひとつ。橋を落とせば切り立った崖がそれを阻む。下は流れの早い川だ。泳ぎに長けたゾーラ族でも怪我をせずに生き延びることは難しいだろう険しい急流。落ちれば、当然命は無い。

「たくさん考えたよ」

あれから7年の時が過ぎた。デクの木様とゼルダ姫に半ば言われるままに行動した、幼い子供の時とはもう違う。

「だから殺した」

自分を殺すことにためらいが無かったわけじゃない。いつか来るだろうその瞬間になんども魘されて、本当にそれでいいのかと何度も自問自答をして、俺だった自分の命を奪う瞬間を想像して。そしてその時がとうとうきてしまった。俺のもとにたどり着くまでにあいつが他のやつに殺されているか、それかあいつが俺を殺してくれたほうが・・・もしかしたら本当は、それがよかったのかもしれない。

ふと、無意識に、後ろ手に隠した首を撫でた。今は霜に覆われてひやりと冷たいそれ。腐らぬようにあとで冷たい水の中に入れてやらねばならない。表面が軽く凍った肌を撫でる指先に、微かな水を感じながらそう思った。ハイリア湖の奥深くからくみ上げた凍るように冷たく透明な水の中に、そっと眠らせておくのだ。髪に少しばかり付着している血液を洗い流して、まだ血管の中に残っているだろう血も取り除いてそこから肉が腐らないようにして・・・。

そこまで考えてふう、と息をつくとナビィがはっとしたように羽を震わせた。その様子に、怯えられていることを思い出した。俺も「リンク」だった、という意識があるからどうしてもナビィに気を許されていると思ってしまう。
こちらをうかがう様子に、沈黙は良くないなと思って別の話題を振った。

「・・・なぁ、ナビィ達は7年の間神殿で眠ってただろ、その間、俺はどうしていたと思う?」
『・・・・・・・』
「想像でもいいさ、考えてみて」

ナビィはその問いにちかちかと体をまたたかせて、それからしばらくの間沈黙した。帰ってこないかもしれない彼女の答えを待つ間も首を撫でつづける。手のひらからうつる体温で霜はもうすっかり溶けてしまっている。生命活動を止めてまだそこまで時間が立っていないためかその肌は柔らかく、そしてひんやりと冷たい。やわらかな陶器を感じさせる不思議な感触だった。

『・・・・ダークリンクは、ガノンたちと一緒にいたんでしょう』
「そうだな」
『酷い事言われたり、しなかったの』
「いいや、それが全く」

寧ろ彼らは自分に優しかった。それは勇者の影を自らの陣営に取り込もうとした結果かもしれない。記憶を一部分無くし、心も体も弱っていた自分を取り込むための。だとしたらそれは上手くいったのだ。

しかし万が一、あの2人の老婆の事だ。もしかしたら頭になにか術をかけられている可能性があるが、それを確かめるすべはない。7年前の『俺』を知っている人間はガノンとツインローバ以外には存在しないのだ。だから比較は出来ない。

「どうしてナビィは、あいつらのことをそう思ったんだ?」
『だって、アナタが本当にリンクだったって言うなら、覚えているでしょう。ガノンドロフは
おおきな虫の魔物を使ってデクの木様を殺して、それからデスマウンテンでもゾーラの里でも、・・・今も、ハイラルの色んなところで沢山の魔物をつかって、皆を苦しめてる』
「確かにな、その通りだよ」

あの樹齢何百年もあろう大樹が枯れて行く瞬間はちゃんと覚えている。自分を今まで庇護してくれていた巨大な存在の喪失。自らの親であるその大木が枯れた時、彼らは何を思ったのか。いや、あの大樹は自分にとっても親そのものだった。コキリ族の気持ちはよく分かっているつもりだ。

「でも、ナビィ、君はもうゲルドの谷に行ったかな」
『谷・・・ううん、知らない』
「そうか、あそこはとても寂しいところだぜ。緑にあふれたハイラルとは全く違う、死が溢れた場所だ」

ガノンドロフの故郷だよ、というとナビィは2、3度羽をはためかせた。デスマウンテンとはまた別の、死をもたらすあの場所は、豊かな森の中で生まれた彼女には信じられない光景に違いない。乾燥しきった土は水を含まず、生えるのは枯れているのかと思うほどに貧弱な植物ばかり。太陽を遮るものが何もない場所で、強い日光がじりじりと乾いた地面を焼いている。そのくせ夜は酷い冷え込み方をし、場合によっては人を死に至らしめることもある。

死を誘う砂漠と恵みを与える森。勇者と魔王はその点でも全くの対極にいたのだ。

「あとで、あの場所に連れて行くよ」

ナビィはどう感じるだろう。あの不毛の大地を。恐らく勇者も姫も知ろうとしなかった。いや、あの姫ならゲルドのあり様を知っていたかもしれないが・・・。

「ハイラルは豊かな土地だと、きっとよく分かる」

ガノンドロフは盗賊の首領で、同時にゲルド族の王様だった。民は王のために、王は民のために働くものだ。溢れるばかりの豊かさを持った土地は崖を越えた先に隣人としてあったが、そこに住む民から受ける感情は差別のみ。持たない者は持つ者からそれを貰うか、奪うしかない。

そう言うとナビィは一瞬だけ何かを言いかけたようだった。ちか、と僅かに動かされた羽から煌めく燐光を瓶の中へ降らせて、少し俯く。
瓶の底、すこし曇ったガラス越しに床の血痕へ淡い光が降り注いでいるようで、それがなんだか見とれてしまいそうになるほど綺麗だった。


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