平穏の終わり。
日本に渡ってから、幾度も季節が巡った。日本は四季の移り変わりが、随分とはっきりしているように思う。気候も、平均して穏やかだ。
僕とジョットの住む場所へは、時折雨や雲、晴が様子を窺いに来る。そうすれば自然と騒がしくなるものの、あの時のような殺伐とした空気はなく。誰もがこの平穏を保つことを考えて、過ごしていた。
その知らせを聞いたのは、一週間程前。
「ボンゴレが代替わりしたらしい。…U世から、V世に。あちらに止まったままの雷の話じゃ、あの男…ダンテの奴はV世にボンゴレリングを託して、どこかへ消えたという。杞憂で済むといいのだが…何か、嫌な予感が拭えぬのでござる。」
ボンゴレU世が消えた。
その情報は雨から、彼―――ジョットの耳にもすぐに届いてしまった。彼は表情こそ変えはしなかったものの、その時瞳は微かに揺れていた。滅多に動揺を見せない彼は、あの男の事になると簡単に表情を動かしてしまう。
更に雨の報告では、U世を追ってV世の部下が各地を飛び回っているらしい。
目的は、U世の抹殺。
絶対的な強さと権力で、ボンゴレを強大にさせた彼は、その代償に数え切れない程の人間を犠牲にしてきた。敵マフィアは勿論、民間人まで躊躇無く殺めたと言う。全てを受け入れ包み込むジョットのやり方とは違う、どこまでも残虐非道なそのやり方に、ボンゴレ内部ではいつ反乱が起きてもおかしくない程、反U世派が増えていった。
そして、V世へと代替わりをした今。V世を筆頭に、初代派であった者の手により、U世の抹殺が企てられたのだろう。
U世―――彼のやり方は、確かに反感を買ってもおかしくない。だけれど僕は、彼の想いが解るような気がした。
僕よりずっと以前に、大空の虜になってしまった、男。男もまた、大空のためならばどんなことでもすると考えていたのだろう。
…だけれど、男は。
大空に、捨てられてしまった。全ての業を一身に背負わされ、想いを告げることも許されず、彼は。この世で最も愛しい大空に、捨てられた。
その彼が、生きる理由にしていたもの。
それが、ボンゴレという存在だった。
愛しい大空に、ただ一つ託されたもの。男と大空を繋ぐただ一つの糸。だから男は、がむしゃらに力を、権力を求めた。ボンゴレの地盤を、存在を絶対的なものにするために。託された想いを、叶えるために。
いつか、再び大空に出会えることを、想いながら。
――――あの男は。
この日を、待っていたに違いない。痛みに千切れそうな心を隠して、ただひたすらに。ジョットもまた、それに気付いている。だけれど、それ以上彼の心は読めなかった。
人の心には必要以上に敏感だというのに、彼は決して、他人に心を見せようとはしない。
彼の心に気付けるのは、恐らく。
僕からの報告を聞いた彼は、窓の外へと視線を向けて小さく笑った。それからゆっくりと、僕へとその視線を移し。悲しげにも、嬉しげにも見える表情で、言葉を紡いだ。
「…私が出迎えねば、ならないのだろうな。」
「それには、賛同しかねます。追っ手の話は聞いていたでしょう。」
「…私は、大丈夫だよ。」
「貴方のその言葉は、信じられません。」
昔からいつだって、大丈夫な時など無かった。あの男がいつもその言葉に、納得のいかない表情をしていたのを覚えている。今は僕にだって解る。貴方の言う「大丈夫」は、「大丈夫」ではない。
「雲と雨もこちらへ来ます。せめてそれまでは待ってください。…1人で、出歩かないように。解りますね?」
「私は、子供ではないのだが。」
「似たようなものでしょう。…いや、それ以上に貴方は手がかかる。子供のほうがまだいくらかマシですね。」
「散々な言われようだ。」
「本当のことです。…いいですね。嫌な予感は、当たらない方が良い。」
雨が、感じた予感。それは、僕も感じていた。恐らくは、雲も。U世の失踪を聞いた、そのときから。
――――平穏が、奪われようとしている。
ただ1人の男に。
僕の、僕達の大空が。
まるで手の届かない場所に行ってしまうような、そんな焦燥感。
彼の幸せを願っているはずなのに。彼の幸せは、「それ」以外にはありえないと解っているはずなのに。
この予感は、未だ諦めきれない、嫉妬心から生まれるものだろうか。それとも、…それとも。
もっと、彼に強く言い聞かせておくべきだった。
いっそ、閉じ込めてしまえば良かった。
僕がそう後悔するのは、…全ての、終わりの日。