動き出す瞬間
俺は今、幸せだと思う。仕事も充実しているし、何より可愛い恋人が居る。遠く離れた場所に居るが、気持ちが揺らぐことはない。
あいつに…ツナヨシに会って、安らぎを知った。与えて、与えられる愛情を知った。それはとても幸せなことなのだと、実感した。
…愛を知らない、男。永遠の忠誠を誓った、ボス。「10代目の座」以外に執着を見せなかった男が、今、突然現れた金色の男に、心を奪われている。
ボス、てめぇはあいつが現れてから、あいつのことばかりだ。世話なんて焼いたことのねぇてめぇが、随分甲斐甲斐しくなってんじゃねぇか。気付いているか? 自覚してんのか? てめぇのその感情は、間違いなく。
ジョットが目を覚ました時、XANXUSの姿は、既に無かった。知らぬ間にベッドに運ばれており、掛けられていたはずの上着も、無くなっている。ジョットはゆっくりと瞬きをして、ベッドから降りる。ふと姿見を見ると、目が真っ赤に腫れていた。
―――先ほどの出来事を思い出すと、恥ずかしい。
情緒が不安定だったと言えばそれまでだが、良い歳した大人が―――生まれた年を考えると、大人という域はとっくに超えてしまっている気がする―――が、自分よりも年下の男相手に、声を上げて泣いてしまった。寂しかったと、辛かったと、弱音を吐いて。…あの言葉は、一体どちらに向けて言った言葉だったのか、今のジョットには判断出来なかった。…ただ。自身を抱きしめた腕は、とても暖かくて。背中を撫でる手が、心地よくて。名前を呼ぶ、声が――――遠く離れた想い人とは、確かに違うそれであるのに、耳に良く馴染んで。涙が、ずっと止まらなかった。挙句、泣き疲れて寝てしまったようで。ジョットは額を抑えて、深く深く息をついた。
「入るぞぉ。」
ぼんやりと姿見を眺めていた矢先、ノックと共に、スクアーロの声がする。ジョットは短く返事をして、部屋の中央、ソファーとテーブルが並んだ場所まで移動する。扉を開けたスクアーロは、ジョットの顔を見るなりギョッとした。彼らしい反応に、ジョットの表情が思わず綻ぶ。無条件に安心感を得られるような気がしていた。
「…あー…。」
「いい、気にするな。…今日は何を持ってきてくれたんだ?」
気まずそうに頭を掻くスクアーロに、ジョットは手を振って笑う。手にしたトレイに視線を向けて、「何時も通り」に、振る舞う。スクアーロは暫く躊躇していたが、短いため息と共に部屋へと進みテーブルにトレイを置いた。トレイの上には、カプチーノの入ったカップと、切り分けられたティラミス。それをソファーに座るジョットの前へと並べ、自分は向かい側に座った。カップを手にしたジョットを見て、スクアーロは再び息をつく。何があったのかと聞いて良いものかどうか、迷っていた。
「…XANXUSは…」
「あ? あ、あぁ、…今日は屋敷に居るぜぇ。」
「…そうか。これ、いただくよ。」
ティラミスの乗った皿を手に、ジョットはスクアーロに笑みを向ける。…いつもと、変わらない笑顔。けれど。
「無理してんじゃねぇ…。」
スクアーロには、解ってしまう。どれだけ、ジョットが表情を取り繕っても。彼のその面差しは、スクアーロの想い人―――沢田綱吉に、酷似しているから。ジョットは思わず手を止めて、スクアーロを見た。それから、ふ、と息をついて。皿をテーブルの上に戻し、ソファーに背中を預けて苦笑を浮かべる。
「…参ったな。お前には、隠しごとが出来ないではないか。」
「…クソボスと、何かあったのか。」
「何か…そうだな…何か、あったのかもな…。」
――――あの出来事は。自身と彼に、何か変化を及ぼしたのだろうか。ジョットは目を閉じて、考える。どうしたら、どうすれば良いのか。ジョットはそればかり、考えていた。浮かぶのは、与えられたばかりの温もりと、遠い日に与えられた、温もり。向けられる感情は、同じだった。ならば、自分は? 自分が向けている、感情は?遠い日に、彼の人へと向けた感情は、「愛」。…言葉にして伝えることの出来なかった、もの。そして、今―――彼に、XANXUSに向かう感情は、何なのだろう。
生まれ変わりとも、考えた。本人が認めずとも、魂はそこにあるのだと、思っていた。だけれど、彼は。ダンテは一向に、自分の前に姿を現さず。XANXUSは、変わらずに。自身がした仕打ちを考えれば、嫌っていてもおかしくはないはずなのに、変わらず、自身へと、感情を向けてくれて――――。
「もう、わからない、んだ…。」
ジョットが、小さな声で漏らすと、スクアーロが顔を上げた。泣きそうな表情を浮かべるジョットに、スクアーロはまたしても戸惑いを露わにして視線を泳がせる。
「確かに、私は未だダンテが愛しい、のに…XANXUSを想うと、苦しい。…彼の、行動に、戸惑ってしまう…違う、のに…XANXUSは、違う、のに…縋って、しまう…。」
両手で目許を覆い、静かな震えた声で言葉を紡いで行く。聞いたことのない声だった。現れたばかりのジョットは、常に自信に満ちた表情、声をしていた。余裕を持った笑顔を浮かべて、決して本心を晒そうとはしなかった。…けれど、今の彼は。
余裕を、無くし。不安と戸惑いを、その表情に浮かべ。泣いているのではないかと、思う声で。その姿に、スクアーロはどうしても、愛しい想い人の姿を重ねずにはいられずに、居り。ぎこちなく腕を伸ばすと、金色の髪をそっと撫でた。
「…何か、ねぇのか。切欠、みてぇなモン。状況を覆せるような、モンは。今のお前、見てらんねぇぜぇ…。」
「切欠…。」
目許を覆っていた手を離して、ジョットは小さく呟く。スクアーロは、髪を撫でていた手を離して、じっとジョットを見つめた。
ダンテに、会えれば―――会うことが、叶うなら――――。
この状況は、変わるかもしれない。自分の感情が、はっきりするかもしれない。だけれど、…どうやって。XANXUSの中から、現れる気配はない。…だけど、感じる。気配を、存在を感じる。…どこに。今、お前は、どこに――――。
は、と。ジョットの瞳が大きく揺れた。脳裏に、ある場所が浮かぶ。
現世に、足をついたあの日。XANXUSと、初めて言葉を交わした、あの日。…確か、あの時。閉じられた扉を見た。あの日以来、見ることもなかったけれど、もしかしたら。そこに、「切欠」が、あるかもしれない。
ジョットはゆっくりと立ち上がり、小さく息を飲む。それから、スクアーロへと視線を向けて。スクアーロは訝しげに眉を顰めつつも、つられたように立ち上がった。そんなスクアーロに、ジョットは穏やかに笑みを浮かべて、首を緩く傾けて。扉へと視線を向けてから、すぐにまたスクアーロを見た。
「スクアーロ。…案内して欲しい場所が、ある…。」
真っ直ぐ向けられた眼差しは、スクアーロの想い人と、矢張り重なって。スクアーロは、考える間もなく、何処へだ、と言葉を返す。ジョットは黙ったまま、緩慢な動作で歩き出した。その後を、スクアーロが慌ててついて行く。
「切欠、が…あるかもしれない…。」
呟きながら歩くジョットの脳裏には、「彼」の姿だけが、浮かんでいた。
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