惚気話と戸惑い
己と、過去の男を重ねて見ていた事実に腹が立った。道理で、あの瞳は自分を見ていない。自分の後ろの、面影を見ていたのだ。
挙句に、自分の感情はその男のものだと言われた。
人を馬鹿にするのも、大概にしやがれ。俺の感情はずっと俺のものだ。生まれてから今まで、ずっと。
幼い頃、初めて「お前」を見た時に抱いた感情も。会えるはずのなかった、「お前」に出会った瞬間の想いも。
…今。お前に抱いている感情も、全て。
俺自身の、感情だ。
あの日から、XANXUSはジョットの居る自室に、滅多に訪れなくなった。時折様子を見にくるスクアーロの話では、仕事が忙しいという。尤も、ジョットにはそれが嘘だと解っていた。超直感を、使うまでもなく。ジョットは溜息をひとつついて、思いを巡らせた。
―――思い返せば、あの時自分はかなり切羽詰っていたのだろう。想う人に会いたい一心で、彼を―――XANXUSを、傷つけてしまった。彼の想いを、否定してしまった。…そんな資格など、あろうはずがないのに。
「多いぞぉ。」
前触れもなく呟かれた言葉に、ジョットは目を丸くして視線を上げた。その先には、微かに眉間を寄せたスクアーロが、居り。彼は手にしたティーポットを傾け、カップの中へと紅茶を注いだ。
「多い、とは…何がだ。」
「溜息の数が多いんだぁ。…何か悩んでんのかぁ?」
ひとつ、ふたつ、みっつと角砂糖をカップに落とし、ティースプーンでかき混ぜ、それをジョットに差し出す。スクアーロの言葉に、ジョットは微かに笑って、そしてまた一つ、溜息をついた。
「わかるか?」
「…その、何だ。…お前の顔は、あいつに似てやがるから…。」
解っちまうんだぜぇ、と。スクアーロは年甲斐も無く、まるで思春期の少年のように、耳まで赤くした。スクアーロの想い人は、ジョットの遠い孫…沢田綱吉だった。綱吉とジョットの顔は、年齢の差こそあったが、一目見て親族と解る程に似ている。それゆえか、スクアーロはこうしてしょっちゅう、ジョットの様子を見に来る。
「おや…私は、惚気られたのかな。」
「そっ!…そういうんじゃねぇ! 俺は、ただ心配してだなぁ…いや、お前にしちゃ余計な世話かもしれねぇが…とにかく、溜息が多いぜぇ。」
「…溜息、ね。…ところで、XANXUSはどうしてる?」
「あ?! あ、あぁ、あのクソボスな、あいつなら仕事だぁ。レヴィと出てるぜ。」
急な問いかけに、スクアーロは慌てた様子で答え。ジョットはその表情を見て、思わず笑った。きっと、彼はうまく誤魔化したつもりなのだろうが、ジョットのその瞳には全てが見えていた。…そう、先も述べた通り、超直感を使うまでもなく。スクアーロと言う男は、嘘が下手だった。
ジョットはスクアーロに渡されたティ・カップを手に、その水面を眺める。何も言わずに居るジョットに、スクアーロはいたたまれなさを覚え、頭をがしがしと掻きむしった。ジョットの視線が、そこへ注がれる。
「…スクアーロ。デーチモには、会えているのか?」
「あぁ?! あー、…なんだ、その…まぁ、月に1、2度くらいは…。」
「少ないな。…会えるときは、会っておいた方が良い。」
でないと、いつか後悔する。
小さく紡がれた言葉に、スクアーロは片方の眉を上げてじっとジョットを見た。ジョットは相変わらず笑顔を浮かべており、その表情は読めない。今度はスクアーロが深く溜息をついた。ソファの背もたれに体重を預け、腕を組み、ティー・カップの水面を眺めたままのジョットを見る。
「…お前は、アイツのことをどう想ってんだぁ?」
「あいつ?」
「クソボスのことだぁ。…俺はアイツに出会ってから随分経つが、アイツがあんなに人を構うのは初めて見た。…自室に誰かを置くのも、初めてだ。」
「…そう。」
ジョットの目が細められる。そこで彼はようやく、見つめていただけのカップに口をつけ、ゆっくりと飲み下した。それを横目で眺め、スクアーロは言葉を続ける、
「…俺はな、少し期待したんだぜぇ。あの血も涙もねぇようなクソボスが、初めて人に執着した。…寒い話だが、初めて恋をしたんじゃねぇかって、な。裏切られてばっかで、怒りしか知らねぇ男が、だ。…恋を、知って―――『幸せ』ってヤツを、知るんじゃねぇかって、思ったんだ。」
ぴくりと、ジョットの肩が揺れる。視線を上げた先に居たスクアーロは、穏やかに笑みを浮かべていた。…幸せなんだと、その表情が語っている。
――――自分も。こんな表情を、していたのだろうか―――――
過去、あの男に焦がれていた時。こんな風に穏やかに、笑っていたのだろうか。ジョットは静かにティー・カップを置き、微かに瞳を揺らして。想い人を浮かべているのであろう、幸せそうなスクアーロの表情を、そっと伺い見た。
「昔の俺なら、こんなことは言わなかっただろうがなぁ。…ただ、…アイツを…ツナヨシを見てると、な。こっちまで、甘い考えになっちまうんだぜぇ。あのクソボスの『幸せ』は、お前なんじゃねぇかって、なぁ。」
言ってから、やっぱり柄じゃねぇ、と顔をしかめ、スクアーロは顔を背けた。ジョットは何も言わずに、静かに息をついた。スクアーロが話をしている間、知らぬ間に呼吸を止めていたらしい。
もし、ほんとうに。
スクアーロの言うように、彼の…XANXUSの幸せが、自分であるとしたら。
己が否定した彼の「想い」が、本当に彼のものだとしたら。
―――『彼』が。『彼』の中に、存在しないのだと、したら――――。
ジョットは俯いて、両手を組み、その手を額に押し付けた。スクアーロの方から、表情を伺い見ることはできない。ジョットのその仕草に、首を傾げる。
何が、ほんとうで。
何が、間違いなのか。
超直感では、確かに感じているのに。だけれどそれが、ほんとうなのではないとしたら。
どうするべきなのだろう。
どうしたらいいのだろう。
今、ここに存在する私、は。どうするべき、なのか―――――。
「…わからなく、なってしまったな…。」
訝しげに首を捻ったままのスクアーロを余所に、ジョットは一口、紅茶を飲んだ。