時計も午後1時を過ぎた5時間目、古典の時間。
この時間といえば大抵の生徒は食後の睡魔、または食後の激しい運動からくる腹痛(=体育)と闘っていることであろう。
私はといえば前者に当たる人間であることは間違いなく、事実寝まいと必死なのだが、その理由が間違っても満腹中枢からくるものではないとだけ付け加えておく。


「ではこの問題を―」


名前を呼ばれて一瞬遠くなりかけていた自分の意識を早急に引き戻し、勢いよく立ち上がる。


「正解だ。なんだ、今日は随分と威勢がいいな」

「あれです、今日読んでる部分がっつり家で読み込んできたからです。大好きなんですよ浅茅が宿」

うふふと冷や汗書きまくりの内心を上辺の笑顔で取り繕い、無事に答えられたことに安心して席に座りなおす。


セーフ。大丈夫。ばれてない、よね?


眠さをごまかすために教科書に落書きしていたことがばれてしまったのかと思った。

そんなことを思いながら続きを説明する先生に視線を向けつつも、私の全神経は背後、後ろの席に座っている人物へと注がれていた。

そう、私が古典の時間を眠れない理由は、その人物にあった。



後ろの席の斎藤一くん。
2週間前の席替えで私の背後に位置した彼。

厳しさ天下一の風紀委員委員長という肩書を持つ彼はその綺麗な容姿も相まってちょっとした有名人だ。
しかしそんな有名人だろうと自分に関係なければ人間興味は微塵もわかないわけで。
隣のクラスの友人に「斎藤くんの半径2メートル以内に常駐できるなんて羨ましすぎる」といくら騒ぎ立てられたところで私にとっては単なるクラスメイトであることに変わりなく、一部女子からの羨望の眼差しなどどこ吹く風、といったところだった。
当然授業中だろうが休み時間だろうがHRだろうが、後ろにいる人にさして興味がなければ気にもならないため、今までと同様私は好きな科目の授業以外は寝たり内職をしたりと割と好き勝手(といっても人に迷惑はかけていないはず)をしていた。

そんな中、ひどい違和感を覚えたのはこの席になってから初めての古典の授業。


「(…なんか…後ろから視線が…?)」


これまでの時間は特に気にならなかった後ろの席。
しかしここにきて、妙に後頭部がむず痒い、というか明らかにこれ見られてない?的な状況に私は陥っていた。

そわそわしつつも授業中、思い切って後ろを振り返り視線の主を確認することはできない。
まさか斎藤くん?と思いつつも、これまで特に彼から視線を感じることはなかったし、多少私の授業態度が悪くとも、噂で聞くほどむやみやたらに注意するといった溢れるような正義感を振りかざすといったことはなかった。
噂はやはり噂か、とちょっぴり斎藤くんに親しみを覚えた矢先に、これだ。

その日は結局、古典の時間に私が居眠りすることは、なかった。


***


「それ、あんたじゃなくて土方先生のこと見てるのよ」

「…土方先生?なんで?」

翌日友人に昨日のことを話せば、帰ってきたのは何とも返しがたい返答だった。

「斎藤っていったら絶対セットで出てくるの、土方先生でしょ」

何処のランチ定食ですかといいたくなる言葉に暫し無言でいると、「ほんとに知らないの?」となんとも面倒くさそうな声で説明された。



「土方先生が好きなのか、斎藤くん…」

何も知らない人が聞いたら誤解しそうなセリフではあるが、そういう私も3分前までは何も知らなかった。というか興味がなかった。


斎藤くんは古典の土方先生(の授業)が好きらしく、ただでさえ真面目なのに、この時間はそれはもう先生の一挙一動を見逃さまいと穴が開くような視線を黒板前に向けているらしかった。
(どうして同じクラスじゃないお前が知っているんだと友人につっこめば「割と有名よ、この話」と一蹴された。やばい、もぐりすぎるな私…)

しかし原因がわかったところで私にはどうしようもない。
要は単に土方―斎藤間に私という障害物があるが故に斎藤くんの視線を後頭部でもろに受けてしまっているだけという話である。
当然私にはそれをやめさせる術も理由もない。
「ちょっと、こっち見るのやめてよね!」なんて勘違い発言も甚だしい。
悪いのは己の座高の高さである。

その視線も古典の時間だけと思えば週に2回程度のことだし、別に自分が見られているわけでないとわかればスルースキル100%の私にとって気にしないことなんて朝飯前。
別に注意されるわけではないんだし、と超がつくポジティブ思考で次の古典の授業を何とか乗り切った時、それは起こった。

「?」

チャイムが鳴り早々に教科書をロッカーへしまうべく席を立とうとした私の方を叩くのは、まさに先日話題に上った斎藤一くんその人。
これまで彼から話抱えてきたことはなかったため珍しく思いつつ「どうかした?」と尋ねると、斎藤くんは少し言いにくそうに口を開いた。


「あんたは…眠たくなると頬杖をついたまま微動だにしなくなる。他の先生の時はいいが、土方先生は気を付けたほうがいい」

「…」


めっちゃ見られてますけど!誰だ私を通り越して土方先生を見てるって言ったヤツ!(いや私の友人ですけれども)


その時私を支配した感情。
それはありがとうという感謝の気持ちを通り越し、恥ずかしい、という周知の感情一色だった。


斎藤くんは微動だにしない私に不思議そうにしつつも、おそらく言いたかったことは本当にそれだけのようで、何とか絞り出すように「次から気を付けるね」という言葉を発した私を確認すると、そのまま教室の外へと立ち去っていった。
あれか、彼は親切のつもりで言ってくれたのだろうか?
しかし私にとってはとんでもなく衝撃の事態である。

だってこれはつまり、古典の時間は前からも後ろからももろ見張られてるってことでしょう?
土方先生は居眠りには大変厳しい先生であるのは私だって知っている話なのである。


「…まじか…」


ここは諦めてなるべく斎藤くんの邪魔にならないよう小さくなりつつも寝ないように気を付けるしかなかった。


***


今日も無事に古典を乗り切ったと、最早最近清々しい気分すら感じられるこの時間。
寝ない代わりにやることなんて落書き以外に思いつかず、先程の言葉は口から出まかせの方便だったとはいえ授業を聞かざるを得ないのは事実なため、あてられても「やばい、答えられない…!」なんてことはここ数日確実に減っていた。
授業が終わり、教室から立ち去る土方先生を見送ると私は思いっきり伸びをし、さて次の授業の準備でもするかとロッカー室へと向かおうとする。

「ん?」

ところが後ろを振り返った私は一つの視線に気づく。
てか真後ろから来てますよね、これ。

「あの、斎藤くん?」

「…」

どうして彼は授業が終わったにも関わらずじっと正面を見つめているのでしょうか。
正確にいうと、これは今度こそ自意識過剰なんてものではなく、確実に私を見ているのは何かの気のせいでしょうか。


訳もわからず穴が開くほどの視線を向けられ、彼の後方にある教室入り口に向かいたいにもかかわらず全くその横を通り抜けられそうにない。
何故だ、斎藤くん。
頼むからその熱視線を向けるのは土方先生限りにしてくれ。

彼が何かを私に言おうとしているのは間違いない。
また前のような不要な指摘は御免である。
が、このまま無言で見つめられるのももっと御免だ。
早く言いたいことがあるなら言ってくれと言いたい。

ごくりと唾をのみこみ、何を言われるのか構えつつも早く済ませてしまおうと一歩斎藤くんへと歩み寄る。

が、それが私の間違いだった。


「へ?」


彼はがしっと音がなるのではないかと思うくらい勢いよく私の手を両手で握りしめたのだ。

「な、なに?なんで?」

「…白月は、古典が好きなのか?」

「ちょ、ちょっと待ってよ斎藤くん!?」

なんでそうなるの!と教室中に響くほどの声で叫びそうになった私は何とかそれをこらえ、引き攣りながらも首を横にふる。


「違う、まって、さっきのは方便といいますかなんと言いますか…てかどうしてそんなに嬉しそうな顔してるの!?」


きらきら、という形容が似合うほどのまぶしい笑顔。
私は、いや、この学校にいる人たちは、かつて彼のこの輝かんばかりの笑顔を見たことがあるだろうか。


完全に引き気味の私とは反対に、最早お前は斎藤一という皮を被った別人だろう、といいたくなるほど普段と違う彼は、こういった。



「今日は、帰さない」



保健委員、頼むからこの人を保健室に連れて行ってください。

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