ここ2、3日、言いようのない妙な視線を感じる。

それはほとんど気づかないほどであることは間違いなく、現にもしかするともっと前から向けられていたものであるかもしれない。
しがない刀屋であるから、別段そういったものを察することに長けているわけでもないし、視線に勘付いたところで一体どこから誰が向けているものかもわからない。

いっそ気がつかないほうがよかったとため息をつきそうになるが今は店先、客の前だ。
例え今は誰も店内にいなくとも、ちょっとした振る舞いが評判になってしまう。
気を引き締めてまた呼び込みを始めようと軒先に出た際、向かいの甘味屋で働く静子さんに声をかけられた。

「ちょっと名前ちゃん」

客もいないことだしと甘味屋へ歩み寄ろうとすれば、何故か身振りで「そのまま」と示され、静子さんの方がこちらの店内へと私を引き連れた。

「どうしたんですか?」
「しっ、静かに」

小声でと言われ、訳も分からぬまま声を落としてもう一度どうしたんですかと尋ねる。
すると静子さんは少し店を気にするそぶりを見せながらも、世間話をするように話し出した。

「最近名前ちゃん、誰かから視線を感じたりしない?」
「!静子さん、何かご存じなんですか?」

私の返答に「やっぱり…」と神妙そうにした彼女は、ここ数日通うようになった客について語りだした。

「どうもそのお客さん、名前ちゃんの店を気にかけてるようなの」


2階まで客席を開放する静子さんの甘味屋には数日前から、2階の窓際を固定席とする客が通っているそうだ。
きけば学問を学びに京へ出てきたものの、特定の学問所に根を張るわけでもなく、今は独学で学んでいるのだと、その客は言うらしい。
常に客の様子を見ているわけではないが、たまに様子を見に2階へ上がると、何やら難しそうな本に目を走らせ時折筆をとる。
それを一日中繰り返しているのだが、真面目そうな青年であるし別段怪しいというわけではなかった。

彼が何やら深刻そうな顔で外を眺めるところを目撃する前までは。

初めは気分転換にと窓の外を眺めているのではないかと思った。
ただ、それにしてはまるで一点を定めすぎているように感じたのだ。

「だからね、その人はもしかしてー…」
「…誰かを待ってる、とかですかね」

静子さんが言おうとした最後の言葉を引き継ぎ、ここまで聞いた内容から推測する。

「…私は名前ちゃんのことを慕ってる人の一人なんじゃないかと思ったんだけれど」
「自惚れるようで恥ずかしい話ですが、私もそれは考えました。でも、それなら客として普通に訪ねてくるんじゃないかと思いまして」

現に他の方はそうですし、と遠い目をすると、静子さんは名前ちゃんは別嬪さんだからねとあたたかく微笑んでくれた。
家では常に父からじゃじゃ馬娘と罵倒されるため、静子さんの優しさは身に沁みる。

「変な人ではないとは思うけど、気になるようなら私から言っとくからね」
「ありがとうございます。その方の待ち人、早く来てくれるといいんですけどね」

完全にその方向性で納得しようとする私に静子さんは苦笑しながら、彼女は向かいの店内へと戻っていった。

心配してくれる静子さんには申し訳ないが、他人の色恋沙汰なら興味も持つが、自分の色恋だけは誰にも口を出されたくはなかった。

「もうあんな思いはごめんだわ」

誰もいない店内に吐き出した言葉は、思いのほか大きく聞こえた。
いけない、気が緩んでしまっていると両手で頬を叩き気合を入れる。

「さて、今日も残り頑張らなくちゃ」

またもや大きな独り言になってしまったが、年を重ねると独り言も多くなるのは仕方がない。


***

静子さんが帰ってしまった後、また数人の客を相手にし、再び店内に静寂が戻った。
もうすぐ日が暮れる時刻、その前には店も閉めてしまう。

今から訪れる客はもういないかもと、軒先に出しているものから中へしまおうと表に出るといつも焦がれている黒い姿が、こちらへと歩み寄ってくるのが見えた。

「斎藤さん!珍しいですね、この間いらしたばかりなのに」

「暫く時間が取れそうなのでな…まだ刀を預けられるだろうか。数本お願いしたい刀があってな」

今までは多くても月に3回程度、同じ週に再び会えることなんてなかった。

「一度に預かることはできますが…ちょうど先日まとめて刀を持ってこられた方がいたので、今預かってしまうと暫くお返しできなくなるかもしれません。1本ずつでしたら、すぐにお返しできると思います」

彼から渡された刀身を1本、そっと抱える。
斎藤さんは、度々刀を研ぎなおすため、父のもとを訪ねているのだ。

少し差し出がましい申し出だったかと不安になり胸元の刀身へと視線を落とすが、心配は杞憂のようだった。

「…そうか。名前がいうのであれば、そうしよう」

今までだって何度も呼ばれているのに、どうしても慣れない。
この時ばかりは、父の腕の良さに感謝せざるを得なくなる。


刀を父のもとへ持っていく間店内で待っててもらうことにし、私は急いで店の裏にある刀工場へと足を向けた。

「なんでぇ名前、そんなに急いで…その刀、あの男のか」

私から刀を受け取ると、刃を丹念に確認する。

「これくらいなら明後日には返せるだろ。そう伝えといてくれ」

「わかりました」

後数本あるようだがと伝えると、やはりまとめては時間がかかるため何度か通えるならそうしてもらった方が良いと父から返答を得る。
しかし斎藤さんだってそう時間を作れるわけではないだろう。
暫く通ってくれたら嬉しいなと思いつつ、はやる気持ちを抑えながら彼がいる店内へと戻る。

お待たせしました、と声を上げ売り場に戻ると斎藤さんに並んでもう一人店内に佇む人物がいた。
こんな時間に立て続けに珍しいと思ったのも束の間、その客がただの客ではないのは一目瞭然だった。


「もう店じまいの時分でしょう。このような頃に申し訳ありません」

「いえ…あの、刀をお探しですか?」

けれども彼はこの店を訪ねる客と意を異にしているのは明らかだった。
何故なら、この店に来る客が持つべき、「刀」を差してはいなかったのだ。

私の問いに、彼は小さく首を振る。

「私が用があったのはこの店ではなく、彼です」

『行きましょう、斎藤さん』

彼は確かに、そう言った。

「名前、すまない。また後日必ず受け取りに参る」

「え、あ、はい!一本目は明後日には仕上がりますから…!」

「承知した」


そのまままるで手をひかれるように彼の後をついて出て行ってしまった斎藤さん。


「何、今の…?」


陽が落ちるにつれ冷たさが増す風が店内に流れ込む。
私はその二人の後ろ姿を呆然と軒先から見送ることしかできなかった。
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