目にした先刻の光景を振り払うかのように、無心で足を屯所へと進める。

あれは間違いなく斎藤さんだった。
自分が張り込んでいた期間に、その姿を見たのは初めてのことだった。


「副長、戻りました」
「山崎か。入れ」

今日の報告をと訪れたのは副長の部屋。
今回の任務はあくまで刀屋店先への出入りが調査の対象のため、その店が閉まれば屯所へと戻るのが日課となっていた。


「本日の様子ですが−…」

書き留めた事柄の内容は、不審な人物の出入りがなかったか、また刀屋に不穏な挙動がなかったかを示すもの。
幸か不幸か、今日までの間に疑うべき動向はみられず、またこちらが目をつけている不逞の輩も店に訪れてはいなかった。



「…−以上です」

昨日一昨日と述べた内容とさして変わらない報告。
終わりを告げられていない仕事なだけに、「何もなかった」というのはこのまま継続して任にあたることと同義である。

「表立って怪しい様子はない、か」
「はい」
「疑うとすればお前の報告通り、その娘に送られる文だろうな」

紫苑の瞳が思案をするようにゆっくりと伏せられる。
副長も、そう簡単にはなにか出てくるとは考えてはいないのだろう。
監察としての任務を全うできてない自分に、深く言及することはない。

このまま何もなければ刀屋への疑惑が晴れるだけか、それともまたは。

「山崎」

姿勢を正したまま、副長の言葉を待つ。


「お前の目から見て他に何か気になる点はあったか」


任務を始めてから、初めて投げかけられる問い。

即時に脳裏に浮かぶのは、黒だった。
そしていつも笑みを湛える彼女が、それを一層深くした表情。


倏忽に、彼女の表情の意味を理解した。


「…申し訳ありません、特には」
「そうか」

一礼をし部屋を後にする。

その日、斎藤組長が刀屋を訪ねたことを伝えることはなかった。
非番である日に、彼が刀屋を訪れることはさして珍しいことではない。
己にそう言い聞かせ、あれは偶々のことではないかと無理矢理納得させる。

しかし。

「(斎藤組長も監視の任についているとしたら…?)」

推測は副長の問いへも繋がる。
監視だけでは刀屋の内実は探れまい。
それならばと客を装い接触するのは、監察行為の基本である。

いつものことながら、射抜くような紫苑の瞳は己の胸臆を見透かしているようであった。

己が信用されていないということは、監察という職を与えられている以上考えにくい。
それに第一、この任は局長副長と自分以外、同じ監察の島田魁にしか知らされていないとその口からきいたではないか。
他の幹部には知らされていないはずのこの仕事、何か副長に意図があるのかそれとも本当にただの偶然なのか。

任務である以上、推し量るだけでは終わることはあってはならない。
ただ唯一確かなことは、刀屋の娘のあの表情。
他の客とは異なるそれはは、以前から斉藤組長へと向けられていたに違いない。

自室へと向けていた足を止め暫し思案した後、山崎はくるりと踵を返す。
このままただ甘味屋にいるだけでは、事の展開はまだまだ先のことになりそうだ。

「副長」
「山崎か。何か思い出したのか?」

副長の命を忠実に実行する自分が、その命に意見することは今までにあっただろうか。
その時真っ先に浮かんだのは、不謹慎にも彼女の表情をより間近で見たいという想いだった。


「刀屋の娘に接触する許可をいただけませんか」
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