「いらっしゃいませー」
うだるような暑さもようやく和らぎ、人々の通りも幾分増えた刻の頃。
とはいっても元々表通りからは入らないとたどり着けないこの場所は、まさに知る人ぞ知る、という風体の店で、しかもそれが刀屋とくればふらりと立ち寄る客よりも、用があると決めてくる客が大半だ。
私、苗字名前は、刀屋「苗字」の巷ではちょっと噂の看板娘だ。
有名なのは店ではない。
自分で言うのも図々しいが、刀屋の店頭に立つのが私という「女性」だというのが、どうやら珍しいらしかった。
私が店先に立たされたのは、まだ物心つく前のこと。
初めての呼び込みで一体何をどうしたのか、私は偶々通りかかったとある藩のご一行様を見事に捕まえた上、いたく気に入られたとかなんとかで以来その時に出会った方たちが京に滞在する用があるときは何かとうちの刀屋を使ってくれるようになったというのが事の始まり。
そこから輪をかけるように、一部のお武家さまの間では、うちの刀屋を贔屓してくれているようで。
全くその時のことは記憶にないものの、どうも私は相手が何用で出向いているのか、何を求めているのかを察しやすいらしく、お客様のお探しのものをすすっと差し出せるものだから、ひどく驚き、そしてそれ以降贔屓にしてくださる人に出会うことが多かった。
その話が一部のお侍さまやこの界隈の商家の間で広まり、また「苗字」の店主に当たるクソ親父…失礼、父親もそれに便乗しまだ年端もいかない子供を店頭に立たせ続け、揚句ここ数年は自分は腰が痛いからと奥へ引っ込み、もはや客との商売はほぼ私が行っているという始末だった。
とはいえしがない町商人の一店であることは変わりなく、京中に名を轟かせるような名店には程遠く、立地も相まってまさに知る人ぞ知る店となっていた。
しかし刀屋という店柄、一部の間でしか知られていない店というのはこのご時世なにかと都合がよいようで。
ここ一年は特に客が増えたのは間違いない。
本来は研ぎ屋であるのが、代々「苗字」の生業だった。
しかし先代のころから顧客を獲得しようと刀工業にまで手を伸ばし、この界隈では他に同業もいなかったことから無事に今日まで二足の草鞋が続けられているというのが現状だ。
そりゃ刃を打つだけでなく、その刃自体も自分の店で賄えるに越したことはないだろう。
それまではわざわざ刀工店からこの店をお客さんに斡旋してもらっていたこともあるそうだから、その時に比べたら人の出入りは増えたに違いない。
けれど商いが増えたからと言って急に人を増やしては商売にはならない。
元々家族で賄える範囲の仕事は、量が増えても人はそのまま。
私が店先に立つまでは、父は研ぐのを本業に、時間を縫っては店先にも顔を出していたし、今は江戸へ行ってしまった年の離れた次兄も手伝っていたようだ。
私の母は私を生んだ直後になくなり、3人の兄と父との手で、ここまでを何とか過ごしてきていたのだった。
そんなわけで、幼いころから家業を手伝っていた私は、当然近所では顔が知れているし、たまたま家業柄女子が携わるのも珍しいからと、ちょっと評判なのであった。
それが元で一度来た客はここをよく覚えてくれるようで、家業様様なのである。
「ありがとうございましたー」
「あの、名前さん」
「あら」
今日3人目の客を見送り中へ戻ろうとした折、入れ替わるように現れた一人の客。
それは数日おきに訪れてくださっている常連さん。
もっとも、刀を買いに来るというよりも目的は。
「これ、よろしければ…」
渡されたものを笑顔で受けとると、彼は「今日はこれを渡しに来ただけなんです」と慌てたように立ち去ってしまった。
完全にその姿が見えなくなってから、今度こそ私は店の中に戻る。
一つのため息とともに。
「なんでぇ名前。またお前殿方から文でももらったのかい」
手に渡されたのは一通の文と近所の高級菓子屋の菓子折り。
それを目ざとく見つけたのは、もうすぐ還暦を迎える年になる、父親だった。
ちょうど仕事のきりでもよかったのか、久しぶりに店先まで出てきたかと思えば客に顔を見せるような恰好でもないその姿の上にかけられた言葉に、私はまた一つため息をついた。
「まったくこんなじゃじゃ馬娘の何処がいいんだか」
「もう娘って歳でもないしねぇ」
特にここ数か月、苗字屋に客がよる理由はもう一つあった。
それは紛れもなく、「私」が理由に依るものである。
別段とびぬけて美人というわけでもないのに、ある折を境に、やたらと人からもらいものをすることが増えた。
初めは家業の拡大を祝ってくれていたり、訳あってしばらく店先には出ていなかったからその復帰祝い的なものかと思いきや、いくら経ってもその手の贈り物は減るどころかむしろ増える一方で。
仕舞にはいわゆる「恋文」なんてものも届くから驚きである。
ちなみにまだ華の盛りの頃には一通たりとももらったことなどなかった。
二十と二つを先日迎えた我が身は、世の商家の娘に限らず嫁に行くには既に遅れた年齢である。
受け取ったものをはらりとと広げれば書いてあるのはやはり私に贈られるにはふさわしくない恋情の言葉ばかり。
太夫でもあるまいに、どうしたものか。
私が本当に欲しい文は、彼らからのものでないのに。
「今日もあの兄ちゃんは来ないのかい」
「…別に待ってないもん」
「なにが「もん」、だ。そんな歳じゃないだろ。まったく、お前は男を見る目がないからあんまり深追いすんなよ」
「余計なお世話です父上。お得意様であることには変わりないんだから、来ないかなって思うのくらい普通でしょ?」
「そうかい。じゃあそういうことにしといてやるか」
これだからこの親父は、とまた中へと消える背中を軽く睨み付け、私は店先へと戻る。
でも、父上の指摘通りだ。
私は男を見る目がないに違いない。
彼の名以外は、何一つ知らないのに。
それでも恋に落ちるなんて、二十歳を過ぎた娘がすることではない。
人の騒めきも疎らになった路上に、漆黒が浮かぶ。
徐々に大きくなる姿に、自然と顔が綻ぶ。
「名前、久しいな」
本当に、
「あら、お久しぶりです!お見えになるの、お待ちしていたんですよ。
斎藤さん」
彼から文をもらえたら、それだけで幸せになれるのに。
世の中、そうはうまくいかないものである。
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