05
「うわ、名前、目の下の隈ひどいんだけど。手帳一つ探しに行くのに一体何の扉開いちゃったわけ?」
「…ちょっと隣の隣のクラスのO田S司っていう人に呪詛を送ってたら朝になっちゃってさ…」
「それ沖田総司のファンに聞かれたら、あんたが呪い殺されるわよ」
「だから伏字にしたのに、何で本名出すの…」
翌朝登校したところで、アンナちゃんと遭遇する。
彼女の指摘に返答した通り、昨晩は一睡もできず朝を迎えた私。
その理由は紛れもなく昨日の放課後に起因する。
あまりの眠気を何とか覚まそうと下駄箱にゴツンと頭を打ち付けつつ、私は事の顛末を語ることにした。
***
私の目の前に生徒手帳を差し出した斎藤くん。
『3年3組名字名前』という文字の横に仏頂面な2年前の私の顔が貼られた面が、バッチリと上を向いている。
「名字、何であんたの手帳は薄桜色ではないんだ?」
その言葉とともに斎藤くん(+α)の視線が手帳から私に向けられ、ひどく居心地が悪い。
心境的には「生徒手帳がピンクってどこの幼稚園の名札の色ですかコノヤロー」と開き直りたい気分だ。
これで私の花丸優等生生活も終了かと思われたその時、思わぬ方向からフォローが入った。
「やだなぁ一くん。それを聞くのは野暮ってものでしょう?」
3年1組出席番号3番、沖田総司。
私が彼について知っているのは、この情報に加え剣道部エース(+イケメン)ということだけ。
当然対面したのは今回が初めてである。
初対面の相手にこういっては何だが、ひどく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
沖田総司は一くんと私だけを残し、他の部員に帰るように促すと、ひどく(胡散臭さの漂う)真面目な顔をし、斎藤くんを諭しだした。
(既にこの時点で、昨日の私は斎藤くんだけでなく彼に会ったことを激しく後悔している。)
「一くんは考えたことがある?女性がズボンをはくことはまかり通る世の中なのに、いつまでもスカートを公にはけないある人達の気持ちを」
「「…」」
「学校という被服規範が定められた空間に属する僕らは、各々の『見かけ』の性に準じた制服という名の鎖に縛られざるを得ない」
あんた今から何を始める気ですか。
開口一番、そう言いたくなるような先が全く読めない語り出しに、私の頭は完全にフリーズしてしまった。
(なんとなくあいたたた、と恥ずかしい感じがするのは私だけではないはずだ。)
そんな私を余所に、沖田総司は更に盛大に方向性を間違えた余計な言葉を付け加える。
「そこにいる名字さんが『彼女』なのか、それとも『彼』なのか、僕たちには判断なんてできない。いや、判断なんてできるような立場じゃないんだ。身体による表現は抑圧されてしまっても、その心のあり方は個人の自由でしょう?彼女は現に、学園においては女子生徒として在ることを、その身を持って表しているんだから」
「制服というのは嫌でもその人の社会的属性を示してしまうものだ。学園内だけでなく、学園外に対してもね。彼女もきっとそのことは重々承知してると思う。だからこそ、その枠組みに縛られない表現の在り方も必要なんだよ」
「例えば生徒手帳。カバーの色がその身体性を表すことを意味することが通用する空間は、この学園内だけだ。僕は別に、カバーの色くらい好きにさせてあげていいと思うんだ。そこでくらい、彼女の内実を表すことが出来たっていいでしょう?そもそも普段はその内を晒せないからこそ、彼女はささやかながらもこういった点で、自身の本質を主張してるんだよ」
「ここまで言えば、彼女にカバーの色云々を質問するなんて、失礼極まりないことぐらい、一くんならわかるよね?」
向けられた言葉をを咀嚼するように考え込む斎藤くん。
彼は沖田総司が言っている意味が理解できるのだろうか。
正直私は理解したくないが、彼がほのめかす一つの可能性に、顔が引きつり声が発せない。
「総司…まさか彼女は…!」
突然何かに気付いたかのようにはっと顔をあげる。
その反応に満足したのか、沖田総司は意味ありげに深くうなずく。
「そういうことだよ一くん。こういうところに気がまわらないから、デリカシーがないって一部の女子から苦情が来るんだよ。まぁ要は、カバーの色くらい大目に見て、彼女に返してあげたらってどうかなってことが言いたいんだよね。彼女だって言いたくない、いや、言えない事情があるかもしれないんだし」
「そうか…すまなかった、名字。察してやれなくて」
沖田総司の言葉に、少し伏し目がちに悲しげな顔をする斎藤くん。
彼はそっと手帳を私の手にのせ、「では名字、気をつけて帰れ。このことは他言するまい」と言い残し立ち去って行った。
隣にいたしたり顔の沖田総司ももちろん一緒に。
一人残された私は、その後通りかかった山南先生に下校時刻を過ぎていることを告げられるまで、その場を動けないでいたのだった。
***
「フォローどころかとんだ飛び道具がきたよ、初対面の人から」
おまえの言葉が一番失礼極まりなかったと言えなかった昨日の私に激しく後悔するも、後の祭りだ。
一体どこに手帳を落とすようなシチュエーションがあったかは定かではないが、斎藤くんを避けようとするあまり、歩んだ我が道をふり返らなかったのが最大の失敗である。
「今の回想で理解できたのは斎藤一が超のつく馬鹿だってことだけね」
アンナちゃん、学校が誇る秀才になんてことを。
しかし確かに沖田総司も斎藤くんも、剣道部1年生がこぼしていたように間違いなく神の領域に足を踏み入れている人物だった。思考回路が。
「普通に交換しましたって言って怒られた方がましだ……あれだよ、絶対斎藤くん、私のこと『身体は女の子、でも心は僕らと同じな男の子』だと思ってるよ」
「そんなぶっ飛んだ思考回路してるとは思いたくないけど、今の感じだとあり得るわよね」
「「はぁ…」」
私は疲れから、アンナちゃんは呆れからくる溜息を同時につき、私たちはとぼとぼとそれぞれの教室へ向かったのだった。
朝から半端のない虚脱感に襲われたのは気のせいでは、ない。
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