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彼を探すつもりで動いていたため、この状況は正に願っていたことであろうことは間違いない。また、捜索されていた少年が今目の前にいる以上彼の身辺を保護する義務は発生するとしよう。
けれども。
「ここに二人で放置されても、ねぇ?」
辺りにセミの鳴き声だけが響く、人気のない階段の下。
唯一の話し相手となってしまった彼に同意を求めるも先程の威勢は何処へやら、また発見した時のような状態へと逆戻りしてしまった。
「じゃあ俺は一回部活に戻るわー」と凪が一人立ち去ってしまったのは数分前のことである。
二人が無言の中一人場違いのように笑っていた凪が落ち着いたのを確認し、私はようやく目の前の彼が渦中の「藤堂平助くん」であることを認識した。
何故こんなところに?と問いただしたいのは山々だが、それよりも先決すべきは剣道部への連絡だろう。
そう思い平助くん(千鶴ちゃんの呼び方がすっかりうつってしまった)も、見つけた以上このまま連れていくかと彼に視線を向ける。
すると目が合った瞬間即座に逸らされ、梃子でも動かなさそうな雰囲気を醸し出す。
剣道部の練習時間にも関わらずこんな辺鄙な場所にいたのだから、何か戻り辛い理由があるのは想像に難くない。それはおそらく凪も察したことであり、彼もまたここにいる理由を尋ねることはなかった。
さてどうしたものかと思考を巡らせている最中、突然隣にいた凪が声をあげた。
「さて、探してた人物もとりあえずは見つかったし、俺は部活に戻るわ。名前、あとはよろしく!」
「は?」
「ほら、どっちかは戻っとかないと心配するだろ、みんな」
名前はあとで来るって言っとくからなーと立ち去りながらいう凪に為す術はなく、こうして私と平助くんは冒頭のように何とも言い難い妙な空気に包まれ放置されたのであった。
癪ではあるが、確かに彼がこのまま動かない様子を見せる以上、また一人にしてしまうのは得策ではない。
何かしら気持ちが落ち着けば勝手に練習へと戻るかもしれないが、見つけた以上はせめて土方先生だけにも報告しなければならない。千鶴ちゃんが心配していたように、先生もまた多かれ少なかれ気にかけていることは間違いない。二人とも平助くんから離れるのであれば、体調云々は置いておくにせよ、無事であったことを伝えるのは至極当然なことだ。
今だって凪は本当であれば、部活に戻る前に剣道部へ向かうべきだったかもしれない。
けれどもおそらくそうすることがないのは、私が彼の傍にいる間は、少なくとも平助くんは自身の中での問題の消化がまだ可能だからである。
ここで剣道部の面々を呼んでしまえば、彼はすぐにどうしたのかを聞かれるであろう。彼らは、厳しくも優しく彼に向き合ってくれることは間違いない。
ただそれができないから、彼は今こんなにも剣道場から離れたところにいるに違いなかった。
まるで千鶴ちゃんの悩みと同じだなと頭の隅で思いながら、私は一先ず彼の並びに腰かけた。
隣に座った私に僅かに反応したものの、だんまりを決め込んだままである。
これは長丁場になるかもしれないと、ふとこういったことは凪の方が向いているかもしれないと思った。
平助くんも傍にいてくれるなら同性の方がよいかもしれない。
というより、そもそも彼は私のことを知っているのだろうか。
千鶴ちゃんからよく話を聞いていたため、妙に知り合いのような体でこうして隣に座ってしまった。
建物の影の下戦ぐ風を感じながら、やはり斎藤くんだけでも剣道部の人を連れてきた方がよかったかと反省モードに入りかける中、隣にいた平助くんが静かにこちらに顔を向ける。
「名前さんは、戻らなくていいの」
一瞬、自分のことを呼ばれていると認識できず、目を丸くしてしまう。
「…私のこと、知ってたんだ」
しかも名前まで。
その指摘に、彼ははっと慌てた。
「すいません!先輩なのに、俺、名前を…!いや、千鶴がそう呼んでたから、つい…!」
律儀に名字先輩と言い直してくれたが、彼にはその呼び方が馴染まない気がして、初めの通り「名前さん」で通してもらうことにした。
ついでにどうも敬語もたどたどしい感じが否めず、直接の先輩なわけではないからと、話しやすいように話してもらうことにした。
「千鶴ちゃんから聞いてたんだ」
「うん。あとは昨日階段から落ちた時に…」
ああ、と昨日のことなのに随分と昔に起きたことのように感じてしまうのは、怒涛の一日だったからだろうか。
「あの」
「ん?」
「千鶴の具合、大丈夫そうでしたか?」
「…本人とは、まだ会ってないんだっけ?」
かけられた問いをつい問いで返してしまうと、彼は少し迷った挙句、こくりと小さく頷いた。
唇を軽く噛みしめる様子に、どうも違和感を覚える。
千鶴ちゃんは彼のことを心から心配していたし、目の前の平助くんも、どう考えてもこれは千鶴ちゃんのことが心配で仕方がないといったところだろう。
ならば、なぜ、
「千鶴ちゃんに会えないの?」
疑問に、唇を噛む力が増したように思えた。
辺りで鳴くセミの声もどこか遠くのことであるような暫しの沈黙ののち、彼はそっと唇の力を緩めた。
「…俺、千鶴に合わせる顔がなくって、」
ポタリと階段にできるのは、黒いシミ。
「本当はちゃんと、言わないといけなかったんだけどっ、」
それは雨なんかではなく、彼の瞳から零れ落ちたものであることは、私と彼しか知ることないことである。
乾いてはまた広がるを繰り返す水滴と、それに比例するように零れ落ちる言葉が途切れるまで。
その時私は、ただただ彼の傍にいるしかなかった。
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