君から広がる世界 | ナノ

 29

「へーすけくんを見なかったかって?」


はい、と不安げに瞳を揺らし尋ねるのは千鶴ちゃん。
彼女が私のもとを訪れたのは、昼に分かれてからそう間は空いていない、ちょうど合奏練習後の休憩中のことだった。

残念ながらへーすけくんの容貌はわからないが、少なくとも吹奏楽部の活動エリア付近で胴着を着用した子どころか私たち以外の生徒は見ていない。そもそも剣道場からここまでは随分と離れており、何か用がない限り訪れるとは考えにくかった。
近くにいた部員にも尋ねるものの、千鶴ちゃんの期待に応えられるような回答はない。

「いつからいないの?」

「昼食後からはもう姿が見えなくって…」

あの時からかと記憶を辿るも、私が食堂についた時点で既にいなかったのだから思い返しても仕方がなかった。
強いて挙げるとすれば、先に戻ってしまったというあの時の彼の行動は、周囲の様子からするに普段とは異なっていたということくらいか。

肩を落とす千鶴ちゃんに激しい罪悪感を感じつつもこの場では何をしてあげられるわけでもなく、万が一見かけたら必ず剣道場まで引っ張っていくことを(凪が)約束し、もうすぐ休憩時間が終わるという千鶴ちゃんを見送る。


「にしてもここまで探しにくるなんてそんなに心配なのか?野郎だしこんな限られた敷地の中だし、そのうちひょっこり出てきそうだけどな」

「マネージャー以前に幼馴染っていてたし、千鶴ちゃんの性格的にも放っておく要素が見当たらないけど」

凪の言葉に同意する部分がないわけでもない。むしろ自分のところの部員(且つ男)だったら確実に一日は放置するだろう。

駆けていく小さく背中にただ心配なだけではない様子を感じ取るも、本人が見つからない以上私たちにできることなど欠片もない。


そろそろこちらも後半戦だと、残された休息の時間を時計で確認すると、近くにいた部員に一言声をかけ、一度外の空気を吸いに行くことにした。




「って、なんで凪もついてくるの」

「減るもんじゃないしいいだろー」

さくさくと砂利を踏み鳴らし、日差しを避けるように木陰を進む。
気分転換にと屋外へ出たはいいが、特に行く当てがあるわけでもないのに凪が隣を歩く。

どうも昨日の一件からやや心配性気味な気がするが、それは決して私が心配なわけではなく、おそらく自分の身が心配なのだろう。
だって昨日の一件から、レイは凪へ近づくことを隠そうとはしなくなった。
保健室でのやり取りがなかったのかのように吹っ切れた彼女は、これは凪も逃げ回りたくなるかもしれないと思うほど積極的だった。
これが本当の女子かつ従兄弟でなければ…と遠い目で今朝方嘆いていたその気持ちがわからないわけでもない。
事情を知らない一部の生徒から見れば、美女に迫られているのである。
羨ましい奴め…と羨望の視線を浴びる裏では、沖田辺りが爆笑している光景が浮かんでしまうのは仕方がない。

とはいえ部活単位で動くことの多い合宿では、中々近づく機会はないし、そもそも今この時間は剣道部も絶賛活動中である。
そこまでして一対一で会いたくないのかと、ややレイに同情気味になってしまうのは、彼女のツンデレっぷりを目の当たりにしたからに違いない。


「ところで凪はへーすけくんの顔とかわかるの?」

ここまで出てきた訳を彼が察していないはずがない。
特に隠す理由もないため、一人でやるよりはと情報提供を求める。

「むしろ知らない名前に驚くんだけど。てか絶対名前だって知ってるって」

「そうかなー」

ない記憶をひっくり返すも、私が剣道部で知っているのは今日食堂にいた面々くらいなわけで。
どこかで見かけたことがあったとしても、その人がへーすけくんだとどうしてわかろうか。

「しかし名前も大分剣道部に肩入れしたきたなー」

「そういう凪だって千鶴ちゃんを随分と気にかけてるじゃん」

特に深い意味もなく返したつもりだったが、何を勘違いしたのか「もしかして名前、嫉妬してくれてる…!?」と訳の分からない言葉を吐いた凪に冷たい視線を送りつつ先を急ぐ。

取りあえずこの時間は、隣の棟の裏階段までみて引き返すか。

後ろで喚く声を右から左に聞き流し進むと、目的の階段が視界に入る。
流石にここは、何か理由があってもまず生徒が来るような場所ではない訳で。

つまり私と凪の進む先に、私たち以外の生徒がいるのはおかしいのだ。


「おー歩いてみるもんだなー」

「…そうだね」


草木が鬱蒼と覆い茂る棟の裏手。
一歩踏み込まないと、その存在には簡単には気づかない。

私たちの目の前には今、ジャージにTシャツ姿の少年が階段に座り込み膝を抱え込む姿があった。


「寝てる、のかな?」

顔を確認できない姿勢に二人で歩み寄っても微動だにしない様子から推測するも、予想は裏切られた。

目の前の彼は声に反応するように、けれどもに緩慢に、その頭を起こしこちらへ視線を向ける。

その顔には、見覚えがあった。
確か昨日、剣道部の面々とニアミスした際に、下級生が騒いでいた。
剣道部1年の中でも人気が高いと。

見かけた際はもっと溌剌とした表情であったが、今は心なしか青白く見える。
体調が優れないことは一目瞭然であるものの、そこにまだ人と意思疎通できる様子に安堵する。


そう、彼は確か…




「………小林くん?」




「なんでだよ!?」



凪よりも早くつっこんできた目の前の少年に将来性を感じつつ、一体どこで認識し間違えたのか理由が皆目見当がつかない傍らで凪が噴き出した音だけが、やけに大きく聞こえたのだった。
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