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人が顔を出した途端、まるで生き別れた兄弟に再開したかのような勢いで泣きついてくる部員たちにもみくちゃにされつつなんとか午前中の練習を終えたとき、私はすでに一日分の体力を使い果たしたかと思うほど疲れ果てていた。
「だめだ…これがまだ午前中だなんて…」
昨晩(アンナちゃんには仮にも突き落とされた人間がよくそんなにのんきに寝れるわねと言われるくらい)驚くほどぐっすり寝たはずなのに、とてもじゃないがこれは夜までもちそうにない。
とりあえず昼ご飯を食べて体力を回復しようと食堂へと向かう前に、私は一目千鶴ちゃんを見ておこうとふらふらと自分たちが泊まっている部屋へと足を向けた。
千鶴ちゃんを見ようと思ったのは決して目の保養的な意味ではなく(それもあることは否めないのだが)、昼までは部屋で休んでいると今朝土方先生から聞いたからだ。
自分でも驚くほどの気にかけようではあるが、乗りかかった船だと己を言いくるめ彼女の部屋の戸を叩く。
「名前さん、もう具合は大丈夫なんですか?」
「千鶴ちゃんこそ、起き上がって大丈夫?」
午後からの練習へ向けてかすでに着替えも済んでいた彼女は、訪れたのが私とわかると部屋へと招き入れてくれた。
気遣う言葉をかけると反対に言葉を返されてしまうように、彼女はすっかり調子が戻ったようだった。
昼食から行動をみなと共にするとのことなので、彼女の支度が済み次第一緒に食堂へ向かうことにし、私はしばらく部屋の隅へと腰かける。
そういえば千鶴ちゃんはレイと同じ部屋だったはずなのに、二つあるうちの一方のベッドは使われた形跡がなく、レイのものと思われるボストンバックが無造作に投げられているだけだった。
これは彼、いや彼女なりの千鶴ちゃんへの配慮なのだろうか。
聞けばレイは初日から夕食後は部屋に長居せずにどこかへ行ってしまうそうで、彼女なりに千鶴ちゃんのことを大事に思っているように思えなくもない。
一体レイ自身はその後何処にいるのか定かではないが、何なら今夜は千鶴ちゃんはこちらで引き取りレイに部屋を一人で使ってもらうのもありだろうか。
それかいっそのことみんなで雑魚寝するとか?
…そんなことしてアンナちゃんの恐ろしいほど悪い寝相から繰り出される殺人級のエルボーが、万が一千鶴ちゃんに当たったらもう私は日の目を見れないかもしれない。
それでもこの合宿中一回は誘って一緒に寝たいなと思ったところで、すっかり自分も剣道部顔負けの対千鶴ちゃんへの過保護っぷりであることを自覚する。
これが天性のチャームというものだろうか。
恐るべし、千鶴ちゃん。
「名前さん、お待たせしました」
どうかしましたか?と尋ねられ、慌ててめくるめく千鶴ちゃんとアンナちゃんと私という謎のガールズトーク妄想から現実へと思考回路を戻す。
何でもないよといった私の顔は、怪しくないだろうか。
「そういえば、さ」
それとなく、本当にそれとなく、私は昨日気になってしまった斎藤くんの様子を思い浮かべつつ、千鶴ちゃんに怪我のことを聞こうと思った。
この手の話は面と向かってよりも、例えば相手と同じしぐさや行動をしている時の方が思わぬ情報を得られたりするものである。
例えば今みたいに、同じ場所へ足をそろえている、なんて時だ。
「怪我の理由、誰かに打ち明けたりは、しないの?」
特に剣道部の人とか、と続けると、千鶴ちゃんはこちらに顔を向け困ったように眉を下げるので、慌てて「無理にいう必要はないかもしれないけど」と付け加える。
「剣道部の人たち、だからです」
暫しの無言の後、彼女の口から零れたのは、漠然と私も感じていたものと同じ回答だった。
「本当に私のことを気にかけてくださってるって、痛いほどわかるんです。だからこそ、余計に言えないこともあって」
「私自身がどうにかしないといけないことにまで、皆の大事な時間を使うわけにはいかないから」
その表情はこれまで千鶴ちゃんから感じていた柔らかい雰囲気から一変して、芯の強い凛としたものだった。
これが彼女があの濃い集団の中で強かにけれども逞しくいられる理由なのだろうと思う。
「…一人で抱え込み切れなくなったら、手を伸ばしてね」
なんて、ありきたりなことしか言えない自分が悲しいが、今の彼女には私の手も不要だろう。
「…はい!すみません、本当は名前さんにだって、余計な負担をかけてしまうから、こんなお話するべきじゃないんでしょうけど…」
なんだか渚さんにお話しすると、落ち着くんです。
少しでも彼女が頼れる先輩になれたらなぁと思いつつ、食堂を前に一先ずこの話は切り上げることにする。
しかし、この問題は解決までまだ時間を要するかと思われたが、直後事態は想定よりも早い展開を見せることになる。
***
だだっ広い食堂に大勢が集まっているというのに、それでも目立つのが剣道部という集団である。
一体どの辺が、といわれると回答に困るのだが、強いていうならオーラといういうかなんというか。
しかしそんなものが見えた試しがない。
こちらが目を向けるとほぼ同じくらいのタイミングで、またあちら側も千鶴ちゃんに目が留まったようで。
パッと見る限り剣道部大集合な集団の中から、原田先生がこっちだ、と手を振る様子が見えた。
「じゃあ千鶴ちゃん、また夜にお話ししようね」
彼女の様子が落ち着いているものわかったし、ここまで連れてこれれば一先ず安心だろうとその場を離れようと辺りを見回す。
残念ながらすでに吹奏楽部の面々は食堂を離れているようで(食後に少し時間をとらないと厳しんですよね、色々と)、仕方がなく近くの空いているテーブルに一人向かおうと一歩踏み出す。
が、しかし。
「千鶴ちゃん?」
腕をつかまれた私は、疑問を投げかけるように彼女を見つめるものの、直後口から発せられた言葉に、二重の意味でその場から動けずに固まった。
「あの、よければ一緒に召し上がりませんか?」
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