君から広がる世界 | ナノ

 26

カチャ、と皿とスプーンがぶつかる音が響く救護室。
穴が開くほどの視線を耐えながらも、私はもくもくとひざ上に置かれた食事を咀嚼していた。


「まったく、なんでさっきの今であんたと私を二人っきりにするんだか」

「おっしゃる通りで…」

目を覚ますのとほぼ同じくらいのタイミングで、遅めの夕食を運んでくれたのはレイだった。
(彼女は「佐藤さん」と呼んでも微塵も反応してくれなかった。ついに根負けしたのはたった今のことである)
てっきり吹奏楽部の誰かが運んできてくれるかと思いきや、私に続き凪までもが一時不在となってしまったため、行うはずだったミーティングの時間がずれ込み、最後までこちらへくると駄々をこねていた凪はアンナちゃんに強制連行されたのだった。
剣道部は剣道部で当然千鶴ちゃんの具合を伺うためにそちらへと人は流れ、まだ千鶴ちゃんとは面会謝絶状態のレイに白羽の矢が当たったらしい。
しかし正確に言うとこちらに来たのは彼女だけではなく、斉藤くんも一緒。
私が起きたことを確認すると、「真崎に知らせてくる」と再び部屋の外へと出てしまった。
そんなことわざわざしなくてもとも思うが、執拗に凪に念を押されたらしい。斎藤くんにいらぬ負担をかけるとは何て奴だ。

「でも斉藤くんはレイのこと、もう信頼してるみたいだね」

千鶴ちゃんと面会謝絶になっているあたり、まだ土方先生あたりは彼女を危険視しているのかもしれないが、斎藤くんに至ってはこうして二人にする分には問題ないのだろうと踏んだに違いない。


「…あんたも斉藤も、甘すぎ」


美少女のツンデレというアンナちゃんと似た面を彷彿させるその姿は、私からすれば大変可愛らしいものである。
その態度を表に出せばアンナちゃん同様辛辣な言葉が飛んでくるのは見えてくるので心の中でにこにことすることにして、一つ、私は思案する。
この数時間で大分彼女という人間をわかってきた私は、同時に一つの可能性が消え更なる疑問が増えたことに気づいてしまったのだ。



「あのさ、千鶴ちゃんのことなんだけど」

レイのことを疑っているわけではないが、一応合宿の間は千鶴ちゃんと二人同じ部屋で過ごしているのだから、気づいているはずである。

彼女がもつ痣の数々を。

尋ねればとたんに何かを思案する様子に、なんだか聞いてはいけないことを尋ねているようで、自分のことではないのにゴクリと固唾をのむ。

「知っているといえば知っているけど、その場を見たわけじゃない」

しばらくしてそう答えた彼女に、私の疑問はさらに膨れ上がる。

「見たことないって、千鶴ちゃんが傷を作るところをってこと?」

「そう。それに本人から傷の所以を聞いたわけでもない。ただ立ち話をしてるところに居合わせただけ」

「立ち話?」

「彼女と、もう一人が話し込んでるところに通りかかったの」

千鶴ちゃんはよほどそのことを知られたくなかったようで、レイがたまたまその場を通ったことを知ると、「内緒にしていてほしい」とそれはもう焦った様子だったそうだ。

「一緒にいた人って誰だったの?」

せめてそれだけでも教えてもらえないかと尋ねるも、彼女はそれすらも答えてはくれなかった。
それも千鶴ちゃんからこちらの条件をのむ代わりに黙っていてほしいと念を押されたようだ。
ますます一体どういうことなのだろうと首をかしげずにはいられない。
私やアンナちゃんには、理由はともあれ怪我を見せること自体には抵抗はなさそうだったが、剣道部員にばれるということが問題なのだろうか。
ここまで首を突っ込んで引き下がるのは癪だが、気にはなるものの頑なな彼女は早々は答えてくれなさそうだ。

「ま、私が黙ってたところで直にわかることだと思うわ。あんな傷、早々に隠せるものでもないし」

その通りだと思うと同時に浮かぶのは、眉間にえらく皺をよせた土方先生の顔。
あれは絶対に怪我に気づいている表情だったと昨日を振り返る。
しかしその土方先生ですら、きっと原因はレイに絡んでいるとみていただろうから、それが違うとなればこの件に関してはまた振出しに戻らざるを得ない。


「最後に一つだけ聞いてもいい?」

もうこの話はおしまい、というように口を閉ざしてしまったレイに一つだけ尋ねる。


「千鶴ちゃんに言った、交換条件ってなあに?」


ああ、とそれはさして何でもないように彼女は言った。


「黙ってる代わりに、あんたのこと呼び出すように言ったのよね」

「『抵抗しようが無理にでも連れてこないと、どうなるかわかってるでしょうね』って」


「…」



それは千鶴ちゃんも怖がるだろうと、私は心の中で千鶴ちゃんの一秒でも早い回復を祈った。


***


しばらくして戻った斉藤くんと入れ替わるようにレイは「もう用は済んだから」と先に部屋へと帰ってしまった。
ほぼ空になった皿に視線を落とし、私はまたレイとは違った視線に耐えるようにひたすら物の入った口を動かした。

「…」

「…」

何だろうかこれは。
何か私が食べるところに至らない点でもあるのだろうか。

レイよりもやや離れた位置に腰かけた斎藤くんは、物言いたげな様子で私と同じくひざ元の食器に視線を落とす。


「斎藤くん、どうかしたの?」

食べるものもなくなり最早視線をごまかすこともできそうにない。
意を決して顔を上げると、斎藤くんはあまり見たことのない何とも神妙な面持ちをしていた。

「…名字は、」

訪れた暫しの静寂ののち問いかけられた疑問に、先程とは異なる緊張感が襲う。


「雪村の怪我のことを知っていたのか」


やはり気づいたかと、つい先程まで話していた内容を聞かれていたのではないかとひやりとするが、斎藤くんの疑問はその言葉の通りのもののようだった。
しらを切れるような状況ではないし、何より私自身も彼女が怪我をするのをこれ以上黙ってはいられそうにない。
こんなにも千鶴ちゃんには、心配してくれる人がいるのだから。

同時に少しだけ、千鶴ちゃんが黙り続けていた理由を垣間見た気がした。

こくりとうなずいた私に、「そうだったのか」と返した彼はそのまま黙り込む。
斎藤くんの沈黙は、何かを思案している時なのだろうとここ最近気づいた私は、静かに彼が続きを紡ぐのを待つ。

食堂からも部屋からも離れたこの場所からは、人の声どころか他の物音など全くせず、二人とも黙れば壁に掛けられた時計の秒針の音まで聞こえる。

針の音を60近く数える中、まさか寝てたりしないよなと有り得ない疑いが一瞬頭を過った瞬間、彼は伏せていた瞳をこちらに向け、口を開いた。


「もし、部員に何か悩み事があった時、名字はどう振る舞う?」


「…それは部長としてってこと?」

「ああ」

言わんとすることを汲みかね反対に聞き返す。
つまりは、彼は今回の一件をはじめから知っていたということになるのだろうか。

果たして彼が求める答えになるかはわからないが、私は慎重に言葉を選び視線をあわせる。


「例えば、後輩が何か悩んでたら、真っ先にそれを励ますのは凪の役割」

「もしつまらないことでうじうじしてたら、叱ったり厳しく指導するのはアンナちゃんがやってくれるかな」


他にもいる吹奏楽部員を思い浮かべながらそれぞれが得意とすることを挙げていく。
はじめは何を言おうとしているのかと、不思議そうな顔をしていた斎藤くんだが、次第に私の意図に気づいたのか、なるほどとほほ笑む。
それを確認して私はほっとした。


「だからね、私は『部長だから』といって何か部員のためにしようと思ったことは、ないかなぁ。人にはそれぞれ得意なことがあるし、幸いなことに私は私が持っていないものを、ことをできる人に囲まれているから」

「だからこそ、本当に彼らが困った時に最後に寄りかかれる樹であれるように。『私』であることは変わらないようにしようと思ってる」


まぁ最後のは願望でしかないから、実際は頼りない部長なんだけどね。
苦笑気味にそう答えれば、斎藤くんは何とも優しいことにそんなことはないだろうと首を横に振ってくれる。


「斎藤くんも、そして千鶴ちゃんも。とても素敵な仲間に恵まれてると思うな」

きっと今頃彼女を囲む剣道部の面々を思い浮かべる。

「彼らにできることは彼らに任せて、斎藤くんは斎藤くんにしかできないことをすることが、一番だと思う」



「…名字は、頼もしい部長だな」

私の言いたいことが果たしてどれくらい疑問に答えたかはわからないが、そう返してくれた彼の表情からはどこか不安そうな様子は消えているように見えた。


「千鶴ちゃん、話してくれるといいね」

「ああ。もしかしたら、すでに総司あたりが問い詰めているかもしれないが、本人が今まで隠していたのには何か理由があるのだろう。自分から話してくれるのを、俺は待とうと思う」




この時私は、お世辞にも彼をよく知っているとは言えないはずなのに、「斎藤くんらしいな」と、何故かそう思った。

prev / next

[ back ]

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -