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何が何だかわからない事態の中ざっくり聞いたのは、佐藤さんは凪から昔話を聞いたことのある「玲くん」という従兄弟で、その「玲くん」は凪に会うために遥々合宿についてきて、そしてその手引きをしたのが沖田総司ということだった。
「…世間って広いようで狭いよね」
「あ、名前!つっこみを放棄したな!お前以外に誰がこの状況につっこめると思ってるんだ!」
「だってつっこみどころが多すぎて何をどうしていいかわからない」
あと私につっこみ要素を求めるのはやめてほしい。それはアンナちゃんの十八番である。
斎藤くんの制止も叶わずがくがくと肩を揺さぶる凪に、こいつは本当に私のことを心配しているのかと疑いたくなる。
あ、遂に土方先生が怒った。ああ、うう頭が痛い…。
「真崎、お前が用があるのは佐藤だろ!そのために総司も連れてきたんだ」
「だから僕はちゃんと謝りますってば。土方さんに言われるとホントやる気なくなるんですよね」
「総司!屁理屈言うな!」
「…総司、真崎。それに先生も。名字は怪我人なんですから、もう少し静かに」
被害者当人そっちのけで展開される会話に別の意味で頭を痛めていると、見かねた斎藤くんが静かな声で口を挟んでくれる。
今日だけで何度目かわからない斎藤くんへの感謝とともにどうしてこうもマイペースな人たちが多いんだと、彼の背越しに見える室内の人物たちを半分睨むように視線を送った。
全く、斎藤くんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
「言っておくけど」
落ち着きを取り戻した室内で、始めに口を開いたのは佐藤さんだった。
彼女は先生たちが室内に入った後も、そしてざっくりと凪が事の顛末を説明している時も、表情一つ変えず、ただじっとその話に耳を傾けつつ視線は私に向けていた。
そして、今も。
向けられる言葉にほんの少し身を固くしてしまうものの、私には彼女に"悪意"がないことを、この数分の会話でなんとなく感じ取っていた。
すっと短く息を吸った彼女は、凪と、私の傍に付き添うように立つ斎藤くん、そして最後に私に視線を移し、息を吐いた。
「わざとじゃ、ないの」
短くそう言う彼女はそれっきりまた口を噤む。
けれど視線はやはりこちらに真っすぐと向かっており、その眼力のためか酷く自分が悪いことをしているような気分になってくる。
「何が」なんて聞かずとも、彼女が指すのは階段での一件な訳で。
やはりそうだったかと目を丸くする彼女の表情を思い出す。
「あれは別に突き落としたんじゃなくて…」
「玲、昔っから華奢な見た目にそぐわず馬鹿力でさー」
先程までの強気な様子とは異なり、ひどく言い辛そうに視線をそらす佐藤さんの言葉を遮ったのは凪だった。
「どうせ今回もちょっと牽制かけてやろうと思ったらふっ飛ばしちゃったんだろ」
どうも佐藤さんには普段の優等生ぶりはどこへやら、歯に衣着せぬ度合いが5割増しの態度に感じたのは、彼女への凪の辛辣な態度というよりもどちらかというと親しげな雰囲気だった。
まぁ元々親戚だというのだから、幼いころからの付き合いであることは間違いないわけで、昔からの態度がそのまま出てしまうのだろう。
しかしちょっとぶつかってしまっただけで人一人飛ぶほどの力があの細身のどこにあるのか。
細かいことは気にしない性質とはいえ問い尋ねたいことは山々なのだが、凪に指摘されたのがよほど堪えているのか軽く唇を噛む佐藤さんに私の中の罪悪感が膨れ上がる。
うん、美少女の悔しそうな顔はこちらが堪えるな。
そこで「気絶なんてして大事にしてごめんなさい」ととりあえず言ってみたが、返ってきたのは佐藤さんだけでなく室内の人数分(私を除く)の溜息だった。
「ほんと、名前って馬鹿なのね」
出会って2日、話して数十分しか経ってない美少女に暴言を吐かれた私は軽くショックを受けるも、その言葉の直後「ごめんなさい」と彼女はすっと頭を垂れた。
そして彼女の行動を黙って見ていたこの人物も、また。
「…名前ちゃん」
私に近づくと、しっかりと視線を合わせて「ごめん」という言葉を向けたのは沖田総司。
それはこれまでの話からして彼女を私を引き合わせたことへの謝罪なのだろう。しかし階段から落下してしまったことが単なる事故だとすれば、別段私は佐藤さんから気になるようなことをされてはいない。
例え彼女が何かしらの感情をもって動いていたとしても、それは沖田総司自身とは関係がなく、、彼が責任を感じる必要はないと、今の時点では断言できる。
故に彼に関しては謝ってもらうようなことをされてないというのが正直なところだが、きっと先程の土方先生とのやり取りといい、この人物がこうも素直に謝罪する場面は大変貴重な気がして、私は別の罪悪感を抱きながらもこくりとそれを受け入れた。
「ま、名前が許すなら俺も許す!」
「はい?」
佐藤さんと沖田が私に謝罪する中、隣で珍しく難しい顔をしていた凪だが、唐突に叫んだかと思うとえいっと軽く二人の頭を叩いた。
「一応聞くけどなに、今の」
「名前の痛みを二人にもわからせようと思って」
「何で凪が怒ってるの」
「もー名前のバカ!すっごく心配したんだからな!」
「またバカって…」
これは私が悪いのか?
確かに凪には今回特に何も話さず挙句の果てに意識をなくしたときたものだから色々と心配をかけた気もするが、いくらなんでもそんなに怒るようなことだろうか。
喉元まででかかる疑問だが、そんなことを言うとまた長くなる気がして寸のところで思いとどまった。
「お前ら、用が済んだなら戻るぞ」
私への説教タイムに突入した凪の姿に、大方の用事は終わっただろうと、事態を静観していた土方先生が私を除く面々に声をかける。
時計を見ればもう夕食の時間も終わろうとする時刻、自分が夕飯を食べそこなったこともショックだが、今の今までここにいたということは彼らもきっと何も食べていないに違いない。
今から一緒に行けばデザートくらいはもらえるだろうかと布団から抜け出そうとすると、隣にいる斎藤くんに留められ、挙句土方先生にも釘をさされた。
「夕飯は後で持ってこさせるから、しばらく横になってろ」
「…はーい」
それだけ言うと先生は、剣道部の面々だけでなく、「ここにいる」と渋った凪も最終的に一緒に連れて部屋を出ていった。
皆の背を見送りつつ一人寂しく布団にもぐる中、一番最後にそばを離れた斎藤くんが小さく声をかける。
「少し、眠ったほうがいい」
「うん。ありがとう斎藤くん。」
思っていた以上にダメージが残っていると自覚したのは、瞼を閉じた瞬間。
あっという間に意識がまた闇に沈む直前、耳に届いた言葉はひどく心地よく思えた。
「おやすみ、名字」
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